幕間

〈幕間四〉かれらが抱える罪と償い


「この結末に至ったのは、僕の罪だ。僕はこれを受け入れるべきだと思う」


 だから君は、グラディスとイルマを守ってくれ。――そう言い残して去りゆく後ろ姿を、何度、夢で繰り返し見ただろう。

 父とも主君とも仰ぐひとに、かれの最愛を託されて、否と答えることなどできるはずがなかった。けれど、もしもあのとき、この結末の向こうを知っていたとしたら。

 自分は命を賭してでも、かれの歩みを止めただろうに。





 ――ひどい悪夢だった。

 目覚めたそのままの状態で高い天井を睨みつけ、エルフの騎士ナーダムは汗で額に貼りついた前髪を払う。


 王族の誰かが使っていたこの離宮は全体としてよく手入れされており、主城再建までの避難所として申し分ない。ただ、当たり前のこととはいえ建物全体に染みつく人間臭さは、ナーダムの気に障った。

 それでも、機能的なばかりで殺風景だった主城に比べれば、この離宮には自然が多い。

 景観よく配置された池と庭木にはいろいろな種類の鳥が訪れるので、グラディスは最近よく中庭へ出るようになった。彼女が心穏やかに過ごせるのであれば、自分の不快など些細ささいなことだ。


 目覚めの時間には早かったが寝直す気分にもなれず、ナーダムは起きだして身支度を整え、朝の中庭を通り抜けて竜舎へと向かう。

 朝靄あさもやの残る小道を意味もなく足音を忍ばせて歩く。ここで物音を立てたところでグラディスの眠りを妨げはしないのだが、いつの間にか身についてしまった癖だ。


 初夏とはいえ、早朝の空気は適度に冷えて引き締まっている。

 悪夢で火照ほてった身体が冷やされていくのを心地よく感じながら歩いていたエルフ青年は、竜舎の入り口に珍しい姿を発見して足を止めた。


「アロカシス?」

「あら、早いわねぇナーダム。ふふ、朝の空気は美容と健康に欠かせない養分ですものね?」


 朝靄あさもやをまとった超絶美女が、深紅色ワインレッドに塗られた爪の先をつやめく口元に添えて、機嫌良さそうに微笑む。

 人っぽい姿をとってはいるが、彼女の本質は両生類だ。本当に朝靄を浴びていたのかもしれないが、生憎とナーダムは皮膚ひふ呼吸などしない。


「僕は、ただ朝の散歩をしてただけだ。あんたこそ、帰ってきたならグラディス様の側にいろよ。……また悪い夢を、見ているかもしれないだろ」

「ふぅん……。そう、アナタ、また悪夢を見たの」

 

