二十.覚醒する魔性【挿絵あり】


「そんなことさせない。俺が許さない!」


 自分の背後で息を飲んだアルテーシアの気配を察し、セスは咄嗟とっさに叫んでいた。少年が目を丸くし、それから楽しげに声をあげて笑う。


「なになにぃ、おにいさんとおねえさんって、そういうゴカンケイ?」

「あなたに教える理由はありません。わたしだって、死ぬつもりなんかありませんから」


 こんな状況なのに、アルテーシアが少年の言葉を否定しなかったことが、ちょっと嬉しいだなんて。

 浮つく心を叱りつけ、セスは努めて冷静にさっきの言葉の意味を考える。


 ディヴァス・ウィルレーン。

 最初に会った時、アルテーシアが紹介した兄の名はそれだ。

 しかしあかい少年の話ぶりからして、ルウォーツというのが彼女の兄を指しているのは間違いない。レーチェルがセスをウィルダウと呼んだように、ルウォーツというのは彼の魔将軍としての名前なのだろう。


 炎の魔将軍を自認するこの少年の話が事実なら、アルテーシアの兄はまだ。つまり、半身と呼ばれる彼女が無事である限り、取り戻す手立てがあるのでは。

 セスがそこまで考えたのと、デュークの詠唱が響き渡ったのはほぼ同時だった。


「〈暴威を孕みし風の壁よVarsosmos-Roun-WithHashこの地を覆いHerll-Roun迫りくる炎禍を退けよVher-VarsickFley-Kefel〉」


 デュークの足元を中心に、逆巻く風の渦が出現する。それはほの青く発光しながらあっという間に展開し、三人と少年を隔てる壁となった。

 少年が不満そうに眉を上げて言い捨てる。


「ホントさぁ、おにいさん何なのさー? 魔力ぶつけ合いの持久戦とかぁ、何が楽しいわけー!?」

「私も相棒コイツも、時間と持久力と魔法力は有り余っているからな。不死者なんてそういうものだろう?」

「やぁだよ、ボク、がまん比べなんてゴメンだね! アンタが連れてる風の精霊モドキなんかよりボクの相棒ヴェディのほうが優秀だって、証明してやるよ!」


 いらだちを声に乗せ宣言した少年に呼応して、火炎竜が大きく口を開いた。目がくらむほどあざやかな炎が吐きだされ、結界にぶつかって火の粉が周囲に飛び散ってゆく。

 デュークの肩に乗っていたらしいフィーサスが、全身と尻尾の毛を膨らませているのが一瞬見えた。


 あのフワモコ毛玉種、まさかの精霊だったと思いつつも、口にできる状況ではない。余裕で結界を維持しているデュークが力負けすることはなさそうだが、散った炎は夜風に運ばれ近場の建物に燃え移っている。

 火炎竜の継戦力がどの程度なのか定かではないが、このままではいずれ町が火の海になってしまうだろう。


 ――が、その懸念けねんは思わぬところから解決された。

 ふいに町のほうから白い輝きが生じ、みるみる膨張して町全体を包み込む。飛び火を弾くようにして広がった光の膜は、何かの結界のように見えた。


「嘘ぉ……天龍の巫女……まさか、このための時間稼ぎだったのぉ? 何ソレやな感じ!」

「フン、これで私としても、背後を心配せず存分に戦えるというものだ」


 明らかな動揺を見せて毒づく少年と、機嫌良さげに言い放つデューク。しかし、セスにはまだいまいち状況がつかめない。

 この結界発動は、デュークにとって想定通りだったようだ。と、いうことは。


「天龍の巫女って……レーチェルのことなのか?」


 思わず独り言が口をつき、ちらとこちらを見たデュークがうなずいた。少年は火炎竜の首を叩いて炎を止めさせ、鼻で笑う。


「ふぅーん、知らないでお仲間ゴッコしてるんだぁ? アイツらこそ裏切り者……諸悪の根源だってぇのに」

「裏切り? 諸悪の根源? それは、興味深い話だな」


 デュークがうそぶきつつ、剣を一振りして風の壁を消滅させる。ちらりとこちらを見た蒼穹そうきゅうの瞳が言わんとしていることを、セスは理解した。

 少年を牽制けんせいするように抜身の剣を構えたまま、アルテーシアを守るためその側に立つ。


 少年がもう一度火炎竜の首を叩くと、竜は首を一振りしてデュークに向き合った。唸り声と一緒に炎の息をあふれさせ、巨大な火炎竜は翼を広げて勢いよく噛みかかる。

 少年は加勢に行くでもなくその様子を眺めながら、ぽつんと言った。


「ホントのこと知りたいならウチの城に来てさぁ、グラディスさまに聞いたらいいよ? そのコか巫女かを手土産に連れてくればー、魔王軍に迎えてもらえるかもね?」

「……兄に会えるなら、わたしは行ってもいいですよ」

「ルシア!」


 思わず大きな声を上げてしまい、少女はびくりと肩を震わせた。

 叱りつけたいわけではなかったけれど、聞き流すことはできなかった。


「ごめん……なさい、セスさん」

「気持ちはわかるよ。ルシア、でも、そういう方法はだめだ」

「はい、セスさんの言いたいこと、わかります」

 

