〇.時の狭間で【挿絵あり】


 旧エルデ・ラオの首都バルディアスは、混乱の極みにあった。

 なにせ、草木も眠る静かな夜更けに何の前触れもなく流星ほしちてきて、主城を打ち砕いたのだから。


 家から荷物を抱えて逃げだす者、様子を見ようと城のほうへ向かう者、パニックしてわめきたてる者。反応は様々だったが、この混乱は魔王軍の者たちに見つからないよう逃げだすには都合が良かった。

 隔離結界目くらましを掛けながら市内を抜け、人気ひとけが少なくなったところで竜化したクォームがデュークを、フィオがシャルを背に乗せた。犬たちは竜それぞれが前足で抱えるしかない。レーチェルは光翼を展開して飛べる形態になり、全員で急ぎ首都から遠ざかる。

 クォームとレーチェルの魔法で風圧と寒さを緩和しつつ、目指すのは首都から見て西方に広がる『月影の森』と呼ばれる森林地域だ。





 ほぼ休憩なしの強行軍の末に『月影の森』へたどり着いた頃には、すっかり辺りは明るくなっていた。追っ手がかかる心配は皆無とは言えないが、魔将軍たちが総出で来ることはないだろうと判断する。

 あちらは拠点にしていた城が完膚かんぷなきまで粉砕されたのだ。とてもじゃないがこちらに割く余力などないだろう。


 それでも念のためクォームに隔離結界を敷いてもらい、シャルとデュークで薪を集めてフィオが火をつけ、五人と三匹はそこでようやく休憩を取ることができた。

 さすがにシャルも猟犬たちも慣れない長時間の飛行フライトですっかり憔悴しょうすいしており、狩りをする気力もない。食べられそうな果物をデュークとクォームで集め、ひとまずはそれでしのぐことにする。


「……さて、改めて、報告会をはじめようか」


 重々しく口を開いたデュークに応じて、レーチェルが控えめに手を挙げた。促されて、話しだす。


「わたくしとセステュ様は、最初の作戦どおりとはいきませんでしたが、アルテーシアを魔王に会わせることは成功いたしました。ですが……魔王とゆっくり会話をする間もなく、エルフの飛竜騎士と災厄の魔女に乱入されてしまい……。その災厄の魔女は、セステュ様の妹君で……っ」


 両腕で震える自分を抱きしめながら話すレーチェルの紺碧こんぺきの両眼に、見る見るうちに涙が溜まってゆく。


「クォーム様が来てくださって、わたくし、つい守護障壁を弱めてしまったのです。その隙に、あの狼の子供が飛びだしてしまい、助けようとしたセステュ様が……」

「まあ、バリア展開したままじゃ転移魔法は掛けられないんだから、それは仕方ないぜ。それに今は半端なく遠い場所だけどセスもちび狼も生きてるから、自分を責めるな」


 困ったようにクォームが言い、フィオがそっと近づいてレーチェルの頭を撫でる。デュークは無言で考え込んでいる様子だったが、やがてクォームに小声で尋ねた。


「それで、……その『災厄の魔女』とやらが鍵の一つだ、という根拠は?」

「んー、オレ様、その『災厄の魔女』って呼ばれてる根拠は知らないんだけどさ。たぶん、五百年前も同じようなことがあったんだろうなー。天墜てんついの災厄、つまりそらに働きかける銀河ほし権能ちから。それは、時の竜と同じく世界を支える柱であったはずなんだよ」

「ですが……あの様子では、世界を救うどころか、滅ぼしかねないのではないですか?」


 レーチェルが遠慮がちに問うと、クォームはうーんとうなってこてりと首を傾げた。


「そこなんだよな。何があって彼女あんなにんだ? つーか人間が五百年も……って、ああ、そうか。彼女が過去に銀河ほし権能ちからを使いこなせていたとしたら、そういうことも可能かー」


