第一節 砂漠の調査隊

[1-1]目覚めた場所は


 東に妖魔の森、中央にファッチ大河をようするハスティー王国は、温暖湿潤おんだんしつじゅんな気候の地域だ。季節は初夏に差しかかったばかりで、湿度の高い風が雲を運びぬるい雨が畑地を潤す、そんな時期だったはずだ。

 ぴりぴりとした暑さを感じながら、セスはぼんやりとした思考で自分が寝かされているベッドをまさぐってみる。


 薄暗く、天井の低い部屋だった。乾燥した草を編んだベッドに目のあらい麻布が敷いてあって、さらりとした感触が心地よい。ひどく喉が渇いたような、まぶたの裏側にごろごろとした違和感を感じるような。

 手が動くということは、身体があるということだ。途端に意識を失う前の記憶が一気によみがえる。跳ね起きようとしたが意志に反して身体はあまり動かなかったので、ベッドに手をつき上体からゆっくり起きあがってみた。


「ここは……どこだ?」


 口から出た独り言は思った以上にしゃがれていて、ひどい声だった。やはり、喉も鼻腔びくうも乾燥しきっているのだ。

 それもそのはずで、空気が丸ごと入れ替わってしまったかのように、五感から伝わる何もかもが肌に馴染んだ世界と違っている。肺に取り込むほこり臭く乾いた空気から熱気が伝播でんぱし、内側からじりじりあぶられるようだ。暑いのにべたつく湿気はなく、初夏特有の新緑が溶けた匂いも感じられない。


 改めて自分の手を見、恐る恐る身体を見る。ずっと着ていた訓練校支給の騎士服ではなく、綿か麻で織られた貫頭衣かんとういのような上着とくるぶしまでの薄いズボンを着せられていて、裸足だった。

 誰かが着替えさせてくれたということだろうか――……?


「あーっ、やっと目を覚ましたわね! 気分はどう?」


 不意打ちで飛んできた声に驚いて思わず肩が跳ねた。明るくハキハキとした印象を受ける女性の声。どぎまぎしながら視線を向ければ、長くつややかな栗色の髪を背に流し、袖なしで丈の短い芥子からし色のワンピースを着た女性が、部屋の入り口らしきところに立っている。

 どこも似たところなどないのにリュナを連想してしまい、ずきりと胸がうずいた。沈みそうになる気分を振り払い、思い切って声を出してみる。


「大丈夫、です。……ええと、ここは?」

「良かったあ! 砂漠に人がうもれてたって連れが君を運んできたときは、焦ったけど。喋れるんなら、もう大丈夫そうだね」

「砂漠に、うもれていた? え、シッポは!?」


 とんでもない現状を聞かされて、こんなに暑いのに背筋が凍った。自分は迂闊うかつにも、命がけで助けだした仔狼シッポを抱えたまま砂漠に突っ込んでしまったのだろうか――、そんな恐ろしい想像が胸を満たしてゆく。

 女性は大きなオレンジ色の目を瞬かせ数秒固まっていたが、やがてパンと手を叩いた。


「ああ! あの狼くんね? 君が三日間も寝てる間にすっかり元気になったわよ。でも全然ご飯食べてくれないから、今は連れが面倒見てるの」

「良かった、って、良くない、のか……?」

「だいじょぶ、だいじょぶ。動物は生存本能には逆らえないものだもの。あたしはキィ、キィ・サンザールよ。君はなんて呼べばいい?」


 戸柱に手を当てにっこり笑う女性は、セスより歳上のように見えた。呼び捨てタメ口はためらわれて、つい探るような受け答えになってしまう。

 偽名を名乗ったほうがいいだろうかと一瞬考えたが、騎士服や鎧で帝国の騎士団所属という出自はすぐにばれそうだし、やましいこともないのに偽って後々ややこしくなってもいけないと思い、正直に名乗ることにした。


「俺は、セス……セステュ・クリスタルです。サンザールさん、助けてくださってありがとうございました」

「キィでいいわよ。そう、やっぱり君、捜索願いが出てる帝国宰相家の子だったのね」

「捜索願い?」

「そそ。だからあたしも、最寄りの騎士団駐屯ちゅうとん所にでも届けようかと思ったんだけど……連れが、事情聞くまで待ってやれって言うから」


 危ない所だった。ウィルダウと時の狭間で約束を交わしたものの、実家に連れ戻されて覚醒の儀式とやらを施されたら、その約束だってどうなるかわからない。

 恐怖と安堵あんどが同時に押し寄せてきて、セスは唾を飲み込もうとしたが無理だった。


「あの、届けないでください……。それと、申し訳ないのですが、水を一杯いただけませんか?」

「あらやだ、ごめんね! あたしったらお喋りに夢中で」


 小鹿が跳ねるような勢いでキィは駆けていき、すぐに水筒と器を持って戻ってきた。

 差しだされた水は冷えてはいないものの、柑橘かんきつかハーブかそれに似た何かの香りがしてさわやかだった。時間をかけてゆっくり飲み下し、ほうっと息をつく。

 キィが器にもう一杯注いでくれたので、セスは少し不安になった。


「もしかして、砂漠で水は貴重品なのでは……?」

「お、鋭いわね少年。でも大丈夫よ。君が埋まってたのは砂漠だけど、ここは帝国の交易都市。あたしたちの調査隊キャラバンもここで物資の補給をしているの」

「キャラバン……?」


 ぼんやりと繰り返し、セスは頭の中に地図を描く。

 輝帝国の砂漠といえば、東部に広がる『双月そうげつの砂漠』で間違いないだろう。その近隣の交易都市なら、港湾こうわん都市ロナードか、オアシス都市サグエラか……。

 直接聞けばいいだけなのに、ついいつもの癖で黙考し始めてしまったセスの顔の前で、キィの手のひらがゆらゆらと動いた。


「ちょっと、考えるのはあとあとー! ここはサグエラの郊外、あたしたちの隊が借りてる宿泊所よ。君、三日かそれ以上まともに食べてないんだから、先に何か胃に入れましょ?」

「あ、はい、すみません」


 頭がぼうっとした感じがするのも、そのせいだろうか。ろくに飲まず食わずで三日も寝ていれば、そりゃ身体だってうまく動かないだろう。

 側まで来ていたキィの手を借りつつ、ゆっくり慎重に起きあがる。脚はふらふら、肩と背中は固まっているように動きがぎこちなく、首で支える頭が重いなんて初めての経験だ。それでも、痛みや怪我はない。

 用意されていた革製のサンダルをき、まっすぐ立ってみる。ふらつくものの歩く程度ならできそうだ。


「早速みんなにも紹介、っていきたいとこだけど、日中だからみな用事で出払ってるのよ。今日はあたしが留守番の当番だったの。うちの調査隊キャラバンは全部で五人、帰ってきた順で紹介するわね」

「五人……」


 ここまでのやり取りでキィへの警戒心はすっかり解けていたセスだったが、改めてさらに四人と知り合うのだという現実に、再び不安が頭をもたげる。とはいえ、眠っていた自分が知らないだけで、あとの四人も三日間セスの世話をしてくれていたのだろうけど。

 仲良くなれるかはともかく、恩人であるのは間違いない。顔を合わせたらきちんと挨拶して、感謝を伝えなければ。


「あと、君が着てた服と装備一式はちゃんと手入れして保管してあるから、安心して。今、君が着てるのは連れの服だけど、今後によっては君も砂漠の服を一式買うといいかもね」

「そうなんですか、ありがとうございます。なんかすみません」

「これくらい大したことじゃないわよ」


 キィは今までセスがあまり会ったことないタイプの女性だった。母やリュナは受身な気質だったし、アルテーシアは自立していたが警戒心が強く、レーチェルはクールな印象だ。

 彼女のサバサバしていて行動力のある気質に、砂漠の風はよく似合っていると思う。

 そんなことを考えてしまい、セスはまたも胸がぎゅうと苦しくなる。


 アルテーシアを取り戻し、リュナを救う。そう決意して現世へ戻ってきたというのに、この場所は二人がいる魔王軍領からは遠すぎる。クォームやデュークたちとも連絡を取りたかったが、現状でセスにできることは何もない。

 そして冷静になって考えれば、自分はまた無一文になっているのだ。


「ほらぁ、暗くなってんじゃないの! お腹が空いてるときに考えることなんて、大抵ろくなことじゃないのよ。美味しいもの食べて、元気を出して、それからどうするか悩んだらいいじゃない」

「そう、ですね」


 応じた返答と正反対な――どころか、よほどひどい表情かおをしていたのだろう、キィは足を止めて腰に手を当て、眉を上げて言った。


「君がどんな事情抱えてるかはわかんないけど、うちの隊には国を奪われ家族を失ってそれでもめげずに頑張ってる子がいるんだからね。人生なんてままならないものだけど、せめて心は前向きでいましょ?」

「……はい」

「よろしい! さ、いくわよ」


 何やら大変な情報を聞かされてしまい、いろいろな意味で言葉を失うセスだ。とはいえ、憶測を巡らすにも今の自分は弱りすぎていると思ったので、素直に応じて余計なことは考えないようにする。

 キィもそれ以上は言わず、建物の入り口まで来ると、扉がわりなのか吊り下げられている厚手の遮光布カーテンを手で開き、セスを招く。

 引き寄せられるように入り口から踏みだしたセスは、一気に開けた視界と光の強さに目眩めまいを覚えた。


 雲ひとつない空は塗料をぶちまけたように鮮やかな青。ほこりと砂が舞う赤煉瓦あかれんがの通りには、色鮮やかな天幕を張った露天商ろてんしょうが並んでいる。

 背の高いナツメヤシやアカシア、セスが名前も知らないような植物が生育していて、その濃い緑と、赤煉瓦や蒼穹そうきゅうのコントラストが美しい。

 焼けた砂の匂いを運ぶ砂漠の風は乾燥していて熱く、身体中の水分が足裏や髪や肌から奪われていく錯覚を覚えるほどだ。道ゆく人は赤やオレンジ色や青色の装飾布で身を飾り、武器と荷物を提げてみな忙しく動いていた。


 同じ商業が主体の都市でも、宿場町や商業都市キッダーとは空気も色彩も雰囲気も何もかもが違っている。

 驚いて声も出せないセスを振り返ったキィは、蒼天を背景に、太陽のような笑顔を向けて手を差し伸べた。


「砂漠のみやこサグエラへようこそ! ゆっくりとは言わないけど、ここにいる間は楽しんでもらえると嬉しいわ」




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