[5-2]魂の継承


 安全を確かめるため一度大きく旋回してから、ラファエルは大蟒蛇ヨルムンガンドと距離を置いてマリユスを着地させた。

 黒蔦のうごめく異様は幻だったかのように跡形もなく、大蟒蛇ヨルムンガンドは巨体でとぐろを巻いてこちらを見ている。セス――あるいはウィルダウの命令を待っているようだった。


 羽ばたきの音とともに、アルテーシアが地上へと舞い降りた。地に足をついた途端、背中の翼がほどけるように霧散する。

 おかしいな、ルシアは天使族エンジェルだったはず――とまだ寝ぼけたことを考えていたセスの頭に、突然ぐっと重さが掛かった。


『ついに覚醒したかね? ウィルダウよ』

「不穏なこと言わないでください、セルフィードさん! セスさんは、セスさんですっ」


 たぶん自分は今、流血しすぎて頭が動いていないんだろう。重さに負けてマリユスの背に突っ伏そうとしたら、今度は頭が軽くなった。


「喋る大烏レイヴン? 君は誰の使い魔なのかな。……セスも、しっかりしなよ」

『こらこら、竜騎士よ、鷲掴みはよしたまえ。うむ、医者の見立てで言わせて貰えば、そろそろ死ぬかもしれんな……て、力を込めるな、痛いだろう』

「セルフィードさん、適当なこと言わないでください……」


 ようやく、思考が状況に追いついた。セスはぐらぐらする視界を気力で見据え、命綱を外してマリユスから滑り降りる。

 駆け寄ってきたアルテーシアが、よろけた身体を抱きしめるように支えてくれた。


「大丈夫ですか、セスさん。歌魔法の身体能力強化フィジカルエンチャントも、使えますが」

「ありがとう、ルシア……よかった、ちゃんと無事にまた会えた」


 こんな時でも彼女は冷静で、理性的だ。自分は今にも泣き崩れてしまいそうなほど、気持ちがたかぶってるっていうのに。

 でも、だから、アルテーシアが側にいると心強い。遅れて、嫌われていなかった安堵と、一瞬でも本気で彼女を天使だと錯覚した恥ずかしさが込みあげてきた。誕生の経緯まで聞いたくせに妄想が過ぎる。


「セスさん、わたしも会えて嬉しい。でもあとでお説教しますので、まずは、イルマちゃんとリュナさんを」


 再会の抱擁ハグではなく、お説教って。――と、気を取られて聞き流しかけたが、それより気になる愛称が飛びだした。思わずアルテーシアを見返すものの、口には出せない。

 イルマちゃん、……って、なぜ彼女はそんな親しげに彼を呼ぶのだろう。


「セス、僕はここで待機してるから、行ってきなよ。君の妹を救うんだろ?」

「あっはい! 行ってきます!」


 ラファエルはマリユスに乗ったままで、口元だけが笑っていた。彼の言葉に含まれている真意は、重くて複雑だ。

 グラディスを名乗ったリュナがエルデ・ラオを陥落させたのだから、ラファエルにとって妹は敵将であり仇でもある。相対してしまえば、戦いは避けられない。

 そこをあえて待機すると言ってくれたのだ。ならばセスは、彼の期待に見合う結果を返さねばならない。

 イルマちゃん呼びについてはあとで追及しようと決意し、震えるあしに気合いを入れて、セスは姿勢を正した。これだけ手間取ってもじっと動かず待つところを見ると、大蟒蛇ヨルムンガンドは気の長い魔獣なのかもしれない。


「わたしも行きます。セスさん、つかまっても大丈夫ですよ?」

「……うん、それじゃ……よろしくお願いします、ルシア」

「はい」


 あれだけ痛かった全身も、今は鈍くうずく程度になっている。魔法にうといセスにはどういう原理かわからないが、アルテーシアの呼びだした光精霊が傷口の周りに集まって、傷をふさいでいるように見えた。

 無事な左腕をアルテーシアの肩に置かせてもらい、思いきって踏みだす。まるきり痛みなく、とはいえないが、大丈夫、歩ける。よろよろしつつも大蟒蛇ヨルムンガンドの側まで行くと、白蛇の頭がゆっくり目の前に降りてきた。


