[3-2]議会堂への突入
議会堂は首都の中心区画にあるが、市街地の近隣ではない。災害が起きたときなどの避難場所として小高い所に建設されており、
堀に掛かった橋を渡ると外門に行けるが、今は固く閉じられており、橋のたもとに黒い巨大な怪物がいる。
「アレが……キメラ?」
視力に優れたシャルはこの距離からでも怪物の姿が見えているようだ。レーチェルの目には、全体が黒ずんだ巨大合成獣の頭と尾をかろうじて判別できる程度。
「街に混乱を起こすのは本意ではないからな……。クォーム、目くらましを頼む」
「おーぅ!」
銀竜の少年が青い目を怪物のほうへと向けた。細い腕を差し伸べ歌うように紡がれる言葉は、レーチェルたちが扱う天空魔法にどこか似ている。
「ここに在り、ここで起こる、いっさいの事象を。人の子らよ、おまえたちは目にしない。影の司竜の権能により命ず――……きたれ〈
伸ばされた指先から銀の光がきらめき、クォームの全身を覆って姿を変化させる。純銀の輝きを放つ直立竜を起点とし、透明な闇のとばりが橋から外門までを包み込んだ。
デュークがレーチェルを
「……短期決着を目指すため、加減はしない。援護は頼んだぞ」
「街への飛び火はともかく……議会堂を燃やしたりはしないでくださいませね?」
強敵なのだろうけど、適度な加減はして欲しい。議会堂も橋も石造りで可燃物ではないが、神殿を内包しているなら神聖な領域だ。ルマーレの人々の反感を買うようなことになったら、アメリアが気の毒だ。
シャルもそうだが、デュークにも信仰する神はないという。幼少時より信心深い家庭で育ち天龍の教えを大切にしていたレーチェルにとって、信仰心を持たない生活は想像もつかない。だが、そういう在り方も尊重すべきというのは理解できている。
無信仰の彼らにも同じように、信者の想いを尊重して欲しいと思うのだけれど。
デュークは無言で笑みを返し、片刃剣を抜いて橋の上を駆けだした。彼の愛剣は、魔法を扱う際の触媒的な役割があるらしい。
侵入者に気づいたキメラがこちらを向き、赤い四つの光――
「〈
デュークの詠唱は短く、彼は右手に
黒い獅子が腹の底まで震わすような
睨み合う――のではなく別の呪文を紡いでいるようだ。距離も遠ざかり、怪物の
その後に起きることを察し、レーチェルは天空神へ祈りを込めて守護障壁を展開した。自分とシャルを守るために一つ、キメラの後ろに
直後、飛び掛かった怪物の身体を真正面からデュークの大刀が両断し、遅れて爆発のような火柱が上がる。
障壁を圧迫する炎魔力に当てられて全身が熱くなり、額に汗がにじんだ。シャルが心配そうに見ているのはわかったが、応じる余裕もない。
魔法による炎は黒い
衝撃的な光景にフィオは目を丸くしてクォームにしがみついているし、シャルは物言いたげに何度もレーチェルを見てくる。やはり、加減はするよう要求するべきだった。
議会堂に押し寄せる火勢を必死の思いで押しとどめていると、キメラを消し炭にした炎が勢いを弱め始めた。やっと余裕がうまれ、同時に怒りの感情がふつふつと湧きあがる。
デュークに魔法の扱い方について説教してやりたかったが、レーチェルは自制した。
真に警戒すべきはキメラなどではない。議会堂の中にいるという、豊穣神なのだから。
隔壁だろうと建物の壁だろうと、向こう側へ抜けるくらいなら何の準備もいらないと言って、銀竜の姿を維持したままクォームは空間を断裂させ抜け道を開いてくれた。
銀の粒子に覆われた裂け目の向こうに、議会堂の中庭が見えている。扉とも穴とも言えない奇妙な隙間を、デューク、レーチェル、シャル、フィオの順で抜け、最後にクォームが滑り込んで空間が閉じる。
「議会堂会議棟があの建物ってことは、こっちが
姿を人型に戻し、長い純銀の前髪を指先でくるくると
天空神の神殿はほとんどが
「向かうべきは会議棟ではなく、中央神殿だということか?」
「そゆこと。レーチェル、向こうがどう出るかわかんねーから、いざって時はシャルを守れよ」
「クォーム! そういう言い方は駄目だろ!?」
わかりました、と口にする前に隣のシャルが抗議の声をあげたので、レーチェルは思わず言葉を飲み込み彼を見た。
腰に手を当て怒り心頭のシャルが、目を丸くして固まったクォームに詰め寄る。
「クォームは神様より強くって偉いのかもだけど、さ、レーチェルさっきもでっかい魔法使ってんだぜ! フィオに『魔力温存しとけ』って言っておきながら、デュークもクォームもレーチェルにばっかり要求しすぎなんじゃねーの?」
