[5-3]銀の夢が導く先へ


 銀竜、約束の竜、クォーム。予言の導き手である『銀の夢』の鍵。

 彼が高らかに宣言した途端、セスは自分の内側でウィルダウの気配が遠ざかるのを感じた。それが良かったのか、悪かったのかはわからない。今はクォームの「お任せあれ」という言葉を信じるだけだ。


 重力を感じさせずにふわりと着地した銀竜の少年は、まずセスの所へ来てくれた。

 痛々しいものを見る目でセスの全身を見回してから、アルテーシアに目配せして何かを差しだす。彼女が首を傾げ、左手を出して受け取ると、言った。


「一粒で全快ってわけにはいかねーけど、治癒の補助になるはずだからセスに飲ませてやってくれる? その間に、オレはイルマと打ち合わせするから」

「はい、わかりました。これも、魔石ですか?」

「炎の魔石みたいなものさー。熱くないし火傷とかもしねーから大丈夫」


 それだけ言って、今度はイルマのほうへと向かう。アルテーシアはルビーの原石みたいな石を指でつまんでしげしげと眺めていたが、そっ……とセスに視線を流して言った。


「セスさん、あの……右手は動かない、ですよね?」

「んと……あいたたっ!?」

「あっ! 無理に動かせって意味じゃないです!」


 いけるかも、と思えたのは錯覚だった。肩は無事らしく何とか上げ下げできるが、指を曲げようとすれば激痛が走る。アルテーシアが焦ったようにセスへと頬を寄せたので、顔が近くなりどぎまぎして腹の傷が痛い。


「セスさん、口を開けてくれますか?」

「え? 口?」

「うーんと……アレです。あーん、って……」

「あーん……?」


 言われるままに求められている仕草を想像した途端、セスは顔から火を吹いた。文字通りではないが。恥ずかしげにブルーグレイの目をきょときょとさせていたアルテーシアも、見る間に頬や耳が色づいてゆく。


「わた、しがっ、セスさんの口に魔石を入れて差しあげますのでっ」

「あ、は、んと、よろしくお願いシマス」


 右手は動かず、左手でアルテーシアにすがりついている、この状態。甘い愛情表現とかではなく必要に迫られてのことだ。とわかっていても、頭の中に花吹雪が吹き荒れている。

 お互い手がふさがったままの至近距離。羞恥に染まる顔を隠す手段もなく、心臓が倍以上の血流を送りだそうとして傷が痛んで頭がガンガンする。

 熱に浮かされ夢心地のまま、震える唇をそっと開くと、紅い石をつまんだ白い指が遠慮がちに口内へ差し込まれた。一瞬だけ唇に触れた温もりに心臓が戦慄わななく。

 うっかり噛みついてしまわないようにと妙な緊張をしたせいか、指が抜かれるまで長く感じた。心配そうに覗き込むアルテーシアの胸元で左手がぎゅっと握られたのを確認し、安心して口を閉じる。舌の上に置かれた魔石は気づけばとっくに溶けていた。


「……どう、ですか?」

「うん、すごく、緊張したかも」

「…………ええと。そうではなくって、身体の痛みとか」


 なに寝ぼけたこと言ってるんだよ、自分。

 顔だけでなく、胸の辺りとか鳩尾みぞおちとか、何なら全身が熱をもってきたようだ。恥ずかしすぎて、今なら火だって吐けるかもしれない。


「大、丈夫……。ちょっと、あっついだけで」

「あの、セスさん顔が真っ赤ですよ。少し座りましょう、熱があるのかも」

「そうかも、――ってちょっと、ルシア、近いってっ」

「だって、お熱を」


 アルテーシアに支えられながら地面に座り込んだ直後、正面からにじり寄るように距離を詰められてセスは焦る。あーんの次は額コツンだとでも言わんばかりに真剣な彼女だが、満身創痍の興奮状態でこれ以上触れ合ったら、ついには全身から火を吹くかもしれない。

 かと言って右手が動かない今思うように下がれもせず、見苦しくジタバタしていれば、楽しげな忍び笑いを漏らしていたセルフィードが割って入ってくれた。有難いようなもったいないような複雑な感情が渦巻くものの、全身の熱は徐々に治まりつつあった。


「妹君よ、年頃の男女がいちゃいちゃベタベタするのは見苦しくはないが、うん。彼の熱は魔石によるものだから心配はいらんよ」

「い、いちゃ……ってなに言いだすんですかっ。わたしは、セスさんが心配で……」

「あっ、ありがとう。ルシアの身体、あったかくって安心したよ」


 魔石効果と聞いて安心したら痛みも引いてきた気がして、ようやく安堵の息をつく。今度はアルテーシアが耳まで朱に染めて顔をうつむけていた。その姿はやっぱり天使にしか見えず、いじらしさから抱きしめたくなる気持ちを熱のせいだと言い聞かせて押し込める。

 そういえば、マリユスに括りつけたままだった仔狼シッポは無事だろうか。

 ちらりと視線を向ければ、ちょうどラファエルがキャリーを開けて様子を見ている所だった。平然としている様子から問題はなさそうだと判断してほっとする。


「セェス! まだ痛むかー?」


 声を掛けられ視線を向けると、クォームとイルマがこちらを見ていた。気づけば大蟒蛇ヨルムンガンドはいなくなっており、イルマがリュナを抱えている。打ち合わせが済んだのだろう。

 もう一度、覚悟を決めて右腕に力を込めてみた。鈍い痛みはあるが、さっきよりはまともに動かせそうだ。


「大丈夫、このくらいなら動けそうだ。クォーム、俺は何をすればいい?」


 ゆっくり立ちあがって歩きだす。心配そうに見あげるアルテーシアに頷いて見せ、思ったよりちゃんと動く身体で竜たちのほうへ向かった。全身の力を失っているリュナは、今も固く目を閉ざしたままだ。

 ふらふらとしたセスがたどり着くのを辛抱強く待って、クォームが口を開く。


「先に確認するぜ。この子リュナの身体はセス、おまえと同じく『魔女の器』として造られてて、リュナの記憶とグラディスの記憶は現状混じらず存在してるっぽい。オレ様の権能ちからでできることは大きく三つ。その一、リュナの記憶を呼び戻し魔女の記憶を消滅させる。その二、魔女を完全覚醒させてリュナの記憶を消滅させる。その三、過去と今の記憶をつないで二人の記憶を融合させる……つまりルウォーツと同じ状態になるよう導く。おまえは、どれを選ぶ?」


 まさかの三択に、セスは戸惑う。かたわらのイルマが何も言わないところ、クォームと彼は選択を自分に委ねることにしたのだろう。

 セスからすれば、その二は論外だ。しかし、イルマの目の前でその一を選ぶこともできない。そんな権利あるはずがない。かといって、その三を選んだ先に待ち受けるものが何かは想像がつかなかった。


「……俺には、選べないよ」


 ずいぶん時間をかけて思い悩み、結局それしか言えない。クォームはセスの答えを聞くとイルマを見、にぃと笑った。


「ほら、言ったろー?」

「本当だ。彼は優しい人なんだね」


 何の話だろう。今の三択は試験問題だったのだろうか。

 せぬ気分で二人を交互に見れば、クォームはひょいと一歩を詰めて手を伸ばし、セスの左手を掴んでぐいと引っ張った。


「権利ならあるんだよ、セス。おまえはここまで来たんだからさ。現にこうして魔女をくだ身体リュナを奪い返し、オレ様をここへ導いた。だから『リュナは返してもらう』って言う権利があるんだ」

