第二節 魔王軍の飛竜騎士

[2-1]召喚者の権能


 ざわりと、空気が騒いだ気がした。

 仮眠用ベッドで横になっていたセスは、何とも言えない予感に起きあがる。


 駐屯ちゅうとん地の建物群はティークの襲撃とグラディスの呼び寄せた黒い牙で破壊され、とても使える状態ではなかったが、金庫や地下貯蔵庫に入れられていた薬品類と医療用の道具は無事だった。

 さらに探せば、汚れと破損はあるものの使えそうなベッドも見つけることができた。


 魔法や魔石で無理やり回復させたものの、セスの身体に残るダメージは大きい。本当はきちんと医者に見せるべきだが、今は街へ戻れない。せめて少しでも休息を、と、クォームとイルマが協力し、目隠しの結界を張ってくれた。

 やはり地下庫に収納されていた簡易テントをラファエルと蒼飛竜マリユスで設営し、簡素ながら屋根がある休憩所の出来あがりだ。強引にベッドに押し込められたあと、アルテーシアの子守唄(眠りの歌魔法だったかもしれない)を聞いているうちにストンと意識が落ちて、少しの時間ぐっすり眠ったらしい。

 目が覚めれば痛みも息苦しさも消えていたが、右腕は添え木と包帯でしっかり固められていた。


「おー、気分はどうだ?」


 天幕布の間から顔を出したのは、クォーム。セスは少し考えて、答える。


「悪くない、と思う。右腕は動かないけど痛みはないし、今はすごい楽。……これは、折れてんのかな?」

「折れてたけど、傷は魔法でふさいだみたいだぜ。でもまだ剣は持てないかな。ま、おまえには冥海めいかい神の権能ちからがあるから大丈夫だろ」

「冥海神……ウィルダウは、もういないと思うけど」


 星龍の権能ちからを奪い、高笑いしながら去っていった中のひと、ウィルダウ。セスが扱えていた召喚魔法は、もともと彼が持っていた権能だ。深い眠りから覚めた直後でも、あの衝撃は忘れない。

 が、クォームは苦笑いのような表情で「あー」と唸ってから、あっさり告げた。


「あいつ、召喚の権能は置いてったっぽい」

「……え?」

「あと、魔将軍らしいヤツがかなり接近してるぜ。結界いてるから隠れたままでもやり過ごせるだろうけど、ラファエルは迎えうつって言ってんだ。セスは、どうする?」

「魔将軍、ナーダム? ちょっと待って、向こうは魔法使うんだからラフさん不利だろ!」


 眠っている間にも、状況は進んでいたようだ。慌てて飛び起き、ベッドから降りて靴をく。冥海神が権能を置いていった意味はわからないが、ラファエル一人を向かわせるわけにいかない。

 まだ少しふらつくが、貧血やめまいといった症状はなさそうだ。つくづく、魔法による治癒はすごいと思う。


 テントの外に出れば、全員が集まって話し合いをしている真っ最中だった。アルテーシアの白いワンピースにもラファエルの青い騎士服にも、セスの血らしい赤黒い染みが付いているのを申し訳なく思う。

 畳み掛けるような事態の変遷へんせんに心は息切れ気味だが、今日という日はまだ終わっていないのだ。


「セス、良かった。だいぶ顔色が良くなってるね」


 気づいたラファエルが声を掛けてくれ、アルテーシアとリュナの視線が同時にこちらを向く。イルマとクォーム、仔狼シッポ蒼飛龍マリユスにまで見つめられて、なんだか恥ずかしかった。つい、笑って誤魔化ごまかす。


「はい、寝て起きたらすっきりしました。……それで、ナーダムが向かって来てるって」

「僕は迎えうつよ。魔将軍なら、何としても生け捕りにして交渉に持ち込みたいね」

「でも、ナーダムは豊穣神の加護を受けているから、強いです。エルフなので魔法も使えるし、魔法を無効化しますし……」


 目を輝かせるラファエルとは対照的に、リュナの表情は沈んでいる。

 妹をさらったのがナーダムということはつまり、デュークは彼に惨敗したのだ。セス自身もエルデの城が崩れる直前、彼が魔法を繰りだす様子を目撃している。遠距離から一方的に魔法を浴びせられては、近接武器主体のラファエルに勝ち目はない。

