第一節 砂漠に眠る災禍

[1-1]炎禍の記憶と戦巫女


 墨を流したような夜空なら聞いたことがあるが、これは何と表現したものだろう。

 月も星も失せた闇夜をらおうと、火焔かえんの龍が荒れ狂っている。可燃物などあるはずのない空が焼けて溶けて崩れてゆく。

 全身が麻痺まひしたかのように、もう指先すら動かせず、感じる痛みも鈍くなっていた。辛うじて動くのは瞳くらいだろうか。そこに映る景色も闇とほのおが絡みあう不気味な光景なのだから、つくづく自分には運が足りないと思う。


 死ぬなら、せめて、故郷の最期を目にきつけたかった。


「死なせないって、言っただろ! 馬鹿!」


 視界にぬっと映り込んだのは、真紅の少女。いや、――神様、だったか。

 馬鹿と言われるような愚かなことを、彼女の前でした覚えはないのだが。瞳を動かし抗議の視線を送れば、戦火神せんかしんとも呼ばれる戦狼いくさおおおかみの少女は、しなやかな手を伸ばして一方的に宣言した。


「今度こそ俺の守護騎士パラディンになれ、デューク。異論は認めないぜ! 我が名――〈炎の戦狼Firseth〉において任ずる。おまえは今この時から、俺の騎士だ」


 内側までかれて力尽きた身体に、活力が戻る。戦火をつかさどる神の名により、これより炎が自分を害することはない……というわけだ。

 死を望んでいたわけではないが生に執着もなかった彼は、ぼんやりした心境のまま目の前に立つ炎の神を見あげた。


「フィー……サス?」

「何だよ、似合わない名前だって思ってんだろ!」


 怒ったように両手を腰に当て、真紅の両目をつりあげる姿は、狼獣人の少女と何の違いもない。ぴくぴくとよく動く狼の耳、腰の辺りで揺れるふさふさの尻尾。なのに、顔や胴体は人間と変わらないつるりとした褐色の肌だ。

 胸元と腰回りに鮮やかな布を巻いているが、腕や腹、すらりと長い両脚はむき出しで、年頃の女性としては露出が多すぎる。とはいえ胸が小さく腰回りも細い肢体をじっくり見たところで、うず感情ものはないのだが。


「人型になると……少年みたいだな」

「ん? ハァ! 神に男も女もあるかよ!」

「うん?」

「――ッて、いいから早く起きろ。戦火神の加護を与えたっていっても、相手は原初の火焔で破壊特化なんだ。近づいたら、存在うんめいごと呑まれちまう」


 細い腕のどこからそんな力が出るのか、フィーサスと名乗った戦火神は彼の腕を掴んで引っ張り起こした。

 まだふらつく気はするけれど、瀕死の満身創痍まんしんそういからほぼ全快していたことに驚く。


「おまえ、本当に神様だったんだな」

「うぇっ、まさか今まで信じてなかったのかよ! これだから、人間て奴はさ」


 呆れたように頭を振って、それからフィーサスは姿を変える。デュークにとっては見慣れた姿――全身を真紅の毛皮が覆う巨大で美しい狼に。


『乗れよ、駆けるぜ』

「……どこへ?」

『知るかよ! とにかくここから逃れて、生き延びるんだよ!』

「……わかった」


 どうせ行く当てもなく、死を待つばかりだったのだ。これが神意だというなら、抗う意味もないだろう。

 炎禍えんかによって世界が終わるかもしれない夜に、炎の神が一緒に来いと言っている。それを運命と言わずに何と言うのか。




 ☆ ★ ☆




 ――ふつ、と意識が切り替わった。

 例えようもなく懐かしいものを見た、という自覚が、遅れて意識に浸透してゆく。になってから眠りも夢も遠ざかっていたというのに、一体どうしたことだろう。

 いや、それ以前に。

 あんな記憶、昨日までのに。


きゅーなんだ? ふぃぃデュークぷきゅぴきゅいぃ寝るなんて珍しいな

「ん……、俺は、寝てたのか?」

ふきゅさぁ? キュキュぷきゅぎぃソコに突っ込んで動いてなかったぜぴぃそれよりぴきゅー飯っ飯ぃ!』

冥海めいかい神殿の後遺症か? その割に、おまえは元気だな」


 不死者になってから、デュークは物を食べることができなくなった。今は人間のような肉体を得ているが、魔薬の効果によるまやかしであり新陳代謝機能は戻っていない。

 一方でフィーサスは消化器官も血肉すらない状態でありながら、食事を取れる。食べた物がどこへ消失しているのかは五百年経った今でも謎だが、本神ほんにんは食事を楽しんでいるらしく、特に甘い物が好みらしい。


 ルマーレ共和国で神々の会合に立ちあい、月虹げっこう神の神託を受けたデュークたちは、その後いったん議会堂へ戻り、豊穣神が人々の石化を解いて結界の解除を行うまで見届けた。

 評議員たちが二ヶ月ぶりに帰ってきたことと、議会堂への出入りが可能になったことで、街は大混乱に陥っていたが、収拾はシャルとレーチェル、石化が解けた大神官に任せることにする。『双月そうげつの砂漠』に埋もれた遺跡を探索するのであれば、現地を管理している帝国の飛竜騎士団ドラゴンナイツと早急に接触を取る必要があったからだ。


 幸いデュークには、五聖騎士ファイブパラディンが一人『黒き影のひょう』ディスク・ギリディシアという人脈がある。

 輝帝国が戦端を開くのを抑えるためにも、黒豹ディスクの協力は必要だった。クォームによる空間移動魔法でハスティー国にいた黒豹の元へ飛び、その後、彼を連れて砂漠のオアシス都市サグエラへ。