「でも、クォーム。それは」


 クォームの言いたいことが痛いほどにわかり、目の奥が熱くなる。

 確かに、そうかもしれない。ラファエルやウィルダウの力を借りたとは言え、セスは殺意を向けてきた災厄の魔女グラディスに勝利した。

 現実、リュナは同じ仕方で奪われたのだ。妖魔の森で、セスは狼の群れを足留めする役割しか果たせなかった。デュークもフィーサスもあの時はナーダムに勝てなかった。どんな方法でか記憶を消され、魔女グラディスの記憶を植えつけられて――、それでも。


「わかっちゃったんだろ、セス」

「うん、きっとそうだと思う。だから俺には、……選べない」


 今ここでのは、魔将軍たちやイルマから家族を奪うことなのだ。やられたからやり返す、なんて理屈で決めていいことじゃない。魔王軍かれらがここまで強引にグラディスを求めた理由を、自分はまだ知らないのだから。

 魔王は、世界の破滅を食い止めるために必要な存在だという。でも、グラディスはおそらくだ。後世に魔女と呼ばれるほど魔法に長けていたとしても、神でなければ竜でもない――元はごく普通の少女だったのではないか。

 以前クォームが、災厄の魔女グラディスは『人の夢』の鍵だと言ったのを思いだす。ウィルダウも時の狭間で「災厄の魔女を救え」と言った。その真意をセスはまだつかめていない。

 しばしの沈黙を挟み、クォームが頷いた。イルマを見てから、セスに視線を戻して。


「オレ様はあくまで『予言の導き手』。代わりに選んでやることはできないけどさ。導き手らしくやるよ。だから、二人で、迎えに行ってくれば?」

「迎え?」

「クォームさん、母上は、あの時にもう」


 疑問符を返すセスと、困惑顔のイルマ。説明下手を自認する銀竜の少年は困ったように眉を下げうなっていたが、やがてあきらめたように顔をあげ、清々しい笑顔で言った。


「ダメだ、オレ様こういう……論理的でわかりやすい説明とか! 無理! 行けばわかる!」

「え、行けばってどこへ」

「わかるわかる! さぁいくぜ――、我が名は〈過去、未来へと遥かにつなぐ、銀の夢Lem-Luma-Lim Wouny Kuw-olu-pioum〉、惑星ほしの記憶を宿し、ひとの生き様いのちを記録するものなり。銀竜の権能ちからりて夢をつなぎ、記憶たましいの在処へといざなえ。――〈記憶回帰RugeSher〉」


 不可思議な詠唱を歌うようにささやいて、クォームは右手で大きく輪を描く。きらきらと散った銀光があざやかに色を帯び、視界に映る景色を塗り替えていった。イルマが抱えていたリュナも、詠唱していたはずのクォームもいつの間にか消えて、気づけばイルマとセスの二人だけが焼けた瓦礫がれきの積み重なる戦場跡に立っている。

 ここどこ、と言いたい気分だが、予想はついた。

 記憶の中、あるいは過去の景色。この凄惨せいさんな焼け跡は目ではなく耳が覚えている。父レーダルが遣わされ目にしたという、焼け崩れたコリンの村。――リュナが拾われた場所だ。


「まったく、強引だなぁ」


 小さくため息をついたイルマも動揺や混乱はないようだ。どちらからともなく目を合わせ、苦笑を交わす。


「リュナを探そう、イルマちゃん」

「うん……え、イルマちゃん!?」

「ルシアがそう呼んでたんだ。俺のことはセスでいいよ」

「僕だって、イルマでいいからね!? それに、あの子とは初対面だったし!」


 ちょっとした意趣返しのつもりだったのに、思った以上にいい反応が返ってきて、セスはつい吹きだした。

 まだよく知らない人物だけれど、きっと彼も――優しいひとなのだろう。


 彼の両親であった魔王とグラディスも、セスが知らない面を持っていたに違いないのだ。

 本当の意味でそれを知れば、何を選ぶべきかも理解できるだろうか。


 


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