 しかし当人は妙に楽しげに、セスを一瞥いちべつして口角を上げた。


「確かに僕が扱える魔法は神聖魔法……『奇跡』くらいだけど、ここに優秀な魔法使いがいるだろ。援護を期待しているよ?」

「え、…………俺ですか?」

「もちろん」


 尊敬する竜騎士に強い期待を向けられた。セスは思わず背筋を伸ばして姿勢を正す。確かにクォームは、冥海神が召喚の権能を置いていったと言ったが――。


「俺が、魔獣を召喚して援護するってことですか?」

「対魔法なら、君主体のほうがいいかな。僕はクォームに弓を借りて君を援護しようか」

「……俺が、主体で」


 もちろん期待にはこたえたいが、どう動けばいいだろう。大蟒蛇ヨルムンガンドを召喚した時のように、ラファエルが駆るマリユスの背に乗って魔獣を召喚すればいいだろうか。

 グラディスと違い、ナーダムは飛竜に乗って空中を自在に飛べる。それならこちらも、空中で素早く動ける、かつ攻撃手段の多い魔獣を選ばなくては。

 思考に沈んで黙り込んだセスの様子に、リュナは不安を覚えたのかもしれない。一歩踏みだして「あの」と声を上げた。


「あたしが、説得します! 妖魔の森であたしは、通りすがりの人に助けを求めたせいでその人を……死なせてしまって。だから、もう、そんなことになって欲しくないんです」


 すみれ色の両目に、うっすらと涙の膜が張っている。ほんの十四歳の妹が抱えた悲しみを思うと、セスも胸が締めつけられる気がした。

 自分が逃げろといったばかりに、妹は他人を巻き込んだ自責に苦しんでいる。もしや、助けてくれた相手をナーダムに殺されたショックが、リュナを一時的な記憶喪失にさせたのだろうか。――いや、待てよ。助けを求めた相手って。


「リュナ、その人ってもしかして、デューク?」

「え? セス、どうして知ってるの?」


 妹が、デュークは死亡したと思い込んでいたことを、セスははじめて知った。

 思い返せば、グラディスとデュークが対峙たいじしたことはなく、彼が不死者であるとリュナが知っているはずがない。


「あのあと妖魔の森で、俺もデュークに会ったんだよ。大丈夫、彼は生きてる……っていうか、不死者だから死なないらしくて」

「不死者? そういえば、なんか変わった雰囲気の人だった」


 状況は切迫しているが、今はリュナを安心させたくて、セスは大まかにだが妖魔の森での出会いを語る。妹は目を見開いて聞いていたが、やがて「よかった……」と小さく呟き、手のひらで涙を拭った。アルテーシアが横からそっと、ハンカチを手渡してくれた。


「デュークは今、双月の砂漠にある戦火神殿に向かってるんだ。それぞれ目的を果たして合流する予定だから、その時に改めて紹介してやるよ」

「うん。……ほんとに、よかった」


 リュナにとっては、つらい記憶だろう。それでも彼女は、デュークが話そうとしなかった二人の戦い振りを、当時を思いだしつつ詳しく話してくれた。

 いつも無双しているデュークが、まったく防戦一方だったというのが意外だ。もちろん、リュナをかばっていたハンデも大きかっただろうけど。当時の状況を確認し、改めてナーダムは強敵だと思い知る。

 ここまでじっと話を聞いていたアルテーシアが、そっと手を挙げた。


「あの、セスさん。お話をうかがうに、ナーダムさんは魔法を打ち消す能力を持っているのではなく、魔道具か何か――おそらくマントで、その効果を得ているのだと思います」

「え、そうなのか?」

「はい。エルフは精霊魔法を使いますが、精霊では原初の魔法を防げませんし、魔法を受け付けない体質であれば魔法を使うこともできませんから」


 祖父が魔導士でも、セス自身は魔法や魔導に詳しくない。アルテーシアの説明もそんなものかと聞くだけだが、隣で聞いていたラファエルは彼女の説明で得心したのだろう。口元に手を添えしばらく思案したあと、視線をセスに向けて微笑んだ。


「つまり、直接的な攻撃魔法以外は有用ってことだね。撃墜げきつい目的なら飛竜を狙うのもありだけど、あとの交渉を考えればなるべく傷つけずに捕らえたいな。セス、絡め手に使えそうな召喚魔獣、何かある?」

