[1-5]黒き悪夢の目覚め


 双月の砂漠の地下深くには、いにしえ時代の戦火神殿が埋もれている。

 五百年前に起きた炎禍えんかで国家は失われ、土地は砂に沈んだ。生きのびた民は散り散りになったが、長い期間を経てかつて故郷であった砂漠に集い、小さな遊牧国家となってゆく。それが風の民リュー・サオニーであり、ルーナはそこの戦巫女いくさみこなのだ。


 確かにここは戦火神の本神殿、つまりフィーサスにとっての家である。しかし故郷を失った風の民にとってもこの場所は、長い期間ずっと拠り所だった。

 それを思えば、いくら元の持ち主が「よし」と言おうと、爆破という手段で道をひらくのは躊躇ためらわれる。


ぷきゅっきゅぅそうは言ってもなぁぷきぃどうする……?』

「……叩き壊そう」

ぴぎぃ正気かよ!?』


 腕を組んで思案しているヴィルと、心配そうに見守るルーナ、二人分の視線の先でツェイが入り口周りの壁を丹念に調べていた。彼は元盗賊だと言っていたから、罠や仕掛けといったものに詳しいのだろう。

 ここにある仕掛けらしき物など、進路をふさぐ巨石以外に何もないのだが、伝えるにも根拠がないので今は黙っておく。


 ヴィルはすらりと背が高く、細身ながら筋肉質な黒髪短髪のハーフエルフだ。得物は大剣、それも特注品と思われる巨大なもの。腰に帯びるには大きすぎるため、背負っているので良く見える。

 エルフという種族はがいして長身痩躯そうく、魔法に長けるが腕力には恵まれない。髪色もブロンド系の淡い色が主で、五百年放浪しているデュークも黒髪のエルフなど見たことなかった。

 ということは、ヴィルはもう半分の血に由来する特徴が強いのだろう。

 片親がエルフであれば、もう片方は人間である場合がほとんどだ。ごくまれに人間以外とのハーフもいるらしいが、大抵は片親どちらかの種族に準じる。ヴィルが何のハーフだろうと、少なくとも大剣を振り回せるだけの腕力がある、というのが重要だった。


「ヴィル、……提案があるんだが」


 ツェイが調べ尽くした頃合いを見計らい、声をかける。黒く鋭い目がデュークを見、怪訝けげんそうに細められた。


「僕はてっきり、君たちをここに連れてくれば、何かの力が働いてこの石が動くんだろうと思ってたんだけど……違ったな」

「昔なら、そうだったかもしれないが……今は刻まれた魔法語ルーンの効力が薄れているらしい。魔法的な結界はすでになく、その巨石は自重で入口をふさいでいる、ということだ」

「なんだって。……なお、厄介じゃないか」


 眉をひそめる様子から、彼が今から言うつもりの提案を察したと気づく。の強い調査隊をまとめているだけあって、頭の回転も早いようだ。

 ルーナがこの場にいなければ、彼も爆破薬の使用に同意を示したかもしれないが――。


「……ああ。厄介ではあるが、わかりやすくもある。二人でこの石を叩き壊そう」

「そうだろうと思った。こんなことなら採石用のツルハシ、ここまで持って来ればよかったな。僕が取ってくるから、皆ここで休憩していて」


 彼は、この方法も想定していたようだ。ツェイが「爆破、爆破!」と主張コールするのを黙らせ、一人で来た道を戻って行った。

 待つ間、デュークは改めて巨石を調べてみる。入り口を塞ぐ石は丸いものではなく、大きくていびつな円盤型だ。厚みはそれなりにあるものの、ツルハシなら一点集中で叩き割るくらい可能だろう。

 もちろん爆破薬でひびを入れればずっと楽だが、不安そうなルーナの前で爆破を提案するなど、デュークにはできなかった。


 神殿遺跡の扉はいつも固く閉じられているため、中に動物が住み着くことはない。しかし、毒蜘蛛やさそりといった砂漠の虫や砂蛇などが出ないとも限らない。

 壁の隅や頭上などに警戒しながら水分を補給し、フィーサスに干しイチジクを食べさせていると、物陰からひょこりと奇妙な生き物が出てきた。ツェイが「あーっ」と声をあげる。


「おまえっ、いつの間についてきてたんだよ!」

「うん? 魔草まそう……か?」


 しなびた根菜が二足歩行しているようなそれは、マンドラゴラと呼ばれる魔草――植物型の魔物だった。魔薬の材料であり、引き抜く時の悲鳴を聞くと死んでしまうと言われるが、基本的には静かで大人しい。特定の個人に懐くなんて話は聞いたことないが。

