[3-3]フィーサスの正体


 レーチェルは、天空神が人の姿をとったのを見たことはない。彼女が産まれた十七年前には、すでに天空神は本神殿の奥深くで眠りについており、神官長である父が神託を受けて民に伝えるというり方だった。

 父が倒れた今、その役目を引き継いだのはレーチェルの婚約者で、地上へ降りるという使命も彼が受けた神託による。


 天空の地にいた頃は、いつか天龍が眠りから覚め、自分たちの前に姿を現してくれることを待ち望んでいたように思う。神殿には飾られた聖画イコンと聖像があるものの、レーチェル自身は神のを聞いたことがなかったからだ。

 写し取られたイメージだけでなく実体を見て声を聞くことができたなら、いっそう信仰心が深まるだろうと思っていたのだけれど。

 現実に実体化した『神様』を目にした今、想像していたほど感動していない自分にレーチェルは少し驚いている。


「……力を示せ、と。神々というものは相変わらず傲慢ごうまんで、身勝手だな。まあ、そちらのルールだというのなら、人たる私たちは従うしかないが」


 意外にも抵抗なく応じたデュークが、一度は仕舞った大刀を再び引き抜いた。クォームが呆れたように頭を振ると、フィオの手を引いて後方へと下がる。

 よくわからないと言いたげな顔でシャルは一連を眺めていたが、レーチェルの前から動こうとはしなかった。彼なりにかばってくれるつもりかもしれない。

 翠龍すいりゅうはこちら側の反応を見て満足げに目を細め、背の大きな翼を広げた。


「神様なんて言ったって、所詮ただの中間管理職だからねぇ。いいじゃないか、何もって言うんじゃないし」


 挑発的に微笑む、翼持つ美女。その言い方に含みがあるのは明らかだった。

 過去に魔王を討った天空人てんくうびとの系譜としては反駁はんばくできる立場でもないが、レーチェルにだって言い分はある。


「翠龍様。わたくしたちはこのたび、争いに来たわけではありません。翠龍様としても、現魔王軍が人間の国家と敵対することは望んでおられないでしょう? わたくしたち天空人が過去に行なった所業が許せぬと仰られるなら、わたくしが――」

「レーチェル、……ここは私に任せろ。翠龍が求めているのは、過去の清算とか大仰なものではないさ。ただ、退屈を紛らわせたいんだろう」


 神罰を受けても仕方ない、と思っていたレーチェルだが、デュークに言われて口をつぐんだ。五百年を生きてきたという彼のことだ、何か考えがあるのだろう。それにやはり普通人であるシャルを守るのは自分にしかできないと思い直す。


「わかりました。わたくしは、シャルやフィオを守りつつ後方からの支援に徹しますわ」

「いや、支援もいらない。翠龍の相手なら私一人で十分だ」

「ふうん? 舐められたものだね。アンタがいいなら、そうしようか」


 にやりと口角を上げるデューク、あっさり挑発に乗る翠龍。困惑してついクォームを振り返り見れば、銀竜の少年は呆れ顔のままでレーチェルを手招きしていた。意をんで食い下がるのをやめたものの、不安は残る。

 レーチェルが後方に退くと、翠龍は右手を掲げて歌うように詠唱しながら翼を羽ばたかせた。きらめくみどり色の羽毛が舞い、空中で崩れ溶けて景色を塗り替えてゆく。

 議会堂の芝生が大草原に、建物に囲まれた空間が雲ひとつない青空に。景色だけでなく、翠龍自身も瞬く間に姿を変えていた。


 その名にふさわしく、翡翠ひすいの鱗が覆う蛇のように長い巨躯きょく。しかし蛇とは違って、短いながら鋭い爪の生えた前脚と後脚がある。

 長い首の付け根あたりに二対の大きな羽翼、尾の付け根あたりに一対の小さい羽翼。どちらも輝く深緑色だ。

 琥珀こはくのような金色の瞳がデュークを見、龍の頭が顎門あぎとを開く。

 発せられるは心話に近い響きの声。


『アタシを地面に落としてごらん。そうしたら、一撃くれたとみなしてあげるよ』

領域フィールドを変えたということは、手加減不要という意味か。……フッ、そっちこそ、舐めてかかると痛い目を見るぞ」


 挑発なのか本気なのか。デュークがわかりにくいのは今さらだが、安心して見ていられるわけもない。万が一のことを考えて全員を覆う守護障壁を展開する。クォームが隣に来て魔法を重ね、強化と維持をサポートしてくれた。

