[1-3]砂漠の都サグエラ


 オアシス都市サグエラが帝国の支配下に入ったのは今から二十年ほど前、前帝皇ていおうの時代と比較的最近のことだ。


 病気がちなわりに野心的だった前帝皇は、即位直後から砂漠都市の利権を欲していたらしい。しかし、砂漠を騎馬隊で進軍するのは至難の業であり、歩兵が鎧を身につけて熱砂の地を進むのも自殺行為である。それで前帝皇は、当時軍事国家で話題になっていた飛竜騎士団ドラゴンナイツを帝国にも導入したのだった。

 天馬騎士団ペガサスナイツにしても、飛竜騎士団ドラゴンナイツにしても、飛行部隊は弓兵に弱い。しかし砂礫されき砂漠は隠れる場所がないので、見えない場所から飛んでくる矢を警戒する必要はなかった。前帝皇は飛竜騎士団を徹底的に訓練し、砂漠の国に派遣して降伏を迫ったのだという。


 前帝皇ていおうにとっても、当時、出征の主導を任された父レーダルにとっても、意外だったのは砂漠の国の対応だっただろう。

 結論から言えば、戦争によって砂漠が血に染まるのは回避された。オアシス都市は当時さまざまな問題を抱えており、ある程度の自治を保障してもらえるのであれば、帝国の傘下にくだるのも悪い選択ではなかったのだ。

 互いに利害が一致する形で、砂漠の国は帝国への併合へいごうを受け入れた。

 都市の文化と産業を継続させるという名目で、体制を大きく変えることなくオアシス都市サグエラは庇護ひごしてくれる相手を得たのだ。……という経緯は帝国の歴史学で教わることなので、本当のところどうだったのかまでは、セスにもわからないが。


 通りを歩きながら活気と熱気にあふれた赤煉瓦あかれんがの街を眺めるに、少なくともオアシス都市が帝国の圧政に苦しんでいるということはなさそうだ。そう思って内心ほっと安堵あんどする。

 騎士団の駐屯ちゅうとん地がどこかは知らないが、現地の住民や元王族たちとうまくやっているということなのだろう。


 まだ動きがぎこちないセスを気遣ってかゆっくりとした歩みで、キィが案内したのは大きな食堂だった。

 バーミリオンの天幕布に現地語ローカルの看板が引っ掛けられていて、書いてある文字の意味はセスにはわからない。テーブルと椅子が乱雑に並べられており、まばらに人が座って食事を楽しんでいる。

 キィは空いている席にセスを座らせて、言った。


「一応カウンターにはメニューもあるけど、読めないだろうから適当に頼んじゃうね!」

「僕も行く」


 即座にラフが言い、ルフィリアを見て言葉を加えた。


「ルーファ、ちびっこが彼に噛みつかないよう見ててあげて」

「はい。じゃ、わたしがシッポちゃんを抱いておきますね」


 ルフィリアの細い脚に乗せられたシッポは、耳がへたれ尻尾もだらりと下がっていて、元気がないように見える。心配になってセスが覗き込もうとすれば、それでも威嚇いかくしてくるのだから意味がわからない。


「シッポ、まだ俺のこと思いだしてくれないの?」

「セスくんは、シッポちゃんの飼い主ではないんですか?」


 ルフィリアが不思議そうに尋ねる。話せばとんでもなく長くなってしまうであろう事情をどう伝えたものか、セスは迷ってしまう。


「シッポは旅仲間が飼ってる狼なんだけど、危険な場所から脱出したとき、彼女とはぐれちゃったんだ」

「なるほど。だからシッポちゃん、セスくんに怒ってるんですね」

「怒ってる……の?」


 しょぼくれている仔狼を優しく撫でながら、ルフィリアは「おそらくです」と続けた。


「狼は賢い動物ですが、シッポちゃんはまだ子供みたいですし。わたしには経緯わかりませんけど、セスくんのせいでご主人さまとはぐれちゃったと思ったか、セスくんが自分をご主人さまから引き離したって思ったのかも」

「……あー、否定できない」


 がくりと首から力が抜けた。あのときシッポは、自分をはば障壁バリアが消えたのをチャンスだと考えて、アルテーシアの側に行こうとしていたのだ。

 あのままでは破壊的な流星に消し飛ばされるか城の崩落に巻き込まれるかしていただろうから、セスの行動は間違っていなかったはず。しかし仔狼シッポ視点で見れば、あと一歩(その一歩が限りなく遠かったわけだが)のところでセスに捕まえられ、挙句こんな見知らぬ土地へさらわれてしまったという状況。

 目覚めたら、アルテーシアの姿どころか足跡も匂いもまったく見つけられなかったシッポの絶望は、想像するになお余りある。

 落ち込みすぎて食事が喉を通らなくなるのも無理からぬことだろう。


「そっか、ごめんな、シッポ」


 居たたまれない気分になったセスは、そっと仔狼に声を掛けてみる。耳がぴくりと動いたくらいでこっちを見もしないが、か細い「グゥ」という返事が聞こえた。

 狼の言葉はわからないが、時間をかけて誤解を解いていくしかなさそうだ。

 セスとしてもここまで遠い場所に離脱するつもりなどなかったのだが、加護の話から察するに、この地を選んだのはウィルダウなのだろう。彼の真意はいまだ不明だが、意味のない悪戯や嫌がらせを仕掛ける人物には思えなかった。必ず意味があるはずだ。

 と、軽快な足音が近づいてくる。キィが、両手それぞれに大皿の料理を持って戻ってきたらしい。


「お待たせ! ご飯とお肉と、オアシスのお魚だよー! もちろんお野菜も!」

「ちなみに魚は結構スパイス効いてるから気をつけて」


 あとから来たラフも、みずみずしくカラフルな生野菜が乗せられた大皿と、ピッチャーに似た形の陶器びんを持っていた。二人は何度かカウンターとテーブルを行き来して、次々と料理を並べていく。