「絡め手……巨大蜘蛛アラクネとか?」


 発想としては悪くなかったと思うのだが、リュナに怯えた目を向けられてしまい、見ていたラファエルに苦笑された。


「悪くはないけど、空中じゃ蜘蛛の巣を掛ける場所がないよね」

「確かに、です。巣を作らせるにしても……時間が足りないし。あ、そっか、罠!」


 相手を殺さず無力化する、あるいは捕縛する方法を、セスは一生懸命に考える。

 ナーダムの行動原理はわかりやすく、読みやすい。罠を張って誘き寄せ、捕らえれば、リュナに説得してもらうこともできるだろう。

 そのために役立ちそうな能力を持つ魔獣は――。


 意識を深層まで沈めるようにして集中すれば、魔獣の知識に触れることができた。何のつもりかわからないが、冥海神は本当に召喚の権能をセスの中に置いていったようだ。

 間違いなく策士系である彼が、うっかり忘れたなんてあり得ない。何か意図があるのだろうし、乗っかるのも悔しい気はしたが、出来ることがあるのに何もしないほうが、それよりずっと悔しい。


 クォームは、隠れたままやり過ごすこともできると言っていた。ならば、アルテーシアとシッポ、そしてリュナは、クォームとイルマによって結界へかくまってもらおう。

 セスはラファエルが駆るマリユスに乗ってナーダムに接近、仕掛けて撹乱かくらんし捕縛する。確実性を求めるなら二体の魔獣をびたいが、自分にそこまで高度なことができるだろうか。


「みんな、作戦について相談したいんだけど、聞いてくれる?」


 今の自分なら一体の魔獣を召喚し制御するのは可能だ、と思う。それ以上は、やってみないとわからない。成功を確約できない作戦に、自分だけならともかく、エルデの王子であるラファエルの命を賭けるわけにはいかなかった。

 考えた作戦と、出来ること、出来るかわからないことを、正直に話してみる。いくつか質問を受け、全部に正直な答えを返す。

 一番危険な役回りだというのに、ラファエルの瞳は嬉しそうに輝いている。


「なるほどね。セス、僕は君を、素直で慎重で優しい新人竜騎士だと思っていたんだけど、認識を改めるべきかな。意外と人の悪い作戦も考えられるんだ?」

「あう、なんか、すみません」

「んーん? 褒めてるんだよ?」

「セスさん、ご自身の経験から……ですね」


 アルテーシアにまでしみじみ言われてしまい、セスは恥ずかしさに顔を覆いたくなった。

 そうなのだ。ナーダムの警戒心をぎとり罠に掛けるため、彼が冷静に判断できないよう追いつめる。どうすればいいか――自身の経験から、なんとなくわかるのだ。


「んじゃさ、オレ様がおとり役をやってやるよ」


 申し出てくれたのはクォームだった。銀竜の少年はにやりと笑み、矢筒と弓を外してラファエルに手渡す。そして右手を挙げ、小声で何かを囁いた。途端に姿が変わる。

 つややかに長い、黒髪。すみれ色の大きな目。上品な黒いドレス。今のリュナとは少し違うどこか威圧的な魔女の姿が、彼に代わってそこに立っていた。


「わわ、あたし……というか、グラディスさんが」

「精神作用の魔法はオレの領分だから、幻術も得意ではあるんだよ。ま、演技はできねーんだけど」

「それ、幻術なんだ。でもその顔でその喋りはちょっと……」


 顔も姿も声もグラディスなのに、口調はクォームのままだった。妙な違和感が背筋をいのぼり、セスは思わず苦言を挟むが、当人はからりと笑って悪怯れもしない。


「アイツ繊細そうだし、すぐバレるくらいでちょうどいいんだって」


 そんなものなのだろうか。とはいえ、いささか不安はあるにしても、魔獣を二体同時に召喚しなくてもいいのはありがたかった。

 少し逡巡しゅんじゅんし、セスは素直に甘えることにした。後々のことを考えるなら、クォームが言うようにあまりこじらせないのがいいだろう。

 やり取りを眺めていたラファエルが、上機嫌そうに口角を上げる。


「では、セスの作戦でいこうか。――ふふっ。僕とマリユスの連携を、魔王軍の竜騎士に見せつけてあげるよ」



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