[2-4]交渉の糸口は
持ち合わせの治療薬を勧めたセスに、彼はつった
「疲労回復とか滋養強壮の効果ならともかく、怪我もしてないのに造血薬飲んだって無意味だから」
「えっ、そうなの?」
「それさ、失血による貧血を緩和させる薬。次からは、販売店できちんと説明聞いて購入することだね。……まったく、人間は」
冷たく言われて思わず
解らないながらも、セスの脳裏を過ったのは初対面のときのデュークだ。あのとき渡したのも同じ治療薬だったので、血の通わぬ
「やっぱりエルフは医療関連の知識があるんだね、ますます気に入ったよ。どうだい、ナーダム。僕の騎士として忠誠を誓うのは」
「断る」
「処刑の話は君を罠に掛けるための
「言っておくけど、人間なんて大嫌いだ。それに僕は、あんたから家族を奪って国を滅茶苦茶にした、魔王軍の魔将軍なんだけど?」
「もちろん、国は返してもらうつもりだ。主城と中央神殿、城壁の修復についても、魔王軍に責任を取ってもらうよ。ただ、戦死者の話を混ぜ込んでしまうと感情論に発展しかねないし、交渉のテーブルで不毛な議論はしたくない。……僕は君の主君、つまり魔王と建設的な話がしたいんだ」
冷静ながらも
「……わかった。僕個人の忠誠とか、グラディス様が……こんなふうになった経緯とか、言いたいことも聞きたいこともあるけど、今は保留にする。あんたの話が政治的な性質のものなら、僕が口出しすることじゃないし」
「ふぅん? つまり、魔王に取り次いでくれると受け取っていいのかな?」
「魔王様……はどうだろう。話し合うなら同席するだろうけど、こういう話を取りまとめているのは、ルウォーツ様じゃないんだ」
ナーダムが交渉の場を設けることに同意したのが、セスには意外に思えた。彼との対話は不可能だと思い込んでいた自分に気がつき、軽い自己嫌悪がわきあがる。彼が強い口調で語る「人間は嫌いだ」と同じだけの
この感情は正当だろう。しかし、ラファエルの話し方は良い意味で驚きだった。目標を持ち、そこに至る手段を探りだし、実現のため自分自身の感情を制御する、こんなやり方もあるのだ。学びたい、と思う。
父が宰相であっても、セス自身が施政の場に関わる機会はまずない。とはいえ、ラファエルは政務から遠ざけられていたという話だったし、教育を受けてきたとしても当人の努力によるものが大きいはずだ。
「なるほど。確かに、魔王といっても元は
「実は、エルデ・ラオ国を制圧した直後から、ネプスジード……光の魔将軍があんたのことを捜してて。蒼飛竜をつれた
一瞬、沈黙が通り過ぎ、少し遅れてラファエルが「え」と聞き返す。ナーダムが気まずそうに目を
「僕は、詳しい事情を知らない。でも、一応、……殺しちゃ駄目だとは、頭にあって。でも、……あんたがひどい挑発をしてくるから、思わず、……かっとなって」
「ふむ。それはいいよ、僕もやり過ぎた。しかし、僕たちは君より前に魔将軍と接触しているんだけど、何も聞いてないよ。ルシアと一緒にいたセルフィードって
「そうだけど。あんたたち、セルフィードを殺したんじゃないのか」
再び、短い沈黙が通り過ぎる。双方ともに勘違いと情報不足を痛感し、ラファエルが口元に手を添えて呟いた。
「……やっぱり、そうだよね。セスとリュナにはつらい話になってしまうかもしれないけど、順序立てて経緯を伝えたほうがスムーズに話を進められそうだ。とはいえ、もう夕暮れも近い。野宿をするなら準備が必要だけど、どうする?」
「何、もしかしてセルフィード、あんたを見ても交渉の話を持ち出さなかったわけ? そっちにも会談の意志があるのに? なんかムカついてきた。生きてて捕まえてるならここに出せよ、仕事をさぼるなって言ってやらないと気が済まないんだけど!」
怒りだしたナーダムが言う通り、確かにセルフィードから魔王軍側の意志を聞いていれば、もっと違うやり方で交渉に臨んでいたかもしれない。楽しげな様子で頭に乗ってきたことと、その後かれの身に起きた悲運を思って、セスはつい苦笑をこぼした。
