[3-5]白龍の願いと神託


 五柱の神にはそれぞれ役割がある。冥海神めいかいしんは混沌を表す海洋の神であり、生死が関わる事象への権能を持ち、人に叡智えいちを授ける存在であると言われている。


 天空の地で『英雄の盟友』と敬われていたウィルダウが、冥海神と同一だなんて。びっくりしすぎて声も出ないが、確かにその前提で考えればいろいろ辻褄つじつまが合う。

 魔王を討つとき、天空神と冥海神は協力関係にあったのだろう。冥海神が人間へ『魔導まどうの知識』を授けたために、天空神は地所である浮島を地上から遠ざけたのかもしれない。


「ふうん、ちょうどいいじゃないか。アンタ、戦火神フィーサスの力でヤツの魂と本体まとめて滅ぼしておくれよ。そうすればルマーレを解放してやるよ?」


 琥珀こはくの両眼をギラギラと輝かせ、翠龍すいりゅうがデュークに詰め寄る。そこにフィーサスが割って入り、全身を膨らませて威嚇いかくした。


「ぷぎぃ! ぴきゅー!?」

「まあ待て、喧嘩するんじゃない。……よく見てみろ、奴は生身で来ているわけではなさそうだ」


 全体的に暗く青みがかった空間ではわかりにくいが、青年の足元には影がない。セスの姿をした冥海神ウィルダウはデュークの指摘にくくっと笑い、まっすぐ立って組んだ腕を解いた。


『おまえは変わらないな。いや、戦火神との関係は少し変わったか。察しの通り、私のふるい身体を媒介にして幻像を送っているのさ。私の器セステュなら、砂漠の国でまだ夢の中だろう』

「ウィルダウ様! あの、わたくしは天空神の巫女でレーチェルと申します。セステュ様の魂はご無事でいらっしゃるのでしょうか?」


 話題にのぼってしまえば黙っていられず、レーチェルは無礼を覚悟で問いの声を上げた。

 鋭い翡翠ひすい双眸そうぼうが値踏みするように自分を見て、すうっと細められてゆく。緊張に戦慄わななく心を手を当て抑えていると、ウィルダウが薄く微笑んだ。


『セステュの魂は白龍はくりゅうが保護したから、消滅はしていない。私もしばらくは傍観者でいるつもりだからね。各自が成すべきことを終えれば、間違いなく会えるだろうよ』

「よくわかんないけど、セスは無事ってことだよな? だったら今すぐ会わせろよ!」

「ちょっとシャル、冥海神様に対して失礼ですわよ!?」


 正直、シャルなら言うと思っていたのですぐ突っ込むことができた。不満そうに見てくる彼を睨みあげ、牽制けんせいしておく。翠龍と違い冥海神はのようだが、万が一にも言葉が過ぎて神罰がくだることがあってはいけないからだ。

 その想いが伝わったかはわからないが、シャルは素直に口をつぐみ引き下がった。冥海神が「保護されている、間違いなく会える」と確言してくれたのも大きいだろう。


「……つまり、この場には魔王もいるのか」


 デュークの発言は唐突のようだが、クォームとウィルダウの言葉を受けたものだ。こたえるように仕切り幕の手前あたりで空間が裂け、大鴉おおがらすを肩に乗せた魔王がその場に姿を現す。

 人の良さそうな青年の顔が、今は困惑しているように見えた。


「これは確かに、『人の世』の枠外に在る者たちの会談だね」

「よぉーし。こんな大ごとになるとは思ってなかったけど、なっちまったモンは仕方ねーぜ。とりあえず自己紹介……はいらないよな、今さら」

『時流の歪んだ場所に長く滞在するのはやめたほうがいい。すぐ本題に入ろうか』


 この状況は、クォームや魔王が意図したものではないようだ。

 ここへ連れてきた翠龍も、思惑通りにいかず不満の様子。唯一ウィルダウだけが、訳知り顔で作り笑いを浮かべている。


「りょーかい。どうも事態があんたの手のひらの上っぽくて面白くないけどさ」

『それは考えすぎだ。私は、異界の竜である君が翠龍を説得するためこの場所で魔王と会う可能性がある、と聞いて、先回りしただけさ』

「え、聞いたって誰に?」


 目を丸くしてクォームは聞き返し、魔王は肩の大鴉に一瞬、視線を向けた。上位竜族二人の狼狽ろうばいぶりをウィルダウは楽しげに観察し、それからデュークへ視線を向ける。


月虹神げっこうしん――白龍はくりゅうだ。狭間に飛ばされたセステュの魂から記憶を閲覧し、イルマを召喚したのが魔王軍ではないと知ったらしい。悪いことにならねばいいが、と心配している』

『なるほど。イルマは、時の狭間に封印されていたのだね?』


 ふいに魔王の肩にいた大鴉が喋ったので、レーチェルはぎょっとした。この声と口調には覚えがある。風の魔将軍セルフィードと名乗った、あの錬金術医師だ。ウィルダウと親友だったらしいから、魔王は彼が情報を流したのかと一瞬疑ったのだろう。

 イルマという名前も覚えている。災厄の魔女グラディスを救うために必要だとクォームが言った、『夢の子』の鍵。

 その人物は魔王が討たれたあと時の狭間に封印されていたが、誰かによって召喚されてしまい、魔王軍も行方を捜している――という話のようだ。


『封印というより白龍による保護に近いな。……しかし、運悪く何かの召喚に引っ掛かってしまったらしい。詳しく聞いて計算してみれば、おおよそ十五年は昔の話だと言う』

『十五年も人間の世界で育てられれば、自分を人間と思い込んでも仕方ないだろうね』


 会話の流れでレーチェルは勘違いに気づく。魔王軍は、イルマの居場所をすでに見つけていた。しかし人間側にいるから迂闊うかつに手を出せない、というわけか。

 世界を救う鍵だという人物を魔王軍に渡していいのだろうか。

 不安に思ったが、魔王や魔将軍の前でそう口にするわけにもいかず、レーチェルはクォームをそっとうかがい見た。銀竜の少年は話を聞きながら深い思考に沈んでいる。


「……話を整理していいか?」


 あえての話題切り替えを敢行したのは、やはりデュークだ。ウィルダウが視線を向け、口元だけで微笑む。


『もちろんだ。おまえたちに動いて欲しいからこそ、私はここへきたのだから』

「私も、おまえの思惑おもわくには興味がある。……が、最優先はルマーレの救済だ。支配を解けとまでは言わないが、魔王よ。議会堂の封鎖と評議員および参詣者たちの石化を解くよう、翠龍を説得してくれ」


 物静かに話を聞いていた魔王が、デュークの提言に頷き、翠龍を見る。


「今の魔王は人間のせいを経てここにいる。翠龍、あなたの気持ちを理解していないわけではないけど、今の僕は人間たちとも仲良くやっていきたいと思ってるんだよ」

「……ああ、もう、腹立たしいわ。アタシがアンタの願いを断れるわけないよ。本神殿ここにある玄龍の身体も抜け殻だって言うなら、結界を続ける意味もないしね」


 素直に、ではないが、翠龍は渋々それを了承した。隣のシャルが一気に脱力したのがわかる。家族が無事に帰ってこれるのだから、当然だろう。

 デュークも表情を和らげ、頷いた。


「……ひとまず、これによって私たちの目的は達成だ。で、ウィルダウ。……私たちに、何をさせるつもりだ?」

「きゅー、ぷぷぅ、ぴきゅー!」


 翠龍もそうだったが、ウィルダウもフィーサスの謎言語が理解できるようだ。会話に混じる戦火神フィーサスを薄く笑いながら眺めていた冥海神は、視線を巡らせ魔王を見る。


『イルマの居場所は突き止めたようだが、連れ戻す準備はできているのか?』

「妹が協力してくれるから、セルフィードと一緒に行ってもらうつもりだよ。妹は人間だし、伝承についても竜族についても知識があるから、穏やかに話ができると思う」

『なるほど。しかし白龍によれば、イルマは魔導によって使されているらしい。はたして、セルフィードだけで彼女を守り切れるかな?』


 え、と魔王が声を漏らし、大鴉が首を傾げた。ウィルダウは視線を巡らせ、難しい顔でやり取りを見守るクォームに目を向けた。


『私が代弁してもいいが、君ならあの場所を開くことができるんじゃないか?』

「あの場所? ん? あ、あー、そういうことか!」


 何の話かと、誰かが聞き返すまでもなかった。クォームが短い詠唱をはじめ、発動した魔法に呼応して空間がゆらりと断裂する。

 縦にぱっくりと割れた裂け目の向こうは、真っ白。深すぎる濃霧か敷き詰められた真綿にも見えるそこから何かが抜けだした。意味がわからず、あるいはわかった上で見守る一同の前に、ふんわりと舞い降りる。


 白い前合わせの上衣と、緋袴ひばかまと呼ばれる深紅の下衣。極東の巫女衣装をまとった裸足はだしの少女が、そこに浮かんでいた。

 白銀の髪は細くまっすぐで、房にわけられ金糸と朱糸の組紐が飾られている。眠たげに半分伏せられた空色の目は、目尻に紅が差してあるため鋭い印象だ。跳ねたような毛束はよく見れば白い狐耳。背後に白毛のふさふさした尻尾も揺れている。

 どこか既視感を感じ無意識に視線を巡らせたレーチェルは、デュークの肩の上で跳ねているフィーサスを見てすとんとに落ちた。炎を何一つ感じさせないあの白毛玉姿は、ものすごくデフォルメしてあるものの、白龍の形をしていたのだ。


「白龍さまは、今、お怒りであるぞ」


 極東の巫女姿をした月虹神――白龍が、口を開いてそう言った。

 鈴の音を思わせる綺麗な声に込められた怒気を感じ、レーチェルの全身に緊張が走る。クォームがすっと近づいて声をかけた。


「そう言うなって。オレもやっと、予言と記憶がつながってきたんだから」

「むぅ。約束の竜ヴォイスドラゴンがそういうのならば致し方なし、だが」


 白龍は細い眉をさげ、唇をへの字に引き結んで目を伏せた。ほっそりとした手を胸の前で組み合わせて少し考える仕草をしたあと、顔を上げる。


「まずは玄龍クロだが……、もうセステュとは仲直りしたようだし、成すべきことはわかっているようだから、省略」

『はは、そもそも喧嘩などしていないがな』

「屁理屈はいい。人間に混じって遊んでばかりいないで、ちゃんと仕事をしろ」


 お怒りだ、と言いながらも、白龍の口調に棘は感じられない。不安なのか畏敬いけいなのか感動なのかわからない感情がレーチェルの胸に渦巻いて、泣きたくなるのを必死でこらえる。

 今ここには、天龍以外の神が集っているのだ。願わくば天龍もここにいてくれたら……意味のないだと自覚しつつも、そう思わずにはいられなかった。

 白龍が空色の双眸そうぼうを瞬かせ、今度はデュークとフィーサスを見る。


朱龍アケは、いい加減に身体を取り戻して。導きなき戦いはただの虐殺。人には、神託が必要なの」

「ぷきゅ、ふしゅぅぅ」

「わかってる。呪いがある限り、狭間の本体は使えない。でも、あれからもう五百年だもの。らえば、今の身体だって龍に変じるはず」


 原初の炎。クォームがフィオを造るのに用いた魔法力と一緒だろうか。もしそうなら、どこにいけばいいのかクォームなら知っているのだろうけど。

 ぼうっとレーチェルが考え込む間にも、白龍の言葉は続いてゆく。


翠龍アオ魔王ルウの足を引っ張らないで。魔王ルウ、今のイルマはセステュじゃないと取り戻せないの。玄龍クロは傍観モードだから悪いことはしない。あなたが思うとおりで、大丈夫だよ」

「わかった。翠龍には、僕からきちんと話をするよ。ルシアをイルマのいる場所へ遣わせば、セス君に合流できるんだね」


 こく、と頷き、白龍は最後にレーチェルとシャルを見た。緊張で倒れそうになり、思わずシャルの上着の裾をつかむ。

 白狐に似た姿の神様はしばらく二人を観察していたが、目元を和ませ、口を開いた。


「勇気ある人の子たち。あなたたちなら……イケると思うから、お願い。天龍ソラ……天空神を叩き起こして」

「月虹神様より神託を賜るなど恐悦至極、って、え? 天龍様を叩き起こす!?」

「神のくせに傷心で引きこもるなど笑止千万なのだ。目を閉ざしているうちはいつまでも夜だけど、天空神が希望ひかりをあきらめるなんてふざけるな、なのである。いいからさっさと起きて働け、って、伝えて」

「は、はい……かしこまりました」


 言われたことは理解できたが、心に受け入れられるまでは時間がかかりそうだ。それでも白龍は、レーチェルの返答を聞いて優しく微笑む。


「わたしは、狭間ここの管理があるから現実世界に干渉できない。ほんとは現世に出ることも、人と言葉を交わすこともできなかったんだけど、……約束の竜ヴォイスドラゴンが来てくれたから」

「ああ。約束の竜ヴォイスドラゴンの名にかけて、オレ様が必ず世界を救ってやる。ありがとな、白龍」

「こちらこそ。わたしは、よい知らせを狭間ここで待ってる」


 クォームとの会話を最後に、白い少女の姿が空間の裂け目とともに消える。みな余韻を感じているのか、言葉を発する者はいなかった。


 白龍の神託により謎も増えたが、成すべきことがはっきりした。天空神にまみえる正当な理由を与えられたのだ。不安もあるが、嬉しさと高揚感が上回る。

 あの美しい天空の地を見ればきっと、自然を愛するシャルにも天龍の素晴らしさが伝わるに違いない。

 その時を想像すれば、レーチェルの胸は今から期待で高鳴るのだった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る