[1-4]砂礫に眠る戦火神殿


 夕刻が近づくにつれ、街道は人で賑わい始める。砂漠地帯は昼と夜の温度差が大きいので、朝方と夕方に人々の活動が集中するのだ。


 空中散歩から戻ってきたデュークたちが砂漠歩きの準備――といっても、砂よけの外套がいとうを準備し、武器や薬類を確かめる程度――をしていると、入り口が賑やかになってツェイとルーナが入ってきた。

 丸椅子に腰掛けて愛剣の刃こぼれ具合をチェックしていたデュークの側に、ルーナが表情をほころばせて飛んでくる。


「デュークさん! あのあのっ、砂竜サンドラを連れてきたのですが……乗ったことはありますか?」

砂竜サンドラ……? いや、乗ったことはないな」

「ではではっ、今からちょっと試していただけますか? 馬に乗る要領で大丈夫なのですけど、お気に召さないようでしたら、ラクダを連れてきますのでっ」

「……ああ、うん。……大丈夫だと、思うが」


 片刃の大剣を壁に立てかけ腰を上げた途端、ルーナがしなやかな動きで腕を絡ませてきた。弾む声に流されるまま外へ連れ出されてゆくデュークの耳に、呆れたようなツェイの呟きが届く。


「ちぇー、ルーナってば浮かれすぎだろっ。さ、あんたらも来いよ。オレとしては、ラクダより乗りやすいと思うんだよな!」

「は、はい!」

ぷーデューク……キューぷぎゅぃデレデレしやがって……』


 誤解だ、と突っ込むこともできず、痛むはずもない頭が痛くなる。フィオの声が心なしか弾んでいるのには安心したけれど。

 入り口から外へ踏みだせば、空気の質感が変わっていた。熱がよどんだ真昼の暑さはどこかへ去り、ほこりっぽい風が立木を揺らしながら不規則に抜けてゆく。残照をはらんだ空気はこの時間だとまだ生ぬるい。


「……砂竜サンドラは、風の民だけが扱えるんだったか?」

「はい! デュークさん、さすがですねっ。風の民は遠い昔、災厄によって故郷を失ったとされているのですが、難民を憐れんだ戦火神せんかしんが炎と砂の加護を与え、砂竜サンドラを与えたのだと語り伝えられております。ラクダより足が速く、渇きと暑さにも強いんですよっ」


 ルーナは、土地や民族の歴史についてもよく学んでいるようだ。得意げに語る少女の横顔を眺め、デュークは表情を緩める。傍目はためから「デレデレ」状態に見えるとは思わないが、胸に温かな想いが広がっているのは本当だった。

 傍らの少女は、記憶に焼きついた面影によく似ている。親友や恋仲といった濃い関係性ではなかったが、デュークにとって数少ない友であり理解者であった神前舞姫――戦巫女。もしかしたらあの炎禍えんかを生き延びて、血脈を繋いだのかもしれない。

 フィーサスがああいう姿の人型を選んだのも、戦火神にとってそれが一番馴染みある姿だったから。風の民リュー・サオニーは、デュークの故郷だった戦神国家ウィザリアの末裔まつえいたちだったのだ。道理で、懐かしさを感じるわけだ。


 郷愁を噛みしめながらルーナに引っ張られて向かった先には、首輪と鞍をつけた砂竜サンドラが四頭ばかりたたずんでいた。砂漠都市サグエラ赤煉瓦あかれんがにも劣らぬほど鮮やかな橙色の獣毛が、全身を覆っている。太くしっかりした、鋭い鉤爪のある後脚で二足歩行する姿は、大型の飛べない鳥を連想させた。

 後ろからついてきていたフィオが、「わぁ」と声をあげる。


「すごい! 竜なのに、ふさふさしてるんですね!」

砂竜サンドラの毛は乾燥や日差しや砂から身を守るためのものなの。この子たちは騎乗用だけど、長毛種は毛を刈って特別な布を織ることができるのよ」


 目を輝かせるフィオに、ルーナがお姉さんらしく優しい口調で説明している。砂竜サンドラたちは退屈そうに辺りを見回していた。繋がれているわけでもないのに大人しいものだ。


「一応、デュークさんとフィオ、オレとルーナで、ヴィルには一人で乗ってもらって、一頭に宿営セットを運んでもらうつもりなんだけど、良かったか?」

「……ああ、私はそれで構わない。見たところ手綱が付いてないが、どうやってぎょせばいい?」

砂竜サンドラは風の民、今回だとルーナの言うことしか聞かないから、首輪んとこにあるハンドル握ってればいいみたいだぜ」


 なるほどそれで風の民しか扱えないのか、と納得する。遅れてふよふよ飛んできたフィーサスが、デュークの肩に乗ってつぶらな瞳を瞬かせた。伝承の通りなら砂竜サンドラは戦火神の眷属けんぞくということになるが、フィーサスなら従わせられるのだろうか。


