[5-5]真実は白き狭間へ


 世界には五百年と少し前、破滅の危機が迫ったという。

 神々は協力しあい、焼き尽くされた世界を癒して再生を成し遂げた。しかし生き延びた人々の記憶には竜への恐怖が濃く染みつき、つまりを受け継いだ者たちへの迫害が巻き起こる。

 魔力いのち尽き果て、人により討たれた星宣神せいせんしんは、同じように迫害され死にひんした人間の少女へ『銀河ほし権能ちから』を継承し、その出来事が少女とを出逢わせた。少女と時の竜は協力して狩られる側の者らを救いだし、迎え入れていった。


「国でも、軍でもない。わたしたちは身を寄せあって生きていただけ、血縁なんてなくとも家族みたいなものだったわ」


 人が焼き払ったエルフの村で拾われた子供、ナーダム。悪夢に怯える彼を育てたのは、大人になりルウォーツの妻になったグラディスだった。

 破壊された家屋の中にひびが入ったまま打ち捨てられていた卵、ラディオル。かえるかどうかもわからない卵を抱きつづけた火炎竜のヴェディと、かえすために手を尽くした大烏おおがらすのセルフィード。彼は、ふらりとやってきた下位竜族の錬金術師――今では冥海神めいかいしんと判明した――ウィルダウの使い魔で、当時は人型をとることもまれだったらしい。


 同じころに水棲種族の女医アロカシスが噂を聞きつけやってきて、救える命もぐんと増えた。当然、集うものも多くなり、身を隠して生きてゆくのは難しくなってゆく。特に、魔法を宿す人間や亜人あじん種族の者たちにはきちんとした衣食住が必要だった。

 人の国家による迫害を防ぎつつ生活を成り立たせるために、城を建て結界を張り巡らせることを提案したのは、ウィルダウだ。彼は世間知らずだったルウォーツの相談役となり、二人で長い時間よく語らっていたという。


「わたしは人間だけれど、何も知らない村娘だったから、膨れあがっていく住人たちをどう世話していけばいいかわからなかったの。人間たちがわたしたちを脅威と感じはじめているのも、わかっていたわ。大きな戦いが起ころうとしていた、そんな矢先――。ウィルダウの手引きによって、人間の英雄がやってきた」


 あとはご存知の通りよ、そう囁いて、グラディスは目を伏せた。


「……これが、真実ほんとうの歴史ってこと?」


 セスはグラディスから聞いた話を脳内でゆっくり反芻はんすうし、理解しようと筋道立てる。殺されたふたりの魂は豊穣神ほうじょうしんにより保管され、たるディヴァスとリュナに継承されて、復活がなされたということだろうか。

 辻褄つじつまは合う。しかし学んできた歴史とあまりにも違いすぎて、セスの思考はそこで止まってしまう。


「わたしは、自分の記憶を話しているだけ。後世の人々や英雄とウィルダウがどんなふうに伝えたかまでは、知らないわ」


 ため息混じりに吐きだされたグラディスの言葉には、非難めいた色が混じっていた。まぶたをあげたすみれ色の双眸そうぼうに一瞬だけ、怒りの火がひらめく。

 思わず息を飲んでリュナを抱きしめたセスに代わってイルマが一歩進み出ると、続きを引き取った。


「今なら僕もなんとなくわかるけど、当時は小さかったから……。母上、もし知っているのなら教えてくれませんか。なぜ、ではなくなのか。父上はなぜ、戦わなかったのか。なのにどうして、この時代に母上と父上がおられるのか」


 穏やかに尋ねる息子に、グラディスは泣きだしそうな表情を向けた。


「魔王様は……ルウ様は、時の狭間を出ればいつかこうなると解っていたのよ。それでも優しいひとだから、見ない振りができなかったのでしょう。世界が再生しても、世界中に蔓延はびこった恐怖と憎しみは消えるものではないわ。だからルウ様は、『世界に焼きついた破滅の記憶』だけを、の」

「……え?」


 すぐには理解できなかったのは、イルマも同じだったようだ。グラディスは悲しげに微笑み、今は落ち着いた様子の双眸そうぼうをセスに向けて尋ねる。


「ねぇ、そうでしょう? ウィルダウ」


 グラディスの呼びかけで中のひとが姿を現す――というわけでもなく、イルマとリュナの視線を一身に受けたセスは気まずい思いで目をさまよわせた。

 声が聞こえたわけではないが、なぜかウィルダウが楽しげに笑っている気もする。魂の状態でセスの中にいるはずないのに、彼はどこへ行ったのだろう。


「俺は、ただの器なので……」

「あらそうなの。魔獣を使役してみせたから、ウィルダウと同化したのかと思ったわ」

「セス、どういうこと?」


 イルマは察したのか頷いているが、リュナは明らかに不安そうだ。安心させるためにもきちんと説明してあげたいところだけれど、この精神世界にいつまでいられるのかセスにはわからない。


「大丈夫、深刻な心配じゃないからさ。あとで、ちゃんと話すよ、リュナ」

「うん……」


 不安そうに視線を揺らすリュナの頭をポンポンと撫でてから、セスは改めてグラディスに向き直る。


「あなたはさっき、『破滅の記憶を巻き戻した』って言いましたよね。それは、『なかったことにした』って意味ですか?」

「ええ、それでほぼ間違いないわ。起きてしまった全部を再編リセットすることは、時間とき権能ちからを持つ上位竜族であっても不可能よ。でも、恐怖と憎しみの記憶だけにするくらいなら、上位竜族の魔力全部いのちそのものを使えば……だからルウ様は『魔王』を名乗り、後世のため偽りの歴史をのこしたのだと思う。人間の英雄に時の竜ルウォーツの命を奪わせ、時の要石ルウォンの役割を継承させるため」


 似たようなことを、以前にクォームも言っていたような気がする。

 本来なら世界を維持するため必要不可欠なの役割を竜から人間へ移譲したのだとしたら、デュークの「ウィルダウは神がいなくても成り立つ世界を目指していた」という証言とも合致する。

 つまり時の竜ルウォーツは冥海神ウィルダウと合意して、役割なまえを英雄に、権能ちからを天空神に継承させたということなのか。――それは、何のために?


 当事者なのだからこの場に出てきて釈明してくれればいいのに、ウィルダウにその気はないらしい。狭間で言っていた通り、彼はセス自身が真相と真実を知り、自力で答えにたどり着くことを望んでいるのだろう。

 思考に沈むセスの隣で、イルマが会話を続けてくれた。


「母上は、それをわかっていた?」

「わたしはあなたを守り育て、やがては銀河ほし権能ちからをあなたに継承するよう役割づけられていた。ルウ様が用意した偽りの歴史以前の、真実ほんとうの記憶は、全部なくなるはずだった。彼らにとって予定外だったのは、星龍の権能ちからが時の竜に匹敵するほど強く、わたしの記憶を偽物にすり替えることができなかったってこと」


 グラディスの話で思いだすのは、以前デュークが話していたことだ。五百年以上生きていて魔王がいた時代を経験しているはずの彼は、しかし「魔王が討たれたという知識はあるのに、魔王本人についての記憶はなぜか曖昧あいまいだ」と述べていた。

 過去の時代に魔王が人々をしいたげ、英雄によって討たれた――という史実を裏づける文献も、長寿種族による証言も、ほとんど存在しないに等しい。その理由がグラディスの言うように『世界レベルの記憶改竄かいざん』だとしたら。

