[3-4]深淵へ降る冥海神殿


 ルマーレの中央神殿に本神殿への転移門ゲートが隠されているのでは、というクォームの予想は当たっていたようだ。

 気乗りしない様子の翠龍すいりゅうに案内されたのは、冥海神めいかいしんの中央神殿。中へ踏み込んだ五人と一匹(正確には一柱)は、目にした光景に絶句して立ちすくむ。


 門と柱廊の先は石畳の広い庭になっていて、石像が不規則に立ち並んでいた。一瞬、我が目を疑ったレーチェルだったが、それが参詣さんけいに来ていた人々だと気づき、一気に腰が砕けた。シャルが驚いて支えようとしてくれたが、立ちあがれそうにない。

 障壁で仕切られた向こう側に礼拝堂と聖堂があり、そこに辿り着くには石にされた人々の間を通り抜けていくことになる。怒りなのか、恐怖なのか、嫌悪なのかわからない感情が胸にあふれて、翠龍の姿を直視できない。


「……おい、何のつもりだよ、これ」

「要するににえさね。ああ、でも殺しちゃいないよ? 信仰心の強い者が持つ魂の力をちょいと使わせてもらってるだけで、事が済んだら返してやるつもりさ」

「そのはいつ済むんだよ」

「どうかねぇ。ま、百年は掛からないだろ」


 人の血肉、または生命力を魔法維持の資源リソースにするやり方は、魔導の一種だ。天空神は魔導をいとい、天空魔法を与え魔導を禁じたという。とはいえ、魔導が冥海神ウィルダウによって人にもたらされた技術なら、神々には元からそういう能力があるのだろう。

 百年、などと軽く言うが、神々や人外と人間の百年には比較できないほど大きな差異がある。何より、真摯しんしな信仰心をもてあそぶ翠龍の所業は、巫女として神官として許せるものではなかった。


「翠龍様、彼らは仕える神は違えども、敬虔な信徒ではありませんか。善良な人々をにえにするなんて非道を、神である貴方様がもたらすとは! 最低です!」

「え、あれって国の人なのか!? まさか評議員も?」


 震える膝をつかみながら立ちあがり、全気力を振り絞って翠龍を糾弾きゅうだんする。レーチェルの発言で事態を理解したシャルが、悲痛な予想に声を上げた。

 彼には「神々は人の味方」と教えたばかりだというのに、こんな現実を見せてしまって申し訳がたたない。


「評議員たちは議会堂の椅子で仲良く石像になってるよ? あの子らには、結界維持の燃料になってもらってるんだ」

「マジかよ、最低じゃん!」


 神たるものを罵倒ばとうするなど言語道断ではあるけれど、翠龍はいきどおるわけでも悪怯わるびれるわけでもなく、絶世の美女の顔ですごむように微笑む。


「まぁね。アタシは元より、森と大地、鳥と獣、エルフと魔獣を愛する神さ。大地を焼いて魔獣を駆逐くちくし国を築いて、我が物顔で居座る人間たちなんか、どうなろうと知ったことじゃないね」


 本音なのか挑発なのか判断つかないことを言う。怒りが喉元を駆けあがり、鼻腔びくうの奥がツンと痛んだ。

 涙があふれそうになるのをこらえ、言い返そうとした寸前。真白い毛玉が勢いよく飛んで翠龍のあご付近に激突し、跳ねあがる。


「痛ッ!? 痛くないけど痛いじゃない! 何するのさ、フィーサス!」

「ぷきゅーっ、きゅききゅぴー! ぴぴゅきぃぎゅー!?」

「非道悪行許すまじ、正義は我にあり、燃やしてやろうか、……だそうだ」


 豊穣神あちらも過激だが戦火神こちらも負けてはいなかった。フィーサスだけでなく、デュークもやる気なのには困ってしまい、行き場を失った怒りが崩れて溶けてゆく。

 さすがの翠龍もこれは冗談で済ませる事はできなかったのだろう、引きつった笑みを浮かべて手を挙げた。


「だからアタシは元から魔王側なんだって! でも、うん、まあ、魔王が人間と和解したがってるのは把握してるさ。だから、取り引きしようじゃないか」

「魔王が解放しろって言ってんのに取り引きも何もあるかよ」


 不機嫌そうなクォームに言い返されても、翠龍は意味深な微笑みを崩さずに顎をしゃくって答えた。


「とにかく今はここを素通りして、本神殿へ行こうってことだ。アタシの要求はアンタたち、っていうか戦火神フィーサスとその守護騎士サンにとっては利になる話だと思うよ?」




