〈幕間三〉光の魔将軍、激怒する


 なぜ、こんなことになった。

 光の魔将軍ネプスジードははらわたが煮えくり返るほどの怒りを奥歯で噛み殺し、眼前に広がる惨状を見つめていた。


 夜更けに主城の領空に侵入してきた不審者は二人……正確に言えば、二人と二匹。白くまるい毛織りの絨毯じゅうたんらしきものに乗った魔法剣士と、炎の精霊竜を連れた狩人姿の少年だった。

 ネプスジードは神官ではあるが人間であり、魔法は一切使えない。神の加護による奇跡なら少しは扱えるが、それも簡単な治癒や身体強化のみだ。

 そんな彼から見た二人の魔法能力は規格外だった。魔法剣士のほうは空中で体勢も崩さず大刀に付与した火炎を飛ばしてくるし、少年のほうは重力を感じさせない身のこなしで空中を自在に飛び回っている。


 帝国からの刺客か、天空人てんくうびとの関係者か――どちらにしても看過かんかできるものではなかった。

 万が一にも城内に侵入を許してしまい、彼らが魔王と接触することになれば、になりかねないからだ。そうなってしまったら、彼女は敵味方の区別なく一切を滅ぼすだろう。


 ネプスジードの騎獣はグリフォン、獅子ししの身体にわしの頭と両翼をあわせ持つ幻獣だ。

 獰猛どうもうで素早く、扱いを失敗すれば命の危険もある気位きぐらいの高い猛獣だが、帝国の天馬騎士団ペガサスナイツ飛竜騎士団ドラゴンナイツをも追い散らせる底力を持つ稀少きしょうな幻獣でもある。

 気質が近いのか、グリフォンはネプスジードによく懐いていたし、彼自身も彼なりの愛着と信頼を傾けている相棒だ。


 遠距離まで届く魔法は厄介だが、眼下にエルデ・ラオの文化財産でもある主城がある以上、極端に破壊的な魔法は使ってこないだろう、とも考える。

 であれば魔法除けのマントもあるのだし、自分と相棒で十分対処できるはずだ。


 陽動の可能性も、もちろん考えた。

 そうだとしても城内には、自分の他に二人の魔将軍がいる。

 炎の魔将軍であるラディオルはまだ子供だから侵入に気づかないかもしれないが、風の魔将軍であるセルフィードは夜行性といってもいいような夜間活動者だ。そして、魔王の主治医でもある。

 いくら自分勝手で我が道をゆく放蕩烏ほうとうがらすだとしても、魔王に危険を招くことや魔女をいたずらに刺激するようなことはしないだろう――、そう思っていたのだ。そらに亀裂が走り流星が降ってきて、自軍の拠点であるはずの主城を打ち砕くまでは。


 なぜ、こんなことになった。

 歯がみし拳を握りしめても、怒りは収まりそうにない。

 内側から込みあげる激情を抑えられず、ネプスジードは乱暴に頭のターバンをむしり取り、地面に叩きつけた。剃髪ていはつした頭を夜風が撫でてゆき、くすぶる憤懣ふんまんを鎮めてくれるようだった。


 バサバサ、と羽ばたきの音が聞こえて、翡翠ひすい色の飛竜が近くに舞い降りる。

 黒髪の少女を大切そうに抱きかかえたエルフの騎士がよろけつつ飛竜から飛び降り、自分のマントと上着を脱いで地面に敷くと、その上に彼女を横たえた。少女のほうは気を失っているようだ。

 碧眼へきがんを細め唇を引き結ぶ彼の表情は悲愴ひそうで、相当深い自責に打ちひしがれているのは明らかだったが、ネプスジードも軍を束ねる立場の者として尋ねないわけにはいかない。


「ナーダム、貴様は偵察飛行のため帝国の帝都へ向かっていたはずでは? なぜここにいる。そして、グラディス様に何があった」

「……おまえに、話す義務はない」

「そんなことを言っている場合か! 居城は瓦礫がれきと化し、我々は今この瞬間から無防備になったのだぞ!? 貴様や俺はともかくとして、グラディス様やルウォーツ様をどうやっておまもりするつもりなんだ!」

うるさうるさい! おまえこそ、こんな状況だっていうのにどこへ行ってたんだよ!? グラディス様は、ネプスジードはどこだって……探しておられたのにっ。これだから、人間なんて信用ならないって僕は言うんだ!」


 人間であれば成年に達しているだろう外見のナーダムだが、彼の精神は子供のようなところがある。長命のエルフは皆そうなのか、彼が特殊なのかまでは、ネプスジードの預かり知らぬことだ。

 さらに言えばエルフは元から閉鎖的な種族らしいが、ナーダムの拒絶とも取れるほどの人間嫌いが種族特性ゆえなのか、彼の過去に由来するものなのかもネプスジードは知らない。


「ああ、もう、鬱陶うっとうしい……泣くな」


 ナーダムは、人間である自分が彼らの過去に踏み込むことをよしとしない。ネプスジードとしても、彼らの過去きずに寄り添うつもりはない。

 この関係は利害により結ばれたものであり、それぞれの目的が遂げられれば解消される程度のつながりだ。自分は彼らの戦力や魔法能力を利用しているだけだし、彼らもそれで良いと合意したのだから。

