[2-4]交渉の糸口は


 大蟒蛇ヨルムンガンドは場の魔力をらい、蒼斑魚ラハヴは呑んだ相手の体力を奪うらしい。ナーダムは態度こそ毅然きぜんとしていたが、翠飛竜ギディルに寄りかかり身体を起こしているのが精一杯のようだった。

 持ち合わせの治療薬を勧めたセスに、彼はつった碧眼へきがんを細め、呆れた声音で答える。


「疲労回復とか滋養強壮の効果ならともかく、怪我もしてないのに造血薬飲んだって無意味だから」

「えっ、そうなの?」

「それさ、失血による貧血を緩和させる薬。次からは、販売店できちんと説明聞いて購入することだね。……まったく、人間は」


 冷たく言われて思わずびんのラベルを見たものの、見慣れない成分表示を理解できるはずもなかった。

 解らないながらも、セスの脳裏を過ったのは初対面のときのデュークだ。あのとき渡したのも同じ治療薬だったので、血の通わぬ不死者ミイラである彼には効果がなかったに違いない。好意を無下にできなかったのか、怖がられたくなかったのか……どちらにしても気を遣わせてしまった。

 たまれない気分で悶々もんもんとしていると、ラファエルがくすくす笑いながらセスの前に出て、会話の主導権を引き取る。


「やっぱりエルフは医療関連の知識があるんだね、ますます気に入ったよ。どうだい、ナーダム。僕の騎士として忠誠を誓うのは」

「断る」

「処刑の話は君を罠に掛けるための虚言きょげんだけど、これは本音だよ。君となら仲良くできると思うんだよね」

「言っておくけど、人間なんて大嫌いだ。それに僕は、あんたから家族を奪って国を滅茶苦茶にした、魔王軍の魔将軍なんだけど?」


 躊躇ちゅうちょもなくデリケートな話題を持ちだすナーダムに、セスは身が縮む思いがしたが、ラファエルは目を細め口角を上げて意味深に笑った。


「もちろん、国は返してもらうつもりだ。主城と中央神殿、城壁の修復についても、魔王軍に責任を取ってもらうよ。ただ、戦死者の話を混ぜ込んでしまうと感情論に発展しかねないし、交渉のテーブルで不毛な議論はしたくない。……僕は君の主君、つまり魔王と建設的な話がしたいんだ」


 冷静ながらも威圧いあつ的。そんな、ラファエルからにじむ迫力にされたのか、ナーダムが口をつぐむ。しばらく瞳をさまよわせたあと、彼はゆるゆると頭を振って、表情を改め言った。


「……わかった。僕個人の忠誠とか、グラディス様が……こんなふうになった経緯とか、言いたいことも聞きたいこともあるけど、今は保留にする。あんたの話が政治的な性質のものなら、僕が口出しすることじゃないし」

「ふぅん? つまり、魔王に取り次いでくれると受け取っていいのかな?」

「魔王様……はどうだろう。話し合うなら同席するだろうけど、こういう話を取りまとめているのは、ルウォーツ様じゃないんだ」


 ナーダムが交渉の場を設けることに同意したのが、セスには意外に思えた。彼との対話は不可能だと思い込んでいた自分に気がつき、軽い自己嫌悪がわきあがる。彼が強い口調で語る「人間は嫌いだ」と同じだけのかたくなさで、セス自身もナーダムを嫌っていたのだ。

 この感情は正当だろう。しかし、ラファエルの話し方は良い意味で驚きだった。目標を持ち、そこに至る手段を探りだし、実現のため自分自身の感情を制御する、こんなやり方もあるのだ。学びたい、と思う。

 父が宰相であっても、セス自身が施政の場に関わる機会はまずない。とはいえ、ラファエルは政務から遠ざけられていたという話だったし、教育を受けてきたとしても当人の努力によるものが大きいはずだ。


「なるほど。確かに、魔王といっても元は伝承者バルドだというし。僕としては、魔王軍の総括的な意志を示してくれる者であれば、誰でも構わないよ」

「実は、エルデ・ラオ国を制圧した直後から、ネプスジード……光の魔将軍があんたのことを捜してて。蒼飛竜をつれた飛竜騎士ドラゴンナイトを見つけたら、魔王軍として交渉を試みるよう……言われてたんだ。そっちが仕掛けてきても、絶対に、殺すなって」