大蟒蛇ヨルムンガンド。君が捕らえているイルマとリュナに、会わせてほしい。二人は無事?」


 無論、そうこたえが返り、とぐろを巻いていた長い胴がシュルシュルとほどけて地面へと沈んでいった。白鱗の隙間から現れた姿を見て、セスの心に緊張が走る。

 銀髪の青年が地に座して、黒髪の少女を膝枕していた。少女――リュナは気を失っているようだが、青年、竜の姿から人の姿へ戻ったらしいイルマは、まっすぐな視線をこちらにじっと向けていた。


「イルマさん、ですよね?」


 何て話しかけようかと迷っている間に、アルテーシアに先を越された。

 なんだろう、少し離れていた間に、彼女いっそう肝が据わった気がするのだけれど。イルマちゃん呼びといい、魔王軍との日々で一体何があったのか。

 セスが動揺するのにはお構いなしで、状況は進んでゆく。


「うん。……僕がイルマだけど、君たちは?」

「わたしはアルテーシア・ウィルレーンと言いまして、魔王のうつわであるディヴァス・ウィルレーンの妹です。彼はセステュ・クリスタル、そこにいらっしゃいますグラディスさんの器、リュナさんの、お兄さんです」

「……そう、この子、リュナっていうんだね」


 セスが何ひとつ言わないうちに、アルテーシアが完璧な紹介をしてくれた。穏やかな声、柔らかな口調のイルマ青年はそれを聞くと俯き、白い顔で瞳を閉ざす少女に目を向ける。

 気遣わしげな瞳だが、動揺が少ない様子から深刻な状況ではなさそうだと思い、セスはこっそり安堵あんどした。

 イルマから少し離れた場所に、地面を染めるおびただしい量の血溜まりがあった。ティークが貫かれた場所だろうと思えば、苦さと痛さが上ってきて胸を揺さぶる。

 視界の限り探しても、彼の遺体は見当たらない。大蟒蛇ヨルムンガンドが蔦と一緒に呑み込んだのか、もっと酷いことになってしまったのか……今は、考えたってどうにもならないことだ。


「イルマさん、あの、……思いだしたんですか?」


 無理にでも気分を切り替え、前に進もうとセスは決意する。でもやはりどう尋ねたらいいか掴めず、投げかけた言葉は何とも中途半端だった。

 それでも、彼には通じたのだろう。瞳をあげてセスを見返し、頷く。


「正直、全部が綺麗につながったとは言いにくいけど、一応は。僕がルウォーツとグラディスの息子で、権能ちからを持つ半竜だってことと、ふたりが人間の英雄に殺されたことは。……教えて欲しいのだけど、君の妹さんは母上の生まれ変わりなの?」

「兄が――魔王様が言うには、生まれ変わりとも違うらしいです。今の人格に魔王の記憶が溶け込んだ状態、と言ってました。リュナさんは、人間としての記憶を失っているようですけど」


 セスに答えられない疑問に、アルテーシアが答えてくれる。イルマは小さく「なるほど」と呟き、悲しげに微笑んだ。


「そりゃ、そうだよね。人間の魂が転生するなんて聞いたことないし……あの出来事から五百年は経過しているんだ。そういう事情なら、早くこの子を母上から解放してあげないと」

「リュナは、眠ってるんですか?」

「今は、魔法力を急激に奪われて失神してるだけだよ。少し眠れば回復するけど、……記憶がないんだっけ」

「そうなんです。事情は、俺も把握はあくしていなくって」


 隣のアルテーシアに視線を向ければ、彼女は黙って首を横に振った。その経緯までは聞いていない、ということらしい。

 セスが知っているのは、逃げたリュナがデュークに助けを求め、デュークがナーダムに負けてリュナを奪われたということだけだ。魔王軍に囚われたあとリュナの身に何が起きたのかは、予測を立てるしかできない。


「セルフィードさんは、何か知ってますか?」


 アルテーシアの呼び掛けに、大烏がすーっと飛んできて皆の前で人の姿になった。青みがかった黒の長髪、夜空のような黒い目の、魔導士の長衣ローブをまとった若い男性だ。

 彼はこの姿だと翼も人外的な特徴もないので、はじめて会ったときに人間の魔導士だと思ったことも、今となっては懐かしい。


「儀式をり行ったのはネプスジードだったから、私は何も聞かされていないよ。ただ、彼女はナーダムが連れてきた時すでに記憶を失っていたね。おまえが要因を知らぬのなら、道中かさらわれたときにを目撃し、精神が壊れたのだろうね?」

「そんな! いったい、どうすれば」


 魔王軍の医師を名乗るくらいだから、彼の見立ては正確だろう。

 ナーダム――人間というだけで激しい憎しみを向け、躊躇ちゅうちょなくアルテーシアを殺そうとした、エルフの飛竜騎士。リュナは、彼が誰かを殺すところでも見せられたのだろうか。もしくは、リュナを連れて近くの村を焼いた……?

