〈幕間六〉光と、水と、きらきらした優しいもの
はじめに知ったのは、光。
砂漠の太陽みたいにきらきらした笑顔だった。
「ちょっとツェイ、指の皮むけてるよ!? 素手で岩をどかそうとするから……」
「こんくらい、舐めて治す……って、いって、
「
じゃばじゃば、と、すぐそばで水音が聞こえる。
人間二人が賑やかに言い合いながら、そばで何かしているらしかった。
「それで、どうするの? マンドラゴラの植え替えなんて聞いたことないんだけど」
「ルーファなら知ってるかなー」
「うーん、そうだね……。ルーファかヴィルに駄目って言われたら、あきらめたほうがいいよ。キィは、何でも良いって言いそうだから当てにならないし」
「おー、ヴィルに言われたらあきらめるよ」
きらきらした人間が近づいてきて、ひょいと持ちあげられた。
たぷんとたゆたう水の中に漬けられる。全身にじわりとしみこむ、命のしずく。
この先どんなことになっても、この人間についてゆく、と。
☆ ★ ☆
それほど広くない神殿でも、いつ時限が来るかわからない中を逃げるのは気が焦る。
ルーナとツェイを先に走らせ、ヴィルは背後から追うものがないか注意しながらついていった。さらに遅れて、マンドラゴラがちょこちょこと駆けてくる。
意外と足は速いらしい。が、サイズは小さく音も発しないので、淡い魔法光と
いざとなれば、魔草などに構ってはいられない。
だが、前ゆく二人が悲しむかと思えば、知るかと切り捨てるのも気が重いことだった。
「あと少しです、ヴィルさん! あの、デュークさんは大丈夫でしょうかっ」
「神殿遺跡は入り口付近が一番劣化していて崩れやすいから、最後まで気を抜くな! あの二人は、……たぶん大丈夫だから」
黒豹騎士の説明はまどろっこしかったが、わざと論点をずらす意図も感じられた。ということは、国家の枠を超え事が動いているのだろう。
であれば、今はデュークの言葉通り、一刻も早く地上に逃げるのが賢明だ。
幸い、火炎弾も地鳴りも今は収まっている。妖獣や魔物の類が襲ってくることもなかった。
それほど広い神殿ではない。間違いなく地上へ出られそうだ、――と胸を撫でおろしたところで、ルーナの悲痛な声が響く。
「駄目ですっ、入り口が……崩れて!」
「崩れた石材がなだれこんで、人力でどかすの無理っぽいぜ! どうしよう、ヴィル」
元から破損していた部分が崩れたのだろう、石材の
あと一歩で地上だというのに。文字通りの難関にヴィルは眉を寄せて思案する。
「ルーナ、
「あの子たちは前脚が短いので、土や岩を掘ることはできないんですぅ……。助けを呼びに、走らせることはできますが」
「風の民が今、停泊している場所は?」
「
日暮れまで助けは望めない、ということだ。どちらにしても、神殿に閉じ込められたまま日が高く昇れば、全員蒸し焼きになって終わりだろう。
となれば、現状で取れる手段は一つだった。
「ツェイ、大人が通れる程度の穴を作れるよう爆破薬を調整できるか?」
「おぉう、もちろん! ちょっと待ってて」
「大丈夫……?」
早速その場に道具を広げて作業を始めたツェイを、ルーナが不安そうに見つめている。追いついたマンドラゴラも、腕一本分ほどの距離を保ってじっと
不意にぽつぽつとした刺激を感じ、思わずヴィルは上を見た。石材を綺麗に
「――ッグ、ガアァァアァァ!!」
「ヤバい、砂漠の目無し竜だ!」
天井の石材を押し抜いて、何かが飛びだそうとした――が、出られる大きさの穴ではなかったらしい。ガツガツと鈍い音が響き、砂がざさっと降ってくる。
ルーナが目を見開き、ツェイは薄暗い中でもはっきりわかるほどに青ざめた。
「何、アレ、人食うのか!?」
「普通は食べないけどっ、なんかすごく怒ってるから、勢いで食べられちゃうかも!?」
「え、なに、何そのヤッチャッタみたいなノリ! いやだーっ」
「あいつは僕に任せて、ツェイは早く調合を!」
砂漠の目無し竜、通称サンドワーム。凶暴な性質ではないが、目がない代わりに聴力がすさまじく、騒音で暴れだす神経質な面があるらしい。そして、この手の
ヴィルは大剣を抜いて構える。巨大だが動きは鈍重で、裂けた口は恐ろしいが牙は短く毒もない。それほど脅威にはならない、はずだった。
「よし、出来た……って、危な!?」
「きゃあぁっ! 石っ! 降ってきたっ!?」
脚もないくせに、サンドワームは天井の石材を踏み抜いたらしい。これでは、本体が落下してくるより先に天井が崩落しそうだ。
舌打ちし、ヴィルは二人に指示を飛ばす。
「ツェイ、急いで脱出口の確保を! ルーナはなるべく、
状況は切迫していたが、退路の確保さえできれば問題ないはずだった。少なくとも、ヴィルの想定では間違いなく切り抜けられる計算だった。
とはいえそれは、ルーナとツェイ、そして一応は自分が無事であれば、との前提で。
だから、ツェイの行動を予測できなかったとしても当然だったのだ。
「――あ、おまえ逃げろッ!!」
垂れ目がちなツェイの目が、何かを察してつりあがる。驚くルーナが引き止める隙もなく走りだすその先を見て、ヴィルは背筋が冷えた。