 途方もない所業は到底理解も想像すら及ばないが、それゆえに落ちる話でもある。


 フィーサスが戦火神せんかしんということは、神々の記憶すら書き換えたのだろう。

 魔王は上位竜族、つまり神々より高位の存在なので、それも可能なのだろう。しかし、だとしたら理解できないこともある。


「グラディスの記憶は改竄かいざんされなかったってことだよね。魔将軍の……ナーダムや、ラディオルも?」


 彼があれほど人間を憎む理由、魔王と対峙たいじした時に口走った「人間などのために命を捨てるのか」という非難の根拠。それは、真実の歴史を知っているからに違いない。

 ラディオルもナーダムほど明確ではないが、似たようなことを言っていたのだ。そして、翠龍が人間たちやウィルダウに向ける刺々しさも、同じく。

 歴史と常識がすっかり入れ換えられてしまった世界で、わずかな者たちだけが真実を抱え、憤りを募らせてきた。心中はいかばかりだろうと思えば、セスの胸は痛んだ。

 グラディスは視線を落とし、目を伏せる。いつの間にか周囲の景色は最初に戻っていて、焼け崩れた村の跡が視界いっぱいに広がっていた。


「起きた事実――ルウ様の死を認められなかったわたしの心と、最後まで納得していなかった翠龍の心が、共鳴したのかもしれないわ。英雄の剣に貫かれて死に、消えてしまったはずのわたしが今になって目覚めたのは……翠龍が何かをしたからだと思うのよ」

「魂の継承、そうセルフィードは言ってたけど」

「そういうことなら、あのあと翠龍がナーダムに、もしくは逆かもしれないけど、契約を持ちかけたのでしょう。だからナーダムは翠龍の守護騎士パラディンになったのね」


 小さくため息を落とし、グラディスは目を開けてセスを見た。何かを見極めようとするように、菫色の双眸がすうと細められる。


「わたしが知っているのは、そんなもの。……それで、わたしをどうするつもりなのかしら? ウィルダウ」

「え、……いや、だから俺はウィルダウではなくて」

「同じことよ。あなたは彼女リュナを取り戻す、つまりわたしを消すのが目的なのでしょう? 夫の仇で裏切り者のあなたウィルダウが相手だっていうなら、全力で道連れにしてやるつもりだけど」


 菫色の瞳に星がきらめき、精神世界だというのにぞわりと闇がうごめきたつ。殺意を感じて身構えるセスとグラディスの間に割り込んだのは、リュナだった。


「待って、セス! グラディスさんも! そんな悲しいこと言わないで!」

「リュナは下がってろ!」


 慌てて腕を取り、引き下がらせようとすれば、妹は振り向いて決死の瞳を向けてきた。


「グラディスさんを消すなんてやめて! 他に方法ないの!?」

「ない、わけじゃないけど……俺がするんじゃないんだよ」

「もういいのよ、リュナ。実のところわたしは魔力が空っぽで、抵抗もできないし」


 なだめるような声は柔らかく、暖かかった。リュナが肩を震わせて、彼女自身とよく似た姿の魔女へ向き合う。


「小さいころ……村を滅ぼした災いからあたしを守ってくれたのは、グラディスさんでしょう? あなたが覚醒したあと、あたしが消えなかったのも、あなたがあたしをかばっていてくれたから……ですよね?」

「そうね。気づいていたの」

「はい」


 リュナの言葉は衝撃だった。グラディスの魂が継承されたのは魔王軍に連れ去られたあとではなく、もっとずっと前からだと――わかってしまったからだ。

 以前にデュークが言った「リュナは帝国によって回収された」という推測が、ふいに真実味を帯びて迫ってくる。妹自身はどこまで気づいているのだろう。

 凄惨せいさんな過去なだけに軽い気持ちで話し合えるものでもなく、今だって問いただしていいものかを判断するのは難しかった。けれど、もう避けたままではいられない。


「リュナ、その話って――」

「そろそろ時間のようだね。銀竜かれの仕掛けた魔法が解けようとしているよ」


 話をさえぎったのはイルマだ。言われて見回せば、周囲の光景はもうだいぶぼんやりしていて、魔法の終わりが近づいていることを示していた。


「わかった。……リュナ、銀竜のクォームはグラディスの魂を消さない方法を知っているらしいんだ。だから、リュナの気持ちをそのまま彼に話してみて」

「うん、わかった」


 正しい答えを見つけられたかは、わからない。ウィルダウは何も言わないし、クォームの権能ちからでできることとリュナの望みが一致するかもまだ未知数だ。

 それでも――と思う。


 イルマがグラディスに近づき、彼女の身体に腕を回して抱きしめたのを見る。

 微笑んで息子に身を任せるグラディスは、災厄の魔女と呼ばれた恐ろしげな様子はなく、優しい母親の顔をしていた。


 今度こそは選択を――、大きく間違えずに済んだだろうか。

 

 

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