二十七.終末をうたう歌


 会計を済ませて外に出、それぞれに別れる。

 クォーム、フィオ、レーチェルは転移門ゲート設置に適した場所を探すため、デュークとシャルは各自の用事に、セスはアルテーシアの護衛をしつつ二人で明日の準備に。


 昨夜の襲撃で破壊された建物を修繕するのだろう、町人たちは忙しく動いていた。

 宿場に近い町なだけあって、大通りに並んだ商店の種類は多い。見るともなく眺めていたセスはそこに鍛冶かじ屋の看板を見つけて足を止める。

 焼けた瓦礫がれきの中に放り込まれたり潮水に浸けられたりと、昨夜は愛剣も散々な目にあわされた。それなのに、疲れ過ぎてろくに手入れもせず寝てしまったのだった。


「ルシア、ちょっと鍛冶屋に寄ってもいいかな?」

「はい、……剣の手入れですか?」

「うん。俺の剣は騎士団謹製きんせいとはいえ魔法が掛かったものじゃないから、魔王の城に行くのに刃こぼれやさびが出てたらいけないと思って」


 こちら側としては戦うつもりはない。けれど向こうは、アルテーシアが消えれば魔王が完全に覚醒かくせいすると信じている者たちだ。魔王本人がどう考えているかわからないが、武器の状態は万全にしておかなくては。

 アルテーシアは大きなブルーグレイの目を瞬かせ、柔らかく微笑む。


「剣を授けられているということは、セスさんは騎士団の一員なんですよね。……本当に、良かったんですか?」


 セスは黙ってアルテーシアを見返す。幸いにして、昨夜の襲撃で彼女が傷を負うことはなかった。ウィルダウの覚醒というか暴走もクォームのお陰で食い止められたし、セス自身もかすり傷と軽度の火傷程度で済んだのは……改めて考えると本当に幸運だったと思う。

 彼女はデュークが口にした、帝国が兵を送ったという話を気にしているのだろうか。


 帝国の主軍でもある五聖騎士ファイブパラディンは、それぞれが違う役割を与えられている。『黒き影のひょう』ギリディシア卿とその騎士団は帝皇ていおうの私兵でもあるので、デュークが言った「魔王を暗殺するため派遣」もあながち間違いではない。

 外征の際に中心的な役割を担うのは、『金の目の鷹』ケスティス・クリスタル。セスの上の兄であり、セス自身が所属している騎士団である。

 あの時ギリディシア卿と一緒に帰っていれば、今頃はセスも兄やその騎士団と一緒にハスティー王国へ向かっていたかもしれないが――。


「大丈夫だよ、ルシア。これは、俺がしたいと思って決めたことなんだから」


 アルテーシアを安心させようと笑顔をいて伝えたつもりが、何やらシャルみたいな言い方になってしまった。それでもアルテーシアはそれを聞いて安心したように微笑み、足元のシッポを抱えあげる。


「メンテナンスには時間がかかりますよね。先に頼んで、いつ仕上がるかを聞いて、買い物の帰りに寄るのがいいかもしれません」

「うん、そうだね。じゃ、ちょっとだけ」

「はい。終わったらわたしも竪琴ライアの調律のために、楽器屋さんに寄ってもいいですか?」

「それはもちろん! ルシアも、行きたいところあれば遠慮せずに言ってね」


 思ったより普通に会話ができている。セスは内心で胸をなでおろした。と同時に、胸中にもやもやを感じる。

 彼女だって、昨夜のラディオルの発言から今朝のさまざまな情報までの間に、いろいろ思うことがあったに違いないのだ。それでも、朝の明るい日差しの下で彼女の表情にかげりは見受けられない。

 それが、なんだか、寂しい気がする、なんて。


 今は昨晩と同じく、自分と彼女の二人きりだ。

 自分にだけは本当の気持ちを話してくれてもいいのに、という思いと、魔王とウィルダウの関係のせいで嫌われただろうか、という不安が、セスの中でせめぎ合っている。

 こういう自分はつくづく嫌だなと思いつつ、セスは鍛冶屋に入り、声をかけた。


 店番をしていたのは、つややかな黒髪を肩ぐらいで丁寧に切りそろえた、セスより歳上っぽい女性。前合わせの衣服と幅広の帯はどこかの民族衣装のようで珍しく、話し方も少しなまりがあるように思えたが、どの地方かまではわからない。

 共通語コモンで会話し剣を預け、彼女から預かり札を受け取る。前金を払って戻れば、連れの少女は店の入り口に飾られたうるし塗りの竹製甲冑を食い入るように見ていた。


「ルシア、夕方になる前にはできるって。……それが、どうかした?」


 女の子が喜ぶような物だろうか、と思いつつ声がければ、振り返ったアルテーシアが子供のように瞳を輝かせて興奮気味に話しだす。


「見てください、セスさん! これ、とても珍しい極東国きょくとうごくの鎧ですよね!? わたし、本物をはじめて見ました! 物語の通りにとても芸術的で、機能的で……」

「えーっと、そうなんだ? 良かったね、ルシア」

「はい! やっぱり本物は違います!」


 感動のあまり一曲ぎんじそうな勢いのアルテーシアにたじろぐセスだ。こういう部分は理解に時間がかかりそうだと思いつつ、楽しそうな彼女を止めるのもはばかられてしまう。

 はしゃぐ声を聞いて奥から出てきた老人とアルテーシアが極東国の話で盛りあがりだしたので、セスがいよいよ所在をなくしていると、店番の女性が親切にも椅子を勧めてお茶を出してくれた。


「すみません、ありがとうございます」

「いえいえ。祖父も楽しそうで何よりだわ。あなたの彼女さん、他国の歴史や文化に通じてらっしゃるのね」

「ははは……そうみたいです」


 彼女と言っていいのかは別として、そう見てもらえたのは単純に嬉しい。セスは火照る顔を隠すように、器につがれたぬるいお茶に口をつけた。

 新緑を思わせるふくよかな芳香は、帝国では馴染みのないものだ。彼女の服装や飾られている甲冑もそうだが、極東国のものなのかもしれない。


 ほんの少し興味を覚えつつも、初対面の相手にあれこれ聞くのは失礼に思えて、セスはまろやかな味わいとともに疑問を飲み込んだ。漏れ聞こえるアルテーシアと老人の話だと、やはり彼らは極東国からここへ移り住んできたらしいが……。

 他大陸にもいろんな国があるんだな、と月並みなことを思いつつ、セスはアルテーシアを待つ間、しばし他国の文化に思いを馳せるのだった。





 そのあと楽器屋に行って、やはり仕上がるのは夕方頃だと番号札を渡される。その足で広場に向かった二人は、途中の店で野菜と腸詰め肉ソーセージを挟んだ丸パンとミルクを買い、広場にしつらえてある長椅子に座って早めの昼休憩を取ることにした。

 二人きりならいろいろ話ができるかと思っていたけれど、歩きながら買い物しながらでは案外難しいと思い知る。


 時刻は、正午より少し早い時間。本日は快晴で、湿気が多くぬるい風が広場の中央に立つ風見鶏かざみどりを揺らしていた。

 遠方にうっすらかすむ灰色の山並みは『滅びの山脈』と呼ばれる連山だ。青に溶けかけた薄い雲が、山岳の頂上から立ち昇っているようにも見える。


 目に見えるからといって、手が届くわけではない。人が自分の手を伸ばしてつかめるものは、見えているもののうちほんのわずかだろう。

 あの山脈も、ゆっくり流れる雲も、輝く太陽も。

 こんなにはっきり見えているのに、途方もなく遠い場所にあるのだから。


 妹を……リュナを取り戻したいと、セスは思っている。それと同じくらい、隣のアルテーシアを守りたいとも思う。

 その両方を取りこぼさずやり遂げる、とセスはまだ確言できずにいた。


 賑やかにはしゃいでいたシッポも今は、ミルクをたらふく飲んで寝言のようなうなり声を漏らしつつ、膝の上で熟睡している。

 それを愛おしそうになでていたアルテーシアが、つと顔をあげた。


「……セスさん。また、なにか悩んでますか?」

「あ、ごめんルシア。そういうんじゃないんだけど」


 少しぼうっとしてしまい、アルテーシアに突っ込まれてセスは慌てた。あまり中身のない言い訳にも、少女はふんわり笑う。


「そういえば、たびたび話題にしておきながら、創世の古代叙事詩レジェンドサーガを歌ってきかせたことはなかったですね。竪琴がないので歌のみですが、……きますか?」

「ルシアの歌なら、俺は聞いてみたい」


 気分を換えてくれたのだろうか、それとも聞かせたい理由があるんだろうか。

 アルテーシアの笑顔は相変わらずどちらとも判断つけがたかったが、セスは素直に乗っかった。彼女の透明感あふれるソプラノを聞けば、胸の内のもやもやも晴れるかもしれない、と思ったからだ。


「はい、光栄です。……では、しばしご清聴せいちょうくださいませ」


 すっと持ちあげた手を柔らかな曲線を描く胸に添え、アルテーシアはゆっくりとした調子で歌いだした。



 原初はじまり火種ほのおあり

 炎は風への愛をうたい

 星光きせきによりて世界は紡がれた


 大地には光あふれ

 時計はりしるし歴史みちを刻み

 竜は人への愛をうたう


 されどかの日に

 嘆きをいだきし炎竜ほのお

 破滅の翼で惑星ほしをつつみ


 壊れた時計はり

 歪められし時を刻みて

 人は竜への憎しみをうたう


 砕けた絆は慟哭なみだとなりて

 終焉さいごの牙が大地をうがち

 虚無おわりへといざなわん


 終わりに満ちるうたの音は

 愛なりや

 憎しみなりや


 ゆえに人の子らよ

 星の希望ねがいをうたに託し

 約束ちかいをもてここに記さん


 黄金さす大地に

 銀の夢がくだりしとき

 原初はじまり火種ほのお叡智えいちをとりもどす


 いにしえよりの約束ちかいは満ち

 星はふたたび

 その力を大地にしらしめる



 悲しげな旋律と、思っていた以上に示唆しさ的な歌詞だった。想定を超えた内容に感想も思いつかず、言葉を失う。

 アルテーシアは反応を予想していたのだろうか、悲しげな視線を地に落として言った。


「……こんな歌詞ですので、往来で披露ひろうするには不向きなのです。古代叙事詩レジェンドサーガらしいといえば、そうですけど」

「うん。オル、クォームに聞いた内容とリンクしてるみたいだ、って思った。……でも、知れてよかったって思うよ」

「はい。……歌詞は現代語ですが、直訳ですので原文とそれほど意味は違っていないはずです。私の両親が所属していた神殿ではこれが、創世から終末を要約し、世界再生を予言したものだと信じられていましたが……あながち間違いではないのかもしれません」


 やわらかな旋律に乗せて創世を語り紡ぐ歌は、決別と破滅をもって最高潮クライマックスに達し、そのあとゆるやかに曲調を変えて世界の再生を歌いあげる。

 あまりに簡潔すぎて、歴史学者たちの間では解釈をめぐり、様々な論議がなされてきたのだろう。


「クォームやフィオなら、真実を知ってるのかもしれないね」

「はい。そう思います。そう思うんですけど……なんか、怖くって」


 睫毛まつげを震わせながら目を伏せ、彼女はささやくように心を吐露とろしていた。膝にそろえて置かれた手の指が震えているのに気づき、セスはそっと手を伸ばして彼女の手を取る。

 アルテーシアははっとしたように目を開き、おずおずとセスのほうへ視線を傾けた。


「大丈夫。何があっても、俺はルシアをから。……そう、選んだんだ」


 アルテーシアの手は細くて滑らかなだけど、楽器を扱うからか指先がぽってりしているのが印象的だ。それでも、剣を扱う自分のような固さは感じない。やわらかく力を込めれば、指の中で彼女の手が緊張するのがわかった。

 知られていない過去を探り考察を戦わせるのは、知的好奇心を刺激する体験だろう。けれどそれに心が躍るのは、どんなもっともらしい考察も解釈も、結局のところ空想の領域を出ないから――なのだ。


 真実が優しいものとは限らない。

 家族の絆が偽物だったかも知れないと突きつけられた、自分のように。

 信じていたものを打ち砕かれた、レーチェルのように。


 思いもしない真実を目の前に突きつけられたとき、はたして人は……自分は、それを受け入れられるだろうか。そんな不安を彼女も同じく抱えていたのだと知る。

 だからこそ、あの日の答えを伝えたかった。

 自分の中にどんなが潜んでいても、これから明かされゆく真実がどんなものであろうとも。セスの心はアルテーシアに寄り添いたいのだと。


「……セスさん。わたし、ただの吟遊詩人ですのに」


 うつむいた彼女の頰に朱がのぼり、手の中で彼女の指にぎゅっと力が込められた。それを感じるセス自身の心臓も熱を帯びて早鐘をうち、気の利いたセリフが何一つ出てこない。


「ううん、ルシアはすごく頑張ってる吟遊詩人の女の子、だと思うよ。俺も頑張るから……一緒に魔王に会おう」


 脳内をフル回転させて考えたのにありきたりな言葉しか出てこなくて、そんな自分にまたがっかりしてしまうセスだったけれど。


「はい。わたし、セスさんと一緒なら……がんばれる気がします」


 照れたように色づいたはにかみ笑いを彼女が返してくれたので、それだけでもうセスの胸は熱暴走ヒートアップしてしまい。

 この先なにもかも全部うまくやってやる、という根拠のない自信が湧きあがってきた、気がしたのだった。




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