第四節 過去との対決
[4-1]銀竜がしめす道
砂漠都市の夜は、真昼の暑さが嘘のような快適さだった。
湿度が少ない気候のせいか、建物の造りが工夫されているのか。麻と綿で織られた布の、さらっとした肌触りのせいかもしれない。薄い上掛けの織り目が
砂漠の地ではじめての食べ物を口にし、落ち込んで泣いて気持ちを
オアシス湖の近くにある共同浴場で夕飯も一緒に済ませ、拠点に戻ってきた頃には、睡魔に
熟睡しすぎてもう朝が来たのかと思ったが、辺りは薄暗くまだ夜明け前のようだ。
てしてし、てしてしと、顔を叩かれている。痛くはないが、時々ざらっとした爪が鼻に当たる。覗き込んでくるのは、薄闇に光るアーモンド型の目。
「う、ん……? シッポ?」
「クゥーン、グゥ」
「なに、どうしたんだよ……、なにかいるのか?」
「がうがう」
起きあがろうとしたら、全身が悲鳴をあげた。
ウィルダウが仕掛けた加護とやら、内臓は守ってくれたようだけど、筋肉は放置だったのか。情けないことに、筋肉痛というやつだ。
「
『やっと起きたのかよー、セス! ずいぶん熟睡してたな』
え、と声になり損ねた息が漏れる。
思わず、手の甲で目をこする。瞬きを二、三回しても消えない、つまり夢ではない。
「クォーム!?」
『おーぅ、やっと接触できたぜ! ひとまず無事でよかった』
暗さに慣れてくれば眩しさも収まってくる。目を凝らしてよく見ると、クォームは実体ではないようだった。魔法で幻影を送ってきたのか、空間を弄って顔を合わせられるようにしたのか、魔法に
どんな方法でも会話ができるのは嬉しい。昼間も散々泣いたというのに、クォームの顔を見て声を聞いたら、また泣けてきそうだ。
「うん、ウィルダウが……たぶん、加護か何かを掛けてくれたらしいよ。あの人、俺にチャンスをくれるって言って」
『あーうん、それはオレも聞いて知ってる。っつか、おまえ寝てるからってあのヤロウ、こっちにきて偉そうに指示飛ばして行きやがったんだぜー、ムカつく!』
「え? そうなの?」
なんだそれ。行くなら、一緒に連れていってくれれば良かったのに。
思わず浮かんだ思考を急いで振り払う。うっかり心を許しそうになったが、ウィルダウを満足させられなければ自分やリュナの破滅は確定だ。甘えた事を考えている場合ではない。
一人で思考を右往左往させているセスをクォームは黙って見ていたが、しばらくして『あのさ』と口を開いた。
『情報共有は大事だからセスにも伝えとこ、と思って。ウィルダウ……つまり、
ぼそぼそと言いにくそうに呟くクォームの台詞に思わぬ名称を見つけ、セスは驚いて息を詰めた。ウィルダウが冥海神――ということは、デュークに討たれた悪いやつが神様、ということになるのでは。
元、闇の魔将軍で、魔導士協会の創立者で、英雄の盟友で、……海洋を統べる冥海神?
「え、えぇえ、冥海神!?」
『ちょっ、でっかい声で叫ぶなよ! ついでに言えばフィーサスは
「うぇ、あの白モコ毛玉種が? いや、ちょっとそれは冗談だろ」
『ここで冗談って何の意味あるんだよ。時間の無駄じゃん』
おそらく、今の自分はひきつり笑いみたいに変な顔をしている、間違いない。
「えーと、クリスタル家って信仰心ないっていうか、現実的というか、合理主義というか……。冥海神を信仰してるなんて、祖父からも聞いたことないんだけど」
『だろーな。アイツ、人間の
「じゃ、デュークは知らずに神様殺しをやったってこと?」
『いーや。
新情報が多すぎる。ぽかんと口を開けて固まった自分が相当間抜けに見えたのか、クォームは眉を下げ中途半端に笑う。
言葉を探すように視線をさまよわせ、
『
「そうだったよな。なんか、ごめん」
『セスに言ってんじゃねーや。でさ、やっぱりオレ様、うまく説明できる自信ねぇから……視てもらおうと思って』
「んん? それでもいいけど」
幻影のクォームが、ぐいと近づき手を伸ばす。よくわからないまま固まるセスの額に指を触れ、紡ぎだすは魔法の言葉。
『夜更けにたゆたう夢のごとく、人の子よ、この〈
「わぁお……」
視界一面が青く薄暗い空間に連れ去られる感覚。砂漠にいながらひやりとした肌寒さを感じた。魔法の光に黒く浮かびあがる龍の像と、寄り掛かって
ぐるりと視界がめぐり、フィーサスを肩に乗せたデュークや、レーチェル、シャルの姿が確認できて、心が躍る。一緒に、見覚えのない女性も見えるが――。
『説明するより見たほう早いぜ。ここは冥海神の本神殿。神々と魔王、そして
クォームの
「フィーサスが……戦火神、だって……嘘だろ」