 ツェイが腕を組んで、眉を下げる。


「コイツ、ちょっと前の遺跡調査の時に見つけたんだけどさ、うっかり日向で芽を出したみたいで干からびかけてたんだよー。持ち帰ってルーファに渡せば薬の材料になるかな、って引き抜いて、枯れないよう水に浸けてたらさ……」

「ツェイの怖ぁい思惑も知らないで、助けられたって勘違いしたのか懐いちゃったんですよっ。以来ずっと、砂漠隊キャラバンの拠点に住み着いてツェイのあとを追い回してるらしいです。魔草にもってあるんですねっ」

「ヒヨコじゃないんだぞ! まあ……ヴィルはいざって時にすぐ薬作れるからいいっていうんだけどさ。なんか……すり潰して薬にするなんて可哀想じゃん?」


 魔草を可哀想なんて考えたこともなかったデュークは、返答にきゅうした。

 視線をずらしてマンドラゴラを見れば、ぽかんと空いた三つのうろに見つめ返された。目と口なのだろうか。


「僕も、そんなの可哀想だと思います……」

「だよなっ、だからオレとしては、早く森かどこかに返してやりたいんだけどさ!」

「返したらきっと、誰かに採取されちゃうよ。ツェイが責任持って最後まで世話するべきだと思うよっ」


 魔草と動物ペットを同列に見ているのが新鮮で、デュークはしばらく少年少女たちの会話に耳を傾ける。

 喋るわけでもなく知能があるかすらわからない植物を可哀想と思えるフィオが、世界を焼き滅ぼす思考になるとは考えられないが――向こう側にいるものがわからない現状、断定的な考え方はできない。

 うろの目と見つめ合うことしばし、ツルハシを担いだヴィルが戻ってきた。真ん中でぽかんと立ち尽くす魔草を見た彼は、呆れたような表情で眉を下げる。


「ツェイ、どうしてここに連れてきたんだ」

「連れてきたんじゃなく、着いてきたんだよ! たぶん、荷物に潜り込んでたんじゃないかなぁ。悪さしないんだから、別にいいだろ?」

「まぁ……。とにかく、邪魔にならないよう下がらせておけよ」


 大きな入り口を覆うほどの巨石だ、守備よく壊せたとしても、近くにいれば破片が飛んできて怪我をするかもしれない。小さな魔草では文字通りすり潰されてしまうだろう。万が一悲鳴でも上げられたら命に関わるし、そうでなくとも三人は悲しむに違いない。

 ちらとこちらを見たヴィルの目に、同じ想いを見て取った。なんだか面倒臭いと思いつつも、まあいいかと言いたげな目だ。


 マンドラゴラは一定間隔でツェイを追いかけているらしく、言葉が通じている様子はない。ツェイ自身が移動して誘導するのを見送りつつ、デュークはフィーサスに目配せした。

 白毛玉は頷く代わりにつぶらな瞳をぱちくりさせ、ふよふよと飛んでフィオのほうへ行く。何が待ち受けているにしても、相対するのは心の準備を済ませてからのほうがいい。少し距離をとってもらおう、というわけだ。


「文字を刻めるってことは、硬さもそこまでじゃないはずだ。せぇの!」


 ヴィルが呟いてツルハシを振りあげ、掛け声とともに叩きつける。鈍い音がして、石の表面に狭く深い穴が空く。


やわいぜ。とはいっても、骨が折れるな……」

「私も手伝おう」

「ではっ、ルーナは〈加護〉の舞を!」

「空いた穴に超小型爆薬仕込もうぜ!」


 もう一本あるツルハシをデュークが持ちあげた途端、ルーナとツェイも次々手伝いを申し出る。

 協議の末、ルーナが〈加護〉の舞でヴィルとデュークの腕力を向上させ、二人で一点に集中し深めの穴を穿うがつ。そこへツェイが調整した爆薬を仕込み、魔法で着火して割れ目を作る。もろくなったところを叩き壊す、という流れに決まった。