 鋭く返され、ナーダムは口をつぐんで視線をそらす。

 錯乱して隕石ほしとしたことなど綺麗さっぱり忘れたように、ここに来てからのグラディスは安定している。要因が離宮の環境だけでなく、アロカシスの存在によるのは明白だ。

 アロカシスが側を離れているのは、グラディスが心配ない状態だからだろう。彼女がどういうわけか自分の行動を察知して先回りしたことも、なんとなく気づいていた。


 医者であり、ずっと歳上でもある彼女の目を、自分ごときが誤魔化せるはずない。

 それに彼女とは共犯者でもあるのだ。ことわりを歪めることになるとしてもくつがえし、家族を取り戻す。償う生き方に巻き込んでしまったことには、今でも少し罪悪感がある。

 口に出したところで、アロカシスには子供扱いされるか笑われるだけ、だろうけど。


「僕の悪夢は、あの罪を忘れていない証拠だ。もう二度と、間違えたりするもんか」

「アナタがそんな自罰的なこと言ってたら、イルマちゃんを取り返せず逃げ帰ってきたアタシはどうなるのよぅ」

「それはそれ。居場所さえつかめれば総出で取り戻せばいいんだし、問題ないだろ」


 アロカシスは本来、将軍でも何でもない。露悪ろあく趣味なため勘違いされやすいが、ただの医者で戦闘能力は高くないのだ。

 翠龍すいりゅうの加護を受けている自分とは、役割も、すべきことも違う。

 だから心配ない、――そう伝えたかったのに、なぜか彼女は困ったような表情で微笑んでいた。慰めたつもりが慰められている錯覚を覚えて、ナーダムは無意識に眉を寄せる。


「なに? 言いたいことがあるなら言いなよ」

「うふふ、そぉいう所がアナタは可愛いのよぅ。ねぇ、今夜は空いてるのぉ? 気分の良くなる香油アロマと美味しいお酒を用意して待ってるから、アタシの部屋で遊びましょ?」

「そういうの、いいから」


 五百年以上の付き合いになるけれど、アロカシスの誘いがどこまで本気かいまだにわからない。どんなに美女でも両生類に興味は持てないので、いつも適当にあしらうのだが。むしろ、彼女の誘いに乗った男を見たことないのだが。

 あでやかな微笑みを唇に乗せ「つれないわねぇ」とこぼすと、アロカシスは底知れぬあおさをたたえた双眸そうぼうを細めて、ため息のように囁いた。


「イルマちゃんの奪還は、ルシアちゃんに協力してもらうわ」

「……は? そんなことグラディス様に知れたら! それに、ネプスジードが許可出すわけないだろ!」


 魔王の妹だとかいう人間の少女。この世界に上位竜族が絶えてしまった以上、魔王の器を形成するには人間という存在を介するしかなかった。彼を守り育てた人間の家族に直接的な恨みはないし、悪感情を持ってもいない。

 けれど、ルウォーツに自分たち以外の家族がいるだなんてグラディスが受け入れられるはずないのだ。ナーダムだって、彼女を家族だと認めたくはない。信用できるから親愛を感じる、というようなものではないのだ。


 イルマをかくまったのは人間の魔導士だったという。

 おそれ多くも魔王の息子を奪い取ろうというのだ、相応に痛めつけて脅しつけ、それでも楯突くようなら命をもって償わせる。それくらい当然だろうに。

 何を考えているんだよ、との意味を込めて睨みつけてやれば、アロカシスは口元に指を添え、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「グラディス様のことはアタシがちゃんと診るから、安心なさい。うふふ、だってルシアちゃんあの子、自分一人でネプスジードを説得に行ったのよ?」

「え、はぁ? 待てよ! 殺されるだろ!?」

「アタシもそこちょっと心配だったから、付き添うって言ったんだけどぉ。……大丈夫です、ですってぇ。さすが魔王様の妹よね」


 認めたくないというナーダムの真意をわかっていながら、彼女は畳み掛けるのだ。

 負けた気分になって、唇を噛み言葉を飲み込む。アロカシスが言いたいことも、本当は理解できている。


「わかったよ。あんたがそこまであの女を買うんなら……僕は口出ししない。でも、僕はあいつもルウォーツ様の家族だ、なんて絶対に認めないからな!」

「えぇ、ええ。ふふ、愚痴でも悪態でも何だって聞いてあげるわよぉ? グラディス様が寝ついたあとなら、いつでもいらっしゃいな」

「だからそういうのは、いいから」


 断ったはずの話題にぐるりと戻され、軽い目眩めまいを覚えながらはねつける。

 白いもやは気づけば朝日に溶かされていて、一日が始まろうとしていた。そろそろグラディスが起床する時刻だろうか。不安な気持ちにさせないよう、早く戻って彼女の護衛につかなければ。


 この場をあとにすることを心の中で言い訳しつつも、本当はわかっている。

 グラディスに依存しているのは、自分のほうなのだ――と。




  ☆ ★ ☆


 


 光の魔将軍ネプスジードは戸惑っていた。執務を終え、夕食を終えて、私室にしている部屋へ向かった彼の前に、魔王の半身――アルテーシアが立ちはだかったからだ。

 チャンスだ、殺すか。と思ったが、残念なことに錫杖しゃくじょうも刃物も持ち合わせていない。相手は細身の小娘なのだから武器なしでどうにでもできそうだが、戦場ならともかく離宮の中では暴力も気が引けた。