 とはいえ、ネプスジードはナーダムに対しては幾ばくかの共感シンパシーを抱いてもいた。

 彼が激しく人間を憎む感情は、自分の内側にくすぶ怨恨えんこんと通じるものがある。だからこそネプスジードは、自身も人間でありながら魔王軍側についているのだ。


 重い羽ばたきが降りてきて、ドンと地響きがした。ラディオルを背に乗せた巨大な火炎竜が、近くに着地したのだ。

 部屋着のままの子竜ラディオルは、半泣きで火炎竜のヴェディにしがみついている。なんでも素直によく喋る彼からなら詳しい説明も望めそう、ではあるが。

 震えているラディオルを慰めるように火炎竜は優しく鼻面をすり寄せていた。

 今彼女ヴェディを怒らせるのは得策ではないだろうし、釈明を求めるべきは他にいる。ネプスジードが猛烈に腹を立てているのは、その相手に対してだった。


「……貴様、これがどういうことか説明しろ、元凶烏め」

「ふふふ、ネプスジードよ。鬱屈うっくつした怒りは寿命を縮めるぞ? 人間は元より命が短い存在なのだから、温厚に生きるのが賢明だと私は思うよ」

「今はそんなことはどうでもいい。貴様、グラディス様に何をしたのだ」


 ぬるい夜の風が渦を巻き、部屋着をまとった銀髪の青年と、彼に手をつながれた淡い金の髪の少女がその場に姿を現した。

 魔王と呼ばれる青年の肩に留まっていた黒羽の鳥が軽く翼をはばたかせ、肩から降りて人の形に姿を変える。風の魔将軍であり、魔王の主治医でもある錬金術師。鳥族なのか精霊なのかその正体はわからないが、彼の本性は黒羽の大烏らしい。


「うーん……。きっとあれは、事故だったのだよ。貴方もそう思うだろう、魔王」


 魔王は答えず、小さなため息をついて少女を自分の背に隠した。その行動でネプスジードは、自分が眉間にしわを刻み少女を睨みつけていたことを自覚する。

 捜す前に向こうから来てくれたのは手間が省けたが、今の状況では彼女をこの場で殺すのは難しそうだ。魔女に続き魔王までが正気を失って暴走するようなことになれば、自分たちどころか世界が破滅してしまう。

 一方、魔王から同意を得られなかったセルフィードは、眉を下げて作り笑いを顔に貼りつけ、言い訳のように言葉を加えた。


「……もちろん、釈明はするつもりだよ。しかし、おまえも自身で言ったように、ここはあまりに無防備だからね。少し離れた場所になるが、エルデの王族が別荘として使っていた離宮があるはずだ。ひとまず、そこへ向かおうじゃないか」

「くそ、やむを得んか」


 夜風のおかげか、ナーダムの悲痛な表情のせいか、ラディオルの涙のせいかはわからないが、煮えそうだった頭もだいぶ冷えていた。ネプスジードは足元からターバンを拾いあげて禿頭とくとうにかぶり直し、グリフォンを呼ぶ。

 命令通り忠実に翼を広げ前傾姿勢になる幻獣に飛び乗ると、銀製の錫杖を持ち直して、言った。


「俺は、混乱している市街を治めてから行く。ナーダムはグラディス様を運び、休ませろ。ラディオルはヴェディに魔王様を乗せてゆけ。元凶烏は元凶を運べ。こんな事態だが悔しいことに医者は他にいないのだ。ナーダム、セルフィードが馬鹿な真似をしないよう今度こそしっかり見届けろ」

「……わかったよ。ギディル、グラディス様を運ぶからもう少しだけ頑張って」


 グラディスが関わることについてならナーダムは素直だし、一番信頼できる。

 彼が利害で求めに応じているのだとしても、そこが一致している限り決して敵対関係にはならないから、良いのだ。

 魔王はまだ若く覚醒した権能ちからも不安定ではあるが、思慮の深い人物だ。ネプスジードの真意を測ろうとしているのだろう、いぶかるようにこちらを観察したあとで、少女をセルフィードへ引き渡す。


「ルシアをお願いできるかな、セルフィード」

「うむ、確かに子竜たちと一緒ではおまえも怖かろう。引き受けたよ」

「ありがとうございます」


 礼儀正しく素直に従う少女の様子に、悪印象は受けない。しかし彼女の存在は――……、と、思考に沈みかけるのをひとまず振り払う。

 処遇について今はどうにもできない。まずは、拠点確保が最優先だ。

 最後に魔王がラディオルと一緒に火炎竜の背に乗り、巨竜は皮膜の翼をはばたかせてゆっくりと舞いあがった。


「ネプスジードも早くーぅ、来てよねー!」

「一人で無理はしないように、ネプスジード」


 不安そうなラディオルの声と気遣うような魔王の声を背に受けながら、光の魔将軍は金翼の幻獣に意向を伝えるため、首元の豊かな羽毛をつかんで指示を出す。

 バサバサと力強い羽ばたきが耳を打ち、猛禽もうきんの鋭い声に似たいななきをあげてグリフォンは夜空へ舞いあがった。


 国にとって主城は王権の在処ありかであり象徴だ。その崩落を目にした国民が募らせるであろう感情を、人間であるネプスジードは簡単に想像できてしまう。

 今住んでいるのが正統の王族と何の関係もない、たった六人と三匹だったとしても。

 王城がそこに存在するという現実こそが必要なのだ。


 憂鬱ゆううつなことではあるが、一刻も早く主城を建て直さねばならない。守りのかなめがない以上、隣国ハスティーへの攻撃も当面は見送らざるを得ないだろう。

 そのために必要な交渉を考えれば考えるほど、ネプスジードは重い気分になり、深いため息をつくのだった。




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