〇.時の狭間で【挿絵あり】
旧エルデ・ラオの首都バルディアスは、混乱の極みにあった。
なにせ、草木も眠る静かな夜更けに何の前触れもなく
家から荷物を抱えて逃げだす者、様子を見ようと城のほうへ向かう者、パニックして
クォームとレーチェルの魔法で風圧と寒さを緩和しつつ、目指すのは首都から見て西方に広がる『月影の森』と呼ばれる森林地域だ。
ほぼ休憩なしの強行軍の末に『月影の森』へたどり着いた頃には、すっかり辺りは明るくなっていた。追っ手がかかる心配は皆無とは言えないが、魔将軍たちが総出で来ることはないだろうと判断する。
あちらは拠点にしていた城が
それでも念のためクォームに隔離結界を敷いてもらい、シャルとデュークで薪を集めてフィオが火をつけ、五人と三匹はそこでようやく休憩を取ることができた。
さすがにシャルも猟犬たちも慣れない長時間の
「……さて、改めて、報告会をはじめようか」
重々しく口を開いたデュークに応じて、レーチェルが控えめに手を挙げた。促されて、話しだす。
「わたくしとセステュ様は、最初の作戦どおりとはいきませんでしたが、アルテーシアを魔王に会わせることは成功いたしました。ですが……魔王とゆっくり会話をする間もなく、エルフの飛竜騎士と災厄の魔女に乱入されてしまい……。その災厄の魔女は、セステュ様の妹君で……っ」
両腕で震える自分を抱きしめながら話すレーチェルの
「クォーム様が来てくださって、わたくし、つい守護障壁を弱めてしまったのです。その隙に、あの狼の子供が飛びだしてしまい、助けようとしたセステュ様が……」
「まあ、バリア展開したままじゃ転移魔法は掛けられないんだから、それは仕方ないぜ。それに今は半端なく遠い場所だけどセスもちび狼も生きてるから、自分を責めるな」
困ったようにクォームが言い、フィオがそっと近づいてレーチェルの頭を撫でる。デュークは無言で考え込んでいる様子だったが、やがてクォームに小声で尋ねた。
「それで、……その『災厄の魔女』とやらが鍵の一つだ、という根拠は?」
「んー、オレ様、その『災厄の魔女』って呼ばれてる根拠は知らないんだけどさ。たぶん、五百年前も同じようなことがあったんだろうなー。
「ですが……あの様子では、世界を救うどころか、滅ぼしかねないのではないですか?」
レーチェルが遠慮がちに問うと、クォームはうーんと
「そこなんだよな。何があって彼女あんなに心が壊れてんだ? つーか人間が五百年も……って、ああ、そうか。彼女が過去に
一人納得するクォームと、真剣な表情でそれを見つめるレーチェル。その二人の間に立っていたフィオが、おずおずと手を挙げた。デュークが見留めて促す。
「どうした、フィオ」
「……はい。ボク、グラディスを見て、全部ではないけど思いだしたことがあって。彼女は、五百年前の魔王……ルウォーツが愛したひと、つまり、魔王の妻だったひとです」
しん、と通り抜けた沈黙の中で、薪のはぜる音だけが静かに響いていた。重い空気の中、口火を切ったのはクォームだ。
「それなら、あの子っていうのは……魔王と彼女の子供、ってことか? あぁ! だから『夢の子』なのか!」
「え、え、なに? 一人でわかってないで説明しろって、クォーム」
自問自答のはてに何か会得したらしいクォームに、シャルが突っ込む。銀竜の少年は「あー」とか「うー」とか
「つまり、つまりだぜ。
「……なるほどな。全部ではないが、私もとりあえずは理解した」
黙って聞いていたデュークがそう相槌を打って、皆を見回す。
「ひとまず……腰を落ち着けて方針を決め直さなくてはな。引き続きの強行軍になってしまうが……、ここから海岸沿いに南下し、旧ルマーレ共和国領内に向かおう」
「え、ルマーレ共和国って」
弾かれたように声を上げたシャルに、デュークは一つ頷きを返した。
「ああ。エルデより先に魔王軍領になった……おまえの姉が住んでいたという国だな。せっかくここまで来たんだ。おまえの姉の安否を確かめ、ついでに魔王軍についての情報を集めようじゃないか」
☆ ★ ☆
鼓膜を引き裂くような
泥に絡めとられたような
暑いとも寒いともつかない、ぼんやりした感覚。
視界はただただ白く――
「いつまで眠っているつもりだ、セステュ・クリスタル」
ふいに声が響き、霞んでいた視界がクリアになる。思わず飛び起きた――つもりが、踏ん張りの利かない柔らかさに腕を絡めとられ、体勢を崩してしまった。
真綿を敷き詰めたような白く弾力のある奇妙な場所に、自分は倒れ込んでいたようだ。
「ここ、は……? あなた、は」
今度は慎重に、ゆっくりと身体を起こす。少し離れた場所に立つ背の高い人物――光を放つような銀髪の若い男性が、腕を組んでこちらを見ていた。
整った顔立ち、
