[2-2]蒼飛竜と翡翠の飛竜


 セスの長兄は飛竜騎士団長なので、セスも飛竜騎士ドラゴンナイトについての知識は持っている。

 機動力と持久力に優れ、戦闘能力も高い飛竜騎士ドラゴンナイトだが、無双無敵というわけにはいかない。空を飛ぶという特性上、飛行能力を損なわれれば致命的だ。身体が大きくまとになりやすいため、弓兵部隊は彼らの天敵である。


 弓矢よりは射程範囲が狭いものの、魔導士部隊も脅威きょういとなる。とはいえ、一般的な詠唱魔法は即時即発できないので、まだましだろうか。

 厄介なのは、エルフであるナーダムはおそらく弓の扱いにも慣れており、精霊魔法を詠唱なしで繰りだしてくる、ということだ。


「オレ様が同乗すればエルフの魔法くらい完全に防いでやれるけど、不自然だもんなー」


 グラディスの顔でクォームが言う。せめてオレ様はよして欲しいと思うセスだが、いちいち取り合うと話が進まないので、ぐっと我慢する。

 代わりにラファエルが突っ込んでくれた。


「さすがに三人乗りはマリユスの機動力が落ちるし、君は喋らないほうがいいと思うよ」

「だーよな」


 ああでもない、こうでもないと話し合った末、簡易の魔防結界をマリユスに貼り付けることになった。

 空間権能の竜族と自負するだけあって、クォームはレーチェル以上の守護障壁を張ることも可能だと言う。しかし、大抵の守護障壁がそうであるように術者中心――クォーム自身を起点としなくては、継続ができないのだ。


「クォーム。これは、どんな魔法でも防げるのか?」

「うん。ただ、完全に防ぎ切るのは二度が限界かなー。向こう相当魔力高いみたいだし」

「話し合う余地があるといいね。とにかく、魔法だって当たらなければ問題ないさ」


 物理的な飛び道具と違い、魔法攻撃を回避するなんて無理では……とセスは思ったが、ラファエルの自信たっぷりな目を見て言葉を飲み込む。エルデ・ラオは軍事国家だったので、飛竜騎士ドラゴンナイトの魔法回避訓練も行われていたのかもしれない。

 兄なら何と言うだろうと考えて、ふいに寂しさがつのり、セスは頭を振って感傷を払いのける。金の飛竜に乗った長兄ケスティスは、幼い頃からセスの憧れだった。いつかは向き合わねばならないとしても、今がその時ではない。


「ラフさんにはいつも、危険な役回りを任せてしまってすみません。何度も魔法をうつ余裕なんか持たせないよう、俺も頑張りますので!」

「ふふ、頼りにしてるよ」

「光栄です」


 浮ついているようにしか見えないラファエルだが、動きは迅速じんそくで迷いがなかった。マリユスのくらや手綱をチェックし、先程と同じようにセスが前、ラファエルは後ろに騎乗する。

 布や革部分を汚す黒い染みは拭き取りきれなかった血液だろう。長い時間が経ったように思えるが、ここに到着しティークと相対あいたいしてから、まだ半日もたっていないのだ。


 黒い牙に呑まれて文字通り消えてしまった友も、気がかりではある。イルマやリュナなら結末を知っているかもしれないが、確かめる勇気はまだない。彼の死を誰かに確言されてしまえば、きっと自分の心は折れてしまう。

 今はただ、ナーダムを殺さず、こちら側にも被害を出さず。

 難しいことだが、絶対にやり遂げてみせる。


 本番続きでさすがに慣れてきた。飛竜がふわりと浮かびあがる瞬間は今でもどきりとするが、最初の時に感じた恐怖や不安はもうない。ラファエルが指示を出し、マリユスが喇叭らっぱのように声高くこたえる。

 ぶつもりの魔獣を思いの中で描きながら、セスは顔を上げ前方を見据えた。いつも感じていた中の神ウィルダウの存在が本当に消えていることも、今さらながら実感する。

 せいせいしただろう、などと彼はうそぶいていたが、今感じるのは奇妙な寂しさと空虚感だった。




  ☆ ★ ☆




 ナーダムが異変に気づいたのは、実のところグラディスが離宮を飛びだした直後だった。

 空間を断裂させる大きな魔力の揺らぎ、騒ぎたつ精霊たち、慌てた様子で飛びこんできたアロカシス――、

 ここ数日の精神状態が安定していたため油断していた、というのは言い訳だ。


 人間より魔法に詳しいエルフではあるが、ナーダムもグラディスが持つ権能ちからを理解できていない。豊穣ほうじょう神の名を持つ翠龍すいりゅうには、『運命に働きかけて在り方を変化させる能力』と説明されたが、まったく意味がわからなかった。

 正しく理解できたのは、神に匹敵する、あるいは神をも凌駕りょうがする権能ちからである、ということだけ。


「何があったんだ、アロカシス! あんた、グラディス様と一緒にいたんだろう!?」

「そうなんだけどぉ、……アタシにもわからないのよ。グラディス様は、突然に怒りだしたの。アタシにあの方を追跡できるわけないじゃない。でも、ねぇ」

「……イルマの記憶が戻った、のか?」

「可能性は高いわ」


 人間の魔道士に奪われたという、彼女の息子。アルテーシアとセルフィードが取り戻すために向かっているはずだが、そもそもナーダムははなから二人を信用していない。もちろん、イルマが竜族だからと酷い仕打ちをするような人物ではないのは、わかっているが。

 何かがあったのだ。

 近頃ずっと怪しげな動向を見せていた帝国がイルマの正体を掴み、罠を仕掛けたのかもしれない。エルデ・ラオ国攻略のさいに、ネプスジードが戦力としてグラディスを連れていったため、彼女についてばれていても不思議はないわけで。


「わかった。僕も向かう」

「待ちなさい、ナーダム! 先に、魔王様に報告を上げるべきだわ!」


 彼女は心配してくれたのだろう。魔王ならグラディスの居場所を正確に見つけ、扉を開くこともできるのだ――というのは、わかっていた。

 しかし、行手に待ち受けているのが罠で、人間たちがグラディスを人質とし魔王に降伏を迫ったとしたら。


 胸の内側でくらい感情が渦を巻く。

 昔を知らないネプスジードは、魔王かれが人間にくだるなどあり得ないと笑い飛ばすけれど。過去の日にその可能性から目を背けた結果、ルウォーツは人間に命を差しだし、グラディスもまた殺されたのだ。

 同じことが繰り返されないと、なぜ言い切れるのか。

 ふいに黒い激情いかりが湧きおこり、こらえきれずにナーダムは叫んだ。


「それに何の意味があるんだよ。今の魔王様は、ルウォーツ様じゃないだろ!?」


 アロカシスがべにを塗った唇を引き結び、一歩さがったのを見る。光ゆらめく瞳に映る自分は、ひどく情けない顔をしていた。

 彼女は何も言わなかったが、吐きだした言葉は痛烈な皮肉となってナーダム自身の胸に突き刺さる。壊れてしまいそうな空気が気にさわり、彼はアロカシスの返事を待たずに竜舎へ向かって駆けだしていた。


 本当は、わかっている。魔王だけではない。今のグラディスだって、彼が知る本当の彼女ではない。

 でもそれを認めてしまったら、自分にとってこの五百年は何だったのか。


 振り払うように、魔法けのマントを羽織って長槍を掴む。翠飛竜ギディルに飛び乗って、アロカシスが報告していたイルマの目撃地――妖魔の森へと向かう。

 遠い遠い昔、身を寄せ合って暮らしていた故郷の地。今は豊穣神の本神殿が埋もれている地へと。


 野生種で色つきでもある翠飛竜のギディルは、人間が飼い慣らした軍用飛竜より身軽で、保有する魔力量も多い。飛び立つと同時にうずまいた旋風に髪があおられたのも、一瞬だ。飛竜が展開した魔力の力場が、穏やかな空気を閉じ込める。

 かれと一緒になら、何時間でも、何日でも飛び続けられる自信があった。


「行くよ、ギディル! グラディス様を取り戻すんだ!」

「クアァァアァァー――ッ!」


 力強い咆哮こえこたえる。ぐんとスピードが増し、眼下の景色が流れるように変化してゆく。目と鼻の先とはいえないが、目的の地まで半日もかからないだろう。

 この時点でナーダムは、帝国の飛竜騎士団ドラゴンナイツ一部隊程度なら蹴散らす自信があった。人間の使う魔導は制約が多い上、大抵の人間は魔法への耐性も低い。を浴びせてやれば一掃できると踏んでいたのだ。

 しかし、目的地にだいぶ近づいた所で、ナーダムは自分が大変な思い違いをしていたことに気づいた。


 翠飛竜ギディルが興奮もあらわに、うなり声で喉を鳴らす。ナーダムがいるのははるか上空であり、そこで接敵するということは、相手も飛行しているということだ。が、編隊を組んでいる気配はない。

