〈幕間二〉練金術医師の心配ごと


 薄暗く明かりを落とした医務室の扉が騒がしく叩かれた。ソファに敷いた毛皮に埋もれてうたた寝していた部屋の主が、うっすら目を開け身体を起こす。


「入るよ、セルフィード!」

「……なんだ、ラディオルか」

「ちょ、マジで何なのさ! 昼間っからカーテン閉めきって、アンタ吸血鬼かよってぇ!」

「んー……、おまえはうるさい子竜だな」


 ふあ、と欠伸あくびを漏らして身を起こし、乱れた黒い長髪を適当にまとめてくくる。改めてうるさい子竜を見れば、髪も服もずぶ濡れで乱れきってみすぼらしい有様だった。


「子竜言うなっ! それよりぃ、ヴェディをてやってよ!」

「……ふむ。言っておくがラディオル、ここは医務室で清潔が第一だ。どこの海で遊泳してきたのか知らないが、床にこぼれた海水だまりは不衛生で――」

「だーかーらー、ソレはあとで聞くからヴェディ診ろっつってんだーろぉ!」

「おまえは短気だな」


 やれやれと呟きながらセルフィードと呼ばれた医者はソファから立ちあがり、黒いローブを適当に叩いて整えた。棚を開け、薬瓶をいくつか選んでポケットに突っ込む。

 道具の入った黒い鞄を持ちあげたところで、ジト目で見ているラディオルと目が合った。


「あのさ……いつも思うんだけどぉ、医者のクセに黒ローブってそっちのほうが不潔っぽさっししぃじゃん?」

「そうか? 私は元々錬金術師アルケミストだし、おかしいとは思わんが。子竜よ、おまえはどんな衣服なら医者らしいと思うのだ?」


 興味を覚えて問い返せば、真紅の少年は視線を泳がせてから、ぼそぼそと答える。


「たとえば……白衣、とか」

「白衣? ふぅん、まるで祝い事の式服だな。血液や薬剤が染みついたら二度と着れなくなりそうだ」

「う、うるっさいなぁもう! 白なら汚れとか見わけやすいしぃ見たカンジ神聖感あるかなってぇ、思っただけ! 早く行けよー!」


 いつも通りキャンキャン吠えだした子竜に慈しみの目を向けて、錬金術師で医師でもある黒髪の青年は、火炎竜の治療をするため階下へと向かったのだった。





 ラディオルが騒いでいたわりに火炎竜の傷は深くなかった。怪我した部位を洗って薬を塗り込み、傷口を覆う布を貼りつけてやれば、火炎竜は感謝を表すように頭をすりつけてきた。よしよし、と鼻をなで、立ちあがる。

 同じ竜舎にいた飛竜が首を曲げて覗き込んできたので、そちらもなでてやる。


「セルフィード、ここにいたのか」


 声に振り向けば、竜舎の入り口にもたれるようにして腕を組んだ、体格の良い人間の男性がこちらを見ていた。金糸に彩られた白い神官職服と頭に巻かれた白いターバン。やはり白衣は医者ではなく神官の正装だなと思う。

 それにしても捜されるような覚えがなくて首を傾げたセルフィードは、手っとり早く聞き返してみることにした。


「何か用かね? おまえも怪我をしたのか、ネプスジード」

「そんなわけあるか。貴様、ラディオルから話を聞かなかったのか?」

「白衣の話か? 貧乏な魔王軍に使い捨ての作業着など分不相応だと、私は思うよ」

「は? 意味がわからん。そうではなく、ルウォーツ様の半身が見つかったという報告だ」


 そんな話は聞いていないから、ラディオルは話し忘れたのだろう。ずぶ濡れで帰ってきたところ、旧友ウィルダウの魂を宿したあの少年が襲撃に刺激され覚醒したのかもしれない。

 もしそうなら、セルフィードにとって悪くない展開ではある。


「それが私と何の関係があるのかね」

「寝ぼけているのか貴様は。ルウォーツ様の覚醒が進まないのは、御身が母親の胎内でふたつに分かれてしまったせいだという話だろうが。元凶が見つかったのなら、魔将軍総出で狩りに行くべきだろう?」


 ギラギラと凶暴な光を閉じ込めた琥珀こはくの目が、セルフィードは少し苦手だった。

 敬虔な神官の姿をとりながら、この男の本質は猛獣だ。いつも血に飢えて、獲物にできる相手を探している。


 確かに彼の完全覚醒は、セルフィード含めた魔将軍たちの悲願でもある。

 しかしネプスジードのやり方は強引で残酷で、このままでは近い将来に人間たちとの全面対決をまぬかれられそうにない。

 そういう事態は自分の望むところではないし、その果てにまたも彼が人に討たれるようなことになれば、この五百年は何だったのかとも思ってしまうのだ。


「私は行かないよ。……あの方の体調管理が、私の役割だからね」

「臆病者め。まあ、いいだろう。現状を認識させ受け入れられるよう説得するのも、主治医の役割だろうからな」


 吐き捨てるように言い、きびすを返して歩き去る後ろ姿を見送って、セルフィードは小さくため息をこぼす。

 半身を殺せば完全覚醒するだろうとは、光の魔将軍であるネプスジードが提唱した解釈だ。人間である彼は各国の伝承や古代叙事詩レジェンドサーガにも通じていて、神殿が公式見解として述べている解釈を持ちだし、他の魔将軍たちをきつけている。

