第一節 砂漠に眠る災禍
[1-1]炎禍の記憶と戦巫女
墨を流したような夜空なら聞いたことがあるが、これは何と表現したものだろう。
月も星も失せた闇夜を
全身が
死ぬなら、せめて、故郷の最期を目に
「死なせないって、言っただろ! 馬鹿!」
視界にぬっと映り込んだのは、真紅の少女。いや、――神様、だったか。
馬鹿と言われるような愚かなことを、彼女の前でした覚えはないのだが。瞳を動かし抗議の視線を送れば、
「今度こそ俺の
内側まで
死を望んでいたわけではないが生に執着もなかった彼は、ぼんやりした心境のまま目の前に立つ炎の神を見あげた。
「フィー……サス?」
「何だよ、似合わない名前だって思ってんだろ!」
怒ったように両手を腰に当て、真紅の両目をつりあげる姿は、狼獣人の少女と何の違いもない。ぴくぴくとよく動く狼の耳、腰の辺りで揺れるふさふさの尻尾。なのに、顔や胴体は人間と変わらないつるりとした褐色の肌だ。
胸元と腰回りに鮮やかな布を巻いているが、腕や腹、すらりと長い両脚はむき出しで、年頃の女性としては露出が多すぎる。とはいえ胸が小さく腰回りも細い肢体をじっくり見たところで、
「人型になると……少年みたいだな」
「ん? ハァ! 神に男も女もあるかよ!」
「うん?」
「――ッて、いいから早く起きろ。戦火神の加護を与えたっていっても、相手は原初の火焔で破壊特化なんだ。近づいたら、
細い腕のどこからそんな力が出るのか、フィーサスと名乗った戦火神は彼の腕を掴んで引っ張り起こした。
まだふらつく気はするけれど、瀕死の
「おまえ、本当に神様だったんだな」
「うぇっ、まさか今まで信じてなかったのかよ! これだから、人間て奴はさ」
呆れたように頭を振って、それからフィーサスは姿を変える。デュークにとっては見慣れた姿――全身を真紅の毛皮が覆う巨大で美しい狼に。
『乗れよ、駆けるぜ』
「……どこへ?」
『知るかよ! とにかくここから逃れて、生き延びるんだよ!』
「……わかった」
どうせ行く当てもなく、死を待つばかりだったのだ。これが神意だというなら、抗う意味もないだろう。
☆ ★ ☆
――ふつ、と意識が切り替わった。
例えようもなく懐かしいものを見た、という自覚が、遅れて意識に浸透してゆく。この体質になってから眠りも夢も遠ざかっていたというのに、一体どうしたことだろう。
いや、それ以前に。
あんな記憶、昨日まで憶えていなかったのに。
『
「ん……、俺は、寝てたのか?」
『
「
不死者になってから、デュークは物を食べることができなくなった。今は人間のような肉体を得ているが、魔薬の効果によるまやかしであり新陳代謝機能は戻っていない。
一方でフィーサスは消化器官も血肉すらない状態でありながら、食事を取れる。食べた物がどこへ消失しているのかは五百年経った今でも謎だが、
ルマーレ共和国で神々の会合に立ちあい、
評議員たちが二ヶ月ぶりに帰ってきたことと、議会堂への出入りが可能になったことで、街は大混乱に陥っていたが、収拾はシャルとレーチェル、石化が解けた大神官に任せることにする。『
幸いデュークには、
輝帝国が戦端を開くのを抑えるためにも、
クォームはその後すぐセスの元へ向かったので、今はデューク、フィーサス、フィオの三人が、サグエラの騎士団駐屯所に留まっている。
案内人が必要で、人選は黒豹に頼るしかなかったのだった。
ディスク・ギリディシアという男は元々フリーランスの魔導士で、現
必要最低限の情報だけを話し案内人を紹介してもらうつもりが、鎌掛けと誘導尋問に屈してしまい、気づけば情報をほとんど吐かせられていた。
さすが影の黒豹とか言われるだけある、侮れない。
デュークは話すのが苦手だ。慣れた相手なら会話は苦にならないが、言いくるめたり言い逃れたりするのは不得手だ。つまり、
結果的には彼の全面的な協力を得られたのだから上々だが、次は絶対に誘導尋問には引っ掛からないようにしよう、と胸中に決意を固める。
デュークに全部を吐かせ魔王軍と神々に関わる情報を手に入れた
同行するのは、ヴィルと呼ばれているハーフエルフの青年剣士、ツェイという名の元盗賊少年、それに砂漠に住む遊牧民の少女だという話だったのだが――話を聞いているうちに、段々とデュークは
「あのさ、いつも無茶振りだけど今回は無茶すぎだろ! 砂漠に子供連れてけるかよ!」
「悪いが僕も同意見だ。そっちの……デューク氏だけなら、まったく問題はないけど」
ツェイ少年の抗議にヴィルが同意している。それももっともな話で、黒豹は何の脈絡もなく「フィオも砂漠に同行させろ」などと言い出したからだ。
自分が洗いざらいを話したのは時短のためであり、彼の悪ふざけに付き合うためではない。さらに言えば、肩身が狭そうに身を縮めているフィオが気の毒だ。
「この子はな、炎の精霊竜なんだとさ。それも『原初の炎』から生まれたらしいぜ」
さも訳知り顔で余計な
「……黒豹、まどろっこしい。簡潔明瞭に、要点はわかりやすく、発言は挙手をもってするように。いいな?」
「は? デュークどうした?」
困惑したように見返す黒豹には答えず、デュークは無言のまま右手を挙げた。
ふざけてはいるが察しは良い男だ。すぐに指名してくれたので、立ちあがって全員に聞こえるよう、意識的に声を大きくして話す。
「はじめまして。私はデューク、魔法剣士で傭兵だ。この度、砂漠の炎神殿遺跡に向かうため案内を依頼したいと思うのだが……詳しく話をしてもいいだろうか?」
「お、おう。……どうぞ」
流れに呑まれた黒豹氏が促したところで、ツェイ少年がバンと机を叩き、勢いよく立ちあがった。口を開き、思い直したように両手をバタバタさせ、右手を挙げる。
「なんだ、ツェイ」
「待って待って、話すんならアイツも……ルーナも一緒がいいだろ! 呼んでくるから!」
察するに、遊牧民の案内人だという人物だろうか。
ひょろりとした後ろ姿が入り口から出るのを何の気無しに見送っていたら、何か小さな生物が彼の後をひょこひょこと追いかけていった。フィーサスの尻尾がてしっと肩を叩く。
『
魔草、と聞き返す前に、ツェイはすぐ戻ってきた。隣に、小柄な少女を連れている。
「お待たせ! こいつはルーナ、神殿までの案内をしてくれるんだって」
「はじめまして! 砂漠に住む『風の民リュー・サオニー』の戦巫女を務めております、ルーナと申しますっ」
燃えるような真紅の髪が、入り口からこぼれる陽に透ける。
上品な意匠が
くらり、と
ツェイに案内され側まで来た少女は、
「あなたが、炎龍の魔剣士デュークさん、ですよねっ! 噂は以前より耳にしておりまして、同じ炎魔法の使い手としてずっと憧れていたんです! ですので、あの、神殿を巡る間だけでもいいですので……ルーナの師匠になってくださいませんかっ」
少女のきらめく瞳の熱にあてられて――こんなことは滅多にないのだが――デュークは半ば
そしてまた、「発言は挙手をもって」というデュークの主張は結局、ここでも腰を折られることになったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます