二十八.魔王の居城へ


 つないだ指から伝わってくる体温にずっと心をゆだねていたい。そんなセスの甘い期待は、目を覚ました仔狼にあっさり阻止されてしまった。


 何か美味しい夢でも見ていたのか、シッポは寝ぼけて鼻先に伸ばされていたセスの袖に食らいついたのだ。

 驚いたセスが上げた声にびっくりして飛び起きた仔狼が、あろうことかアルテーシアの膝の上で踏ん張って威嚇いかくしはじめたものだから、雰囲気も気分も台無しになってしまった。

 アルテーシアになだめられて落ち着いたものの、今も不審者を見るような目でこっちをうかがっている。


「もう、シッポってば……。そろそろセスさんにも慣れてきたでしょ?」

「グゥ」


 アルテーシアが気にすると悪いので口には出さないが、ライバル視されているんだろうな、とセスは思っている。人間の子供もそうだけれど、大好きな相手を独り占めしたくって、自分が混ざれない会話なんかを妨害してくる場合があるのだ。

 父がリュナを引き取った直後、彼女はなぜかセス以外になかなか懐かず、セスが兄や父と話しているとよく割り込んできたものだった。

 そんな幼少時のことを思い出してしまい、胸がぎゅうと苦しくなる。


「……ルシア、そろそろ買い物の続き行こうか。役立つかわからないけど治療薬や魔薬も補充したいし、投擲剣ダガーもいくつか買っておきたいな」

「あっ、はい。わたしも、魔薬はちょっと見ておきたいです」


 きゅーん、と見あげるシッポを地面におろし、アルテーシアも立ちあがる。正午を過ぎたばかりの広場は人も多く、賑わっていた。はぐれないためと理由をつけて手をつなごうかとも思ったが、仔狼がちらちらこっちを見てくるのであきらめる。

 商店街に戻り、薬を扱う店で治療薬と魔力回復薬を買った。セス自身は魔法を使えないが、何かの役に立つかもしれない。

 手持ちと相談しながら投擲剣ダガーを三つほど買い、他にも魔法製の道具や薬を見てみたものの、手が届く値段の物はなかった。あきらめて店を出、竪琴ライアと剣を受け取るため帰途につくことにする。


 思いつく限りの用事を済ませて宿に戻った頃は、日がだいぶ傾いていた。廊下でアルテーシアと別れて借りている部屋に行けば、なぜかベッドの上でフィオが待機していた。


「お帰りなさい! 出発は深夜だから、今のうちにご飯を食べてって、デュークさんが言ってました」

「え、あ、うん、わかった」


 夜中、ということは……交渉ではなく潜入するのだろうか。フィオに聞いてもわからないだろうし、とりあえず言われたとおり食堂へ行こうと荷物を下ろす。

 レーチェルが戻ってきているかわからないので、アルテーシアにも声をかけたほうがいいだろう。


「フィオも一緒に食べる?」

「……ボクは、食べなくっていいイキモノなのです」

「そんな悲しそうに言わなくても。食べちゃ駄目ってわけでもないし、一緒に行こう?」

「はい! セスさん優しい大好きっ」


 体当たりの勢いで抱きついてきたフィオを妹みたいだなと思いながら撫でてあげる。それから二人でアルテーシアに声をかけて、三人と仔狼で階下の食堂へ向かう。

 しばらくして戻ってきたシャルも加わり、四人と三匹は夕食を食べながら、あとの三人が戻ってくるのを待つのだった。




 どことなく憔悴しょうすいした様子の三人が宿に戻ってきたのは、だいぶ夜も更けてから。朝のように個室を借りて全員で集まり、レーチェルが食事をしている横でデュークが話を始める。


「まず、転移門ゲートの設置……これは問題なく成功、ということだ。設置場所は昨夜の戦闘跡で、ラディオルが残した魔力痕をたどって空間をつないだ……らしい。正面からの交渉を考えていたが、その方法なら城内に直接潜入が可能だそうだ」


 デュークの目配せにクォームが頷き、続きを引き取る。


「オレの竜族としての権能ちからは空間に作用するものだからさ、相手側にまったく気づかれず潜入し、そこで完全に気配を隠すことも可能なんだ。ただオレは今の魔王ルウォーツとはまだ縁がない。つまり直接『魔王の部屋』に出ることはできない。だから、ラディオルだっけ……あいつに案内させようと思う」

「わかった。でもあいつ、案内してくれるかな」


 昨夜、執拗しつようにアルテーシアを狙ってきた紅蓮ぐれんの瞳を思いだす。彼は、人間ヒトを殺すことに何のためらいも感じていない様子だった。そんな相手と交渉などできるだろうか。

 不安を口にしたセスに、クォームは妙に楽しげな笑みを向けて言った。


「だからー、セスが脅すんだよ」

「え、脅す?」

「ウィルダウの振りしてさ」

「……はぁ!? 無理だって……」


 とんでもない無茶振りを、と思ったものの、冷静に考えれば確かに有効かもしれない。困惑しながらデュークを見れば、首肯しゅこうが返ってきた。まさかの重大任務に背筋がぞわっと冷えてくる。


「もちろん、セステュ様お一人に行かせるつもりはありません。わたくしが護衛をいたしますので。あれほど巨大な火炎竜を人間が建てた城の中で飼うことはできませんから、相手すべきは彼のみ。……でしたら、負けはしません」

「確かに、ラディオル一人なら何とかなる、かな」


 セスが納得したのを確認して、クォームが話を続ける。


「シャルには先に街のほうへ行ってもらって、万が一のときにオレがための目印を置いてもらう。今から全員に魔石を渡すから、飲んどいて。大丈夫、すぐに溶けてなくなるからさ」


 手渡されたのは小指の先ほどの黒い宝石だった。飲め、とクォームがジェスチャで促してくるので、戸惑いつつも口に入れてみる。

 何の匂いも味もしないが、舌に触れた途端、本当にほろりと崩れて消えてしまった。


「……これで本当に大丈夫なのか?」

「オーケー、ばっちりだぜ。で、デュークはオレ様とフィオと組んで、必要に応じ撹乱かくらん。そっちの様子見てヤバそうなら救出に向かう、とこんな感じ」


 同じ魔石を動物たちも含めた全員が飲み、備える。帰りみちは別と言っておきながらも、クォームは脱出の手段も考えてくれたのだ。その親切心に頭が下がる思いがした。

 いかに事を大きくせず交渉できるかがセス自身にかかっている以上、いざという時にクォームやデュークが助けに来てくれるという保証は、とても心強い。

 

「うん、了解だよ。それで、俺たちは魔王と会えて話ができたら、どうすればいい?」

「オレ様としてはならから、目的達成だけど、おまえたちは聞きたいことあるんだろ? だから『もう帰る』ってタイミングでオレの名前を呼んでくれればいいぜ」

「う、うん。わかった……」


 作戦としてはかなり雑だが、本当にそれでいいのだろうか。さっき飲んだ魔石とやらに、そういう効果が仕込まれていたのだろうか。

 理解を超えたことには頷くしかできず、ついアルテーシアを見る。彼女も困惑の様子を見せつつも、うなずいていた。


「……決行は、日付が変わる頃合だ。魔将軍たちの能力や目的はまだ不明なことのほうが多い。目的を果たせずとも、危ないと思ったらすぐにクォームを呼ぶようにな」


 最後にそう言ってデュークがまとめ、それぞれが合意で応じる。

 予定の時刻まで待つのは長いように思えたが、身支度を整えたり宿泊の料金を精算したりしているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。




  ☆ ★ ☆




 そしていよいよ運命の時刻……というのは大袈裟だが、セスの心境もアルテーシアの表情もそんな状態なのだから仕方ない。一足先にシャルは城下町へと向かっていて、転移門ゲートの前には今、セスとアルテーシア、レーチェル、そして仔狼のシッポが待機している。

 仔狼をどうするかは皆でかなり悩んだのだが、最終的にはアルテーシアと一緒にという結論が出た。シッポはシャルにも懐いているとはいえ、結局は彼女のいうことしか聞かないからだ。


 転移門ゲートは文字通り幻光でできた小型の門で、レーチェルによれば、天空人てんくうびとのやり方をなぞってクォームが設置したらしい。くぐり抜けた先にあの敵対的な魔将軍がいるかと思うと、緊張のあまり胃が痛んでくる。

 ふわっと、指先に柔らかな熱がかぶさった。隣に立っていたアルテーシアがセスの指に手を重ねたのだと気づく。


「……セスさん、いよいよ、ですね」

「うん、そうだね。大丈夫、きっと上手くいくよ」


 虚勢を張るのに十分な理由ができた。できるだけ明るい声でそう伝えれば、少女は頷いてぎゅっと手を握ってくる。

 意味深にニヤニヤと笑っていたクォームが、言った。


「さ、門を開くぜ」

「うん」

「はい」

「ではわたくしも、守護結界を起動いたします」


 全員の合意を確認したのと同時に、門が発光しながらゆっくり開く。おそるおそる踏み出して通りぬければ、白い燐光が三人と一匹の身体を包んで染み込んでいった。

 ここから先は自分の出方次第、と言い聞かせて覚悟を決める。

 門の向こうは薄暗くて何も見えなかったが、花のような香りが混じる乾いた空気の匂いがした。




 事前に下調べでもしていたのかと思ってしまうほどに、レーチェルの動きは迅速じんそくで的確だった。

 転移門ゲートを抜けた先は本当に城の中、それも誰かの私室――というかラディオルの部屋で、踏み込むと同時にレーチェルは短い呪文をとなえて光り輝く小剣を造りだし、ベッドにいた人物に詰め寄った。低く冷たい声でささやく。


「炎の魔将軍、ラディオル。……お望みどおりこちらから、会いに来てあげましたわ。さあ、魔王の部屋へ案内なさい?」


 手練てだれの暗殺者みたいな動きだった。ベッドで眠っていたらしいラディオルは何が起きたかわからないといったふうに固まっていたが、喉元に突きつけられている魔力の刃を見てようやく状況を把握したようだ。

 紅蓮ぐれんの瞳を細めてレーチェルを睨み返し、ついでセスに目を向けて、苦々しく吐き捨てる。


「おやすみ中の子供部屋に乗りこんで脅しつけるとかぁ、最っ低ぇー!? なんなのさ、裏切り者と裏切り者で手を組んでぇ、魔王様を殺そうってわけ? やぁだよ、案内なんてするわけないじゃん!」

「そう言うと思ってましたわ。でしたら……ウィルダウ様に、貴方の意思をねじ伏せていただくまでのことです」


 え、俺がどうやって。と思ったセスだったが、ラディオルの目に明らかな怯えの色がぎったのに気づき、余計な口を挟まないよう澄まし顔を取りつくろう。

 ラディオルはうううとうなってバシバシとベッドを叩いた。


「卑怯だーっ、人でなしだっ! ボクまで召喚獣にとすつもりかよ、血も涙も優しさのカケラもないウィルダウなんて大っ嫌いだもんね!」

「……なんとでも言うがいい」


 流れに乗ってそれっぽく言ってみたら、ラディオルが涙目で睨んできた。

 なんだろうか、この距離感。セスはウィルダウ本人ではないので知らないが、生前の彼とラディオルは、自分が想像していたのと違う関係だったのかもしれない。

 それに、あまりにフィオとそっくりなものだから、罪悪感で胸が痛んでくる。

 意外にも頑固に口を閉ざし続けるラディオルに、レーチェルがもう一押しとばかりに刃を押しつけた――その時。


「まあまあ、いたいけな子竜をいじめるものじゃない。……魔物、いや、我が親友ウィルダウよ」

「……!? 誰ですの、貴方」


 聞き覚えのある声とともに部屋の隅の暗がりから姿を現した人物に、レーチェルが警戒で身を固くし誰何すいかする。夜闇に溶ける漆黒しっこくの長髪、魔導士を思わせるローブ姿。それは、セスが一度だけ会ったことのある謎の青年だった。

 この部屋にはクォームが隔離結界目くらましを掛けているはずで、外から誰かが入ってくるなどあり得ない、のに。

 魔導士姿の青年は、戸惑うセスと警戒するレーチェル、涙目のラディオルと、シッポを抱きあげてセスに身を寄せるアルテーシアをそれぞれ見て確かめ、柔らかく笑んで告げる。


「うん、まあ、こう来るとは思わなかった……さすがは我が友だな。予定外ではあるが悪くない展開だ。ウィルダウ、天空の巫女殿、そして魔王の妹君よ。私の名はセルフィード。魔王軍の専属医師で、錬金術師でもあり、風の魔将軍でもあるよ」



 

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