  ☆ ★ ☆




 転移門ゲートというのは、空間を歪めて離れた場所と場所をつなぐ、大掛かりな魔法的仕掛けだ。膨大な魔法力を必要とするため、上位竜族のクォームであっても手軽に設置開閉することはできない。

 その燃料リソースを得るために参詣者を石にした、という理論は理解したくもないが、効率的なのも間違いなかった。


 礼拝堂より奥まった場所にある聖堂には、大神官しか入れない神聖な領域――聖所がある。転移門ゲートがあるのは聖所らしく、翠龍が一緒とはいえ、冥海神の信徒でもない自分たちがぞろぞろと踏み込んでいくことにレーチェルの胸は痛んだ。

 仕切り幕の奥、香炉の前にひざまずいた姿勢で石化している大神官らしき人物を見つけ、ついに涙腺が決壊してしまう。


「うう、……ひどすぎですわ」

「超同意。つまり邪神だろ、討伐待ったなしだろ!」

「キィキィ!」


 非難も抗議もどこ吹く風、の豊穣神にはいきどおりを通り越してむなしさしかなかったが、せめて自分の仕える神でなかったことを喜ぼう、と思い直す。

 シャルが手を伸ばし、手のひらをつかんでぐいと引き寄せてくれた。普段なら振り払ったかもしれないが、今はそれをほんの少しだけれど心強く感じる。フィーサスも怒っているようで、戦火神は味方だという確証も嬉しかった。


 心を鬼にして辿り着いた聖所には、幻光でできた小型の門があった。天空人が使う見慣れたものなので、きっと神殿が建てられた昔に設置されたものだろう。

 常時稼働しているというのは考えにくいので、翠龍が稼働させたのだろうけど――。


「冥海神の本神殿はこの向こうさ。ただ、今は大潮おおしおじゃないから本神殿は海に沈んでるよ。対策をしっかりしていくことだね」

「そこは大丈夫、オレ様に任せろ、だぜー」


 クォームの声もいつもより元気がない。すそをつかんでぴったり寄り添うフィオをなでつつ、転移門ゲートの前に立って短く詠唱する。どうやら、水避けと空間確保のようだ。

 魔法を終えて振り返り見たブルーの両目には、猫のような鋭さがあった。


「邪神相手に落ち込んでても、仕方ねーから、いくぜ」

「……はい」


 そうだ。目の前でほくそ笑んでいる鳥に似た姿の神は、邪神なのだ。自分たちの側には白くて愛らしい神の化身と、人間の姿をした上位竜族がついている。かれらの助力があれば邪神の企みなんて粉砕できるに違いないのだ。

 無理やりでもそう考えれば、気持ちが少し楽になった。事実がどうかはこの際、考えないことにする。今は精神メンタルを保つほうを大事にしようと決める。


 転移門ゲートをくぐり抜けると、魔法的な青い光に満たされた空間に出た。見回せば柱廊ちゅうろうに囲まれた狭い庭で、中央に地下階段の入り口がある。

 神殿の建材は黒曜石こくようせきらしく、柱も床も階段も黒々としていて、見つめていると呑まれそうな錯覚を覚えた。

 もしもここが深海だったら、恐怖心に勝てなかっただろう。


 頭上は明るく、見あげれば透明な膜の向こう側は海で、水深は浅い。銀の鱗で光を照り返しながら魚の群れが通り過ぎてゆく。

 大潮のとき以外は海中にぼっしている神殿だ。今はクォームの空間魔法によって空気が確保され、水圧が軽減されているのだろうけど、本来なら普通人が地下階段を降りていくのは難しい。


玄龍げんりゅうのカラダは奥深い場所にあるよ。って、アンタなら知ってるだろうね、朱龍しゅりゅう守護騎士パラディン

「むずがゆい呼び方をするな。勿体もったいぶってないで、さっさと取り引きの話をしたらどうだ?」

「つくづく人間って可愛くないわ」


 デュークに素気すげなくあしらわれ、翠龍はやれやれとでも言いたげにため息をつくと、腰に手を当て唇を弧型につりあげる。


「簡単なことさ。玄龍が復活できないよう、本体をぶっ壊して欲しいんだ。神の力で別の神を殺すことはできないからねぇ……だから朱龍フィーサスはアンタを選んで、玄龍を封印させたんだろ?」

