二十四.天空をむしばむ呪い


 思い返せばあの火炎竜の少年は、レーチェル……というか、おそらく天空人てんくうびとのことを『裏切り者、諸悪の根源』と言っていた。

 ということは、魔王軍側は過去の真相を知っているのだろうか。


 涙ぐんでうつむくレーチェルに、アルテーシアがそっとハンカチを手渡す。デュークがキャンバスに書いた項目を消して書き直し、情報を整理している。

 セスはぼんやりと、さっきの話を思い巡らせた。


 天空人の先鋒に立ったのが英雄ルウォンとウィルダウだったから、レーチェルはウィルダウに心酔していたのだろう。――いや、ちょっと待て。ウィルダウが魔王を裏切って英雄を手引きしたのだとしたら……?

 ぞっとする事実に気づいてしまい、いても立ってもいられず、セスは小声でオルウィに尋ねた。


「オルウィ。過去に討たれた『魔王』と、今の魔王……ルシアのお兄さんは、別の存在――で合ってる?」


 あざやかなブルーの猫目がすっと細められ、セスを見る。何を今さら、とでも言わんばかりに、オルウィは小声でささやく。


「今の魔王も、ルウォーツって呼ばれてんだろ? 転生か復活かまでは知らねーけど、少なくとも以前の記憶はあるんじゃね?」

「……そっか、そうだよね」


 ――すべてを知れば、彼女はきみから離れていく。――


 あのときウィルダウがささやいていたのは、こういう意味だったのか。

 デュークの予測が正しいと仮定すれば、ウィルダウは魔王つまりアルテーシアの兄にとっては裏切り者であり、命まで奪った相手だ。その事実は彼女の目にどう映るのだろう。


 何も知らなかったのは自分もだ。この身にウィルダウの魂が憑依ひょういしている限り、彼女に近づく資格など――ないんじゃないのか。

 あんまりな事実に打ちのめされるセスに気づいているのか、いないのか。箇条書きの整理をし終えたデュークが、顔を上げて口を開く。


「……レーチェル、ここまできたらもう隠しておく意味はないだろう。おまえが、というよりは天空の地が抱えている問題を、詳しく話してくれないか」


 借りたハンカチを握りしめたまま沈黙していたレーチェルが、顔を上げる。瞬きでこぼれそうになる涙を拭いつつ、天龍の巫女と呼ばれた少女は頷いてゆっくりと話しだした。


「デュークには見破られておりましたが、わたくしの住まいは天空連山てんくうれんざんではありません。しかし、あの地には、わたくしたち天空人が住む『天空の地』と地上をつなぐ、転移門ゲートがあるのです」

「……天空人は、天空神である『天龍てんりゅう』に直接仕える種族だ。外観は人間と変わらないが、天龍が授けた『天空魔法』を扱えて、背に純粋な魔法力でできた『翼』を展開できる。五百年前は地上でもよく見かけたが、今はほとんどが天空の地へ引きこもったようだな」


 デュークが補足する。ということは、彼ははじめからレーチェルの正体に気づいていたのだろう。ラディオルに対する返答も挑発ではなく、本気で気になったのかもしれない。

 とにかくつまり、レーチェルの箱入り令嬢っぽさも伝承に関する知識の食い違いも、これで理由がわかった。


「はい。天龍様は先の魔王戦役のあと、天空神殿が侵略されることのないようご自身の地所に守護結界を張った……と言われております。天龍様は元々守護に長けた神ですので、その地所に住まうわたくしたち天空人は、外敵や病に脅かされることなく暮らしておりました。五百年の間……ずっと」

「ん? てことは、レーチェルもデュークと同じく五百歳!?」


 確かに話を聞いて、セスもそれを思わなかったわけではない。だが、口にするのはためらわれたというのに――シャルの爆弾発言に肝が冷える。

 レーチェルは一瞬すべての動きを止め、それから紺碧こんぺきの目を細めてシャルを睨んだ。


「女性に年齢の話は……って、もうっ。わたくしはまだ十七年しか生きておりません。確かに、天空人の中には、五百歳を超えた年長者もおりますが」

「え、デュークと一緒!?」

「えぇっ、まじで!?」


 聞き流すはずがつい声に出していて、そんなつもりはなかったのに二人で綺麗に重なハモってしまった。デュークが無言のまま木炭筆チャコールペンでテーブルを叩いたので、セスはシャルと顔を見合わせ口をつぐむ。

