[1-5]蒼い飛竜に乗せられて【挿絵あり】
過不足なく説明できた自信はなく、途中で何度か涙がこみ上げて話を中断せざるを得ないこともあった。そんなセスの話にラファエルは辛抱強く耳を傾け、キィは周囲を警戒しつつ誰か近づいてくれば教えてくれた。
やはり話は長時間に及び、一通り話し終えた頃には立ち寄っていた人々も食事を終えて、堂内はガラガラになっていた。
「……なるほど。正直、君の話を全部、理解できたとはいえないけど」
思慮深さをたたえた瞳がセスを見つめ、柔らかい印象に
「
「はい、ありがとうございます」
話している間に膝の上で寝入ってしまった仔狼の体温が、痺れるような重みとともに染み込んでくる。ゆっくりとした規則正しい寝息を感じつつ、セスはそっと灰色の毛並みを撫でつけた。
自分が何を間違ったのか、今でも正解はわからない。
失敗を
だから労いの言葉など予想外すぎて、セスは目の奥が熱くなるのを感じる。
「ラフさま、そろそろ戻りませんか? マリユスも帰りを待っているでしょうし、ここにはもう誰もいなくなってしまって、目立ちますし」
「ああ、そうだね。僕としても、セスから聞いた話を手持ちの資料と比較してみたい。戻ろうか、キィ」
「はいはーい! じゃ、お会計済ませてくるわね」
ルフィリアの言葉を受けてラファエルが同意し、キィは二つ返事でぴょこんと立ちあがると、あっという間にカウンターへ向かっていった。
シッポが乗っていてすぐに立てず慌てるセスをラファエルは制し、微笑む。
「当面、僕らと君は協力関係だ。だから必要経費は任せておいて」
「でもっ、そんなわけには」
「大丈夫。僕としても君に恩を売っておく利があるんだよ。詳しくは戻ってから話すけど、僕自身も帝国を当てにしているからね。……部下たちと、故国を取り戻すために」
すぐには返答できず、セスは言葉に詰まった。
ラファエルは魔王軍から自国を取り戻したいのだ――考えれば当たり前のことだが、
「それは、
魔王はアルテーシアの兄で、魔女と呼ばれているのは妹のリュナ。魔王軍はラファエルにとって国を奪った仇だろうけど、何とか戦争は回避したい……その願いは、今もセスの中で変わりない。
ラファエルは、セスの膝でぐにゃりと伸び切ったまま熟睡しているシッポを抱きあげ、目で立つように促す。
「最初はそのつもりだったよ。でも、情報が
「わかりました」
頷き、立とうとして、脚が痺れているのに気づく。ずっとシッポが乗っていたからだろう。テーブルに手をつきながらゆっくり立っていると、会計を終えたキィが戻ってきた。
「さー、さぁ、帰りましょ! お土産に
「やった。これ、甘くって美味しいんだよ」
いい香りが漂う油紙の包みを見て、ラファエルが嬉しそうに表情をほころばせる。どうやら竜遣いの王子様は甘党、キィは甘辛両党のようだ。
宿舎への帰り道は昼時より気温が上がっていて、日陰から一歩踏みだした途端に埃臭い熱風が襲ってきた。
通りをゆく人の数もまばらで、露天の店先に
「この時間は暑すぎるので、皆さん涼しい屋内でお昼寝しながら過ごすそうです」
「
日陰から日陰を渡り歩くようにして宿舎までたどり着くと、キィは
「キィはここの出身らしいよ。僕は来たばっかりだからこの暑さに全然慣れない」
寝ぼけ
「わたしもまだまだです。移住先の土地に馴染むには三年かかるっていいますね」
「三年、かぁ。気の遠くなる話だよね。僕らは別に移住ではないけど」
ラファエルは、ルフィリアと話すときに一段と表情が柔らかくなる。もしかして彼女もエルデの国民なのだろうか。
口を挟むつもりなく二人の会話を聞いていたら、ラファエルがふいにこちらを見た。
「そうだ、セスに服を返すよ。騎士服は暑いだろうけど、その格好はやっぱりちょっと
「は、はいっ」
心の準備が間に合わず、声が裏返る。もうラファエルを怖いとは思わないが、緊張するのはどうにもならない。
ぴんと背筋を伸ばしたセスが可笑しかったのだろう、彼はくすくす笑いながら別の部屋へ引っ込むと、畳んだ服を持ってきてくれた。
「破れた箇所はキィが繕ったみたいだから、問題なく着れるよ。この入り口を出て裏に回れば……、いや、一緒に行くほうが間違いないな」
「はい。あの、裏に何があるんですか?」
何をさせられるんだろうと、若干の不安を覚えつつ尋ねれば、ラファエルは得意げな顔で胸をそらせた。
「君にはまだ、紹介してなかったよね。僕の愛竜、
飛竜とは、前脚部分が翼になった獣竜――通称ワイバーンのことだ。山岳地域に群れを作って繁殖しているらしいが、人が近寄れるような場所でもないので野生種の生態はあまり知られていない。
軍用に使われるワイバーンは大抵が
一般的にワイバーンは体色が
騎士団長の名に
「うわー、大きい!」
「マリユスは普通の飛竜より一回り大きいんだよ。賢く勇気があって、持久力もあるんだ」