降り落ちる砂を浴び、埋もれかけたマンドラゴラと、崩落直前の天井と。
「馬鹿! やめろツェイ!」
石と砂と多量の
怒り狂った巨大な
「ツェイ! ルーナ、爆破薬をっ」
「はいっ……あう、ヴィルさん、砂で……どこに行ったか見えなくてっ」
返ってきたのは少年の苦しげな
ヴィルは歯噛みし、死を覚悟した。
☆ ★ ☆
ぱたぱた、ぱたぱた、と。
しずくが落ちる、音がする。
「うぅ、……いってぇ。つか、抜けない……」
太陽の輝きが、赤に染まる。
きらきらしていた瞳も赤で濁り、潤んでいる。
ぱたぱた、と降ってくるしずくが、じわりとしみこみ、隅々までを満たしてゆく。
「ツェイ、生きてるか!」
「だいじょぶ、……でも石、重くて」
どすんばたんと、なにかが暴れまわっている。砂漠で騒がしくするのは人間たちくらいだと思っていたが、メナシの長いいきものも、暴れたくなるときがあるのだろうか。
でも、だめだ、と思った。
人間は、砂のしたでは生きられないから。光と、水と、きらきらした優しいものがなければ、生きてはいけない。つまり、メナシより人間のほうが、植物に近いいきものなのだ。
だめ、だめ、だめ。
身体の隅々にまで広がり満ちる、強い思考。植物に、むずかしいことはわからない。ただ、この人間とは
「え、……マンドラ、って、え?」
思ったより元気で、ちゃんとしゃべれているから、大きなケガではないのだろう。
それでも、ぱたぱたと落ちて自分を染めた赤いしずくは、彼女が生長するのに十分すぎる量だった。
ぐん、と葉が伸びる。内側に満ちるのは生命力なのか魔力なのか……わからないけれど、今までとは違うもの。
だめ、やめて、おねがい。
願う心に、
メナシはずいぶんと怒っているようだ。お昼寝をじゃまされたのか、獲物を取り逃したのかわからないけれど、だめ、と伝えれば、わかった、と返ってきた。
だいじょうぶ、怒らなくていい。
この人たちは、とても優しい人間だもの。
☆ ★ ☆
視界の端に見えたのは、床を這う赤い植物の葉だった。
「なっ、今度は、アルラウネ!?」
さっきまでマンドラゴラがいたはずの場所に、赤と緑の葉に埋もれた人型の魔物がうずくまっていた。赤みの強い肌色に、深紅の瞳が二つ。幼児のような顔立ちだが、無表情さが魔物じみている。
アルラウネはマンドラゴラと同じく魔草の一種で、幼体が確かこんな姿をしていた……と、脳内の知識が告げている。だが、不測の事態に場慣れしているヴィルであっても、今の状況をどう理解すべきかわからなかった。
しかも、魔草に気を取られているうちに怒れるサンドワームは姿を消しており、ますます意味がわからない。
「あの、あのあのっ、ヴィルさん! ツェイがマンドラをかばって怪我をしてっ、流血ひどくてっ……そしたら、血塗れのマンドラが急に、生長しだして!」
「あぁ、なるほど……なにが何なのかわからないけど、突然変異? 魔法的変化? とにかく、彼女は敵じゃないってことだな」
そこそこ物知りなほうではあるが、ヴィルは学者ではない。こういう謎めいた現象についてなら、養父のほうが詳しいだろう。
無事に戻れたら手紙か何かで問い合わせてみよう、と考える。
魔草としてはかなり上位種であるアルラウネが敵ではない、今はそこが重要だった。
「ツェイ、大丈夫か? 早く石をどけて外に出ないと、砂に埋もれて干物になってしまうな」
「どうしましょう……この石、びくともしなくてっ」
「イシ、どける。つぇい、たすかる?」
「うん? あぁ、助かるが……どうやって」
「おーけぃあいぼう、いけ」
「え、相棒?」
ガコリと鈍い音を立てて、石材が転げた。ぐらぐら、と確かめるような振動のあと、ツェイを押さえつけていた
少々乱暴なやり方ではあったがようやく自由を得た少年に、アルラウネはとてとてと歩み寄り、小さな手でそっと触れた。
「きらきら、ふわふわ、げんきになぁれ」
「う、……マンドラ? 違う?」
「わかんないけど」
成体になったアルラウネは人間とまったく変わらぬ知能を持ち、精霊魔法を使いこなすらしい。ツェイの傷を癒してゆく精霊魔法を眺めながら、なんだこれ、という思考をヴィルは振り払った。
知識がない自分がいくら考えたところで、結論は出ない。今は一刻も早く地上に戻り、安全を確保し、きちんとした医者にツェイを診てもらうのだ。
「なぁ、アルラウネ。もしかしてこの……入口の石材も、君なら簡単にどけられるのか?」
期待を込めて尋ねてみれば、無表情ながらも愛くるしい仕草で、アルラウネはこてんと首を傾げる。
「あさめしまえ。ばくはちゃっか、よし」
先程より勢いよく、積みあがった瓦礫が崩れてゆく。可愛らしい顔に似合わぬ口調は、ツェイの影響なのだろうか。
不思議なその光景を眺めながら、ヴィルは、変な言葉ばかり覚えてしまったアルラウネをどう指導したものかと、早くも悩み始めるのだった。
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