 沈黙が戻ったのを確認し、デュークが会話を引き取った。


「エルフだって寿命の長い種族なんだ、不思議はないだろう。……とはいえ、私の知っている時代の天空人は不老ではなかった。輝帝国の礎を築いた英雄ルウォンだって、とうの昔に天寿を全うしている。つまりだ、天空人が不老を得られるのは天空の地でのみ……具体的には天龍の守護結界の中でのみ、なのではないか?」


 英雄ルウォンは天空人だった――のだろうか。帝国において魔王が御伽噺おとぎばなしの存在であるように、彼もまた英雄譚の中の存在だ。

 でも魔王は実在していたわけだし、本当に英雄が天空人でデュークの推測通りなのだとすれば、詳細がぼかされて伝わったのも納得できることではある。

 カタリと音を立てて、椅子の上に乗っていたオルウィが座り直し、姿勢を正した。レーチェルはうつむき、しばらく考えてから答える。


「ええ、そうかもしれません。いずれにしても、わたくしたちはその状況に疑いを抱いてはおりませんでした。……しかし、父によれば、呪いのきざしは十年ほど前から現われていたそうなのです」

「……呪い、か。もしかしたら既存の病や呪術に、似たものがあるかもしれないが」


 オルウィが挙手しかけて、やめた。何か言いたげな彼の様子が気になるものの、今の流れで話の腰を折るわけにはいかない。

 レーチェルが頷き、続ける。


「治療師も病名を特定できず、呪いと判断なさったようですが……地上にある病の可能性はありそうですわね。その病は三百歳以上の者に発症し、全身の虚弱化、四肢の衰え、皮膚の劣化、といった症状があらわれます。進行すると食欲が失せ、徐々に衰弱してゆき、やがてとこに伏せったまま起きあがれなくなってしまうのです」


 進行性の難病みたいだ。デュークも険しい顔で眉を寄せ、何かを考え込んでいる。

 ついに我慢できなくなったのか、オルウィが挙手した。


「……なんだ、オルウィ」

「あのさ。なんつーか……この空気すっげぇ言いにくいんだけど。デュークも気づいてんなら回りくどくやってんじゃねーって。天空の地に発生したその現象は、呪いじゃねーし病気でもない。アンタわかってんだろ」

「まあ、な」


 苦く告げる銀竜の少年に、デュークは困ったような表情を向けて同意する。そして、何事かと目を見開いて見守るレーチェルに言いにくそうに告げた。


「……オルウィの言う通りだ。レーチェル……その症状は、おそらく病ではない。一部の長寿種族を除くが、人ならいずれ誰でも迎える……老化という現象だ」

「あぁー、言われてみればウチのじいちゃんも!」

「シャルはしばらく黙ってろ」

「はぅ! すみません!」


 シャルが口を挟みたくなるのもわかる。言われてみれば確かにそうだ。

 驚いたように目を丸くしていたレーチェルも、しばし考え、納得したのだろう。うつむいて涙ぐみ、借りたハンカチを目元に当てて呟く。


「……天龍様は魔王様から奪った『永遠』を、わたくしたち天空人に分け与えていたのですね。力が弱まり、守護結界の中であっても年長の者から老化が進行しはじめた……ということでしょうか」