マリユスと呼ばれた飛竜は、ラファエルの姿を見ると嬉しそうに翼を動かした。羽ばたきというほど大きな動きではなかったが熱風と
「うわっ、近くで見ると翼も大きい!」
「頭から尾の先と両翼をまっすぐ伸ばした幅が、ほぼ一緒なんだ。個体によっては
思わぬ言葉に「え」と振り返れば、頭上でマリユスが「フォウン」と鳴いた。祭りの日に吹き鳴らされるラッパに似た、上品な響き。真冬に鳴き交わしながら飛ぶハクチョウの声にも似ているな、と思う。
「ラフさん、俺もですか?」
「うん。短くだけど午後の偵察飛行、一緒にいこうか。この子は大きいから、二人乗りでも心配ない」
「いえっ、あの……俺、高いところは苦手なんです」
銀竜クォームの背で味わった恐怖感が一気によみがえる。馬ならまだしも、セスは飛竜に乗ったことなどない。ましてマリユスは普通のワイバーンであり、クォームのようにいざというとき魔法で拾ってくれる、などという保証はないのだ。
セスは全力で断ろうとしたが、ラファエルはわずかに目を細め、ぴしゃりと言い放つ。
「誰だってはじめは怖いだろうさ。でもね、セス。覚悟と心意気だけじゃ、何にも守れやしないよ?」
「……ラフさん」
厳しさの込められた、しかし冷たさはない苦言だった。確かに飛竜であれば、陸路の状況に左右されず最短最速で目的地へ向かえる。その機動力は何より今のセスが必要としているものではないだろうか。
彼は飛竜の駆り方をセスに教えようとしているのだ、と気づく。
「さ、マリユスが首を下げてくれてるよね。馬に乗る要領で鞍をつかんで
言われた通りに、勢いをつけて飛び乗る。手綱は馬のものとは違い、革製のカバーが巻かれた硬い輪型の造りで、鞍に座って握れば滑り落ちる心配もなさそうだ。
ラファエルがセスの後ろに乗って、首輪に付属したベルトをセスの腰部分にしっかりと取り付けた。
「これが命綱。飛竜ごと撃墜されたら意味ないけどね。空中は彼らのほうが得意だから、細かく指示を出すより、竜が飛ぶのに任せたほうが安定するんだよ」
「飛んでるときは、手綱を握ってるだけでいいんですか?」
「うん。慣れないうちはそれで。身体と感覚が慣れてくれば、手綱や
セスの後ろから脇の下を通るように両腕を出し、ラファエルも飛竜の手綱を掴む。
砂混じりの風が逆巻き、近くのナツメヤシがゆさゆさと揺れる。鳩尾にぐんと落ちるような重心の変化を感じ、セスの背筋が
「わ、わ、わ、やっぱり無理です!」
「大丈夫だって。セス、目線は遠く、飛竜が見るのと同じ方向へ」
耳のすぐ後ろに聞こえる、穏やかだけれど力強い声。恐怖心と戦いながら、言われるままにセスは
ふわりとした浮遊感が胃に落ち、悲鳴をぐっと噛み殺してセスは大きく目を開け、まっすぐ前を見た。手綱を握る手が汗ばみ、力が入って肩が
上昇により一気に開けた視界に、絵筆で描いたような薄雲を見つけた。見下ろせば、生い茂る木々の濃い緑色に
大きく揺れたりもせずに飛竜の翼は力強く風を打ち、色彩を散らした砂の街が眼下でぐんぐん小さくなってゆく。ふつと街並みが切れた先、エメラルドグリーンに輝く巨大な湖が見えた。あれがサグエラを支える源泉、オアシス湖だろう。
湖にせり出す位置に、丸いフォルムが印象的な
「うわぁ、綺麗だ……」
ようやく発した声は、ごうごうと
ふふ、と笑うラファエルの息が、耳にかかってくすぐったい。
「オアシス湖の側にある建物は、宮殿。今は帝国騎士団の
「そうなんですか。でも、こんな真昼に飛んで騎士団に怪しまれないですか?」
蒼い飛竜は空に溶け入るから、大丈夫なのだろうか。むくりともたげた不安を口にすれば、ラファエルは「実はね」と声を落とす。
「騎士団は僕のことを
「
機密事項であれば、食い下がるつもりはない。けれど、ラファエルの口振りからそうでもなさそうだと思い、セスは尋ねる。
保守的なクリスタル家の性質から兄たちとは考えにくいので、
「大方、君の予想通りかと。『砂漠の
「やっぱり、ギリディシア卿が」
今さらもう、驚かなかった。彼が
目覚めたとき状況は絶望的に見えた。でも今なら、先への展望が開けたように思える。
銀竜に乗せられ夜の街を飛んだ恐怖心が、飛竜に乗せられて砂漠の街を眺める感動へと塗り替えられたように。
「そう。だから、一人で抱えるんじゃないよ?」
「……はい」
耳から響く優しい言葉が、胸をじわりと満たしてゆく。
頑張れる、そう思った。
今は離れ離れだとしても、きっとデュークたちやアルテーシアだって、それぞれが今できることを頑張っているはずだから。
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ラファエルがセスに
https://kakuyomu.jp/users/Hatori/news/16818093074501392675
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