 一瞬、沈黙が通り過ぎ、少し遅れてラファエルが「え」と聞き返す。ナーダムが気まずそうに目をらし、小声で答えた。


「僕は、詳しい事情を知らない。でも、一応、……殺しちゃ駄目だとは、頭にあって。でも、……あんたがひどい挑発をしてくるから、思わず、……かっとなって」

「ふむ。それはいいよ、僕もやり過ぎた。しかし、僕たちは君より前に魔将軍と接触しているんだけど、何も聞いてないよ。ルシアと一緒にいたセルフィードって大烏おおがらす、風の魔将軍だろう?」

「そうだけど。あんたたち、セルフィードを殺したんじゃないのか」


 再び、短い沈黙が通り過ぎる。双方ともに勘違いと情報不足を痛感し、ラファエルが口元に手を添えて呟いた。


「……やっぱり、そうだよね。セスとリュナにはつらい話になってしまうかもしれないけど、順序立てて経緯を伝えたほうがスムーズに話を進められそうだ。とはいえ、もう夕暮れも近い。野宿をするなら準備が必要だけど、どうする?」

「何、もしかしてセルフィード、あんたを見ても交渉の話を持ち出さなかったわけ? そっちにも会談の意志があるのに? なんかムカついてきた。生きてて捕まえてるならここに出せよ、仕事をさぼるなって言ってやらないと気が済まないんだけど!」


 怒りだしたナーダムが言う通り、確かにセルフィードから魔王軍側の意志を聞いていれば、もっと違うやり方で交渉に臨んでいたかもしれない。楽しげな様子で頭に乗ってきたことと、その後かれの身に起きた悲運を思って、セスはつい苦笑をこぼした。

 自分やリュナは、クォームが構築した精神世界でグラディスと魔王軍に関わる過去を知ってしまった。それにはもちろん、ナーダムの過去も含まれる。しかし、グラディス自身が命を奪われた後のことは知らないし、知っていいかもわからない。

 もしもナーダムに語る意志があるのなら、きちんと聞いて向き合いたいとも思う。たった一日で多くのことが起き過ぎて、セスもまだ気持ちを整理しきれてはいないのだけど。


「ナーダム、セルフィードはここにいないんだ。実は、ウィルダウが……復活してしまって」

「なに」


 怒った子供の表情から、冷徹れいてつな怒りの表情に。ナーダムは碧眼を細め、睨むようにセスを一瞥いちべつしてから、視線を落として口元を引き結んだ。数秒ほど逡巡しゅんじゅんしたのだろう、やがて顔を上げる。


「やっぱりあいつ、また何か企んでるんだ。そっちの王子とネプスジード、互いに交渉の意志ありなんだし、もう直接、本拠地までくれば? 王子が一緒なら、少なくともいきなり殺されるとかはないよ」

「そういう話なら、オレ様が離宮までの転移門ゲートを開いてやるぜ。ちょっと時間かかるけど、それでも一番早いだろ」

「え、離宮って?」


 するっと割り込んだクォームの言葉に、ラファエルが珍しく目を丸くして聞き返した。ナーダムは少し考えてから、言いにくそうな表情で答える。


「城が崩れて拠点を失ったから、こっちを借りようってセルフィードが門の錠を……壊して。中の物は、必要最低限しか手をつけてない」

「あの、お城、ごめんなさい」

「大丈夫だよ。なるほど、その離宮、僕がずっと暮らしていた場所だね。いい環境だろ?」


 謝るリュナを制し、ラファエルはそう言って微笑む。それから、クォームに視線を転じて言った。


転移門ゲートを頼むよ、クォーム。君やセス、ルシアまで一緒、というのは向こうも想定外だろうけど、僕の名にけて君たちには手出しをさせないようにする。これ以上、誤解やすれ違いが起きる前に、話し合いに持ち込みたいんだ」

