第二節 魔王軍の捜しびと

[2-1]囚われのアルテーシア


 旧エルデ・ラオ、現魔王軍領の首都バルディアスの郊外に、王族たちが別荘地として利用していた離宮がある。近年は王も王太子もまとまった休暇を取ることがほとんどなく、離宮には末の王子と彼の世話係が住んでいたという話だった。

 使用人も家畜も逃げ出してもぬけの殻となった建物を、魔将軍たちは一時的な拠点として利用することにしたらしい。


 堅く閉ざされた門に掛けられていた錠を魔法で破壊し、中に入って全体の造りを確かめたあと、セルフィードはアルテーシアを離宮の一室に軟禁した。

 彼女としては、塔か地下の牢獄も覚悟していたので、思ったより人道的に扱ってもらえそうな状況に安堵あんどしたのだった。


 王族が使用するために造られただけあり、部屋は高級旅宿のような設備と内装だ。許可なく部屋を出ることはできないが、それでも不便なく暮らせるほどに。三階ほどの高さらしく窓から逃げだすのは難しそうだが、部屋は中庭に面しているので眺めは悪くない。

 小さな池と低木が配置された美しい庭園で、キツツキが木の幹を叩く音や、小鳥たちが賑やかに鳴き交わす声がよく聞こえる。池に水鳥の姿を見ることもあった。


 この部屋は陥落前まで王族の誰かが使っていたのだろう。クローゼットに仕舞われた衣服は男性物で、部屋の一角にはよく手入れされた騎士鎧プレートメイル騎士槍ロングランスが置いてあった。

 本棚にたくさんの書物があり、ベッドには大人びた香水の香りが染み込んでいる。

 申し訳なさと気まずさで居心地の悪さを感じたものの、不満を言える立場でもない。できるだけ部屋にある持ち物には触れずにいようと、アルテーシアは決意する。

 結局、丸一日後には退屈さと好奇心に耐えかねて、本棚の書物に手を伸ばすことになったのだが。





 変化が訪れたのは、三日目だった。

 部屋のソファに行儀良く座って『エルデ・ラオ偉人集』を読んでいたアルテーシアは、集中しすぎて部屋の扉が開いたことに気づかなかった。カツカツと近づいてきたかかとの音を外のキツツキだと思っていたくらいだ。


「ルシア、ずいぶん熱心に読んでいるね」

「兄さん!?」


 聴き慣れた柔らかな声が突然意識に飛び込んできたので、アルテーシアはびっくりして顔をあげる。魔王と呼ばれる彼女の兄が、いつの間にかそばまで来ていた。

 銀糸と金糸の刺繍ししゅうで縁取りされた法衣のような衣装を着ており、長い銀髪を今日は一本にくくっている。


 彼の後ろに背の高い女性が控えていた。部屋の明かりのせいなのか、ゆるやかなウェーヴにそって色味が変化するあお色の長髪が美しい。髪の間から魚のヒレに似た部位が突き出しており、人間なら耳に当たるのだろうと想像できた。

 肩から胸元まで大きく開いた藍色のロングドレスを身にまとう、大人の色香たっぷりの女性だ。つやっぽく紅をいた唇に、機嫌の良さそうな微笑みが浮かんでいる。


 あの夜以来、兄に会うのははじめてだった。顔色は良く、表情も明るい様子にほっとする。とはいえ、女性を連れてきた兄に再会の抱擁ハグをしていいものか判断がつかない。

 アルテーシアは読んでいた本をそっと閉じてテーブルに置くと、ソファから立ちあがって背筋を伸ばした。兄は背後の美女に視線を送ってから、一歩近づき、妹の手に自分の指を重ねる。


「ようやくグラディスが落ち着いたから、少し話そうと思ってね。でも、僕一人で会うことは禁止されていて、彼女……アロカシスが今日の付き添いってわけ。ルシア、怖い思いと不便な生活をいてしまってごめん」

「ううん、平気。……あの、グラディスさんの容体は?」


 彼女――グラディスはおそらくセスの妹なのだろう。リュナと呼ぶべきか少し迷ったが、今は兄に合わせることにした。

 実は兄に関しても、ディヴァスと呼ぶべきかルウォーツのほうが相応ふさわしいのかを判断できずにいるのだが、とりあえず「兄さん」と呼べば間違いないのでまだいい。

 アルテーシアの質問を受けて、兄は付き添いの美女を振り返る。


「アロカシス、ルシアに話してもいいかな?」

「はぁい。たぶん……問題ないんじゃないかしら。ルシアちゃん、アナタを殺そうとまでしたグラディス様を気にかけてくれるなんて、アナタいい子ねぇ。あとでたぁくさん可愛がってあげるわぁ」

「え、え、え……?」


 ズリリ、と文字通りい寄るような音がして、アルテーシアは思わず出所らしき床に目を落とす。敷かれた絨毯じゅうたんの上でぬらりとのたうつのは、蛇とも魚ともつかぬ長い長い尻尾だった。

 目を見開いて悲鳴を飲み込んだアルテーシアを、彼女は顔を近づけて舐め回すように検分しはじめた。まるで蛇に睨まれたカエルのように動けない。彼女の白くなまめかしい、水かきのある指をあごの下に添えられたところで、兄が口を開く。