 一人納得するクォームと、真剣な表情でそれを見つめるレーチェル。その二人の間に立っていたフィオが、おずおずと手を挙げた。デュークが見留めて促す。


「どうした、フィオ」

「……はい。ボク、グラディスを見て、全部ではないけど思いだしたことがあって。彼女は、五百年前の魔王……ルウォーツが愛したひと、つまり、魔王の妻だったひとです」


 しん、と通り抜けた沈黙の中で、薪のはぜる音だけが静かに響いていた。重い空気の中、口火を切ったのはクォームだ。


「それなら、あの子っていうのは……魔王と彼女の子供、ってことか? あぁ! だから『夢の子』なのか!」

「え、え、なに? 一人でわかってないで説明しろって、クォーム」


 自問自答のはてに何か会得したらしいクォームに、シャルが突っ込む。銀竜の少年は「あー」とか「うー」とかうなっていたが、ふいに「よし」と声を上げて立ちあがった。


「つまり、つまりだぜ。『人の夢』の鍵グラディス懐柔かいじゅうするには先に『夢の子』の鍵が必要ってことだよ! 手掛かりはまだ全然だけど……まずはセスを捜して合流して、それからルシアを取り戻す手段を考えつつ、手掛かりを探そうぜ!」

「……なるほどな。全部ではないが、私もとりあえずは理解した」


 黙って聞いていたデュークがそう相槌を打って、皆を見回す。


「ひとまず……腰を落ち着けて方針を決め直さなくてはな。引き続きの強行軍になってしまうが……、ここから海岸沿いに南下し、旧ルマーレ共和国領内に向かおう」

「え、ルマーレ共和国って」


 弾かれたように声を上げたシャルに、デュークは一つ頷きを返した。


「ああ。エルデより先に魔王軍領になった……おまえの姉が住んでいたという国だな。せっかくここまで来たんだ。おまえの姉の安否を確かめ、ついでに魔王軍についての情報を集めようじゃないか」




  ☆ ★ ☆




 鼓膜を引き裂くようなごう音はもう聞こえない。多くの水音のような、あるいは小鳥の羽ばたきのような、ざわざわした音がずっと聞こえている。

 泥に絡めとられたような気怠けだるさ。

 暑いとも寒いともつかない、ぼんやりした感覚。

 視界はただただ白く――かすみがかかっていて、形のあるものは何も見えなかった。


「いつまで眠っているつもりだ、セステュ・クリスタル」


 ふいに声が響き、霞んでいた視界がクリアになる。思わず飛び起きた――つもりが、踏ん張りの利かない柔らかさに腕を絡めとられ、体勢を崩してしまった。

 真綿を敷き詰めたような白く弾力のある奇妙な場所に、自分は倒れ込んでいたようだ。


「ここ、は……? あなた、は」


 今度は慎重に、ゆっくりと身体を起こす。少し離れた場所に立つ背の高い人物――光を放つような銀髪の若い男性が、腕を組んでこちらを見ていた。

 整った顔立ち、翡翠ひすい双眸そうぼう。どこか自分に似た……。


「私は、ウィルダウ。君の知識に沿うならば、魔王を裏切った闇の魔将軍、いにしえの英雄の盟友……といったところかな? ああ、魔導士協会の創設者というのもあったか」


 セスが仲間たちに伝え聞いた肩書を挙げつらね、彼は楽しげに笑った。

 自分に憑依ひょういしている相手と対峙たいじして、会話している……この状況をどう理解していいかわからず、セスは茫然ぼうぜんとウィルダウを見あげて尋ねる。


「俺は、どうなったん……ですか?」

おおむね君の想定通りだと思うが。君は私に肉体を明け渡し、仔狼の救出を成功させた。跳躍リープの魔獣ペガサスにより、君の身体と仔狼はあの場所から遠くに運ばれた。肉体から弾き出された君は今、で迷っている――というわけだ」

ときの、狭間はざま?」


 どこかで聞いた覚えのある名称をなぞるように、セスは呟いた。

 そうだ、あれはデュークがレーチェルに覚醒かくせいの危険を説いた時の会話だ。フィーサスと意思を通わせながら彼が口にしていたのは。


 ――に取り込まれて二度と戻ってこれない可能性もある。


「ここが……デュークの言ってた、時の狭間?」

「ああ。過去も未来もなく、ただ存在するだけの空間だ。ここに迷い込んだ魂は朽ちることも星になることもできず、永劫えいごうの時間をひたすら彷徨さまようことになる、らしい」