 ちゃんと話したいけど、今は余裕がない。そんな現実をもどかしく思う。

 あかい少年は喉の奥で笑いながら剣を腰の鞘に納め、空いた両手を上着のポケットに突っ込んで言った。


「ここ、ぜぇんぶ焼き払って帰れば褒めてもらえそうだけどぉ、ちょーっとボクには荷が重い気もするしぃ? いったん退いて、グラディスさまとルウォーツさまに報告することにするよ!」


 ゆらりと後退する少年の意図をんだように、火炎竜が巨大な翼を開いて伸ばす。察したデュークが焦ったように声を張りあげた。


「待て、――行かせるな、セス!」

「ヴェディ!」


 被せるように少年が叫び、火炎竜が灼熱しゃくねつの塊を吐いてデュークを吹き飛ばす。身をひるがした少年を止めようとセスが斬りかかった――目の前で、小柄な身体が赤金色に輝いた。

 セスが驚いて思わず身を引くと同時に、少年の姿が小型の火炎竜に変化する。


「ざぁんねん! でしたぁ! いただきぃっ」

「――なッ!? セス、ルシア、逃げろ!」


 デュークの怒声を聞くも、理解を超えた現象に反応が追いつかない。

 小型竜に思いきり体当たりをくらわされ、セスの身体は焦げた瓦礫がれきに勢いよく突っ込んだ。痛みと熱さにうめき声が漏れるが、倒れている場合ではない。

 痛む脚を叱咤しったして立ち、瓦礫の間に飛んだ愛剣に手を伸ばしてつかむ、熱い。


 小型とはいえ狼の成獣ほどはある火炎竜が、牙がびっしり生えた口を大きく開けて、アルテーシアに迫るのを見る。彼女は喉をかばうように腕をかざして逃げようとしているが、きっとそれでは防げない。

 竜の全身に灼熱の光が閃き、喉の奥で熱源が輝きだす。


 思いきり地を蹴り、走った。

 罪悪感を自分の中に押し込め、爪が割れても歩き続け、世界と兄のため身を捧げようとまでする彼女に、これ以上の傷を負わせてなるものか――!


 間に合わない、なんて。

 そんなの、俺自身が絶対に許さない。


 ――力を貸してやろうか? ――


 待て、と制する間もなかった。ふいに湧きあがった黒が意識を塗りつぶし、闇の中に炯々けいけいと光るすみれ色の双眸を見る。誰だという問いはもう浮かばなかった。ウィルダウ、と声にならずうめく。

 ここでこの声に同意を返したら、どうなるのだろう。

 砕けるのはいやだ、弾きだされるのもいやだ、――けれど、力は欲しい。


 ――ならば、べ。――


 闇色を塗り替えて、清冽せいれつ奔流ほんりゅうが意識の中に渦巻いた。促されるままに腕を突っ込み、引っ張りあげる。奔流が蒼く輝いて満ち、そのふちから瑠璃るり色に輝く二つの光がセスを見て、わずかに細められた。

 蒼海を統べるもの。

 ぬめるように身をくねらせ、波間で遊びたわむれる、神々の敵となった海洋の巨獣。


「きたれ、海の宝を囲む者リヴァイアサン! 弱き炎など貴様の顎門あぎとで喰いちぎるがよい!」


 セスの唇を押しあけて、知らない声が魔獣の名を呼ぶ。左の目が焼けるように、あるいは凍てつくように痛むが、目を閉じることができない。

 ざぁと勢いよく水柱が噴きあがり、炎に触れ蒸気になって潮の匂いが立ち込める。あふれだした海水は炎を呑みながら面積を広げ、その中央に蒼銀の鱗に覆われた龍が姿を現した。


 ぼう然と目を見開いたアルテーシア。怯えたように身をすくませる小型竜。デュークの様子は、今の視界ではわからない。

 魔獣リヴァイアサンが、悠然と宙を泳ぐように身をよじり、豪雨に似た咆哮ほうこうをあげた。再び噴きあがる水柱に弾き飛ばされ、小型竜が逃げまどう。


「ちょっと……ちょっと待っってぇ! おにいさん何者だよ!? こんな太古の魔獣呼びだせるなんて、あの裏切り者みたいな……、てぇぇっ、まさか、あのっ!?」

「キャンキャンとうるさいところは五百年経っても成長しないままか。まあ、封印されていれば成長も何もないだろうな、ふふっ」

「嘘ぉ、そのイヤミの効いたおしゃべり、……ヤバイ、こんなことしてられないよぉ、ヴェディ! 逃げよう!」

「貴様はここで消えろ。ラディオル」


 自分の声帯から出ているとは思えないほど低く冷たい声が、無慈悲な宣告をくだした。

 駄目だ、その場所に力をぶつけたら、彼女が巻き込まれてしまう。全力で壁を叩くようにセスは叫んだが、身体は、止まってくれない。


「ルシア! くそっ、間に合え……!」


 力を溜める魔獣から少女をかばおうと、デュークが黒マントをひるがして手を伸ばすのが見えた。でもデュークの魔法だって原初の炎だ、かれら原初の火炎竜たちと同じく、リヴァイアサンの力はデュークにとっても致命的じゃないのか。

 やめろ、止まれ!

 叫ぶように訴えた。大きなほうの火炎竜が、人型に戻った少年ラディオルをかばうように覆いかぶさる。

 確かに、力は欲しかった――けれど、こういうのじゃない!


「――だったら今後は、軽い気持ちで魔性と取り引きなんてしないことだぜ!」


 ふいに、その場にいたが、高らかに響き渡った。

 闇の壁を通り抜け、白い手が伸びてセスの胸倉をつかみあげる。ぐい、と力任せに引きだされ、せばまっていた視界が一気に開けた。

 純銀に輝きたゆたう長い髪、狩人の衣服を身にまとった長身痩躯そうく。セスの知らない、見たこともない少年が、いつのまにか隣に立って魔獣へ弓を引いていた。真剣さを映すブルーの双眸は猫を思わせるつり目で、まっすぐリヴァイアサンを睨み据えている。


約束の竜ヴォイスドラゴンの名において命ず! 太古の魔獣よ、今一度深淵へと帰れ!」


 白くほっそりした手に引き絞られた矢が、明朗な宣言とともに放たれる。それは光の尾を引き、海の魔獣をまっすぐ貫いた。

 ぽぅと蒼い光が明滅して、魔獣は力を放つことなく溶けるように姿を消す。


 火炎竜が、怯えた表情でしがみつく少年を慰めるように頭をすりつけ、彼を背に乗せて翼を羽ばたかせた。

 逃がしたらまずい、そう思うものの、セスはもう一歩も動くことができず、飛び去る姿を気が抜けたように見送るだけだった。

 安堵したデュークが解いた腕の間から、アルテーシアが飛びだしてセスに駆け寄る。

 彼女は座り込むセスの前まで来て向かい合うように自分も膝をつき、大きな両眼に涙をあふれさせた。


「セスさん……、無事でっ、……死んじゃうかって、……わたしっ」

「ごめん、ルシア。俺は、君を守りたくって」


 やっとの思いでそう口にした途端、彼女がわっと泣いてセスに抱きついた。握った拳で弱くセスの背中を叩きながら、彼女は人目もはばからずに大声で泣き叫ぶ。


「ばかばか、セスさんのばか……! わたしにはっ、駄目って言ったくせにっ、どうして無茶するんですかっ! ばかばかばかっ」

「……ルシア、本当に……ごめん」


 ほかに方法がなかった、とは思う。それでも、セスは受け止めようと思った。重くぎこちない腕をそっと彼女の背に回し、優しくゆっくりと叩き返す。

 わんわん泣いていた彼女も思いきり気持ちを吐きだして少し落ち着いたのか、やがてセスの胸で静かにすすり泣くだけになった。


「……助けてくれたことは、感謝する。しかし、おまえ……いったい何者だ?」


 セスとアルテーシアが二人の世界に入っていると思っているのか、デュークが妙に遠慮がちで抑えた声なのがおかしい。

 こんな事態を引き起こしておきながら不謹慎だとは思うが、あまりに一気に感情が起伏したせいで、おかしなテンションになっているような気がする。


 アルテーシアの背中を優しくさすりながら、セスはそっと顔を上げて、助けてくれた謎の少年をうかがい見た。

 両手を腰に当ててニヤニヤしながらこちらを見ていた彼と、目が合う。


「助けてくれて、ありがとう。あの、貴方は……?」


 ほとんどデュークと同じ聞き方だと尋ねたあとに気づいたが、純銀長髪の少年は気にすることなく右手を胸の前に掲げ、得意げに答えた。


「オレ様は、世界を救う約束の竜ヴォイスドラゴン、ここでの名前は銀の風オルウィーズ。とりあえず、オルウィって呼んでくれ」



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召喚シーン、挿絵があります。

https://kakuyomu.jp/users/Hatori/news/16817330657873315486



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