 あざやかな蒼穹そうきゅうに流れゆく綿雲。その白地に筆を走らせるように、青い魔力をまとった飛竜がこちらへ向かってくる。その姿を視認した途端、ナーダムは、絶望という名の冷たい腕に、首を掴まれた気がした。

 

 風の魔力を宿す蒼飛竜に騎乗する飛竜騎士ドラゴンナイトなど、ただ一人しかいない。今まさに対峙たいじしようとしている相手が、行方不明だったエルデ・ラオ国の末王子であることは疑いようもなかった。

 なぜこの可能性を考えなかったのかと、ナーダムは自分自身へいきどおりを向ける。

 家族を殺され、国を奪われ、主城すら破壊されて、ただ一人生き延びた王子が復讐ふくしゅう心を燃やさぬはずがない。仇を討つため、あるいはそれ以上を求めて策を練るだろうことは、冷静に考えればわかっただろうに。


 いつもいつも人間たちは、不意打ちで大切なひとを奪ってゆく。

 だから人間は嫌いだ。でもそれ以上に、いつも後手に回ってしまう自分自身の不甲斐なさが、どうしようもなく腹立たしかった。




  ☆ ★ ☆




 高速で飛ぶもの同士であれば、接近はあっという間だ。

 前方の空に溶けいる翡翠の輝きを視認した次の瞬間には、長槍を構えこちらを睨みつけるエルフ青年の表情がはっきり見えていた。


「マリユス、上昇!」

「ファアァッ!」


 叫ぶラファエルに、蒼飛竜が応えて翼をすぼめ、勢いよく身をよじる。振り落とされないよう手綱にしがみついたセスの眼下を、巨大なみどりが潜り抜けた。向こうの飛竜、マリユスよりも大きいかもしれない。


「へぇ、魔法うってくるんじゃなく、まさかの体当たり! 彼も戦火神信者かな!?」

「なに言ってるんですか、ラフさん!」


 ナーダムは豊穣神の守護騎士パラディン、なんて真面目に突っ込める状況ではなかった。ぐるんと視界が回り、翡翠に覆われたとげとげしい尾が眼前の空気を引き裂いてゆく。

 魔法戦を予想していたセスは、接触と同時に始まった飛竜同士の格闘戦に戸惑うばかりだ。振り落とされないよう、必死で手綱に捕まるしかできない。


 翠の飛竜は蒼飛竜マリユスの上を取ろうと鉤爪かぎづめ鋭い後脚で蹴りを入れるが、マリユスは真下ましたに降下してかわし、縦に円を描く軌道で上昇、翠飛竜の背側を取ろうとする。

 背上の騎手を庇ってか翠飛竜は身体を回転させ、長い尾の先をマリユスの鼻に叩きつけようとした。が、飛行しながらではコントロールも難しいのだろう。かすらせもせず潜り抜けた蒼飛竜マリユスが大きく羽ばたいて風の壁を作り、さらに上昇して距離をとる。


「珍しい、野生種の飛竜だ」

「ラフさん、距離が開くと危険では」


 互いの力を確かめた、というところだろうか。セスは今度こそ魔法が飛んでくるかと、気が気ではない。が、ラファエルは楽しそうに笑み、低い声でささやいた。


「彼さ、グラディスの無事が気にかかってるんだね。魔法なら二回は食らっても平気なんだし、心配はないよ?」

「そ、そうですけど、そういうことじゃなくて!」


 心配するセスの言葉などどこ吹く風で、ラファエルは蒼飛竜マリユスに合図を送りナーダムの前方に回り込む。エルフの騎士は一定距離を保ったまま警戒あらわにこちらを睨んだ。

 闇雲に攻撃してこないのは、ラファエルが言うように、グラディスの身柄を心配しているからだろうか。何にしても、今ならセスでも舌を噛まずに会話ができそうだ。――と、思ったのもつかの間。

 ラファエルがセスの前に手をかざして遮ると、高らかな声で宣言した。


「魔将軍ナーダムよ! 僕はエルデ・ラオ国の第二王子。ラファエル・エーレ・ブルーメンタールがその名だ! 君の主である災厄の魔女は、すでに捕縛してある。君がこちらに投降し僕に忠誠を誓うのなら――、彼女の処刑を取りめてあげてもいいよ?」


 


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