まさか彼が自分のことで怒ってくれるなんて。
負担という自覚のなかったレーチェルは、どうしていいかわからなくなり、シャルの袖をそっと引っ張った。
「あ、あの、シャル? わたくしは、大丈夫ですから」
「大丈夫じゃないだろー! さっきだって、すっげぇ苦しそうにしてたじゃん。俺は、いざって時はクォームを盾にするから! どんなに偉い相手だろうとさ、つらい時はちゃんと断れよ。自分の命を神様にゆだねるなよ!」
思いもかけず強く言い返されてしまい、返答に
――確かに、神託を受け使命を与えられた者として『命を捧げる』という考えがあることは否めない。
だから、はじめ、ウィルダウの
それではいけないと、シャルは自分に言っているのだ。
「な、……あなたに、」
頭の中で言葉がぐるぐると渦を巻く。シャルのハシバミ色の目には真剣な怒りが
でも、と、反発心が頭をもたげる。
自分が何より大事にしている使命を否定されたような気がした。
「あなたに何がわかりますの!? わたくしには民と家族の命が託されているのです! 軽々しく、そんなこと言わないでくださいませっ」
「軽々しいこと言ってんのは、そっちだろ!? レーチェルが頑張ってるのは俺にだってわかるよ。でも、だったらなおさらさ、他のことは頼れよ、断れよ。一人で抱えるなよ。世界が壊れそうなのに喧嘩やめないのは神様の勝手で、レーチェルが償うことじゃない!」
胸をつく一言に、思わず息を詰める。心の奥に押し込めていた何かが崩壊し、あふれた涙が視界を侵食して、シャルの顔が歪んで見えてゆく。
こみ上げてきた
怒り、使命感、正義感。――天空から降りたときに自分を支えていたそれらは、天龍にまつわる真実を知らされたときに全て
ずっと信じてきた神様を捨てるなど、できるわけがない。けれど魔王を討つという使命は世界に対する裏切りだ。真実を知ってしまった以上、地上を
どちらにも属すことができず、敵することだってできない。
それならこの身を使い尽くし消えてしまえれば、道を間違えた天龍と天空人の罪をいくらかでも償えるのではないかと思っていた。心のどこかで、確かに。
「ごめん、えーと、オレそういうつもりじゃなくって」
「……悪かった。
「二人はもっと人間に寄り添えー!」
シャルの怒鳴り声が自分の嗚咽に混じって聞こえてくる。誰かがそっと肩に触れ、ぎゅっと抱きしめてくれた。細いけれど温かいこの腕はきっとフィオだろう。
「ごめん、なさい……、わたくし、……こんな所で、取り乱して」
「大丈夫ですよぅ。あのですね、カミサマたちを仲直りさせるのはクォームの役目です。彼は
だから、大丈夫。優しく耳元に囁かれた声が、緊張と悲しみで冷え切ったレーチェルの胸に熱をともす。そろそろと顔を上げれば、申し訳なさそうなクォームと神妙な顔をしているデュークが自分を見ていた。涙をぬぐい、頷いてみせる。
今はまだ、シャルの言を素直に聞き入れることはできない。けれど、少しずつでも先のこと、自分の在り方を考えていこうと思った。
「……はい。大丈夫です。わたくしのことより、今はルマーレの救済を考えませんと」
「だから、レーチェル、そういう
「あなたの気持ちは嬉しいです。でも、シャル、ここはもう
議会堂内は空気……というより、恐らく大気中にあふれる魔力の質が変化している。属性こそ違うが、純粋で濃密な魔法力が場を満たしている状態は天空の地に似ていて、懐かしさを感じるのだ。
今度は言い返さずに眉を下げたシャルの隣で、クォームが何かに気づいたように目を細め振り返った。レーチェルもゆっくりと立ち上がり、服についた埃と草の葉を払ってから、同じ方向へ目を向ける。
背が高く浅黒い肌をした
「そうだよ。ここは今、アタシの領域だ。ようこそ、豊穣神の庭へ。仲良しなのは微笑ましいけど、ここに来たからにはアタシの
立ち姿は人間のように見えるが、背には大きく鮮やかな
一房ごとに濃さの違う
いきなり好戦的な言を向けられて
「なんでだよ! オレたちのこと、魔王から聞いてるだろ!?」
「ああ。もちろん聞いてるとも」
「だったら――、」
重ねて言い募ろうとするクォームに長剣を突きつけ、豊穣神と呼ばれる翠龍は、悪意などなさそうな
「要するに神様らしく、『貴様らの力を示せ』ってこと。アタシを納得させられたなら、アンタたちの話、聞いてやらないでもないよ?」
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