 それは危険なことだとセルフィードは考えていた。


 伝承にしても予言にしても、その本当の意図は書き記した者にしかわからない。都合よく解釈し、政治利用し、自分にとって都合の悪い真実を隠蔽いんぺいするのは――人間たちの常套じょうとう手段だからだ。

 第一、力を付すため選ばれるのは魂が生を受けた瞬間だろう。双子は最初からとして生じたのであり、力を与えられた魂が二つに分かれたわけではない。


 少し逡巡しゅんじゅんし、セルフィードは竜舎をあとにする。

 この件は自分の口から、当人に伝えておいた方がいい気がしたのだ。





 コンコン、と扉を叩くと、珍しく部屋の中から応答があった。伏せっていることが多い彼だが、今日はいくらか調子が良いのだろう。


「失礼。加減はどうだね、……魔王」


 天蓋てんがいがついた大きなベッドの端に腰掛けて読書をしていたらしい青年が、呼びかけにこちらを見る。

 中性的で優しげな顔だちと、眠たげな翡翠ひすい色の双眸そうぼう。銀糸の絹のように癖のない髪がベッドの上に広がっていた。


「今日は、悪くない。夕飯に果物が出て、嬉しかったかな。……薬は苦かったけど」

「魔王の舌は子供のようだな。ところで私の前に、誰かが訪ねたか? やんちゃ子竜とか、外道神官とか……」


 ふふ、と笑い、彼は本を閉じて傍らに置く。そして、ゆっくり首を振った。


「今日は、朝にグラディスが来たくらい。さっきまでは僕も眠っていたから、あとは知らない。……久しぶりに、ルシアの夢を見たよ。あの子、また、泣いてた」


 グラディス――中途半端に覚醒した状態で外道神官に都合よく使われている、黒髪の少女を思い浮かべる。妖魔の森で見つけたと言ってエルフ騎士のナーダムが連れてきたときには、どんな恐ろしい目にわされたのか、彼女は記憶と自我を失いかけていた。

 まずは治療を、と主張した自分を押しのけ覚醒を強行したのは外道神官だったが、彼女も最近はよく喋るようになったし時には笑うこともあるしで、だいぶ精神状態は安定したように思う。


 彼女も魔王と話すことで、自分を取り戻そうとしているのかもしれない。本来は、あんな男の言いなりになるような女性ではないのだから。

 魔王も彼女も自分たちなりに状況を受け入れて適応しようとしているのだ。それでも、人間として生きてきた十数年は彼らの中でまだ大きな比重を占めている。そこに理解を示しつつ方向づけてやるのが主治医としての役割だというのを、否定するつもりはない。

 とはいえ、ネプスジードに迎合げいごうする気もなかった。


「貴方が見た夢ならそれは、真実の片鱗かもしれんな。何せ、やんちゃ子竜が魔王の半身を見つけたと、息巻いていたようだし」


 魔王と呼ばれる青年は、その報告に動きを止めた。翡翠の目を瞬かせ、ゆるゆると顔をあげてセルフィードを見つめる。


「僕はあの子に……隠蔽いんぺいのまじないをかけてきたはずなんだけど」

「詳しい状況は私も聞いてはいないのだよ。……だが、魔法や呪いのたぐいで運命は曲げられない。それは魔王、貴方が、一番よく知っているだろうに」


 覚醒が不十分な魔王の魔力でできることなど限られている。隠蔽いんぺい程度の魔法など早々に破られると想定し、自分も様子を確かめにおもむいてはみたが、彼女と一緒にいた者たちはなかなかに運命的で面白かった。

 これならば、足並みそろわぬ魔将軍側とも良い感じで渡りあえるのではないか、と思うものの、それを伝えるには情報が足りていない。


 青年の翡翠の双眸が泣きだす直前のように、細められる。

 こらえるように目を伏せ、彼は素直に頷いて答えた。


「わかってる、君の言うとおりだ……セルフィード。僕が、早くこの権能ちからを使いこなせるようになること。それが彼らを黙らせる唯一の手段だってことは、ちゃんとわかってる。でも、難しくて」

「貴方の身に宿っているのは原初の魔法より純粋な、人が持つべきではない権能ちからだ。……人の間に産まれてまだ十数年のその身には、負担が大きいだろうと思うよ」

「君が、そう言ってくれるのが……僕にとってのなぐさめだ」


 線の細い人間の容姿をしている彼が慣れぬ力に翻弄ほんろうされ弱っている姿は、痛々しい。だが、だからといって可哀想とは思わない。

 彼は人の間に産まれたというだけで、本質的にのだから。

 時間さえかければ……数十年、数百年をかけていけば、必ず使いこなせるようになるという確信はあるのだ。


 だというのに、悲願を長く待ちすぎたからか、あるいは人間の感覚が染みついてしまったせいなのか、ネプスジードをはじめ他の魔将軍たちは待とうとしない。

 それが魔王を危険にさらすことになると、なぜ気づかないのか、と思う。


 そうだな、と、思いつきを得て胸のうちで呟いた。

 外道神官の狩りに付き合うつもりはなかったが、放っておいて横暴に振る舞われるくらいなら、一緒に行って彼の思惑おもわくを邪魔してやるのも悪くない。

 彼は人間であり、せいぜい百年も経てばあっさり朽ち果てる存在なのだから。


「安心するがいい、魔王。貴方の妹が外道神官たちに害されぬよう、私も策をろうしてみよう。だから、貴方は少しでも早く、としての本質を取り戻すがいい」




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