[1-2]風の民リュー・サオニー


 双月そうげつの砂漠には、主要な交易都市サグエラを中心に幾つかの都市がある。ようしたオアシス湖の大きさによって各都市の規模は様々だが、帝国領下に入る前はどの都市もサグエラ王家の支配下にあったという。

 点在するオアシス都市群が帝国領となったため、地図上では双月の砂漠も輝帝国領として記される。しかし、人智の及ばぬ仕方で生じた大砂漠を人間の力で治めるのは不可能だ。

 それゆえに、砂漠の先住民族や亜人種住民たちに帝国の権威は及ばない。


 風の民リュー・サオニーは、双月の砂漠に暮らす遊牧民だ。砂竜さりゅう――翼がなく、発達した後脚で二足歩行する獣竜――と、白羚羊はくれいよう――たてがみと、一対のねじれた長い角を持つ小型牛――の牧畜によって生活を営み、砂漠の外縁部を季節ごとに移動する。魔法の素質を持つ者が多く、各地のオアシス都市は昔も今も彼らとの交易によって成り立っている。

 独自の言語と文化を守り抜いている誇り高き民族であり、他言語を話さない者も多いが、ルーナと呼ばれた少女が話していたのは発音の丁寧な公用語コモンだった。


 紅玉ルビーを思わせる双眸そうぼうは強い憧憬どうけいを映し輝いている。大きめの瞳にはあどけなさも残るが、目じりと眉に差された化粧が勇ましい印象だ。年齢はアルテーシアと同じくらいか。

 ゆるく癖がある真紅の髪は長く、飾り紐と一緒に編まれている。扇情せんじょう的……というには身体が未発達なものの、戦巫女、いわゆる神前舞姫らしい肌がうっすら透けて見える衣装はあでやかで、愛らしかった。


ふぃおーいぴきゅきゅデューク起きてるかー、ぷぎゅ何か言えって


 てしてし、と肩を尻尾で叩かれ、我に返る。意識にまとわりつく奇妙な懐かしさを振り払い、デュークは会話の流れを思い返した。

 ルーナという名の彼女は、砂漠に埋もれた炎神殿まで案内をしてくれる風の民リュー・サオニーの戦巫女で、炎魔法の使い手で、……師匠になってくれ、と?


「……いや、私は弟子を取るつもりなど」

「はい、わかってますっ。デュークさんのご迷惑にならないよう、ルーナは側で観察し自分で学びますので! もちろん、案内人も誠心誠意をもって努めさせていただきますねっ」

「へぇ、デュークって炎魔法の使い手なのかぁ。オレもオレもっ、弟子になりたい! こう見えても炎系統の魔導ならちょっとだけかじってるんだぜ」

「ツェイのは爆破薬でしょ!? あれはダメ、絶対ダメ! 神殿が吹き飛んじゃうよっ」

「んな威力出るわけないじゃん! あとその白い妙なヤツ、魔物? 精霊? オレも妙なヤツ飼ってて」


 ひと言返したデュークの台詞に、勢いよく食いつくルーナとツェイ。小動物がじゃれるかのごとく息ぴったりな会話に口を挟む隙を見いだせず、デュークは困り果てて言葉を飲み込む。

 気心の知れた黒豹ディスクならまだしも、初対面の少年少女を怒鳴りつけるわけにはいかない。肩に乗った相棒フィーサスは楽しそうに二人を眺めていて、止める気はなさそうだ。


「飼ってるっていうより取り憑かれてるんでしょっ」

「取り憑かれてるんじゃなく懐かれてんの!」

「――ツェイ」


 話が逸れに逸れて魔草談義になりかけるのを、不機嫌そうな低い声が止めた。二人はぴたりと会話を止め、そろそろと声の主――ハーフエルフのヴィルをうかがい見る。

 視線につられたデュークの視界にも、切長のつり目をますます細めて薄く微笑む黒髪の青年が映り込んだ。


「は、ハイっ」

「簡潔明瞭に、要点はわかりやすく、発言は挙手をもって、――だろ?」

「あっハイ、スミマセン」


 怒ると笑うタイプか、とぼんやり思いながら、ツェイがルーナを空いている席に案内し、それからそそくさと席に戻るのを眺める。キィという名の女性が立って、追加のレモン水を取りに行った。