「ツェイ、絶っっ対に調整間違えないでね!?」

「大丈夫に決まってるだろ! 盗賊時代に『走る小型爆弾』って言われたオレの調剤技術を見よ!」

「技術の信頼性には一切参考にならない二つ名だな……」


 やいやい言い合いながら作業を進める三人を微笑ましく思えば、デュークは自然と別行動中の仲間たちを思いだす。

 セスは無事にルシアを取り戻せただろうか。義妹リュナとの決戦はどうなっただろうか。レーチェルとシャルは、今頃もう天空の地に着いただろうか。

 彼らと一緒に行動していた期間など、五百年以上も続く生の中で一瞬ともいえる短さだというのに。こんな想いが自分の中に育っていたのは驚きだ。とっくに正当な生を終えたはずの自分でも、まだ学べることがあるというのは面白いと思う。


 自信たっぷりに言い切るだけあって、ツェイの威力調整は完璧だった。

 石の内側でくぐもった爆発音が響いても、破片が飛び散ることはなく、表面まで届いた割れ目はほんのわずか。涙目で見守っていたルーナが安堵あんどの息をつく。


「よかったぁ……」

「だから任せろって言っただろ」

「だって、ツェイ、前に調整間違ったとか言って、サボテン群生地吹っ飛ばしたじゃないの……」

「う、それは黒歴史だから」


 二人の会話を口角をあげ聞いていたヴィルが、その笑顔のままデュークを見、ツルハシを掲げた。


「さて。ここからは、僕たちの仕事だな」




  ☆ ★ ☆




 火の雨が降っている。

 街が、空が、人が、焼けてゆく。


『……人間は、どこまで突き進むのでしょう。大地を焼き、大気を汚し……いつか自らの命脈さえ燃やし尽くしてしまうのでしょうか。この惑星ほし以外のどこにも、生きられる場所などないのに』


 悲しみを押し殺した声。慰めたい、力になりたい、と思うけれど、方法がわからない。

 人間を愛していると言っていた、彼。

 人間を愛さなくてはならないと、繰り返し教えてくれた、彼。


『泣かないで、りゅう。僕が、りゅうの願いを叶えるから。あなたのために、誰も争い合ったりしない世界を造るから。そうしたら……僕の世界で暮らそう?』


 予感を感じていた。

 それでも、つなぎとめたかった。


『ファイアの造る世界ですか。……きっと、優しさと勇気があふれた、素敵な世界になるでしょうね』

『うん! 僕、頑張るよ! だから、待っててくれる?』

『ええ、もちろんですとも』

『約束だよ、りゅう


 ――約束は、果たされなかった。

 この世界の人族も、結局は変わらず愚かで、残酷だった。


 優しさも、勇気も、希望も。

 種族を超えて愛し合い笑い合える世界なんて、そんなの、どこにも――――。


(当たり前だよね。だって、僕は炎の竜……破壊と破滅の象徴だもの)


 まどろみ、夢見る意識に、石の崩れる音が響く。

 懐かしい気配においが流れ込み、ゆるゆると感覚が明瞭になってゆく。


「……何、これは、戦狼いくさおおかみ!?」


 驚いたような声は、人間のものだった。

 懐かしい魔力においと懐かしい記憶こえ思考こころを揺さぶられ、は何百年かぶりに四肢を伸ばして立ちあがる。

 いとしくて、憎らしくて、悲しくて、悔しくて、――記憶が回る。

 自分が四つ足の獣から人に似た形態かたちへ変化したのを、ぼんやりと自覚した。


「あ、あぁぁぁあ、あぁぁ……」


 

 言葉にならない悲鳴のような声は、狼の遠吠えに似ている。


「フィオ、どうした! 俺はここだ、しっかりしろ」

「ああっ……デュークさん……、違う、違うんです! 僕は、僕は……フィオじゃない!」


 頭を抱えうずくまるを、金髪の剣士が抱え起こそうとしていた。懐かしさが悲しみを呼び、吹きだした怒りが憎悪を呼んで、全身を満たしてゆく。

 あれだけ、人間は、生きのびてしまったのか、と思った。


「……らないって、言ったのに」

「おまえ、何を」

「人間なんて必要ないんだ。この世界には、植物と獣と鳥だけでいい。りゅうを悲しませる……大地を焼き惑星ほしを汚す人間種族ひとぞくなんて、必要いらないんだよ!」

「その顔、フィオと瓜二つなんだが……。おまえ、戦狼いくさおおかみ――戦火神の分霊ではないのか。……何者、だ」


 金髪の戦士が蒼穹そうきゅう双眸そうぼうを鋭くする。

 深くあざやかなに、胸をかきむしられるような懐かしさを覚えながら、かれはありったけの憎しみを込めて返答した。


「僕は、ファイア。炎をつかさどる破壊の竜、この世界を創った者……だよ」



 

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