 ウィルダウが静かに告げる。セスはその言葉を理解できたものの、想像までは及ばなかった。無意識に、真綿の地面へ爪を立てる。

 どこかで覚えのある柔らかさと弾力に、絶望しかかっていた思考がふとれた。


「え、……これ、フィーサス……?」


 自分でも何を言っているのかわからないが、間違いない。とはいえ巨大化したフィーサスの背に乗っているとか、呑み込まれたとか、そういう状況でないのもわかる。

 混乱して手元を凝視ぎょうししているセスを眺めながら、ウィルダウが声を立てて笑った。


「まったく、運命の采配さいはいというのは侮れないな。五百年前に私をここへ押し込めた男が、私の器として造られた君の友になるとは、ね」

「……え? それって、デュークが……あなたを?」


 思わず見返せば、自分とよく似た容姿の相手は双眸を細め、柔らかく微笑んだ。


「このは、観劇するのに申し分ない。だから私は、君にチャンスをあげようと思う。使、災厄の魔女を救い、世界の破滅を食い止める、――君にできるか?」


 え、と返答にならない声が落ちた。セスはウィルダウの言葉をもう一度ゆっくり噛み砕き、理解しようとする。


「俺を、助けてくれるんですか?」

「そういうわけではないよ。私としては、このまま観客でいるのも悪くないというだけだ。私が五百年前に選んだやり方よりも君が望む道ははるかに厳しい。失敗すれば、今度こそ世界は滅ぶだろうがね」


 容赦ない予測の裏側に、真実の片鱗が貼りついている。セスは戸惑い、理解しようと思考を巡らす。

 ウィルダウは五百年前に何を望んで魔王を裏切り、死へと追いやったのだろうか。


「災厄の魔女……リュナを、救う方法を、あなたは知っているんですか?」

「ああ、知っているよ。けれど、私は答えを教えることはしない。君はもう十分な『手掛かり』を渡されているのだから、その方法も探せるはずだ」

「そうしてそんな意地の悪いことを言うんですか。情報くらい、教えてくれたって……!」


 壊れたように泣き笑う、黒髪の少女の姿が脳裏によみがえる。

 あんな妹を、セスは見たことがなかった。災厄の魔女なんて二つ名を認めたくないのに、あれでは……否定のしようもないじゃないか。

 目の奥がじんと熱くなり、視界が涙で揺らいでいく。ウィルダウはそんなセスを見ても、ゆっくりと首を横に振って言った。


「君の答えが私の答えと同じなら、五百年前の歴史が繰り返されるだけだ。でも、君はそれを望まないだろう? 真相など、立場と想いにより幾らでも様変わりする。救いたければ、君が自分で答えを見つけるしかない」

「う、……っく、……俺に、俺なんかに、……そんな大役がっ、世界を救うなんて、途方もないことが……」

「心配することはないさ。どうしても無理だというのなら、今度こそ私に身体を開け渡せばいい。そうすれば私が、すべてうまく運んでやるよ」


 ぱたぱたと落ちた涙が地面をつかむ手を濡らし、白い地面に溶けてゆく。

 歯を食いしばり目を固くつむっても、あふれる涙は止まらない。喉からり上がる嗚咽おえつも、止まらない。


 あきらめれば――心は楽になるだろうか。

 アルテーシアを取り戻し、リュナを救い、世界の滅亡を食い止める。そんなことが本当に、自分に、できるのだろうか。


「…………ちがう、そうじゃない」


 噛みしめた奥歯の間から、声を押しだした。

 自分は、選んだはずだ。誓ったはずだ。どんな真実に直面してもアルテーシアに寄り添うと。たとえ血がつながっていなくたってリュナを助けると。

 ウィルダウに全部任せてしまったら、きっと――二人を助けることはもう永久に叶わない、そんな気がした。


「もう、迷わないって決めたんだ。……俺は、まだあきらめません。もう一度、俺にチャンスをください!」


 顔を上げ、噛みつくような勢いで叫ぶ。

 自分とよく似た顔の青年はその答えを聞いて目を細め、口元に薄い笑みをいて言った。


「真実を探り、真相をつかむがいい。そうして、君が選ぶ世界の未来を見せてみろ」


 はい、と答えた声が彼に届いたかはわからない。

 真綿のような地面が足元から崩れるように消えてゆき、白い空間が極彩色ごくさいしき奔流ほんりゅうに呑み込まれ――……。


 はっと意識を取り戻したセスは、あらい麻布を敷いた粗末なベッドに寝かされている自分に気づいたのだった。



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対峙するふたり、挿絵があります。

https://kakuyomu.jp/users/Hatori/news/16817330661056823015



 [第一ノ鍵・人の夢の章〈完〉→ 第二ノ鍵・夢の子の章〈序〉]

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