きゅぴーん今は無理だろふきゅこんなだし

「……だろうと思った」


 返答を思わず声にしてしまったが、ツェイはデュークが納得したと思ったらしい。それから四人と一匹は夕食まで少しの時間、砂竜サンドラに乗る練習をしたのだった。

 




 早めの夕食をとり、砂漠歩きの身支度を整えてから、砂竜サンドラに乗って砂漠へ繰り出す。

 人の足で砂地を歩くのは難しいが、砂漠の生き物たちが砂に脚を取られることはない。道程は順調で、目的の神殿遺跡に辿り着いた頃にはすっかり日が沈み、透明な闇が砂に埋もれた遺跡を包み込んでいた。

 砂漠の夜は、海上で迎える夜に似ている。

 時折り渦を巻いて吹き抜ける強風が砂地を波だたせ、夜の冷気に凍った砂をきらめかせてゆく。生き物の気配も感じられない静けさの中、尾を引くように聴こえるフクロウの声。

 ここが戦火神の本神殿跡地だとしたら、あの日、不気味に燃えていた夜空を、何百年も後の今、同じ場所で見あげていることになるのか。


「わぁ、綺麗ですね。でも寒い!」

「うんうん、綺麗だよねっ。ここまで来ると人工的な光はほとんど届かなくなるから、星がすっごくよく見えるの。砂漠の夜は冷えるから、これ首に巻くといいよっ」


 ランタンを掲げた淡い明かりの下でフィオとルーナが楽しげに話しており、ヴィルとツェイは簡易テントを設営している。遺跡の周りは硬い地面が残っているのか、丈の短い草が埋もれた柱にしがみついて生えていた。

 大人が手を広げ踊っているような黒い影は、巨大サボテンだろうか。砂竜サンドラたちがのっそりと近づき、丸く大きな部分――おそらく葉っぱ――をあごでむしりながら食べている。


「手伝おうか?」

「大丈夫だ、もう終わる。遺跡の中は案外寒いんだ、今のうちに防寒対策をしていてくれ」


 ヴィルに言われ、デュークは視線をずらしてルーナとフィオを確かめた。風の民の少女は赤色っぽい厚手の外套がいとうを羽織っており、同じ布の襟巻きをフィオの肩に巻いている。あれが、さっき話していた砂竜サンドラの毛織物かもしれない。

 今の身体で暑さや寒さが苦になることはないが、砂漠隊の者たちはデュークを人間だと思っているのだろう。変に疑われて空気が悪くなってもいけないと思い、少し逡巡しゅんじゅんした後で、デュークはフィーサスを掴みマントの下へと押し込んだ。これも防寒対策だ。


ぷぎゅ違くね……?』

「……そうか?」


 どこかずれている自覚はあるが、他に思いつかなかったのだ。フィーサスには呆れられたが、不満はないらしいので良しとする。

 あっという間に設営を終えたヴィルが、ルーナの指示を仰ぎながら神殿の扉を開く。砂竜サンドラたちは遺跡の中へは連れて行けないため、テントの番も兼ねてここへ待たせておくのだ。

 そっと近づいてきたフィオが、遠慮がちにデュークのマントに手を添える。


「いよいよ、ですね。デュークさん……手をつないでもいいですか?」

「ああ、もちろんだ。……つなごうか」


 夜闇が映り込む赤い瞳をまっすぐ見返し、デュークは微笑んだ。人間の姿は久しぶりすぎなので、上手く笑えたかわからなかったが、フィオもはにかんだ笑顔を返してくれた。





 冥海めいかい神殿もそうだったが、戦火神の本神殿も地下へくだってゆく造りになっている。

 デュークは神職でなかったため、神殿内に入ったことはない。フィーサスも神殿に分霊を置き本体じぶんは自由に活動していた神だったので、中の様子をあまり覚えていないようだった。