 場が静かになったせいで、黒豹の忍び笑いが聞こえてきていらっとする。大方、さっきの盛りあがりをにやけながら眺めていたのだろう。ヴィルは黒豹では司会進行役にならないと考えたのか、一つため息をこぼし視線を向けてきた。


「これで人も揃ったな。その子……精霊竜とやらの話も含めて、聞かせてくれるか?」

「……ああ、わかった」


 ヴィルはこの調査隊キャラバンまとめ役パーティリーダーのようだ。今度から相談事は彼に持ちかけようという決意を仕舞い込み、デュークは頷く。

 全部を話すことはまだ、できない。しかし想定される危険を考えれば、自分の不死性たいしつやフィーサスとフィオの正体を、全く伏せたままというわけにもいかない。自分で言った「簡潔明瞭、要点をわかりやすく」がこれほど難しい技術スキルだったとは。


 彼ら『砂漠の調査隊キャラバン』と引き合わせられる前、デュークは黒豹ディスクから、少し前までセスが調査隊キャラバンと一緒だったと聞かされた。

 セスは、同じく調査隊に身を寄せていたエルデ・ラオ国の末王子と『妖魔の森』へ向かったのだという。冥海めいかい神殿で月虹げっこう神が予言したように、イルマを救うためだろう。

 エルデの王子が同行したというのには驚いたが、彼が竜騎士ドラゴンナイトだと聞いて納得もした。飛竜の速度なら、クォームを待つより早く現地へ到着できるに違いない。


 状況的にはすれ違いにも見えるが、セスの目的と自分の目的は異なっている。むしろ、セスが事前に調査隊のメンバーへ情報を伝えてくれたからこそ、自分は最小限の説明で済むというわけだ。

 偶然にしては出来すぎたこの流れが冥海神ウィルダウ采配さいはいだというのは面白くないが、彼の目的には興味もある。人間だった頃に戦火神フィーサスから聞いた「神なき世界を造る」というのが目的の全てだなどと、今はもう思えないからだ。


 ルーナは調査隊キャラバンの一員ではないので、セスが伝えた情報については聞いていないらしい、と判断する。それを踏まえてデュークが伝えたのは、主にこんなところだ。

 フィオは精霊竜の子供だが、『原初の炎』に触れることで成長が可能だということ。自分は炎魔法を扱える魔法剣士でフィーサスは風の精霊みたいなもの。

 フィオを成長させ、神殿遺跡の最奥部にある『伝説の武器』を手に入れれば、世界の危機に立ち向かえるだろうと月虹神から神託があったのだと。


 全てが真実ではないが嘘でもない。そもそも、真相が荒唐無稽こいとうむけいな話なのだから、このくらい意訳したほうが伝わりやすいはずだ。

 品定めをする目でじっと聞いていたヴィルが、物静かそうな白髪はくはつの少女に視線を向ける。


「ルーファはどう思う? その子は、本当に精霊竜……とやらなのかな」

「精霊竜、という存在はわたしもよく知りませんが、精霊に近い存在だとは思います。セスさんも、上位竜族の方が関わっていると言ってましたし」

「その話自体、どこまで真実ほんとうなのか……まあいい。仕事の話と言うのだから、依頼は果たそう。もっとも、神殿の最奥部が、の話だけどな」


 ヴィルもひとまずは納得したらしい。彼の漏らした呟きに、フィーサスが思いだしたように『ぴきゅそーいや』と鳴く。


きゅぴぷー神殿って封印してたよなぷきゅう身バレの予感

(力を取り戻せれば、ばれてもいいだろう。どうせ俺は誤魔化すのが上手くないし)