『いや、一番驚く
長い時間に思えたが、実際にはわずかだったようだ。いつの間にかシッポがベッドの上で寝入っているから、半刻くらい
デュークが原初の炎魔法を扱えるのも、五百年死ねずに
「だって、俺たち今まで神様と一緒に旅してたって。確かに、デュークの強さは異常……だと思うけどさ」
『神様っつっても端末みたいなものだからなー。でも、いい加減そろそろ力を取り戻せってのはオレ様も同意。……で、今後の方針なんだけど』
白龍からの神託はわかりやすかった。
デュークとフィーサスは原初の炎によって力を取り戻す。これは、フィオという前例があるから、難しくはないだろう。
翠龍と魔王の関係については向こうに任せるしかない。でも万が一、ギリディシア卿に接触する機会があれば、今の魔王が戦いを望んでいないと話ができる。
レーチェルはシャルと一緒に、
白龍の口ぶりからすれば、世界を救うためには神々が力を取り戻し、協力し合うことが必須なのだろう。これも、セスが口出しできる話ではない。
問題はウィルダウ――というか、自分へ向けられた神託だ。
「ウィルダウは何すべきかわかってるって話だったけど、俺あいつから何も聞いてないよ」
『だろーなぁ、とオレ様も思ったから、来てやったのさ』
幻光の眩しさに目が慣れてきたので、クォームがにぃと笑ったのがわかる。懐かしさは心強さになり、じわりと胸に染みてゆく。
「ありがとう、クォーム。たぶん『イルマ』を取り戻すのが役割だと思うけど、どこへ向かえばいいんだろ」
『魔王から聞いた話だと、場所は滅びの山脈の
頭の中に地図が浮かび、イメージが広がる。クォームが記憶を見せてくれたのだ。
妖魔の森といえばリュナを奪われた、この探索が始まった場所。目指すべき位置は砂漠都市からそれほど遠くない。白龍の予言によれば、そこでアルテーシアとも再会できるのだ。
離れ離れになる直前の失態を思えば、どんな顔で会えばいいかと不安にもなる。
彼女は自分の隣に戻ってくれるだろうか。もしかして、魔王の隣にいることを望むだろうか。わからないから怖い、けれど、会いたい気持ちは変わらない。
「大丈夫、妖魔の森ならリュナと何度か行ってる。今度こそ、絶対に失敗しないよ」
『ん、そっか了解。でもあんまり気負うな。オレ様もデュークを送り届けたら、ソッチ合流するからな?』
クォームが優しい。不甲斐ない自分なのに、いろんな人の優しさを感じた一日だった。
彼のお陰でこんな遠く離れてしまっても、孤独に打ちひしがれずに済む……それが今は言葉にできないくらいにありがたい。
「ありがとう、クォーム。てことは、『原初の炎』の
『あぁー、原初の炎ってさ。
「
今も広がり続ける『双月の砂漠』は、気候によって成ったものではない。砂漠の中央部に強大な炎魔力が感知されており、砂漠化の原因ではないかと学者が調査しているが、今も答えは出ていない。
おそらくその炎魔力が『原初の炎』なのだろう。
デュークたちが砂漠を目指し、レーチェルたちが天空の地――おそらく
セスが砂漠に落ちたからこそ、クォームがこの地域に空間をつなげられたという現状。やはりウィルダウが仕組んだとしか思えない。
『っと、今日はひとまずこんな
思考に沈みそうになっていたセスに、クォームが妙に真面目な表情で話しかけた。
え、と声を漏らして見返せば、
「オレじゃなきゃ取り戻せない、ってやつ?」
『そそ。詳しくはわかんねーんだけど、たぶんセス、おまえが決着つけるべき問題、が待ち受けてるぜ。だから、相当キツいミッションになるかもだけど……がんばれ』
もしかして、家族が関わることだろうか。それとも、
忠告として聞くには
「ああ、がんばるよ。絶対にイルマを取り戻して、ルシアも自由にする」
『おぅ! 頼りにしてるぜ! じゃ、またな』
ゆらゆらと幻光が踊り、闇に溶けて色を失ってゆく。夜の静けさが戻って、仔狼のくぅくぅと聞こえる寝息だけが静寂を揺らしていた。
時刻は明け方、だろうか。
シッポを起こさないようそろそろとベッドに戻り、上掛けをかぶる。起床の時間にはまだ早い。少し寝直して、朝になったらラファエルに相談しよう、と決める。
目覚めてたったの一日で、いろいろなことがあった。手探りを覚悟していたけれど、気づけば道が開けていた。だから、きっと――リュナを救う道も探しだせるはず。
決意を新たに明日を思い巡らせながら、セスは、たゆたう薄闇に意識をゆだねたのだった。
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