「……残念だが、そんなことをしても玄龍ウィルダウの復活は阻止できない。奴はすでに新たな身体を得ているからな」

「どういうことだい?」


 怪訝けげんそうに問い返す翠龍へ、フィーサスがキュイキュイ鳴きながら手を振り尾を振り説明を始めた。

 ただの鳴き声にしか聞こえないが、翠龍には通じているのだろう。だんだんと寄っていく眉が、彼女にとって望ましくない話だということを示している。


「……ひとまず、神殿の中へ降りるか。事情は移動しながら話そう」

「え、階段の下って水溜まってそうだけど、大丈夫なのかよ」

「結界はオレ自身を中心にして円形に広がってるから、大丈夫ー。オレも回収したいモノがあるから、降りるの賛成」


 デュークの提案にシャルが不安を述べ、クォームが請け合う。そうしてまたぞろぞろと、地下階段を降りてゆく。

 青い魔法光が辺りを淡く照らしだし、海水特有のベタつく冷気が肌にまとわりついた。呼吸するための空気は確保されているのに、海水の中を歩いているような不思議な感覚だ。

 ゆるやかな螺旋らせんを描く階段の先は闇に沈んでおり、何も見えない。深淵しんえんいざなう道は、冥界めいかいまで続いているのではと錯覚するほど暗く冷たかった。

 ぽつりぽつりと落ちるデュークの声だけが、底の知れぬ空間へ反響して闇に溶けてゆく。


「……そもそも、私が知っている事情は大半がフィーサスに聞いたことだから、全て真実かはわからんのだが」


 キュウキュウとフィーサスが抗議するのを聞き流し、デュークは淡々と話を続ける。


「冥海神は、を目指していたらしい。天空神が天空魔法を人に与え、冥海神が魔導を人に教えたのを見れば、信憑しんぴょう性は高いかもな。しかし戦火神フィーサスは、魔導が人の手に余るもので悪用されれば世界のパワーバランスが崩れる、と懸念けねんしたわけだ」


 過ぎた力は争いを加速させ、悲劇の手段を増してしまう。戦争と娯楽の神である戦火神は、人間が悲惨な方向へ道を誤るのではないかと危惧きぐしたのに違いない。

 止めるために選んだ手段は天空神と違えども、心境は近かったのではないだろうか。


「神様に神様は殺せないから、『デュークよ貴様は我が剣になれ』ってこと?」

「……シャル、おまえ、冒険小説なんて読むんだな。……まあ、平たく言えばそんなところだ。ただ、殺す目的ではなく、もう人間へ干渉できないよう身体と魂を切り離し、魂だけを一定期間封印するつもりだった」

「そーなんだよね。アタシが力を取り戻して、いざぶっ殺してやろう、って動きだした時には、封印されてたんだから。口惜しいわ」


 レーチェルとしては続きを聞きたいような聞きたくないような、複雑な気分だ。デュークの話は五百年前に起きた過去の出来事だが、目の前で話されているせいか、ごく最近のように思えてしまう。

 天空神とウィルダウ――冥海神は盟友だったという。であれば、天空人のレーチェルとしては冥海神の言い分を聞いてみたい気がする。

 崩れゆく城で仔狼を救おうと、セスはウィルダウに身体を明け渡したのだ。今、セスは――ウィルダウは、どんな状況にあるのだろう。


「封印の件だが。奴は冥海神の権能で『仮の身体』に魂を憑依ひょういさせ、人間として活動していてな。魔導士協会を利用しその術を後世に伝えていたんだ。戦火神の本体からだを巻き込んで時の狭間へ逃れることは、奴が仕組んだ筋書き通りだったのではないか、と今は思っている。だから私もフィーサスも、封印は失敗したと考えているのさ」

「ぷきゅ、ぴぎゅー」


 同意を示すようなフィーサスの声を締めに、デュークの話が終わる。気づけは足音の反響音が変化しており、階段の終わりが近いようだ。

 長かった地下階段をようやく降り切ると、そこは広い空間になっていた。祭壇さいだん燭台しょくだいといった神事に使われる設備は一切なく、聖画イコンも聖像も飾られてはいない。他人の私室に踏み込んだような気まずさを感じ、足がすくむ。

 クォームはためらわずに奥までまっすぐ進み、仕切り幕の前で立ち止まった。こちらを見るでもなく、言葉が紡がれてゆく。


「思った通り、翠龍サマはわからず屋だったぜ。仕切り直しだ、魔王。そして――、ウィルダウ」


 呼び掛けに答えるように、部屋全体の明るさが増してゆく。青い光が白色に変わり、部屋の奥にえられた黒曜石の像を照らしだした。

 身体を丸めうずくまる龍の像と、その側にたたずむ見慣れた姿の人間。銀に流れる長髪、切れ長な翡翠ひすいの目。魔王と酷似した姿ながらも一目で別人とわかる。セスの身体だが、今の自我はウィルダウであろう青年が、龍の像に寄り掛かるようにして立っていた。


は世話になったね、約束の竜ヴォイスドラゴン。ようこそ、我がしとねへ。神々と異界の竜、そして魔王が集う会談の場を設けてくれたことに、私は感謝しているよ』


 


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