 昔を思い出したから断言できるのだが、とはつまり、あの炎禍のだ。

 フィオの話から察するに、あれは創世竜が世界を滅ぼそうと意図して引き起こしたものなのだろう。だが、この神殿遺跡は元々、戦火神の分霊がいた神域のはず。

 なぜ戦火神殿ここに、原初の炎があるのか。

 ふと思い至り、胸の奥がぞっと冷えた気がした。


 フィーサス自身も言っていた通り、最奥部――いわゆるしとねがある部屋は、万が一にも留守中に荒らされたりしないよう、扉が封印されている。

 あの炎禍は戦火神であっても止めることができず、地所と神殿いえを捨てて遠くへ逃れるしかなかった。破壊する炎の痕跡が薄まり土地が砂漠と化して、ようやく入れるようになった頃には、フィーサスは御身体ほんたいを失い封印を解く力も無くなってしまっていたのだった。

 黒豹ディスクが口にした「神殿遺跡の最奥に眠るのは『まがつ炎』かもしれない」という言葉が、不気味さをともなって胸を圧する。

 戦火神が座していた神殿に今、居座っているのは、一体――。


(これは、思っていた以上の難関かもしれないな……)


 クォームに詳しい情報を聞いておけばよかった。原初の炎とはどういうものか、生物なのか魔法力の塊なのか、どうやってフィオを造ったのか、など。今さら気づいたところで遅いし、ここまで来て引き返すわけにもいかない。

 決意を再確認するつもりで、手のひらに収まった少女の手を握りしめる。


「? どうしたんですか、デュークさん」

「……いや。おまえが寒くないかと、心配になってな」

「ルーナちゃんが貸してくれたマフラーあったかいので、大丈夫です。でも……本当に寒いですよね! 砂漠の地下だし炎神殿だから、もっともっと暖かいって想像してました!」

「……そうだな。寒かったら、フィーサスを貸すから言ってくれ」


 明るく元気な声音なのは、強がっているだけかもしれない。だとしても、前に進もうとする少女の勇気は、デュークの内側にある決意の炎を燃えたたせてくれる。


 遺跡内はほぼ一本道だが、思った以上に広かった。ルーナが地図を持っていて、ヴィルとツェイと三人で相談し合いながら進んでゆく。

 長い時間をかけ侵食した砂が床をざらつかせているものの、地下にあったためか遺跡内は無傷の状態を保っていた。頻繁に出入りしていた場所ではないので懐かしいとは違うが、感慨深くはある。

 いつの間にか懐から出て肩の定位置に戻ったフィーサスも、同じように感じているのだろう。黒いつぶらな瞳をぱちくりさせ、珍しく静かに周囲を観察している。


「さて、ここが最奥の『封印された扉』なんだが……」


 足を止めたヴィルがこちらを振り返った。前方の通路は、大きな石で塞がれているようだった。封印というより、巨石を立てかけただけに見える。


「爆破すれば開きそうなんだけどなーっ。ルーナがだめだって」

「だめに決まってるでしょっ! 神聖な神殿を爆破なんて盗賊のすることだよ!? それに、この石には魔法の文字が刻んであるのですっ」


 真剣な顔でツェイを止めるルーナに、自分も同じことを考えたとは言えず、デュークは黙って頷いた。ちら、とフィオに目配せし、彼女の手を引いて石扉まで近づいて見る。

 ルーナの言った通り、石の表面には殴り書きのような魔法語が刻んであった。毛玉化する前のフィーサスが刻んだ、結界を維持する魔法だ。


「うーん……。クォームはこれを、どうやって開けたんだろうな?」

「たぶんクォームは、開けたんじゃなくて空間をつないで……通り抜けたと思います」

「ああ、なるほど。あいつなら、神々の結界くらいどうってことなかったな」

「それもそうなんですけど……ここ、もう、結界弱まってるみたいで」

「何だって」


 おずおずと言ったフィオの言葉に、思わず瞠目どうもくしてデュークは聞き返した。


「時間経過によるのかもしれませんが、今はもう……ただの大きな重石おもしという感じで、魔力は感知できないです」

「……と言うことは、つまり」


 戦火神は破壊や身体能力向上などの加護に向いた神であり、守護や結界などは不得意だった。加えて五百年の経年劣化と考えれば、魔力が薄まっていても不思議はない。

 デュークの予測を裏打ちするようにフィオは、ルーナに聞こえないような小声でデュークの耳元にささやく。


「はい。本当に、これ、爆破したら開いちゃうと思います」

「……そうか。いや、でも、それは」


 思いがけない簡単な解決策は、限りなく実行が難しそうな案でもあった。神殿いえの主は今、肩にいる。しかし、本神ほんにんに許可を得たとルーナに説明するには、こうなった経緯から話さなくてはならず、デュークにとって頭の痛い事案なのは変わりなかった。

 感じるはずのない頭痛を錯覚しながら、デュークは腕を組んで目を伏せ眉を寄せる。


 さて、どうしたものだろうか。




 

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