二十二.夜が明けて


 結局その直後に二匹の犬とシャル、レーチェル、町人が数人現場へ到着したので、とても話の続きを聞ける状況ではなくなってしまった。

 銀竜と一緒に夜空を飛翔したのを見られたんじゃないかと、セスは気が気でなかったが、誰もそこには言及しなかったので大丈夫だったようだ。


 デュークが、オルウィは自分の知り合いで、協力して火炎竜を退けた――と説明すると、町の人たちは驚くほどあっさり納得して帰っていった。どうやら、傭兵ようへいとしてのデュークを知っている者が泊まり客の中にいたらしい。

 現場はあふれた海水で鎮火していたし、時間は遅く、今できることもないからだろう。

 最後に上役うわやくのような男性がデュークに、謝礼についての話を少ししてから立ち去っていった。


 時刻はもう深夜。睡眠不要なデュークはともかく、今から何かを話し合える時間ではない。何よりセス自身が立っていられないほど疲弊ひへいしている。

 レーチェルは何か言いたげだったが――その内容もだいたい察しはついたが、とりあえずは全員で宿へ戻ることにしたのだった。





 浴室を借り、身体を洗って着替えることにする。大きな怪我はなかったが、小さな傷や火傷に湯がしみて痛かった。

 据えつけられていた姿見に自分を映してみたけれど、覚醒したといっても特に外見上の変化はないように思う。


 部屋着になって部屋に戻ると、デュークとレーチェル、オルウィとフィオの四人が集まっていて、セスは少しぎょっとした。

 フィオはベッドの上で枕を抱えてうとうとしているし、オルウィは器用にも窓枠に腰掛けている。デュークは部屋の隅に立っていて、レーチェルはソファを占拠していた。シャルと犬たちは見当たらない。


「どうしたの、みんな」

「――どうしたの、じゃ、ありませんわ! わたくしには『危険だ』『覚醒かくせいを急ぐな』とかおっしゃっていながら、その夜に覚醒するとかふざけていらっしゃいますのね? デュークも、なぜ止めなかったのですか!」

「……すまん。実は私も、これはもう駄目だと思った」

「なにをあっさりあきらめようとしていらっしゃいますの!?」


 途中からレーチェルの怒りはデュークに向いたが、彼女が彼を名前で呼ぶようになったことにも気づき、ほっこりした気分になる。

 それはそれとして、あのときの状況はセス自身もよく理解していない。

 正直、自分でももう駄目だと思うほどに、ウィルダウの存在力は圧倒的だったのだ。


「ごめん、レーチェル。ただ、俺自身も必死すぎて、よくわかってなくって。……覚醒っていうより、ウィルダウの意識に身体を乗っとられたみたいだったよ」

「……おまえは、左目がすみれ色に変化していた。現代には伝わっていない召喚呪文を唱えて、魔獣リヴァイアサンを呼びだしたんだ」


 デュークに言われて、あのときひどく左目が痛んだことを思いだす。そっと目の周りに触れて見たが、今は痛くもかゆくもなかった。


「あー、なるほどッ」


 窓枠に座って話を聞いていたオルウィがふいに呟き、全員の視線が彼へと向く。

 レーチェルが何も言わないのを見ると、セスが着替えている間に自己紹介と事情説明は済んだのだろう。


 トン、と窓から身軽に飛び降り、オルウィはまっすぐセスの側にやってきた。背丈はほとんど変わらない彼が、ブルーの猫目を近づけて顔を覗き込んでくる。

 なぜか瞬きすら許されない気がして固まっていると、数秒見つめたあとでオルウィは距離をとり、部屋の全員を見回した。


「今はもう馴染んでるから違和感ねーだろけど、左目に触媒しょくばいが埋め込まれてるっぽいぜ。だから力が高まると魔力がそこに集中して光るし、痛むんじゃないかな。いいじゃん、オッドアイ、格好イイって」

「いや、そういう問題じゃないだろ。っていうか、オルウィは俺を助けてくれたとき、どんな方法使ったんだ?」


 そんな軽いノリで格好いいとか言われても、セスとしては深刻な問題なので頷けない。オルウィは一瞬目を大きく開き、それからからりと笑った。


「おまえが身につけてた魔石の力を借りたんだよ。そっちに魔力をちょっと入れてやって、発現している権能ちからを押さえ込むよう仕向けたんだぜ。すげーだろ」

「……信じたくありませんが、上位竜族という名乗りは本当のようです」

「え、そんなにすごい技なの?」


 身につけていた魔石とは、リュナのペンダントのことだろうか。

 オルウィのとった手段を聞いてもセスにはイメージが湧かなかったが、レーチェルにそう言わしめるくらいなら相当すごいのだろう。なんと答えたものか思いつかず、助けを求めてデュークを見ると、彼はひとつため息をついて言った。


「……今夜はもう遅い。それに、子供フィオもいることだ。すぐに終わる話でもないし、明日、朝食を食べながら改めて話さないか」

「それも、そうですわね」


 息ぴったりに同意を返すレーチェルは、いつの間にデュークと打ち解けたのか。

 深刻なことからちょっとしたことまで聞きたいことは山積みだけれど、デュークの提案ももっともだ。移動続きで疲労も蓄積しているし、よく考えればセス自身も起きていられる体力ではなかった。


「うん、わかった。オルウィとフィオは、部屋借りられた?」

「……今の時間はさすがに無理だろう。明日、主人に事情を話すから、今夜は私のベッドを使うといい」


 デュークに言われ、オルウィはベッドの上に丸くなっているフィオを見てへらりと笑う。


「オレたち本当ホントは睡眠とかいらないんだけどさー……。ま、あんたもそうゆーのいらないっぽいし、フィオだけ寝かせてもらおっかな」

「ああ、そうしてやれ。……ではな、おやすみ。セス、レーチェル」

「ではわたくしも休みます。また明日あらためまして、今後について話し合いましょう」


 レーチェルがそう言って優雅に礼を取り、部屋から出ていく。デュークは眠っているフィオに上掛けを被せてやると、空いたソファに掛けて本を開いている。

 オルウィが「また明日ー!」と言いつつひらひらと手を振って、部屋を出ていった。

 それほど広くない宿の部屋に静寂が戻ってくる。


 眠る前にアルテーシアの様子を見に行こうかな、と思いつつも、全身を侵食する疲労感にあらがえず、セスは空いているベッドに倒れ込んで目を閉じた。

 もう一歩だって動ける気がしない。

 ドロドロとまといつく睡魔に意識を溶かされる。そのまま夢も見ずに、気がつくといつの間にか朝になっていた。




  ☆ ★ ☆




 起きたらすでに、部屋には誰もいなかった。それほど寝坊したわけでもないのに、みんな元気だな……とぼんやり思う。

 急いで身支度を整え階下に降りると、カウンターの辺りでデュークが、昨日の上役らしき男性と話しているのが見えた。

 深刻そうな様子ではないが、ここからでは内容までは聞きとれない。

 と、ふいに背中をぱしんと叩かれた。シャルだ。


「おっはよー、セス! 昨日はお疲れっ」

「おはよう、シャル。昨日は、押しつけた挙句に心配かけてごめん」


 そういえばちゃんと謝っていなかった、と思い、セスは表情を取り直してぺこりと大きく頭を下げる。

 シャルは「えぇぇ」と声を出してうろたえていたが、顔を上げないセスに痺れを切らしたのか、いきなりしゃがみ込んで下から目を合わせてきた。


「謝るなって。結果的に無事だったんだし、セスは、そうしたかったんだろ?」

「うん、……そうだけど」

「まぁさ、これでセスが大怪我したとか、ルシアに何かあったとかなら、俺も怒ったけどさ! 誰かに言われたからじゃなく、そうしたいから動くって大事だと思うな」


 見あげてくるハシバミ色の瞳はまっすぐで、じっと見あげられているのが照れ臭くなったセスは、自分もシャルに合わせてしゃがんでみた。

 視線の高さは一緒になったが、酒場の隅とはいえ二人でしゃがみ込んでいるのもおかしな光景だと思う。


 そうしたいから動く、ということ。

 シャルはきっと、そのスタンスを大事にしているのだろうとわかった。

 自分が何者であっても、どんな力を持っていても、いつだって態度を変えない彼には、ずいぶんと精神的に助けられている気がする。


「……ありがとう、シャル。昨夜はいろんなことが一気に起きすぎて、ゆっくり説明できなかったからさ。ご飯食べながら情報合わせして、これからの方針決めよう」

「オッケー! それなら早いとこ食べようぜ! フィル、ファー!」


 身軽く立ちあがったシャルが、二匹の犬を呼ぶ。即座に飛んできた犬たちと一緒の仔狼を見て、セスも急いで立った。思った通りアルテーシアが階段を降りてくる。


「ルシア、おはよう。……ちゃんと眠れた?」

「おはようございます、セスさん。はい、大丈夫……です。あの、昨日はいろいろと、……すみませんでした」


 なんだろう、そんなつもりはないのに空気が妙に甘くなっている気がする。

 シャルがすすっと身をひいたのに気づいた。そういうことをされると、ますます変に意識してしまうのだが。

 いつも空気を読まないくせに、どうしてこういう時だけ察しが良くなるのか。


「謝ることなんて……、そ、それより、朝食、食べてしまおうか」

「は、はい、そうですね」


 昨夜一晩でお互いにいろんな話をして、一緒に襲撃に立ち向かい、二度も彼女の涙に胸を貸した。意識しないようにと思ったって無理に決まっている。

 きっとアルテーシアだって同じ心境に違いないのだ。


 ぎこちなく会話するセスとアルテーシアを、二人に突撃しようとジタバタする仔狼シッポを抱えてしばらく見守っていたシャルが、ついに間がもたなくなったと判断したのだろう――シッポを床に放す。

 仔狼は当然のようにアルテーシアに駆け寄って、その足に絡みつき、ふいをつかれた彼女が驚いて小さな悲鳴をあげた。


「ちょ、シッポ! 危ないでしょっ」

「くぅん、くぅーん」

「シッポも腹減ったってさ! セス、ルシア、行こうぜー!」


 けらけら笑いながらシャルは言い、その屈託ない笑顔につられてセスも顔がゆるむ。

 

「うん、行こうか。ルシア、シャル」

「はい!」


 昨日の夜、セスの胸にのぼった「彼女を守り抜く」という誓いは、決してひとときの感傷などではない。

 明らかにされた真実が彼女を傷つけるなら、その悪意に立ち向かおう、と思う。

 それが共感なのか、恋心なのか、それともさらに別の感情なのか――、今はまだ答えを得ていないとしても。


 隣を歩く彼女の存在を愛おしく感じながら、セスは胸に刻んだ誓いを新たにするのだった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る