「アロカシス、妹を怖がらせないでくれるかな?」

「あぁん、魔王様ってば焦らさないでぇ……というのは冗談なのだけど。いいと思ったのは本当ですもの。魔王様だって、憎からずおもっていらっしゃるのでしょう?」

「君らには、兄妹とか家族という概念がいねんが欠けているのかな……。とにかく、質問に答えてあげなさい」


 顎の下から手が離れ、アルテーシアはほっとしつつも両手をぎゅっと握り合わせた。アロカシスは「はぁい」と答えて、弧を描く唇に青く塗られた爪を添える。


「セルフィードのおばかがグラディス様に同意を得ず、あんな刺激を与えるからぁ……、グラディス様ってば嫉妬しっとで興奮して暴走しちゃったのよ。でも、今はもう大丈夫。安心していいわ。問題なしとは言えないけど、イルマちゃんが生きていらっしゃったから」


 あの夜に起きた一部始終を目撃しているにもかかわらず、アロカシスの扇情せんじょう的な伝え方には妙な想像がかき立てられる。

 自分がほんのり赤面しているのを自覚して、アルテーシアは視線をうつむけた。


 そういえば、セスがシッポを助けて光の魔獣に連れ去られた瞬間に、セルフィードが叫んだ名前がイルマだったはず。

 あの時セスの身体を使っていたのは、間違いなくウィルダウだった。太古の魔獣を何の準備も儀式もなく呼びだし、手足のように使役するような人物だ……どこへ逃れたにしてもセスの身体は無事だろう。心配なのは、セスの魂がどうなったか、だ。


 デュークの言っていた悪い結果が形を描いて胸に迫り、不安が湧きあがる。

 うつむいたまま黙り込んでいたら、優しい手が頭をなでた。


「ウィルダウの器にされていた……セス君だっけ、彼もおそらくは無事だろうってセルフィードが言っていたよ。彼はマイペースな気質だけど嘘や誤魔化ごまかしは言わないから、何か知っているんだと思う」

「そうよぉ。ウィルダウとセルフィードは腹が立つくらい仲良しだったんだから。どうせ裏で示し合わせて何か企んでるに違いないわぁ」

「アロカシス、そういうことを言うんじゃないよ」

「もうぅ魔王様、アナタ裏切られたって自覚足りないんじゃないの!?」


 すごみと迫力と色気が全部あるアロカシスをさらりといなす兄の姿は、アルテーシアにとって意外な一面だ。その絵面が刺激的だったことも手伝い、今まで胸の底へ押し込めていた疑問がむくりと頭をもたげる。

 見た目は奇抜に感じる人外美女だが、アロカシスなら聞いても怒ったりしない、そんな気がした。だから、思い切って尋ねてみた。


「兄さん。こんなこと聞いていいかわからないけど……兄さんは遠い昔に討たれたという魔王様の、生まれ変わりなの?」


 自分で口にしておきながら、ひどく繊細デリケートな話題だったと痛感する。どくどくと高鳴る心臓の圧に耐えられず、アルテーシアは胸元で手を握り合わせ視線を落とした。

 兄が身動みじろぎし、優しい指が頬を滑っていく。


「人の魂は不可視ふかしの器に記憶が蓄積ちくせきしたもの、そう、一部の学者間で唱えられていることは覚えているかな、ルシア」

「うん。父さんが、よく話してたね」


 唐突とうとつ伝承者バルドっぽくなるところは、家にいた頃と変わらない、と思う。

 そろそろと顔をあげれば、銀の髪に縁取られた輪郭りんかくが近くまで迫っていた。翡翠ひすいの両眼が細められ、愛おしげに自分を見ている。


「魂という存在ものがそのせつ通りなら、僕は魔王ルウォーツの魂を持つ上位竜族、ということになる。ただ、生まれ変わったとも違うようだ。人間から産まれた上位竜族の『ディヴァス・ウィルレーン』という存在の中に、魔王ルウォーツの魂が溶け込んだ……って気がする。取りかれているとも違うし、魔王時代の出来事も自分の記憶として思いだせるけど、実感は伴わないって感じかな」


 視界が濡れた気がして、ぱちぱち、と瞬きすると、兄が指先で目元をぬぐってくれた。緊張が高まりすぎて涙がこぼれたらしいと気づく。

 背後に控えていたアロカシスがズリリと身を乗りだし、言い加えた。


「少なくとも肉体は別物ねぇ。生々しい話になっちゃうけど、五百年前、英雄ルウォンに心臓を貫かれた魔王様の肉体は、砂状化して滅びたの。魔王様だけじゃないわよぉ、グラディス様だって、そう」

「つまり、肉体を滅ぼされた魔王様とグラディスさんの魂だけが五百年間も残ってて、兄さんとリュナさんの身体にそれぞれ溶け込んだ、ってこと?」


 理解を確かめようと要約を返し、そこでアルテーシアははっとする。アロカシスが目を丸くして自分を凝視ぎょうししており、兄は眉を下げて困惑したように笑った。

 そういうところだ、とデュークに苦言をていされたことを思いだす。好奇心が先立って感情的な機微きびを忘れてしまうのは、昔からの悪い癖だった。


「うん、理論的に可能かはともかく……僕の認識としても一番現状に沿った表現かな」

「ご、ごめんね、兄さん! 兄さんにとってはつらい記憶なのに、それを他人事みたいに話しちゃって」


 申し訳なさに身をすくめたアルテーシアを見つめ、兄は微笑んで答える。


「ルシアの持つ、客観的に分析しようとする思考は、吟遊詩人として望ましいものだと思うよ。だからこそ僕は、ルシアに協力を頼みたいと思ったんだ」





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