 翠龍がゆっくり翼を動かせば、渦巻く風刃が竜巻のような形で顕現けんげんした。まともに食らえば全身を切り刻まれかねない攻撃的な魔法だが、デュークは動じていない。


「〈暴威を孕みし風の壁よVarsosmos-Roun-WithHash我が身を覆いMer-Roun迫りくる風刃を退けよVher-Sylpherthreut-Kefel〉」


 すかさず風魔法による壁を展開し、叩きつけられた竜巻を弾き散らす。暴風の余波が障壁にぶつかり、青いきらめきを残して消えていった。クォームの補佐サポートがあるからかキメラ戦より負担は少なく、レーチェルは安堵あんどの息をつく。

 翠龍のほうはといえば、思わぬ魔法を見せつけられて驚愕きょうがくしているようだった。


『アンタ、原初の魔法を使うって?』

「落とせばいいんだったな」


 肯定も否定もしないまま楽しげにそう返し、デュークは大刀を構える。発する詠唱は、いつもの。


「〈破壊の炎龍よ、我が剣にVarsick-FirElle-Latreu〉――さぁ、いけッ!!」


 紅蓮ぐれんに燃える剣身から炎が立ちあがり、龍の形を取った。炎龍は生き物のように火の粉をきながら空へ向かい、翠龍の羽翼に食らいつく。

 意外なことに、神様の翼といっても物質的な存在であったらしい。一瞬で火だるまになった翠龍が悲鳴のような咆哮ほうこうをあげて草原へ落下した。大火災が広がるかと思わず構えたレーチェルだったが、草原が見る間に湖へ変じたのでほっと胸を撫でおろす。

 火消しのためか、ザバザバと水飛沫みずしぶきをあげてのたうっていた翠龍は、しばらくすると静かになった。誰もが絶句して見守る中、巨躯きょくが淡く輝いて収縮し、焼け焦げた翼を引きずった美女が湖から上がってくる。


「私の、勝ちだな」

「ぷきゅ、きゅぃぃい!」

「アンタねぇ……いったい何だっていうのさ。確かに、森の神にとって破壊の炎は天敵だけ、ど……? んん!?」


 勝利宣言をするかのように、デュークの頭上でフィーサスが全身を膨らませて得意げに鳴いていた。それを翠龍は数秒ほど凝視し、大きく目を見開いて叫んだ。


「嘘、ちょっと、アンタ何やってるのよ……フィーサス!」

「ふしゅぅぅ、ぴきゅきぃ、ぷぷー!」

「ええ!? でもソレって白龍の、え、じゃ、この男って」

「ぷーぷー」


 何を言っているのか全くわからない。シャルはもちろんのこと、クォームやフィオも唖然あぜんとしたまま、謎の盛り上がりを見せる彼女らを眺めていた。

 ひとしきり意味のわからない会話を弾ませたあとで、翠龍がようやくこちらを見る。


「全くぅ。フィーサスがいるならさ、こんなまどろっこしい真似なんてしなかったのに。改めて、ようこそ。歓迎する気分にはなれないけど、約束の通りに話を聞いてやるよ」




  ☆ ★ ☆




 神秘というものは秘匿ひとくされることで神々しさを増すものかもしれない。


 大草原から元の議会堂へ――神威による聖域作成サンクチュアリの魔法だろう――景色も戻り、翠龍は焼け焦げた羽毛を振り落として翼を畳むと、眉を上げデュークを睨みつけた。

 いかにも人らしい彼女の言動を見ていれば、神様ってなんなのだろうと困惑が湧いてくる。神話的存在である上位竜族のクォームも話してみれば普通の少年ぽいので、今さらと言えばそうなのだが。


「あの、翠龍サマはフィーサスと知り合いなのですか?」


 態度はおずおずとしているものの、恐れ知らずな質問を向けたのは、フィオだ。シャルはいつも通り空気に徹しているし、デュークは素知らぬ顔。頭上のフィーサスは今も得意げに尻尾を立てている。

 翠龍はデュークを見、フィーサスを見て、クォームを見た。

 話していいのかと問いたいのはわかったが、この場合は答えられそうなのがデュークしかいない。フィーサスがつぶらな瞳をキリリとつりあげ、相棒の頭を尻尾でテシテシと叩いた。よくわからないが、話せという意味だろうか。