「おー、任せておけ! イルマにも手伝ってもらおうかな」


 静かなたたずまいで流れを見守っていた星竜の青年は、ふいに水を向けられ驚いたようだった。が、言われたことを察して柔らかく笑み頷く。


「うん、もちろん手伝うよ。ただ、僕は一緒には行けないけど、いいかな?」

「え、イルマちゃん、来ないんですか?」


 誰よりも早く反応したのはアルテーシアで、当人は「なんで君までイルマちゃん……」などと困惑している。セスとしても問いただしたい気分だが、残念ながらそういう状況ではない。落ち着いたら彼女といろいろ話したいけれど、一体いつになることだろう。

 クォームは首を傾げてイルマを見ていたが、何かを察したのか頷いて、それ以上聞こうとはしなかった。

 



 上位竜族ふたりが簡易式の転移門ゲートを設置完了したのは、斜め差しのが辺りを橙色に染めはじめた頃。

 魔法式を展開するかたわらクォームは、魔王ルウォーツへ通信を試み、ごく簡単にだが現在の状況を伝えたらしい。これで少なくとも、向こうへ出た途端に襲われるという危険はなくなった。念のためナーダムとギディルが最初に転移門ゲートを抜け、光の魔将軍ネプスジードとの仲介役をしてくれるという。

 絶対わかり合えないと思っていたナーダムが思った以上に協力的で、セスの心中はまだ複雑だ。だまし討ちの形で屈服させただけに、もしかして罠なのでは、という疑念をぬぐうことができずにいる。

 不安そうな様子が顔に出ていたのか、人型に戻ったクォームがセスの側に来て、顔を見るなりにぃと笑った。


「大丈夫だって。あいつ騙し討ちできるような気質じゃねーだろ?」

「え、なんで」

「オレ様さー、神様よりすっげー竜だから、その気になれば他人ヒトが考えてること読めるんだよ。いつもは、その気にならねーようにしてるだけで。それに、詳しい話まではできなかったけど、魔王も事情は把握はあくしてるらしいぜ。だから悪いことにはならないさ」

「そっか、うん。ありがと、クォーム」


 失敗をかてに次こそは、と頭で考えていても、心は自覚以上に前の失敗を引きずってしまうのものらしい。肝心の時に臆病になってしまう自分にはがっかりするが、クォームが目ざとく気づいて気にかけてくれたことは、単純シンプルに嬉しい。

 魔王軍本拠地へ、二度目の訪問。今度は以前とは違い、真正面から交渉するのだ。緊張極まって内臓がぎゅうぎゅうと締めつけられている気はするが、怖がっていてはいけない。

 正式に契約を結んだのではなくとも、セスは今、ラファエル王子を守る騎士でもあるのだ。冥海めいかい神から権能ちからも預けられている。もう、無力な見習いなどではない。


 リュナ、アルテーシア、ラファエル王子。気づけば、守りたいと願う存在が増えていた。幼少期に憧れた「白銀の騎士」に、少しでも近づけているだろうか。今度こそ誰をも取りこぼすことなく、守りきれるだろうか。

 決意を固めるしかできないが、やるしかない、と強く思う。


「行きましょう、セスさん」


 アルテーシアが鈴のように軽やかな声でセスを呼んだ。ぐるぐると胸に渦巻いていた感情が、彼女の声になだめられていでゆく。目を向ければ、相変わらず楽しそうなラファエル、不安そうに両手を握り合わせたリュナ、まっすぐ自分を見るアルテーシアがいた。

 大丈夫だ、そう心に言い聞かせ、覚悟を決める。


「うん、行こう。今度はきっと上手くいくよ」

「今のセスさんなら、何が起きてもきっと大丈夫です。でも、ぜんぶ落ち着いたらお説教はしますので!」

「え、……はい」


 再会のときに言われた台詞を、すっかり忘れていた。思わず気圧けおされたじろぐセスに、アルテーシアは彼女にしては珍しい悪戯いたずらっ子のような目で、ふふっと微笑む。

 しなやかな指に手を取られ、引かれた。

 アルテーシアの微笑みと同じくらい、彼女の指は温かく柔らかかった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る