「私は、ウィルダウ。君の知識に沿うならば、魔王を裏切った闇の魔将軍、いにしえの英雄の盟友……といったところかな? ああ、魔導士協会の創設者というのもあったか」
セスが仲間たちに伝え聞いた肩書を挙げ
自分に
「俺は、どうなったん……ですか?」
「
「
どこかで聞いた覚えのある名称をなぞるように、セスは呟いた。
そうだ、あれはデュークがレーチェルに
――時の狭間に取り込まれて二度と戻ってこれない可能性もある。
「ここが……デュークの言ってた、時の狭間?」
「ああ。過去も未来もなく、ただ存在するだけの空間だ。ここに迷い込んだ魂は朽ちることも星になることもできず、
ウィルダウが静かに告げる。セスはその言葉を理解できたものの、想像までは及ばなかった。無意識に、真綿の地面へ爪を立てる。
どこかで覚えのある柔らかさと弾力に、絶望しかかっていた思考がふと
「え、……これ、フィーサス……?」
自分でも何を言っているのかわからないが、間違いない。とはいえ巨大化したフィーサスの背に乗っているとか、呑み込まれたとか、そういう状況でないのもわかる。
混乱して手元を
「まったく、運命の
「……え? それって、デュークが……あなたを?」
思わず見返せば、自分とよく似た容姿の相手は双眸を細め、柔らかく微笑んだ。
「この運命は、観劇するのに申し分ない。だから私は、君にチャンスをあげようと思う。私に身体を明け渡さずに私の力を使いこなし、災厄の魔女を救い、世界の破滅を食い止める、――君にできるか?」
え、と返答にならない声が落ちた。セスはウィルダウの言葉をもう一度ゆっくり噛み砕き、理解しようとする。
「俺を、助けてくれるんですか?」
「そういうわけではないよ。私としては、このまま観客でいるのも悪くないというだけだ。私が五百年前に選んだやり方よりも君が望む道ははるかに厳しい。失敗すれば、今度こそ世界は滅ぶだろうがね」
容赦ない予測の裏側に、真実の片鱗が貼りついている。セスは戸惑い、理解しようと思考を巡らす。
ウィルダウは五百年前に何を望んで魔王を裏切り、死へと追いやったのだろうか。
「災厄の魔女……リュナを、救う方法を、あなたは知っているんですか?」
「ああ、知っているよ。けれど、私は答えを教えることはしない。君はもう十分な『手掛かり』を渡されているのだから、その方法も探せるはずだ」
「そうしてそんな意地の悪いことを言うんですか。情報くらい、教えてくれたって……!」
壊れたように泣き笑う、黒髪の少女の姿が脳裏によみがえる。
あんな妹を、セスは見たことがなかった。災厄の魔女なんて二つ名を認めたくないのに、あれでは……否定のしようもないじゃないか。
目の奥がじんと熱くなり、視界が涙で揺らいでいく。ウィルダウはそんなセスを見ても、ゆっくりと首を横に振って言った。
「君の答えが私の答えと同じなら、五百年前の歴史が繰り返されるだけだ。でも、君はそれを望まないだろう? 真相など、立場と想いにより幾らでも様変わりする。救いたければ、君が自分で答えを見つけるしかない」
「う、……っく、……俺に、俺なんかに、……そんな大役がっ、世界を救うなんて、途方もないことが……」
「心配することはないさ。どうしても無理だというのなら、今度こそ私に身体を開け渡せばいい。そうすれば私が、すべてうまく運んでやるよ」
ぱたぱたと落ちた涙が地面をつかむ手を濡らし、白い地面に溶けてゆく。
歯を食いしばり目を固く
あきらめれば――心は楽になるだろうか。
アルテーシアを取り戻し、リュナを救い、世界の滅亡を食い止める。そんなことが本当に、自分に、できるのだろうか。
「…………ちがう、そうじゃない」
噛みしめた奥歯の間から、声を押しだした。
自分は、選んだはずだ。誓ったはずだ。どんな真実に直面してもアルテーシアに寄り添うと。たとえ血がつながっていなくたってリュナを助けると。
ウィルダウに全部任せてしまったら、きっと――二人を助けることはもう永久に叶わない、そんな気がした。
「もう、迷わないって決めたんだ。……俺は、まだあきらめません。もう一度、俺にチャンスをください!」
顔を上げ、噛みつくような勢いで叫ぶ。
自分とよく似た顔の青年はその答えを聞いて目を細め、口元に薄い笑みを
「真実を探り、真相をつかむがいい。そうして、君が選ぶ世界の未来を見せてみろ」
はい、と答えた声が彼に届いたかはわからない。
真綿のような地面が足元から崩れるように消えてゆき、白い空間が
はっと意識を取り戻したセスは、
----------
対峙するふたり、挿絵があります。
https://kakuyomu.jp/users/Hatori/news/16817330661056823015
[第一ノ鍵・人の夢の章〈完〉→ 第二ノ鍵・夢の子の章〈序〉]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます