[2-2]魔王からの依頼


「え、協力って……魔王軍に?」

「うん。ルシアを危険な目に遭わせるのは僕の望むところではないんだけど、今は動ける者が少なくて」


 兄の視線が動き、隣のアロカシスを見た。彼女の美貌びぼうにはうれいが色濃く陰を落としていて、アルテーシアはなぜか故郷の母親を思いだす。

 紅い唇が開かれ、発した声にはため息が混じっていた。


「ルシアちゃん。アナタに、イルマちゃんを説得して欲しいの。あの子ってば……経緯いきさつはわからないけど、自分を人間だと思い込んでいるみたいなのよぉ」

「イルマさん……を?」


 さっき話題に上った人物だ。生きていたから大丈夫、でも問題がある。それが、人間と思い込んでいた、というところだろうか。

 兄が頷いて情報を補足する。


「イルマは、五百年前に魔王とグラディスの間に産まれた子供、なんだよ。上位竜族と人間との半竜ハーフになるんだけど、どういうわけか人間の親に育てられたみたいでね。アロカシスが見つけて連れてこようとしたら、拒絶されたんだって」

「そうなのぅ。人間って自分と違う外見の相手をすぐに魔物扱いするんですもの……アタシの硝子の心グラスハートはもう、粉々よぉ……」


 めそめそと泣いたふりをしながらドレスの袖で目を覆うアロカシスを横目で一瞥いちべつし、兄は続けた。


「五百年もの間イルマがどこにいたのか、どうやって生きてきたのかは不明だけどね。人間であるネプスジードは主城再建で手が離せないし、ナーダムやラディオルでは状況の悪化が目に見えている。アロカシスは顔を合わせて拒絶されたからもう行けない、……そういうわけで、必然、セルフィードしかいないんだけど」

「あいつ見た目はカンペキな人間ヒト型になれるくせに、人間の思考とか感情とか全ッ然わかってないからぁ、心配なのよーぅ」

「不用意にい寄って状況をこじらせた君が言うのもどうかと」


 兄は彼女に対しては遠慮なしなのだな、と思いながら、アルテーシアは頷く。でも確か彼はここの主治医だったはずだ。光の魔将軍ネプスジードが言っていた覚えがある。


「兄さんは、身体のほうは大丈夫なの?」

「アロカシスがセルフィードの代わりに待機するからね。彼女も、医者なんだよ」

「アタシはグラディス様の付き人……主治医なんだけど、セルフィードとも情報共有をしてるから大丈夫なの。お願い、イルマに事情を話して……連れ戻してきてくれないかしら」


 喋り方に癖があるとはいえ、アロカシスの瞳は真剣で、グラディスを心配しているのも本心のようだ。

 アルテーシアは少し迷ったあと、素直に引き受けることにした。魔王軍に協力するのは人間としてどうかという思いもよぎったが、これがセスの妹を救うことにつながるのなら、できることはしてあげたい。


「わかった。でも、兄さん、イルマさんを説得するなら……はっきりさせておきたいことがあるの」

「ありがとう、ルシア。僕に答えられる範囲のことは話すよ」


 妙に殊勝な兄の様子に、何を勘違いしてるのかなと思いつつ、アルテーシアは尋ねる。


「イルマさんは、五百年前に魔王様とグラディスさんの間に産まれた子供。……ということは、今の兄さんと、グラディスさんと、イルマさんの関係は、どうなるの?」


 過去に夫婦だったそれぞれの魂を身に宿す者同士。その関係は、今の二人にも引き継がれているのだろうか。イルマに対して「両親が待つ」と伝えていいものなのか、違うのか、アルテーシアには判断がつかなかった。

 兄は少し考えて、それから細い指を口元に添え、呟く。


「今の僕とグラディスは、夫婦ってわけじゃない。恋人でもない……と思う。これからどうなっていくかは、まだわからないけど。でも、ルウォーツがグラディスやイルマを大切に想っていた気持ちを僕は覚えているし、苦しむ彼女を救いたいのは僕の本心だよ。だから、つまり……グラディスもイルマも、ルシアと同じで、僕の大切な家族だ」


 兄らしい真面目な回答に、アルテーシアは安心しつつも笑ってしまった。

 魔王になってしまっても、世界なんて大きくてややこしいものを背負わされても、やっぱり兄は兄のままなんだなと思う。


「わかった。セルフィードさんとも相談して、イルマさんに伝えてみるね」

「ありがとう、ルシア。ごめん、よろしく頼むよ」


 任せて、と胸を張れる自信はないが、アルテーシアは頷いた。閉じこもりきりの毎日にも飽き飽きしていた頃合いで、外に出かけられるというだけで気持ちが浮き立つようだ。

 竪琴ライアや荷物は仲間たちに預けたままなので精霊魔法くらいしか使えないが、説得というからには居場所はもう判明しているのだろうし。


「うん、頑張ってみる」

「うふふ、そうと決まったら身支度よねぇ。ルシアちゃん、さあ、お着替えの時間よぉ?」

「え、はい?」


 楽しげに不気味笑いを始めたアロカシスに戸惑って、兄を見れば、返ってきたのは困ったような苦笑だった。


「アロカシスが、ルシアに可愛い服を着せたいって言い張るんだ。彼女並みの奇抜な格好をさせられることはないだろうから、付き合ってあげてくれるかな?」





 今さらだが、アロカシスは水の魔将軍なのだという。

 セルフィードもそうだが、属性以外には意味の伴わない役職に思えた。将軍という名称が正しく機能しているのは、指揮を取っていたネプスジードくらいではないだろうか。


 彼女は元々グラディスの付き人で、魔王軍が活動を開始してから今までずっと、単身でイルマを捜していたそうだ。

 グラディスの状態は、リュナとしての記憶を一時的に失った精神に過去時代グラディスの記憶が浸透してしまったため、軽い錯乱を起こしているという話だった。魔王がルウォーツとして振る舞うことで彼女の気持ちをなだめているのだが、息子イルマの不在による怒りだけはどうしてもしずめられないらしい。


「セルフィードは悪気ないけど無神経だしぃ、ナーダムはグラディス様全肯定だしぃ。ネプスジードとしては、上手く立ち回りたかったのに思惑潰されたって感じよねぇ。……ちょっとぉ、これとかどうかしら!?」


 思ったよりフランクに魔王軍の状況を話しながら、アロカシスは選び抜いたドレスをぐいとアルテーシアに押しつけてきた。

 どうと聞かれても、こんなデザインでは肩がすっかり出てしまうし、背中も大きく露出してしまう。色調も大人びた印象を与える深紅のドレス。子供……とは言わないが、まだ少女体型のアルテーシアに似合うとは思えない。

 ちらと、ドレスからあふれてくっきりとした谷間を形成しているアロカシスの胸元を盗み見る。腰回りだって豊かにれている彼女なら、上手に着こなせるだろうけれど。


「わたし、あんまり胸がないので……」

「こういうのは補正下着で寄せて上げるのよ! さ、脱ぎなさい? お姉さまが下着から全部コーディネートしてあげるわぁ」

「や、ちょっと! 脱がせないでくださいっ!?」

 

 着ていたのはセルフィードから渡された簡素なワンピースだったが、運悪く背側のボタンで留める仕様だった。抵抗虚しくワンピースをぎ取られ、下着まで奪われそうになるのを必死で阻止そしするもかなわない。


「なによぉ、女同士なんだから恥ずかしがることなんてっ、ない、のっ!」

「は、恥ずかしいですっ! それに、夜会ドレスなんか着て出かけたら目立ちすぎますっ」

「なに言ってるの、お出かけ用じゃないわぁ。これでネプスジードを籠絡ろうらくするのよ!」

「しません!」


 最終的に尻尾の先まで使ってアルテーシアを拘束し、全着衣を奪ったアロカシスは、水かきのついた指で驚くほど器用に、貴族令嬢が身につけるような補正下着とさっきのドレスを着せてゆく。

 抵抗する気力も尽きてなすがままになっていたら、腰回りと肋骨の辺りをぎゅうぎゅうと締められ、完成したようだ。


「うふふふ、若いっていいわねぇ……すべすべのふわふわじゃない。さ、こっちを向いて、目を瞑りなさい?」

「うう、恥ずかしすぎて消えちゃいたいです……」


 くるりと向きを変えられ、あごを取られて唇に紅を引かれた。目元、頬にも、軽く色を乗せられたようだが、自分では見えない。もう一度後ろを向かされて、髪を編んで結い上げていくしなやかな指の動きを感じる。

 うなじが、肩がさらされて、素肌に布の一枚もつけていない心許なさから、背中がぞくりとあわだった。


「はい、完成! ふふ、ネプスジードのやつ、びっくりすればいいのよ」

「だからっ、どうしてネプスジードさんなんですかっ」


 妙なこだわりを口にするアロカシスに抗議すれば、彼女は薄紫色のシフォンケープをアルテーシアの肩にかけ、小首を傾げて微笑んだ。


「あいつはね、意識的にようにしているのよ。……アナタは魔王様の半身なんかじゃなく、一人の女性として十分に魅力的だし、賢くて勇気もあるわ。それを、頭の固いあのおばかに見せつけてやりなさい?」

「…………」


 はい、と言っていいのかわからず、アルテーシアは困惑してアロカシスを見あげる。

 確かにはじめて会ったときから、彼は自分のことを『元凶』と呼んでいたし、ここに来てからも一度だって顔を見に来ることはなかったが――。

 どうやらそれにも何か事情、あるいは理由があるのだと、アロカシスの真剣な瞳と口ぶりからアルテーシアは直感した。


 まだ十七歳の小娘が、大人の男性を籠絡ろうらくできるはずがない。だからアロカシスが言いたいのはきっと、そういうことではないのだ。魔王の覚醒が進まないのとアルテーシアが生きていることに直接的な因果はない、そう彼女も信じているのだろう。

 ぐっとへその辺りに力を込め、背筋を伸ばす。

 それなら自分は兄と彼女の期待に応えよう、と決意する。

 イルマを説得し、グラディスの元へと連れてゆく。それが回りまわって、魔王軍と人間の王国とが和解する切っ掛けになるなら。――セスの妹を救う手立てになるのなら。


「アロカシスさん、わたし、やります」

「うふっ、それでこそアタシが見込んだ、磨けば光る原石女子だわぁ。一緒に、あの堅物坊主を骨抜きにしてやりましょ!」

「いえ、それはちょっと」


 だからそれは、自分じゃ無理だと思うのだけど。

 戸惑いの気持ちを込めて言い返せば、冗談とも本気ともつかない表情でアロカシスは妖艶ようえんに微笑んだのだった。




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