 結局のところ、気ははやっても今がそういう局面でないことくらい、ネプスジードも理解している。

 魔王だけでなく、セルフィードやアロカシスまで敵に回すのは、ただの人間にすぎない自分にとって利にはならないだろう。


「邪魔だ、そこを退け」

「ネプスジード様、お話があって参りました」


 脅しつけるように声を低めて命令したが、少女は怯える様子もない。姿勢よく立ち、まっすぐネプスジードを見あげてくる。

 細身の身体に深紅のドレスをまとい、淡い金髪を丁寧に結いあげて髪飾りで留め、むき出しになったうなじと肩に薄紫色のシフォンケープを羽織っていた。目元と頬、唇にも紅がさされ、上品な化粧が少し大人びた雰囲気を添えている。

 まるで王に謁見えっけんするかのような正装に、つい気圧けおされてしまう。負けじとネプスジードは威嚇いかくを目に込めて、少女をめつけた。


「俺は忙しい。何の用だ?」

「お時間は取らせません。魔王様より指令を受けまして、セルフィード様に随行ずいこうし、イルマ様を説得することになりました。そのため、外出の許可をいただきたいのです」


 なんだと、と反射的に口にしかけたが、飲み込む。彼女なりに言葉を選んで話していることに、気づいたからだった。

 イルマの件については、人間であり女性である彼女に協力を仰ぐのは悪くない案だと、ネプスジードも思う。しかしそれを理由に外へ出してしまえば、魔王は彼女が逃亡するために状況を利用するだろうというのも見えていた。


 魔王の力を完全覚醒させるには、半身である彼女の存在が邪魔だ。

 本来なら魔王が持つべき力を、彼女が半分も受け継いでしまったからだ。――と、ネプスジードは信じてきたのだけれど。


「貴様、人間の分際で魔王軍に協力するのか」

「それを言ったら、あなただって人間です。あなたが魔王軍についた理由をわたしは知りませんし、詮索するつもりもありません。ですが、同じようにわたしにも、この件に協力しようと決めた理由があるんです」


 ふと、腹部の辺りで組んだ、長手袋に隠された少女の指がかすかに震えていると気がついた。気丈に振る舞っているものの、恐怖心があるのだろう。本当は怯えているくせに、わざわざ正装に身を包み、たった一人で協力の意を申し入れに来たのか。

 ふいに、ずっと押し込めていた胸の傷がうずいたように思えた。彼女には勘づかれたくないと思い、思わず目を逸らす。


 どうせ手元にいても殺せないのなら、せいぜい役に立ってもらおうじゃないか。

 強引な理屈の自覚はあったが、そう考えれば気も治まる。

 逃げだすならそれでもいい。裏切り者だという天空人やウィルダウの器と合流したなら、今度こそ、魔王が何と言おうと殺す理由ができるのだし。


「ふん。そうまで言うのなら、行ってみろ。だが、もし我らを裏切る手引きをしようものなら……相応の制裁を覚悟しておけよ」


 アルテーシアはためらいなく頷き、答えた。


「ご理解を、感謝いたします。ネプスジード様。それでは、行って参ります」

「ああ」


 深紅のドレスを指先でつまんでうやうやしく礼をとり、引きさがっていった少女を見送るネプスジードの胸には、複雑な感情が渦を巻いている。

 物怖じせず、兄のために妹という立場を捨てる覚悟さえ見せた少女の姿勢は、彼の中にくすぶったままの罪を自覚させた。


 ――俺は、うらやんでいるのかもな。


 人外の存在に成り変わろうと妹を守る決意を捨てない魔王を。引き離されてなお兄を慕い、取り戻すことをあきらめないアルテーシアを。


 もしもあの時、同じほどの覚悟を貫くことができていたなら。

 今とは何かが変わっていただろうか。



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