 イルマが目を瞬かせ、セルフィードに視線を向けた。


「セルフィード、元気そうだね。僕には事情がわからないけど、君たちはどうしてこの子を母上として扱っているの?」

「おお、イルマよ! 思いだしたか! 事情は非常にややこしいのだが、彼女の中にグラディスがいるというのも間違いではないのだよ。何せこの件には、と〈魂の継承〉が関わっているのでね」

「…………もっと、わかりやすく」


 短い沈黙ののち、イルマが戸惑ったような声をセルフィードに返した。記憶を取り戻し、過去の魔王軍について思いだしたイルマでも、理解できない権能なのだろうか。もちろん意味がわかるはずもないセスは、助けを求めてアルテーシアに目を向ける。

 忙しなく瞬きを繰り返していた彼女は、不意にセスを見た。至近距離でばっちり目が合いセスは頰が熱くなるのを感じたが、彼女のほうは大きなブルーグレイの両目をキラキラ輝かせて、何やら興奮気味だ。


「なるほど、わかりました! セスさん、この件には神様が……豊穣ほうじょう神が関わっています。たぶん元々の計画は、豊穣神がしていた魔王様とグラディスさんの魂を、にふさわしい人物へ定着させ、お二人をよみがえらせる……というものだったのでしょう。元の人格……魂はそのときに呑み込まれて消えるはずだった。〈魂の継承〉ってそういう奇跡なんです」

「え、え、え、ルシアちょっと待って。わかりやすいけど、意味がわからない」

「あっすみません。セスさんも被害者なのに、わたしまた無神経に……」

「え、俺も!?」


 アルテーシアは本当に知識が豊富で読みが鋭く、今もセスはついて行けていない。でも言われてみれば、自分が負わされた状況――一つの身体に魂が二つという憑依ひょうい状態と、二人の状況は似ているように思えた。

 自分は、元の人格とウィルダウの魂が完全に分離している。魔王は、今の人格に昔の記憶が溶け込んだ状態。……では、リュナは?


「リュナへの〈魂の継承〉は、成功してしまったってこと? グラディスの魂がリュナの魂を呑み込んでしまったから、リュナの記憶が残っていない……のか?」

「むぅー……。それは、なんとも……」

「魔王とグラディスは同じ儀式を施されたはずだから、違いはないと思うのだがね。あるいは、上位竜族と人間の違いか、そもそも器が持っていた魂の強度の違いか」


 アルテーシアとセルフィードの答えが、セスの不安をますますあおり立てる。思わずリュナのほうへ目を向ければ、眉を下げ泣きそうな表情でこちらを見ているイルマに気づいた。彼自身もひどく傷ついているのだろうと思えば、胸をえぐられるようだ。

 豊穣神といえば翠龍すいりゅうだ。ルマーレ共和国を制して神殿を閉鎖し、信仰深い人々を石に変えて魔力をすすっていたおぞましい邪神。――いや、これは少し言い過ぎかもしれない。

 しかし、セスが苦労させられている中のひとウィルダウよりもずっと邪悪な存在に思えたのだから、やっぱり異論は認めない。


 神様の権能ちからが関わっているのなら、神様に聞くのが一番だろう。

 気は進まないが、中のひとも神様――まだ実感は薄いが――なのだから、この状況に対する答えを持ってそうに思うのだけれど。


「俺、ウィルダウに聞いてみるよ」


 言ったあとで、自分にウィルダウが憑依ひょういしていることを、イルマは知らなかったと気づいたが、もう遅い。アルテーシアの心配そうな顔と、セルフィードの期待に満ちた顔が、自分に向けられていた。

 あのひねくれ神様が、素直に答えてくれるだろうか。何か交換条件を突きつけられたらどうしよう。

 若干の期待とそれを上回る不安に気分を乱されながらも、思いきってセスが呼び掛けようとした、そのとき。


「ストーップ! セス、遅くなってごめんな! ここはオレ様に……記憶をつなぐ権能ちからを持つ『約束の竜ヴォイスドラゴン』クォーム様にお任せあれ、だぜ!」


 懐かしい声は、間違いなく現実の音。まさに最良ベストなタイミングで、生じた空間の裂け目からひょいと飛びだしてきたのは、純銀の髪を持つ竜の少年――クォームだった。




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