 クォームはその後すぐセスの元へ向かったので、今はデューク、フィーサス、フィオの三人が、サグエラの騎士団駐屯所に留まっている。


 不死者ミイラであるデューク、一応は戦火神であるフィーサス、炎の精霊竜であるフィオ。三人とも、砂漠の熱風や熱砂は問題にならない。しかし、遺跡の攻略という意味でデュークには土地勘がなかった。

 案内人が必要で、人選は黒豹に頼るしかなかったのだった。


 ディスク・ギリディシアという男は元々フリーランスの魔導士で、現帝皇ていおうハスレイシスが帝国に迎えられるより前からの友人だったらしい。デュークとは十年ほど前に仕事を一緒してからの縁だが、彼の人脈が国境を越えて広がっていることにいつも驚かされる。

 必要最低限の情報だけを話し案内人を紹介してもらうつもりが、鎌掛けと誘導尋問に屈してしまい、気づけば情報をほとんど吐かせられていた。

 さすが影の黒豹とか言われるだけある、侮れない。


 デュークは話すのが苦手だ。慣れた相手なら会話は苦にならないが、言いくるめたり言い逃れたりするのは不得手だ。つまり、黒豹ディスクを頼った時点でこの結果は目に見えていた。

 結果的には彼の全面的な協力を得られたのだから上々だが、次は絶対に誘導尋問には引っ掛からないようにしよう、と胸中に決意を固める。


 デュークに全部を吐かせ魔王軍と神々に関わる情報を手に入れた黒豹ディスクは上機嫌で、彼の管轄下にある『砂漠の調査隊キャラバン』とやらに仕事を依頼してくれた。

 同行するのは、ヴィルと呼ばれているハーフエルフの青年剣士、ツェイという名の元盗賊少年、それに砂漠に住む遊牧民の少女だという話だったのだが――話を聞いているうちに、段々とデュークは苛々いらいらしてきた。


「あのさ、いつも無茶振りだけど今回は無茶すぎだろ! 砂漠に子供連れてけるかよ!」

「悪いが僕も同意見だ。そっちの……デューク氏だけなら、まったく問題はないけど」


 ツェイ少年の抗議にヴィルが同意している。それももっともな話で、黒豹は何の脈絡もなく「フィオも砂漠に同行させろ」などと言い出したからだ。

 概念がいねん的に『精霊竜』という存在が説明しにくいのは認めるが、若者を揶揄からかって面白がるなど大人気ないにも程がある。

 自分が洗いざらいを話したのは時短のためであり、彼の悪ふざけに付き合うためではない。さらに言えば、肩身が狭そうに身を縮めているフィオが気の毒だ。


「この子はな、炎の精霊竜なんだとさ。それも『原初の炎』から生まれたらしいぜ」


 さも訳知り顔で余計な情報ことうそぶく黒豹氏の言動に、デュークの中で何かが音を立てて切れた。注意を促すため木製の広テーブルを指で叩いてから、低い声で発言する。


「……黒豹、まどろっこしい。簡潔明瞭に、要点はわかりやすく、発言は挙手をもってするように。いいな?」

「は? デュークどうした?」


 困惑したように見返す黒豹には答えず、デュークは無言のまま右手を挙げた。

 ふざけてはいるが察しは良い男だ。すぐに指名してくれたので、立ちあがって全員に聞こえるよう、意識的に声を大きくして話す。


「はじめまして。私はデューク、魔法剣士で傭兵だ。この度、砂漠の炎神殿遺跡に向かうため案内を依頼したいと思うのだが……詳しく話をしてもいいだろうか?」

「お、おう。……どうぞ」


 流れに呑まれた黒豹氏が促したところで、ツェイ少年がバンと机を叩き、勢いよく立ちあがった。口を開き、思い直したように両手をバタバタさせ、右手を挙げる。


「なんだ、ツェイ」

「待って待って、話すんならアイツも……ルーナも一緒がいいだろ! 呼んでくるから!」


 察するに、遊牧民の案内人だという人物だろうか。

 ひょろりとした後ろ姿が入り口から出るのを何の気無しに見送っていたら、何か小さな生物が彼の後をひょこひょこと追いかけていった。フィーサスの尻尾がてしっと肩を叩く。


ふみゅう変なヤツだなー……キュキュぷー魔草つれてるとか


 魔草、と聞き返す前に、ツェイはすぐ戻ってきた。隣に、小柄な少女を連れている。


「お待たせ! こいつはルーナ、神殿までの案内をしてくれるんだって」

「はじめまして! 砂漠に住む『風の民リュー・サオニー』の戦巫女を務めております、ルーナと申しますっ」


 燃えるような真紅の髪が、入り口からこぼれる陽に透ける。

 上品な意匠がらされた、薄布を重ねた衣装からうっすら見える手足は細くしなやかで、砂漠の女性らしく肌の色は濃かった。

 くらり、とがらにもなく目眩めまいを覚えたのは、今朝見たのせいだろうか。

 ツェイに案内され側まで来た少女は、紅玉ルビーのようにキラキラした目をデュークに向け、腕輪と指輪で彩られた両手を組んで、熱のこもった声で言った。


「あなたが、炎龍の魔剣士デュークさん、ですよねっ! 噂は以前より耳にしておりまして、同じ炎魔法の使い手としてずっと憧れていたんです! ですので、あの、神殿を巡る間だけでもいいですので……ルーナの師匠になってくださいませんかっ」


 少女のきらめく瞳の熱にあてられて――こんなことは滅多にないのだが――デュークは半ば茫然ぼうぜんと彼女を見返した。これほど純粋で一方的な好意を向けられることなど今までなかったのに、なぜかひどく懐かしい。

 そしてまた、「発言は挙手をもって」というデュークの主張は結局、ここでも腰を折られることになったのだった。




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