「……ん、そうだな……。どうせなら、セスやルシアと合流してから話したかったんだが」

「お二人に関係あることですの?」

「……いや、説明が、面倒くさい」

「横着するなー!」


 今後の関わる重要な進展かと思ったのに、出てきたのはしょうもない理由だ。傍観モードに徹していたシャルが、スイッチでも入ったのか声をあげる。

 にやにやと眺めていた翠龍が、横から口を挟んだ。


「アタシが話してやろうか?」

「ぷき、ぴきゅー!?」

「わかったわかった、ちゃんと話すから、暴れるんじゃない」


 一体どんな真相が語られるのかと固唾かたずをのんで見守る四人を見回し、デュークは重い口を開く。


「実は…………フィーサスは、御神体ほんたいから弾きだされた朱龍しゅりゅう、……戦火神せんかしんなんだ。私の扱う原初の魔法が高威力なのは、コイツの加護のおかげ、ということになるな」

「ぷっきゅっきゅー!」


 短い手をパタパタ動かして、得意げに胸をそらせる白毛玉の謎生物。その正体が、神様の魂――だという。あまりの事実に、レーチェルは思考が完全に停止した。少し遅れて隣のシャルが「ええぇー!?」と悲鳴のような声を上げる。

 あの馬鹿げた威力の炎魔法はともかく、なぜ風の精霊っぽいのかとか、白くてモコモコした身体のどこに炎要素があるのかとか、何もかもが納得いかなくて。


 やはり神秘とは秘匿されるべきであり、実体を見て声を聞いてしまったら、明らかになった実態により尊さが薄れゆくものなのだと。

 跳ねる白毛玉を見つめながら、レーチェルは思い知ったのだった。





 意識と記憶を閉ざしてしまいたかったが、今後のことを考えればそうもいかない。デュークの話は続いている。


「私の生前……というか人間だった頃、世界に満ちた魔法力は今より濃くて、私のように魔法の素質に恵まれた人間も多くいた。私は神官でも法術師でもないが、たまたまコイツ、実体化してフラフラしていた戦火神フィーサスに出逢って懐かれてな」


 自分の背景に関する細かな話はざっくり省くつもりらしい。デュークらしいといえばそうだが、今は伝える必要がないという判断でもあるのだろう。


「魔王が討たれ、魔導士協会が軌道に乗りはじめていた時期だ。朱龍……フィーサスは、協会の創立者であるウィルダウを討てる人物を探して私に目をつけ……いや私を導き加護を与えた。私は導かれるままに奴と対決したが、反撃を受けて呪われてしまい、フィーサスも本体に戻れなくなったというわけだ」

「なーるほど。で、そのナリ見るに、フィーサスってば本体を『時の狭間』に飛ばされたってところかね。でもそういうことなら、玄龍げんりゅうの封印は無事に施せたんだろ?」


 つまみすぎなデュークの説明も翠龍には理解が及ぶものなのだろう。情報の整理も追いつかぬまま、翠龍が爆弾発言を重ねた。クォームが「え」と声を漏らす。


 デュークが以前に話していた「悪いやつ」とは、ウィルダウのことだったらしい。なるほど「高潔な人物ではない」と言い切るわけだ。

 討伐が戦火神による導きというのも理解できる。「魔王討伐にくみした」からか「人間に魔導をさずけた」からか、どちらにしても、神の見地けんち看過かんかできぬと判断したからだろう。

 しかし、その討伐が「玄龍の封印」ということは、つまり――?


「ウィルダウ様が、冥海神めいかいしん様、ということなのですか?」


 感情は追いついていないが、理性が不思議なほど状況を理解し納得していた。

 五柱ある神々のうち、天空神と冥海神が手を組み魔王を討つよう人に仕向けた。戦火神は冥海神にとが見出みいだしデュークの手による封印を試みて、豊穣神は魔王を復活させるため動いた、ということか。

 本当にこの世界の神様は、皆バラバラの思惑で動いているのだ。

 ふいにひどくむなしくなって、膝から力が抜ける。シャルが咄嗟とっさに支えてくれたが、立っているのは難しかった。デュークが困り顔で愛剣を納め、口を開く。


「……とにかく、今の目的はルマーレの救済だ。翠龍、私たちを冥海神の本神殿へ案内してくれないか。玄龍の封印にした顛末てんまつについては、そこで話そうと思う」




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