[1-4]エルデ・ラオの末王子


 実のところ、キィの「国を奪われ家族を失った」という台詞を聞いたときに、直感してはいた。彼がこの暑い地で騎士服を着ているのは、騎竜に乗るためだろう。

 ということは、彼の家族――エルデ・ラオの王族たちは死亡したのか。

 当人の口から聞く前に情報を知ってしまったセスは、迂闊うかつなことを口にするまいと決意する。


 帝国とエルデ・ラオは、魔王軍が動く前から長い年月に渡って折り合いが悪かった。相手がセスを「輝帝国宰相家の息子」と認識している以上、心象を悪くする言動は慎まねばならない。

 と胸中でぐるぐる思考していたセスを、ラフことラファエル王子はじっと観察していたらしい。ふふっと、端正たんせいな口元から笑みがこぼれた。


「まあ、今の僕は国を追われた、ただの竜遣いだよ。そんなに構えることないさ。……君だって、家出の真っ最中なんだろ?」

「――あ、はい。ええっと、ラファエル様。騎士団に届けずにいてくださり、ありがとうございました」


 そうは言われても騎士の性分で、話しかけられただけで背筋が伸びてしまう。

 セスが上擦うわずった声で言うと、果汁入り発酵ミルクを堪能たんのうしていたキィがブフっと吹きだした。ルフィリアが悲鳴を上げてタオルを差しだす。


「げほっ……げほっ、もう、セス君ってば笑わせないでよ!」

「今のどこが、笑えたんですか……」

「んもーぅ、固い! 固すぎるわ! あたしたち旅仲間なんだから、もっとフランクにいきましょ?」

「キィ、ちょっと、話の腰折らないでよ」


 あ、なんか懐かしいやり取りだ。

 そう思った途端、いきなり胸の奥底から熱い塊が込みあげた。ぼわっと視界が歪み、テーブルにぱたぱたと涙が落ちる。キィがぎょっとした顔でこちらを見たのがわかった。


「やだ、セス君なんで泣くのっ!?」

「ほら……キィが笑うから、彼、傷ついちゃったじゃないか」

「えぇー、ごめん! あのね、あたし別にセス君をばかにしたわけじゃなくってね? えっと、これで顔拭いて!?」


 キィのせいではないし、傷ついたわけでもない。確かに、シッポに拒否された時はすごく悲しかったけど、泣くほどじゃ……そう思うのに、涙が止まってくれない。一緒に込みあげてきた嗚咽おえつに発声を邪魔されるので、セスは困り果て、服の袖で目元を押さえた。

 キィはさっきまで自分の顔を拭いていたタオルを押しつけようとしているが、それはちょっと嫌だ。

 泣き顔をさらすのも気まずいし申し訳ないしで、そのままテーブルに突っ伏す。しばらく嗚咽おえつを噛み殺していたら、ふいに温かく湿った柔らかいものが手の甲に触れた。


「クゥン」


 湿ったタオル……ではなく。そろそろと顔を上げれば、遠慮がちに鼻を鳴らしながらセスの手を舐めるシッポの鼻面が視界に飛び込んできた。アーモンド型の目がきらりと光ってセスを一瞥いちべつする。

 どうやってと思い身体を起こすと、すぐ横にシッポを抱えたラファエルの姿があった。

 無言の彼に、両手で抱えていた仔狼を押しつけられ、受け取る。シッポは、セスの脚に乗せられると不満そうな顔で見あげてきたが、もう唸って威嚇いかくするようなことはなかった。


「はい、これ、綺麗なタオルです」

「食べて体温上がったから、泣く余裕が戻ってきたんだよ。セス、僕のことはラフでいいし、ルフィリアのこともルーファでいいから。敬語は……身についたものを無理に変えなくってもいいけど、今は身分のことは忘れていい」

「……はい、ありがとうございます」


 ルフィリアから新しいタオルを受け取り、ゆっくり息を吸って吐く。その拍子に身動ぎしたシッポの爪が太腿ふとももに食い込んだので、アルテーシアを思い出してしまい、また涙が突きあげそうになったが、タオルを顔に押しつけて我慢した。

 ラファエルがどこまでエルデの現状を知っているにしても、伝えるべきことが沢山ある。泣いてなどいられない。


「キィは少し黙っててくれるかな? 僕は彼と話がしたいから」

「ハァイ、大人しくしてまぁす」

「終わったら好きなだけお喋りしていいから、ね」


 かくんと肩を落とすキィに一言含めてから、ラファエルがセスに向き直る。


「まずは、僕の現状から。君も知ってるだろうけど、エルデ・ラオは魔王軍により制圧され、現在は魔王軍に国家の全権限を掌握しょうあくされている。より正確に言えば、父は降伏の勧告をはねつけ、国軍を率いて魔王軍を迎えうち、惨敗したんだ。国王であった父と国軍総帥だった王太子は戦死、王妃と王女は自害。僕だけが愛竜のマリユスと一緒に国を逃れ、今ここに身を寄せているってわけ」


