[2-5]疑惑浮上と浴室パニック


 夜間の活動が禁止された街は、明かりも物音もほとんどない。家畜か野生動物の鳴き声、フクロウの声が、夜風のざわめきに混じって時折り聞こえるくらいだ。


 洗い物を終え炊事場の明かりを落として、そろそろ空いただろう浴室を使おうと廊下を歩いていたシャルは、どこかから漏れ聞こえる話し声にふと足を止めた。かすかに聞こえる声はクォームのものに聞こえる。

 一瞬迷ったが好奇心にあらがえず、シャルは足音を忍ばせて彼の泊まり部屋へ近づいた。扉の側で耳を澄ませれば話している内容が聞き取れるかもしれない。

 覚えのない声に、首を傾げる。相手はフィオやデュークではなく、柔らかな声をした知らない男性のようだ。


「そっか、ややこしいことになってんな。じゃ、ルシアはそっちに任せるぜ」

『……がとう。イルマ……取り戻……ば、計画の……も……入れ……と……だ』

「オーケー、じゃ、こっちは先にセスを捜すことにするぜ。あのヤロー、魂の取り引きが済んだら返すとか言いやがって、こっちの話ききやしねー。魔王も気をつけろな」

『……い。翠龍すいりゅう……僕……で……つけるから、神殿に……つないで……さい』


 声には雑音ノイズが混じっており、聞き取りにくい。が、話している相手が魔王だとわかってしまい、シャルは心臓をぎゅっとつかまれた気がした。

 クォームは、アルテーシアを取り戻すつもりがないんだろうか。

 魔王の計画とか、魂の取り引きとか、意味がわからないのに不穏さをかもす単語ばかりが耳についてしまう。レーチェルによれば、セスやアルテーシアの位置を確認する魔法が使えるのはクォームだけらしいが、という話は本当なのか。


 最初のときと同じく足音を忍ばせ、そっと部屋から離れた。浴室で水でも浴びて、頭を冷やそう、そうしよう。

 彼は神様よりすごいらしいのだから、きっと何か考えが――あるのだろう。


 自分に言い聞かせてみたものの、気分を切り替えるのは簡単ではなかった。部屋へ行って着替えを出していると、同室を割り当てられたデュークがちらりとこちらを見る。

 彼は不死者ミイラなんだとかで、生理現象や新陳代謝とは一切無縁らしい。便利なようでつまらない体質だと思う。本人もきっとそう感じているに違いない。


「風呂いってくるー!」


 ひと言だけ残し、返事は待たずに浴室に向かう。

 ルマーレは水脈に恵まれた地域らしく、個人の家にも浴室が設けられているのはありがたいことだ。特にこういう閉鎖された状況では。

 脱衣室は薄暗く浴槽も小さなものだが、気兼ねなく使えるのなら無問題だ。誰かが使った後なのか芳香剤の香りが充満していて、ぬるく湿った空気が廊下まで漂っている。ほとんど何も考えず脱衣室を開け中に踏み込んだシャルは、そこでようやく違和感に気づいた。


「アメリアさん、ですか?」


 透明感のあるソプラノが湯気のこもった浴室に反響する。ヤバイ、と自覚したときには手遅れだった。浴室から顔を覗かせた裸の少女――洗い髪と白い肌からしずくを滴らせたレーチェルが、シャルの姿を見て大きく目を見開く。


「あ、あ、あ、ゴメンナサイ!」

「な――何をしているのです、この野蛮人! 出ていきなさい!」


 謝って許されるものではないし、当然すぐに出ていくつもりだ。なのに、こういう状況に不慣れすぎて、足が硬直したまま動かない。レーチェルの胸元から顔までが羞恥しゅうちのためか怒りのためか、みるみるうちに薄桃色に染まっていく。

 あ、殺されるかも、――と脳裏をよぎった直後。あり得ない勢いで浴室から噴出した湯のかたまりに吹き飛ばされ、シャルの意識はブラックアウトしたのだった。




  ☆ ★ ☆




 なにか、暖かくて甘い夢を見ていた気がする。

 ゆっくりと覚醒する意識にちらちら映り込む眩しい光。夢うつつの気分でゆるゆる目を開ければ、部屋のソファに座るデュークの後ろ姿が見えた。


「あ、れ、ここは?」


 長い夢を見た気がするが、おそらく大半は現実に起きたことだ。クォームの秘密通信も、浴室でレーチェルにお湯のかたまりを浴びせられたことも。裸を見られて赤くなる姿は普通の女の子っぽくて可愛かった。覗くつもりではなかったけれど、きっと一生忘れない。

 怪我はしてなさそうだ。ゆっくり視線を巡らせ確かめれば、窓の外は明るくなっているし小鳥の声だって聞こえてくる。ソファのデュークが振り返り、シャルを見て苦笑した。


「……水音が、聞こえなかったのか」

「いや、あはは、考えごとしちゃってて」


 決して故意こいではなかったが、レーチェルと姉には会った途端また吹っ飛ばされるかもしれない。家族でも恋人でもない女子の入浴中に乱入するなんて、恥ずべき大罪だ。言い逃れなどできようか。

 はぁ、と口からため息が漏れた。ごそごそ起きだして着ている服を確かめる。気絶前に着ていた物はきっとずぶ濡れになってしまったのだろう、すべて新しくなっていた。この歳になって姉に着替えの世話をされるとか、恥ずかしすぎて消えてしまいたい。

 デュークの肩にいたフィーサスがつぶらな目をぱちくりさせて、ふよふよ飛んでくる。


「ふぃー、ふぃいぃ……、ぷきゅきぃ?」

「ん、なんて? フィーサス」

「人生に失敗はつきものだ、元気出せ、……だそうだ」

「えぇ、ほんとかよ」


 デュークのげんじゃないの、と思わなくもなかったが、元気は出た。うっかり入ってしまったことをレーチェルに詫びて、迷惑と心配をかけてしまったと姉に謝るしかない。それで駄目なら物理衝撃をぶんなぐってもらって全部忘れよう、そうしよう。

 口に出したらデュークに即、突っ込まれそうなことを考えつつ、シャルは拳を握って気合いを入れた。どうせなるようにしかならないのだ、それなら、さっさと起きて姉の手伝いに行くほうが建設的というもの。


「シャル、朝食の後でクォームの部屋へ。作戦についての話し合いがあるらしい」

「ん? うん。わかった」


 昨夜の謎通信が一瞬頭をよぎったが、振り払う。おかしな点があればデュークやレーチェルが黙っていないだろう。二人が何も言わないなら、自分があれこれ口出す必要もない。

 それより今は、姉にどんな顔を合わせるか、を考えよう。

 緊張と気まずさを噛み殺し、シャルは意を決して炊事場へと向かう。


「お、……おはよう! 姉ちゃん、何か手伝うことある!?」


 努めて明るく声掛けたつもりが、空気を読まない奴みたいになってしまった。姉を手伝っていたらしいレーチェルがシャルを一瞥いちべつし、ふいと顔を背けて居間のほうへ消えてゆく。当然ながら、まだ怒っているようだ。

 どうしようと動きあぐねていれば、姉が姿を現し、柔らかい印象の眉をぎゅっと寄せた。


「シャル、あんた、見損なったわ」

「ご、ごめん、わざとじゃないんだ……考えごとしてて!」

「理由が何だって関係ないの。ちゃんとレイちゃんに謝るのよ! 許してもらえなかったら、あんた今夜は犬小屋で寝なさい」

「えぇ……わかったけど……」


 引っ叩かれて許される程度のことではなかったらしい。恐る恐る居間へ行くと、紺碧こんぺき双眸そうぼうから氷の視線を向けられた。心臓が凍りそうな恐怖におののくものの、勇気を奮いおこして口を開く。


「ごめ、ごめんよ、レーチェル! 昨夜は、ちょっと……てか、だいぶ、ぼーっとしてて」

「――忘れなさい」


 低く鋭い声をかぶせられ、思わず「え?」と聞き返せば、レーチェルは腰に手を当て細い眉をつりあげて、シャルにぐいっと詰め寄って言った。


「いいこと、昨夜の出来事は夢でした! あなたは何も見ておりませんし覚えていません、ですわよね?」

「は、はははい、何も見てマセン、覚えてマセン」

「よろしいですわ」


 記憶を抹消まっしょうされるのかと思ったが、にしろという意味のようだ。許してもらえるまで謝り倒すつもりだったシャルは少し拍子抜けしたが、当人がそうしろと言うのだから詮索は藪蛇やぶへびになりかねない。控えよう。

 ガクガクと首肯しゅこうすれば、レーチェルはふんわりと微笑んで頷いてくれた。この先ずっと頭が上がらなくなったらどうしよう、と思うものの、いま考えても仕方がない。


 料理を持って入ってきた姉が問いたげな顔でこちらを見たが、シャルが黙って首を横に振ると、察してくれたのか何も言われなかった。そうこうしているうちにデュークが来て、フィオを連れたクォームが来て、テーブルの上に朝食が揃っていく。

 こんがりと焼かれたパン、切られたフルーツの盛り合わせ、クリームチーズやプラムのジャムもある。

 シンプルな野菜のサラダには生ハムが乗せられていて、小さなトマトが飾られていた。


「さ、朝ごはんにしましょ。パンに好きなものを挟んで食べてね。ちょっと物足りないかもしれないけど、今日のお買い物でいろいろ買い足してくるから夜を楽しみにしてて」

「姉ちゃん、無理しなくっていいんだからね?」

「無理なんてしてないわ。旅人を招いてもてなすことは神様の前に徳を積むこと……なんですって。ここはそういうお国柄なの」


 国によっていろいろな考え方――慣習があるらしい。シャルにとってその教えは聞き慣れないものだが、姉がこの国に馴染もうと努力しているのを感じて胸がじんと熱くなった。

 義兄とは結婚式の前後、数えるほどしか会ったことがない。それでも姉の様子を見れば、二人が夫婦として幸せな日々を送っていたことがわかる。やはり、何としてでも議会堂内に囚われているだろう義兄を助けださなくては、と決意を固める。


 食事がはじまると、クォームが全員を見渡して話しだした。


「アメリアさん、今晩の夕食は用意せずにいてもらえますか。オレたち、議会堂の中に入って様子を探ってきます。もしかしたら、今日中には帰れないかもしれないので」

「え、オレたち、って……クォームとだれが?」


 疑うつもりではないが、反射的に返してしまい、シャルはしまったと思った。どうも昨晩から自分の言動が良くない。

 もっと気持ちを落ち着けて向き合わないと駄目だ、雰囲気を悪くしてしまう。

 当のクォームは気にしていないようではあるが。


「オレとフィオ、デューク、レーチェル、シャルも来るよな? アメリアさんには待機してもらって、犬たちはここに置いていこうと思ってる」

「う、うん、いくけど」

「でも、議会堂の周りには怪物がいるのよ? どうやって入るの?」


 弟も行くと知って心配がわきあがったのだろう。アメリアが食い下がると、クォームはこともなげに答えた。


「キメラだっけ、そいつは退治しても大丈夫なんで。議会堂……てーか中央神殿には大神官が一緒にいるはずだから、説得に協力してもらいます。たぶんそれで、評議員たちは解放してもらえると思う」

「え、え、大神官? 説得って、誰を?」

「クォーム様、議会堂の中にどなたがいらっしゃるんですの?」


 混乱するシャルの疑問をまとめるように、レーチェルが静かに尋ねた。クォームは「あああ」とうめいて、ぽんと手を打つ。


「ごめん、えーと、な……。たぶん、のフリをして議会堂に居座ってるのは、カミサマなんだよ。豊穣ほうじょう神……翠龍すいりゅうって言ったほうがいいかな」


 意図せず、シャルとアメリアの「え?」が重なっハモた。レーチェルは訳知り顔で頷き、言い添える。


「やはり、でしたのね。クォーム様が、神々はいがみ合っているとおっしゃっていたので、魔王軍の側にも神々のうち何方どなたかがついているのだと予想しておりました」

「そうそう、そういうこと。魔王軍を支援しているのは豊穣神、翠龍らしいんだ。たぶん議会堂の中は天空の地と同じように、神威によって隔絶かくぜつされてるんだと思う。だからそこに乗り込んで、カミサマを説得しようってわけ」

「なるほどな。……しかし、可能なのか?」

「大丈夫」


 心配そうに眉を寄せるデュークに対し自信たっぷりに言いきったクォームは、思いがけない事実を口にしたのだった。


「あいつらが押さえたがってた『冥界神めいかいしんの魂』は、ルマーレ本神殿にある『玄龍げんりゅう聖骸石からだ』には帰ってこない。だから、翠龍が冥海神の神殿を封鎖したところで玄龍の復活は阻止できないって、教えてやらないと」






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