自分やリュナは、クォームが構築した精神世界でグラディスと魔王軍に関わる過去を知ってしまった。それにはもちろん、ナーダムの過去も含まれる。しかし、グラディス自身が命を奪われた後のことは知らないし、知っていいかもわからない。
もしもナーダムに語る意志があるのなら、きちんと聞いて向き合いたいとも思う。たった一日で多くのことが起き過ぎて、セスもまだ気持ちを整理しきれてはいないのだけど。
「ナーダム、セルフィードはここにいないんだ。実は、ウィルダウが……復活してしまって」
「なに」
怒った子供の表情から、
「やっぱりあいつ、また何か企んでるんだ。そっちの王子とネプスジード、互いに交渉の意志ありなんだし、もう直接、本拠地までくれば? 王子が一緒なら、少なくともいきなり殺されるとかはないよ」
「そういう話なら、オレ様が離宮までの
「え、離宮って?」
するっと割り込んだクォームの言葉に、ラファエルが珍しく目を丸くして聞き返した。ナーダムは少し考えてから、言いにくそうな表情で答える。
「城が崩れて拠点を失ったから、こっちを借りようってセルフィードが門の錠を……壊して。中の物は、必要最低限しか手をつけてない」
「あの、お城、ごめんなさい」
「大丈夫だよ。なるほど、その離宮、僕がずっと暮らしていた場所だね。いい環境だろ?」
謝るリュナを制し、ラファエルはそう言って微笑む。それから、クォームに視線を転じて言った。
「
「おー、任せておけ! イルマにも手伝ってもらおうかな」
静かな
「うん、もちろん手伝うよ。ただ、僕は一緒には行けないけど、いいかな?」
「え、イルマちゃん、来ないんですか?」
誰よりも早く反応したのはアルテーシアで、当人は「なんで君までイルマちゃん……」などと困惑している。セスとしても問いただしたい気分だが、残念ながらそういう状況ではない。落ち着いたら彼女といろいろ話したいけれど、一体いつになることだろう。
クォームは首を傾げてイルマを見ていたが、何かを察したのか頷いて、それ以上聞こうとはしなかった。
上位竜族ふたりが簡易式の
魔法式を展開する
絶対わかり合えないと思っていたナーダムが思った以上に協力的で、セスの心中はまだ複雑だ。
不安そうな様子が顔に出ていたのか、人型に戻ったクォームがセスの側に来て、顔を見るなりにぃと笑った。
「大丈夫だって。あいつ騙し討ちできるような気質じゃねーだろ?」
「え、なんで」
「オレ様さー、神様よりすっげー竜だから、その気になれば
「そっか、うん。ありがと、クォーム」
失敗を
魔王軍本拠地へ、二度目の訪問。今度は以前とは違い、真正面から交渉するのだ。緊張極まって内臓がぎゅうぎゅうと締めつけられている気はするが、怖がっていてはいけない。
正式に契約を結んだのではなくとも、セスは今、ラファエル王子を守る騎士でもあるのだ。
リュナ、アルテーシア、ラファエル王子。気づけば、守りたいと願う存在が増えていた。幼少期に憧れた「白銀の騎士」に、少しでも近づけているだろうか。今度こそ誰をも取りこぼすことなく、守りきれるだろうか。
決意を固めるしかできないが、やるしかない、と強く思う。
「行きましょう、セスさん」
アルテーシアが鈴のように軽やかな声でセスを呼んだ。ぐるぐると胸に渦巻いていた感情が、彼女の声になだめられて
大丈夫だ、そう心に言い聞かせ、覚悟を決める。
「うん、行こう。今度はきっと上手くいくよ」
「今のセスさんなら、何が起きてもきっと大丈夫です。でも、ぜんぶ落ち着いたらお説教はしますので!」
「え、……はい」
再会のときに言われた台詞を、すっかり忘れていた。思わず
しなやかな指に手を取られ、引かれた。
アルテーシアの微笑みと同じくらい、彼女の指は温かく柔らかかった。
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