 一気にそこまで話すと、ラファエルは頬を緩め、セスを見て「質問ある?」と尋ねた。


 セスは少し考える。近年エルデが政情不安に陥っていたことは他国にも知れており、王族内で継承者争いが起きていたという噂もあった。ラファエルが父王以外の王族に身内の呼び方をしないところ、兄姉とは母違いなのかもしれない。

 魔王軍が降伏勧告を出した、というのは驚きだった。リュナとナーダムの様子から、魔法で一方的に蹂躙じゅうりんしたのだと思っていたが。いや、戦いそのものは一方的だったとしても、戦わない道を用意していたというのが意外だったのだ。


「今のところは、ありません。このたびの国難におきましては、本当に……ご愁傷様しゅうしょうさまです」

「ありがとう。……でも、確かに、痛ましい気持ちが皆無とは言わないけど、僕はうとまれて離宮に押し込められてた邪魔者でね。そこまで気落ちはしてないよ。兄が飛竜騎士団ドラゴンナイツを――僕の部下たちを勝手に駆りだし戦死させたことは、悔しいと思うけど」


 物憂ものうげな視線を落とし、ラファエルは小さくため息をこぼした。王太子に疎まれていたのは、国内に彼を次期国王にと推す声が大きかったからだろう。優秀な兄たちの背中に劣等感を覚えて過ごしてきたセスと事情は異なるものの、少しだけラファエルの孤独感がわかる気がした。

 とはいえ、セスは家出中ではあるが家族を失ったわけではない。なんと声をかけたものか迷っていると、彼はさっきより大きくハァとため息をついて、不機嫌そうに頬杖をついた。


「噂程度の情報だけど、魔王軍はエルデを制圧した後、きちんとした治安をいているって聞いてさ――僕は敵ながらも、まあ、やるじゃん。って思ってたんだよ。なのに、あいつらよりによって主城を……三百年の歴史的文化的価値がある国家の財産を、ぶっ壊したって!? ふざけてるよね?」


 憤りを乗せ吐きだされた台詞の内容に覚えがありすぎて、びく、とセスの心臓が震えあがる。何せあの天変地異だ。三日もあれば、噂くらい届いてもおかしくない。

 城を打ち砕いたのは自分の妹でした、なんて言ったら最後、どれほどの怒りを向けられることになるのやら。


「でも、なぜ今……というか七日前だったのでしょう。確かに、城壁を砕き王軍を壊滅させたのも天から降った流星ほし。間違いなく、の仕業なのでしょうけど」

「反乱を治めようとして制御を失敗した、程度のことじゃないの? 全く見損なったよ!」

「え、七日前?」


 思いがけないルフィリアの発言につい反応してしまい、しまったと思うが後の祭りだ。

 ラファエルが青玉サファイアの目を細めセスを鋭く睨む。彼の眼前で嘘偽りは許さぬ、とでも言わんばかりに。


「セス、君が眠っていたのは三日間。エルデに星の災厄が降ったのは、それよりさらに四日をさかのぼる、未明の話だ。……君、何を知ってるのかな?」


 眠れる竜を刺激する話題に触れてしまった。眼光鋭いラファエルに付け焼き刃の誤魔化しは通用しないだろう。セスは覚悟を決める。結局のところ自分は今、無一文で、彼らの助けがなくてはここの食事代すら払えない身の上なのだから。

 ラファエルなら、あの災厄を引き起こしたのがセスの妹だと知っても――命を取ったりはしない、と自分の心に言い聞かせる。


「はい。……これから、あの夜に何かあったかと、魔王軍が何者なのかを、俺の知っている範囲でですがお話しします。かなり長い話になると思いますが、聞いてください」

「うん、いいよ。君の話を聞くことは、僕の道をひらく手掛かりになりそうだしね」


 怒りを収めた青玉サファイアの目が、真剣な光を宿してセスを見ていた。その瞳に促されるように、自分と妹のこと、魔王が上位竜族であること、銀竜クォームが話してくれた『世界を救う鍵』のこと。

 あの夜、城で見聞きし経験した一切を、セスは時間をかけてラファエルに打ち明けたのだった。




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