 ターメリックで色づけされたライスには塊肉が埋まっており、スパイスの香りが食欲を刺激する。生野菜のサラダはパセリやトマト、豆や雑穀を合わせたさわやかな彩りだ。

 串焼きにされた肉と、油で揚げた魚が、それぞれ皿の上で山盛りにされている。ひよこ豆のペースト、平焼きのパンは、砂漠地方でよく食べられていると知ってはいたが、本物を見るのははじめてだった。

 クリームチーズに似たソースと、トマトで煮込んだと思われる具沢山のスープ。他にも材料がわからないたくさんの料理。スパイシーな香りと美味しそうな見た目に刺激された胃袋が、ぐぅぐぅと自己主張をはじめた。


「ふふっ、セス君もう待ちきれないって顔してる! さあ、いくさの基本は食事からよ。とにかく食べましょう」

「あっ、でもセスくん三日も食べてないのに、いきなりこんなに大丈夫でしょうか?」


 ルフィリアがもっともな懸念けねんを口にしたので、料理を小皿に取り分けていたキィが固まった。大丈夫とでも問いたげな瞳を向けられるが、セス自身も今の自分の状態がよくわかっておらず、答えにきゅうする。


「うーん……どうでしょう。別に、変な感じはしないですけど」

「大丈夫じゃないかな。加護があったから内臓それほど弱ってないと思うよ。……だからって、キィ、辛いモノはやめてあげなよ」

「それなら大丈夫でしょ! 気持ち悪くなったら言ってね。あと、ドカ食いは駄目よ」


 セスの前に料理を取りわけた小皿がずらりと置かれた。ルフィリアはちらちらと心配そうにこちらを見ているが、キィは早速もう自分の食事に取りかかったようだ。小瓶に入った色鮮やかなスパイスを炊き込みライスに振りかけている。


「キィは辛党だから、君は真似しないほうがいいよ。食べ慣れない物が多いだろうけど、味は悪くないかと。まずはスープから試してみたら?」

「あれ、辛味のスパイスなんですね」

「この暑い場所で辛いもの食べるなんて、僕には理解できないよ……」


 ラフは、辛味が苦手のようだ。セスもそうだが、馴染みが薄いというのもあるだろう。赤色を増やして幸せそうにライスをかき込んでいるキィを見ていると、試したい気持ちになってくるが、オアシス料理初心者が手を出してはいけない代物しろものにも思える。

 セスは素直に勧められたスープを手にした。煮込みトマトがベースらしく、香りも色も馴染みがあるものだ。

 さじですくって慎重に口をつける。酸味と甘味にスパイスを効かせた香りが鼻腔びくうをくすぐり、煮込まれた野菜と肉が舌の上で柔らかく溶けてゆく。


「……美味しい」

「ゆっくり食べるといいよ。ひと口食べると、一気にお腹が空くよね」


 ラフの言う通りだった。三日分の食欲が突然よみがえったかのように、急激な飢えが襲ってきた。

 ゆっくり、ゆっくり、と念じながらもセスはスープを夢中で飲み干し、炊き込みライスに手を伸ばす。ついかき込んでしまいそうになるのを我慢しつつ、独特の風味と肉の旨味が絶妙に絡められたライスを噛みしめ、飲み込んでいく。


「良かった、大丈夫そうです」

「ルーファは心配性だね。君も早く食べないと、キィに全部食べられちゃうよ?」

「え、えっ、そんなぁ」


 セスがレモン風味に味つけされたパセリのサラダを食べ始めた頃、ようやくルフィリアは自分の食事に手をつけはじめた。

 ラフが立って、彼女の膝の上でうずくまっていた仔狼を抱きあげる。


「ちびっこには香辛料が掛かってない肉をあげるよ。……ちゃんと食べないと、セスに遅れをとってしまうぜ?」

「グゥ……」


 ラフは焼いた骨つき肉を手でほぐし、シッポに差しだした。ライバル心を刺激する作戦が功をそうしたのか、あるいは肉の匂いにあらがえなかっただけなのかわからないが、シッポはラフの手から大人しく食べ始めたようだった。

 何にしてもシッポが元気でいてくれないとアルテーシアに顔向けできない。そのためなら憎まれ役でもいい、とセスは自分に言い聞かせる。今は仔狼が負った心の傷をケアすることが最優先、ということにしておこう。


 激しい空腹感が満たされると、やがて身体の内側に火種でも抱え込んだかのように、全身が熱くなってきた。

 汗をかいても熱風がすぐにさらっていくので不快ではないが、無性に喉が乾く。発酵ミルクとしぼった果汁が混ぜられたジュースを少しずつ飲みながら、ぼうっとしていると、キィが器に入れた水を出してくれた。


「美味しかった! お魚、ほとんどあたしが食べちゃったけど、良かった?」

「僕は辛いの苦手だから。セスにも、まだ早いと思うよ。……さて、食べて落ち着いたところだし、改めて自己紹介といこうか」

「は、はい」


 切れ長の青い目が、まっすぐセスを見据える。セスは水を一口飲んで気分を切り替え、姿勢を正した。

 彼が何者なのか――実のところ、薄々気づいている。


「君が帝国の宰相さいしょう家の者だっていうのは明らかだから、僕も包み隠さず言うよ。我が名は、ラファエル・エーレ・ブルーメンタール。魔王軍によって制圧されたエルデ・ラオの末王子で、国軍飛竜騎士団ドラゴンナイツの騎士団長だ」




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