第三ノ鍵・黒の夢の章

an Ancient Disaster

[0]黒の鍵がのぞむ世界


 過去も未来もなく、地図も果てもない、どこまでも続く真白い空間。――とき狭間はざま

 現世から弾きだされた魂がさまよい込む亜空間あくうかん、とは建前で、本来ここは月虹神げっこうしんの地所だ。自分の住処すみかが時に追放地、時に避難所として利用されてきたことに、今まで不満の一つも言わなかった月虹神こと白龍だが、今回はさすがに機嫌を損ねたらしい。


「ばかばか、玄龍クロの大馬鹿っ。この後に及んでかき回すようなことをするなんて!」

「まったくだ。こんな手ひどい裏切りにあうなんて、私も悲しいよ……」


 普段はペタリと寝た耳をピンといからせ、白毛の大きな尻尾を膨らませて、お怒りの白龍が先程からポカポカと腹の辺りを叩いてくる。少し離れた位置では、綿毛の敷き詰められたような地面に埋もれかけた黒い鳥族の子供が、これ見よがしにため息をついていた。

 二人の怒りを向けられている当人、冥海神めいかいしんであり玄龍げんりゅうとも呼ばれるウィルダウは、黒い長髪と黒長衣ローブ――つまりセルフィードの身体で、機嫌良く笑んだまま苦情を受け止めている。


「今回ばかりは、予期せぬ事態というやつだろう? イルマの元に『星龍の権能ちから』が戻ってしまえば、彼が自分自身をとして差しだす未来はえている」

「それを防ぐのが、約束の竜ヴォイスドラゴンだった! 玄龍クロの妨害での通りにことが進まなくなったら、どうしてくれるの」

「妨害するつもりはないさ。白龍……それは、誓って言える」


 今にも噛みつきそうな表情で牙をむく白龍の頭に、玄龍ウィルダウは優しく手を置いた。

 現状、『原初の炎竜クリエイタードラゴン』の再成は順調。残る鍵はただ一つ、『黒の夢』である自分が開くだが、この後に及んで自分ではなく――導き手である銀竜自身だろう。


(当然、ではあるか。自分が造りだした世界をき、破壊を止めようとした銀竜かれに殺された記憶など……銀竜としても思いださせたくないだろうよ)


 せめて、火種フィオがもう少し成長した姿だったなら、とは思う。

 今のままでは、記憶の重さに耐えかねた心が『原初の炎禍ancient disaster』を呼び起こしてしまう可能性は高い。むしろそのほうが早道かもしれないが。


悪友ウィルダウよ、これからどうするつもりだ?」


 思考に沈んでいる間に白龍はあきらめたのか姿を消して、子供姿の使い魔――セルフィードが足元まで来ていた。黒い瞳に責める色はないが、不満げなジト目は変わらない。

 元々が冥海神の使い魔であったセルフィードとは、魔力の相性がいちじるしく良いのだ。

 セステュの身体を完全支配する以外の方法で現世に干渉するには、魔力相性の良い身体と星属性の魔力が必要だったが、あの瞬間まるで出来すぎた遊戯ゲームのように、全ての手札がぴたりと揃ったのだ。ウィルダウとしては、運命の采配さいはいとも言える好機を見逃す理由などない。

 セルフィードには悪いことをしたが、人間であるセステュと比べれば起き得るリスクは考慮に値するほどでもなかった。こうなった以上、すべきことは決めている。


「今代のは、あれでいいだろう。原初の炎竜クリエイタードラゴンは、……神殿で仕掛けようと思っているよ。此度のたちも、素直で扱いやすい。戦火神と天空神もここまでお膳立てされれば目覚めぬ訳にはいかないだろうさ。それで、ようやく駒が揃う」

「おまえは……まだあきらめていないのか」


 子供の姿に不似合いな、諦観ていかんを感じさせる表情が愛らしい。不真面目と思われるかもしれないが、ウィルダウは胸の奥からあふれてくる笑みを抑えることができずにいる。


「あきらめるも何も、私の目的ははじめから変わっていない。役割なまえを国家に、権能ちからを柱に。混沌と闘争があるとしてもは人のモノであり、未来を築くのは現実いまを生きる者たちだ。過去の遺物のような神々や竜族が干渉すべきではない」

「けれど、導きは必要だと言うのだろう?」

「導きと干渉は違う。世界ほしは一つきりなのに、方針の面で一致もできない神々が誰を導くというんだ」


 ふぅむ、と眉を下げて黙り込むセルフィードを眺めながら、ウィルダウは五百年前の炎禍えんかに思いをせる。


 世界を創ったのは炎を統べる上位竜族だ。かれがいかなる手段で世界創造などという偉業を成し得たのか、ウィルダウには想像も及ばない。ここより外側にも無数の世界ほしがあり、それぞれに違う生態系が営まれているだなんて、本来なら不要な知識であるべきだし、必要になる局面もないはずだった。

 すべてが狂いだしたのは、創世竜がこの世界ほし不要いらないと断じた、あのときから。


 世界ほし創始はじまりと、人の誕生は似ている。

 産まれ落ちた生命がと望みあがくように、すでに多くの生命をようしていた世界ほしも、創世者の意志に抗いを望んだ。終わらせようという意志と、続こうとあがく意志。ぶつかり合ったからこそ、世界は終わらなかったが苦しみも長引いた。

 止まることなき炎禍えんかを終わらせるため創世竜を殺したのが、銀竜クォーム。存在の基盤をうしなった世界は緩やかに滅びへ向かうはずだったが、銀竜は『創世竜の記憶たましい』を自分の中に残すことにより、世界ほしの命脈をつないでくれた。

 そういう経緯ゆえに世界は、銀竜をとして記憶したのだろう。


 創世竜と銀竜の関係をウィルダウは知らないし、やはり知る必要のないことだと考えている。しかし、あの日に傷つき弱り果て、歪んだり方で再出発した世界ほしには、正しい基盤が必要だ。

 もしもかつての創世竜が世界の存続を本心から願ってくれたなら、世界ほしの歪みは軌道修正されるだろう。

 銀竜が果たそうとしている約束とは、そういうことなのだ。

 白龍はそういう未来いつかを予見し、歌魔法を紡ぎ、真白なだけの地所ここで約束の竜が訪れる日を待ち続けていたのだ。


 それなのにクォームは過保護が過ぎ、人間たちが過去の罪と向き合い受け入れつつあるというに、肝心の火種フィオを庇うばかりで成長にしていない。今のまま幼い心で『黒の夢』を開けばどうなってしまうか、自分にさえ予想がつくというのに。

 白龍は、銀竜がその権能ちからで上手くことを運んでくれると、信じたいのだろうけど。


悪友ウィルダウよ。おまえは神々が……今さら方針の面で一致できると、本気で思っているのか?」


 今の今まで黙考していたのか、セルフィードがふいに質問を返してきた。鋭い切り口に、彼が現在でも理解者なのだと再認識しつつ、ウィルダウは言葉を返す。

 あらかじめ、用意していた答えを。


「思うはずがないだろう。今の神々に『神』を名乗る資格などない。役に立たない神々から権能ちからを奪い、相応ふさわしい者に渡すことで、今度こそ世界の救いはされるだろうよ」


 子供姿のセルフィードは、深いため息をこぼした。呆れたのかもしれないし、真意を見抜いたのかもしれない。

 どちらだろうと構わなかった。

 過去においてそうだったように、彼は今でもウィルダウにとっての数少ない理解者で、間違いなく信頼のおける友人だからだ。


 


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