ふいぃ確かになきゅぴならいっかー!』

(果たして、原初の炎でどこまで力が戻るかは……未知数だが)


 ふと視線を感じて意識を戻せば、ツェイとルーナが目を輝かせてフィーサスを注視していた。心話に慣れすぎて現実を意識外に締めだす悪い癖が出てしまったようだ。

 自分のそういう所を熟知している黒豹が、ニヤニヤしながらこちらを見ているのもいらっとする。


 大抵の人がフィーサスを見て示す反応は「可愛い」か「癒される」だ。さすが、芸術と医術を愛する月虹神が心のおもむくままに造った仮の器である。話し下手で、本来は外見も不気味な自分にとって、フィーサスのフォルムは人間関係を緩衝かんしょうしてくれるからありがたい。

 しかし、ある程度の知識を有する者には、この外観が月虹神に縁あるとわかってしまうらしい。

 この場で目立った反応も示さず、会話を静聴しているルーファという少女も、おそらくそういうタイプだ。大陸ではあまり見られない白髪はくはつも、星をモチーフとした装飾品も、どこかで見た覚えがあるのだが――どうしても思いだせなかった。


「特に意見や伝達事項がなければ、早速、砂漠を渡る準備をしようと思う。デュークは、何かあるかな?」

「――ん、いや、特にない」

「それならいったん解散で、出発は日没の時刻にしようか。ツェイはキィと一緒に、水と携帯食の準備。ルーナは僕と、神殿遺跡までの経路確認。ルーファは、必要になりそうな薬を用意してくれ」


 ヴィルの言葉で役割が分担され、それぞれが了承の返事を残して散ってゆく。場に残ったのはデュークとフィオ、そして黒豹だ。

 デュークが何かを言う前に、黒豹が椅子から立ちあがった。


「さて、俺様も駐屯所に帰るとするか。デューク、おまえには要らん心配かもしれねぇが……神殿遺跡の最奥に眠るのは『まがつ炎』だって説もある。おまえが炎でやられることはないだろうけどな。くれぐれも、気をつけろよ」

「……ああ、もちろんだ」

「俺様はラファエル王子が帰還するまでここの騎士団に滞在するから、困ったことがあれば頼ってこい。じゃあな」

「わかった」


 散々こちらをかき回したくせに、言い置くのは大人の言なのだからずるい男だ。砂漠の熱を一身に集めそうな黒い姿が去るまで見送ってから、デュークは、ここまでずっと無言だったフィオに目を向ける。

 黒豹の冗句じょうくに恐縮して大人しいのかと思っていたが、これは、別の理由がありそうだ。


「フィオ、……何か怖い夢でも見たのか?」

「…………」


 俯いていた少女が緩慢かんまんな動きで顔をあげ、デュークを見た。潤んだ両目に映るのは、まぎれもなく恐怖心の陰。

 フィーサスの尻尾が肩をてし、と強く叩く。


ぴきぃまさかフィオぷーきゅー記憶が戻ったのか?』

「あの、デュークさん」


 フィオは震える細い手で帽子を取り、胸元へ下ろして抱きしめた。ぬるく乾いた風が少女の赤い髪を揺らす。くらりと目眩が生じ、フィオの姿が一瞬ぶれて見えた。


「大丈夫か? 具合が悪いなら、ベッドを借りるか?」


 大丈夫でないのは、むしろ自分のほうではないのか。もたげた疑念を肯定するかのように、少女はふるふると首を振り――呻くように細い声を吐きだす。


「デュークさん、僕、どうしたらいいかわからなくなって。本当に、神殿遺跡に行っていいのか不安で」

「記憶が、戻ったのか?」

「いえ……でも、」


 すがるように囁かれた少女の言葉は、デュークが予想だにしなかったもの。


「もしかしたら僕、本当は、本当は人間を――ものすごく憎んでいるのかもしれません」




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