「現象としてはそーいうこと、かな。でも、フツー人間ヒトは一気に歳とったりしない。長い間享受きょうじゅし続けた『永遠』の反動で、進行が早まってる可能性もあるぜ」


 オルウィの補足に、レーチェルは「そんな」と悲痛な声を上げた。


「天空の民を……わたくしの父を、救うことはできないのでしょうか」

「んんー……。オレも結局はじかに見てないわけでさ? でも、反動を緩和する方法ならあるかもな。何にしても、ルウォーツが権能ちからを制御できる前提だけど」


 レーチェルの隣で、アルテーシアが身を固くする。そろそろと手を挙げる彼女を、デュークが指名し発言を促した。


「あの。……それはつまり、兄は……魔王ルウォーツではなく、わたしの兄のディヴァスは、どうなってしまうんですか?」

「だからぁ、オレ様まだ魔王に会ってねーってんだけどさ。ま、気持ちはわかるけど」


 改めてここに集うそれぞれが、みな違う目的を持っているのだと思い知る。

 セスだってリュナを取り戻したい。けれど現状では妹についての情報は皆無で、どこから手をつければいいのかわからないままだ。

 うつむく少女たちを交互に見、デュークが低く呟く。


「やはり……エルデ・ラオ主城、いや今は、魔王城というべきか? まあ、どっちだっていいか。とにかくそこへ乗り込むのが早そうだな」

「うぇ、本気かよ。魔王はともかく、魔将軍たちの思惑おもわくまだ全然わかんねーじゃん」


 オルウィがあからさまに嫌そうな顔で言った。驚きの提案にセスはつい、デュークをまじまじと観察する。

 話の腰を折られまくって投げやりになった……というわけではない、と思うけれど。

 デュークの肩に乗ったフィーサスが、つぶらな黒い目をキリリとつりあげ、「ぷーきゅー!」と鳴いた。同意だろうか。


「作戦あんの? デューク」

「……実は、輝帝国がハスティーに兵を送ったという情報が入った。今すぐに……ではないが、ハスティーと帝国の連合兵力はエルデ・ラオ、現魔王軍領へ進軍するつもりだろう。そうすれば、魔将軍も戦線に集中せざるを得ないだろうから、城のほうは手薄になる」

「え、戦争、ハスティーが? 帝皇ていおうがそれを決断したのか?」

「そこは……どうだろうな。進軍はあくまで陽動で、秘密裏に黒豹ディスクを送り込み魔王を暗殺するつもりかもしれないぞ」


 シャルとセスに交互に答えながら、デュークは意味深な笑みをオルウィに向ける。

 銀竜の少年は眉間にしわを寄せ、今にも泣きだしそうな表情で彼を見つめるアルテーシアから目をそらしつつ、うなった。


「あのなー。そういう言い方って卑怯だぜ? 戦争なんて、人間たちが勝手にやって勝手に滅びれば……」

「ダメだよ! 戦争なんて、ボクはいやだよ!」


 割り込むような勢いで声を上げたのは、フィオだった。オルウィの渋面じゅうめんが一転して悲愴ひそうな表情になる。


「だからってどうすんだよ、フィオ。魔王軍の舵取りしてんのが誰かはわかんねーけど、バリバリにヤル気だっただろー? 魔王軍も帝国軍も戦争したいってんなら放っとけば?」

「それは違うよ、オルウィ! 起きるとわかってるなら、起きる前に止めなきゃ」

「うぇー……めんどくさ」


 フィオに熱く食い下がられたオルウィはうめくように言って頭を振ると、気怠けだるげに細めた目でデュークを見る。


「で、実際。止められんのかよ、……アンタはどう思ってるわけ?」

「どうだろうな。私はまだ魔王に会ったことがないから、彼らがを知っているわけではない」

「……ハァ」


 だんだんとデュークの意図がわかってきた。と同時に、それがとてつもない難題なのも理解できてしまった。オルウィが嫌な顔をするのも当然だ。

 今さら挙手は必要だろうか、と考えつつも、セスは思いきって発言してみる。


「デュークもしかして、帝皇ていおうと魔王が会談する機会を設けようと考えてる?」


 返ってきたのは、無言の笑み。これは――肯定ビンゴだろうか。

 確かに、聡明な現帝皇ていおうと元から争う意志はない魔王が直接会い、話し合うことができれば、戦争は回避できるかもしれないが……。

 すでに魔王軍はエルデ・ラオを攻め落としている。

 今さらそんな話し合いが可能なのだろうか。


「うー、うー……わかった。どうせ魔王城にはかぎ探しに潜り込むつもりだったし、ついでにおまえたちが会うための道も開いてやるよ!」

「そうこなくてはな」


 本当に魔王城へ乗り込む流れになりそうで、セスは背筋が伸びる気分とほんの少しの高揚感を感じる。

 今の魔王はつまり、アルテーシアの兄だ。自分を見てどういう反応を示すのか――知るのは怖いけれど、向き合うとなれば覚悟を決めるしかない。

 と、オルウィの台詞に気になる言葉を見つけ、なんの気なしに尋ねる。


「オルウィ、鍵って何の?」

「ん? あー、鍵はさ」


 少し黙った空白は、上位竜族としての認識ことばを人間向けに変換するためだろうか。短い逡巡しゅんじゅんのあと、彼はセスを見て続けた。


「オレ様は、この世界の崩壊を回避するために『五つの鍵』……鍵になる五つの要素ファクター――を探してるんだよ」




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