十九.炎禍をもたらすもの


 どのくらいの間、二人でそうしていただろう。

 おそらく時間にすれば長くない、けれど、セスの中で想いが決意に変化するには十分な時間。気づけばアルテーシアの嗚咽おえつは治まっていて、どこからか聞こえる虫の音やフクロウの声が静かな夜陰やいんを震わせていた。


 もう少し、このままでいたい。

 セスとアルテーシア、言葉にせずとも同じ気持ちを感じていた。邪魔が入らなければ、二人でしばらく余韻に浸っていただろう。――邪魔さえ、入らなければ。


 ふいに、何の予兆もなく、闇夜を引き裂いて警鐘が響き渡った。腕の中でアルテーシアがびくっと震え、セスも思わず彼女を抱きしめた手に力を込める。

 足元にいた仔狼が怯えたように耳を伏せ、小さく唸りだす。

 屋上とはいえそれほど高くない建物の上からでは、町全体を一望できない。連なる建物の向こうに赤っぽい光が見えるのと、空気が濁ったような感覚がする程度しかわからない。


「なんだろう。火事? それとも襲撃?」

「わかりませんが……きっと緊急の状況なのは確かです。セスさん、準備して、ほかの皆さんと合流しましょう」


 さっきまで泣いていたとは思えない、強い言葉。けれど、いつもより鼻にかかったような声は、あの時間が嘘ではないことを証明している。

 こんなふうに涙も悩みも押し込めて、彼女はここまで歩いてきたのだろう。

 爪の割れたあとも、シャツを濡らした熱い涙も、かなしい本音の片鱗も。アルテーシアがセスだけに見せてくれた弱さだ。

 だから何があっても守り抜く――そう言葉には出さず、心で強く誓う。


「うん、行こう。俺も着替えて剣を取ってくるから、下の酒場で、また!」

「はい!」


 梯子はしごはアルテーシアに先に降りてもらい、竪琴ライアとシッポを受け渡す。それからセスが降りて、天窓を閉め掛け金をかけた。

 急いで階段を降り、誰もいない廊下を通って部屋の前で別れる。

 かすかではあるが一階の酒場から聞こえてくる喧騒けんそうは、飲み食いの陽気なものとは違っているようだ。


 大急ぎで着替えて鎧を身につけ、ブーツをいて剣を帯びる。

 荷物を持っていくべきか一瞬迷ったものの、デュークやシャルの物がそのままだったので、取り急ぎ身一つで降りることにした。


「セス! 襲撃だぜ!」


 一階に降り酒場に出た途端、そこにいたシャルに大声で呼ばれた。屋内にデュークの姿はなかったが、幾人かの女性客と一緒にレーチェルがいるのを確かめる。


「襲撃って、盗賊か?」

「そうそうソレ! たぶん、昼間の奴らの仲間じゃないかな。居合わせた戦える奴は迎え討ちに行ってて、デュークもそっち側。俺は犬たちとここの護衛。セスはどうする?」


 襲撃の規模や味方側の戦力がわからず、セスは判断に迷う。そこへ、アルテーシアが降りてきた。


「セスさん! わたしは皆さんの支援に向かいます。シャルさん、シッポをお願いできますか?」

「ルシア、危険だよ」

「ルシアもここで待機してたらいいじゃん、無理すんな!」


 予想外の勇ましさに驚いて、セスもシャルも反対したが、彼女は強くかぶりを振ると、抱いていたシッポをシャルに押しつけた。


「大丈夫です、前線には出ません! よろしくお願いします」

「えぇぇ!? わかったけど……」

「ルシアが行くなら俺も行くよ! シャルごめん、あとよろしく!」


 二人によろしくされて戸惑うシャルだが、しっかりシッポを受け取って頷いてくれた。

 きゅーん、きゅーん、と鼻を鳴らしてジタバタしている仔狼をひとなでし、アルテーシアはセスを見あげる。


「行きましょう、セスさん。精霊が騒いでいます。おそらくこの襲撃は、普通のものではありません」

「……わかった。ルシア、俺から離れないで」


 彼女は何かを感じ取ったのだろうか、わからない。どちらにしても、騎士の一人として盗賊が町を荒らすのを看過かんかすることはできない。

 酒場の外にいた自警団の一人に戦闘域を確かめる。アルテーシアがランタンがわりに光精霊を呼びだし、握り拳大の白い鬼火ウィスプがふわふわ飛んで、闇に沈んだ路地を淡く照らしだす。

 二人が向かう方向で夜光とは違う赤い輝きがひらめき、喧騒けんそうが風に乗って聞こえてきた。





 近づくにつれ、状況の異常さに気づく。というのも、目的地のほうへ進めば進むほど逆行する人々――、逃げだしてきたらしい自警団の若者や、この町に居合わせたのだろう傭兵とすれ違うようになったからだ。

 全力で走っては逃げまどう人々と衝突しそうに思い、セスはペースを落として念のためにアルテーシアの前に出る。


「おかしいですっ、セスさん! 逃げてる人の中にっ、盗賊っぽい人もいますっ」

「え、っ、ほんとだ!」


 ペースがゆるんだので会話する余裕が生まれ、アルテーシアの指摘で違和感に気づく。

 とはいえ混乱に乗じて町人を襲っているというわけでもなく、慌てふためく様子も必死の形相も演技には思えない。

 デュークくらいの強さがあれば、あいつら捕まえて事情聞くのに、と一瞬思うが、そんなことより現場に向かったほうが早そうだ。この状況、もしかしたらデューク一人で食い止めている可能性まであり得る。


 視界をさえぎる建物群の終わりは唐突とうとつに現れた。

 そこに元々あった建物が破壊されたのだろうか。むっとした熱気とあざやかに舞う火の粉――その中で崩れた瓦礫がれきの間に立ち、片刃の大剣を構える見慣れた後ろ姿。そこまでは想定通りだった。

 完全に戦闘態勢のデュークと対峙たいじしている巨大な姿に目が移った途端、セスとアルテーシアの口から同時に小さな悲鳴が漏れる。


「……おまえたち、来てしまったのか。ここは危険だ。逃げろ」

「んんー? いらっしゃーい、おにいさんとおねえさん! なんなら三人まとめてかかってくればぁ?」


 低く短いデュークの警告にかぶせて、甘ったるい少年の声が響く。

 崩れ落ちた建物の破片を踏みつけそびえ立つのは、巨大な色の火炎竜だった。大きく開いた顎門あぎとから燃える炎をあふれさせ、ギラギラ輝く金の瞳でこちらをギロリと睨んでいる。

 その傍らに、セスよりずっと歳下に見える少年がたたずんでいた。燃えるような真紅しんくの髪、炎を映してきらめく赤い両眼……この距離からはその程度しか見わけられない。


「盗賊の襲撃、じゃなかったのか?」


 疑問が思わず口をついたが、答えが欲しかったわけではなく。それでも少年には聞こえたのだろう――きゃはは、と耳障りな笑い声を響かせながら、セスを見て告げる。


「そうだよぉ? アイツら、便利だからさぁ……ヴェディのごはんを稼いでもらう代わりに、お手伝いしてあげてたんだー。今日もホントはその予定だったんだけどー、ヴェディが、イイニオイがするっていうからぁ」

「……いい匂い、って」


 火炎竜の食物って何だろう。まさか人肉……と一瞬よぎったが、最近の襲撃で死者はなかったというのを思いだしその考えを振り払う。今、気にするべきはそこではない。

 ごく普通の小さな町に、凶暴な幻獣種を引きつけるような何があるのか。


「デュークさん、……支援します」

「無理だ、ルシア。こいつの炎は原初の魔法と同じだ……精霊では太刀打ちできないぞ。それより早く逃げろ」

「原初の魔法って! そんな相手に、デューク一人で勝てるのか!?」

「こいつ相手なら負けはしない、……が」


 相手の余裕を見るに、デュークが圧倒的優位という状況ではないようだ。かといって向こうも、お喋りなど吹っかけてくるくらいだから攻めあぐねてはいるのだろう。

 原初の魔法と聞いて動揺する二人を眺め、火炎竜つかいの少年はつまらなさそうに言い捨てる。


「そっちだって原初の炎魔法、こっちも原初の火炎竜、お互いなぁーんも打つ手ナシってだけだよねー。持久戦なんてつまんないからさぁ、おにいさんとおねえさん相手してよ!」

「……おまえはどこへも行かせない。ここで、仕留めてやる」

「へえぇ、言うねー! でも、残念でしたぁ。ボクこれでも炎の魔将軍だからー、そう簡単にはやられないよぉ?」

「魔将軍っ!?」


 少年の台詞をセスが飲みこむより先に、アルテーシアが声を上げた。デュークが腹立たしげに舌打ちし、セスの中で焼けた村と魔将軍がぴたりと符合ふごうする。


「まさか、妖魔の森で村を焼き払った魔将軍って……!」

「あーれぇ? おにいさんとおねえさん、あのこと知ってるのぉ。つまんない仕事だったよね……だぁれもヴェディの相手できるヤツいなかったんだもの」

「黙れ外道。……セス、おまえたちにできることはない。ここは、私が何とかする」

「しかもさぁ、秘宝があるって聞いたからおつかいに行ったのにー、ぜんぶ焼き払ってもなぁんもなくってさぁ。帰り道にナーダムが、ぜんぜん関係ない場所で見つけたって言うんだもん……、って、わわ!?」


 デュークの放ったらしい風刃の魔法が少年をかすめ、彼は慌てたように喋るのをやめて、火炎竜の陰に隠れた。どうやら炎は効かなくとも、風魔法は有効らしい。

 とはいえ火炎竜自体が巨大なので、剣でにしても魔法でにしてもデューク一人で倒すのは難しいだろう。実力はともかく手数が足りない。

 少年がダラダラと喋っていたのは、リュナのことだ。こんな奴に村がいくつも潰され、妹は奪われたのか――そう思ったら、セスの中にふつふつと怒りがこみ上げてきた。


「セスさん、……あのひとは、野放しにしては駄目です。支援しますから、倒しましょう」

「俺も、そう思う。でも、どうやって。精霊魔法は効かないんだろ?」

「歌魔法があります。ただ、効果を発現させるまでに時間がかかるのが……数十秒ほど、稼げますか?」

「わかった、やってみるよ!」


 了解の返答とともに剣を抜き放ち、セスは火炎竜の後ろへ回り込むように駆けた。呆れたようにこちらを見たデュークと目が合う。

 どうしてこいつらは言うことを聞かないんだ、とでも思っているに違いない。

 それを余所見と判断したのか、デュークへ向けて火炎竜が炎を吐く。燃える大刀でそれを切り裂き炎をかい潜って、デュークは竜の間近まで距離を詰めた。

 同時にセスが、竜の後ろにいた赤髪の少年へ狙いを定めて斬りかかる。


「うわぁ、おにいさん大胆! でも、そうこなくっちゃさぁ」

「うるさいっ、おまえの所業でどれだけの人の生活が狂わされたと思う!?」

「あーれぇ? それはオカシイよぉ。……っとこれは、まだ言っちゃダメなやつだ! まーたぁ、グラディスさまに怒られちゃう」


 セスの剣をかわしつつ、少年はへらへらと喋り続けていた。時間を稼ぐのが目的なので好都合ではあったが、聞いていると無性にイライラしてくる。

 それでも火炎竜と少年を引き離すのは、なんとか成功しつつあった。


「……しからば炎よ、生を尊び死にたちむかう勇者に勇気を与えよ。かれらの魂に燃える力を与え、この戦場において勝利へと導きたまえ」


 魔法の歌詞に織り込まれた祈りを歌いあげるアルテーシアの柔らかなソプラノヴォイスが、炎があおる風に吹き散らかされて余韻を残す。ふいに身体の奥底から不思議な力が湧きあがってきて、全身にみなぎった。

 歌声はまだ続いているが、彼女の歌魔法は無事に完成したようだ。


「よし、勝負はここからだ!」

「うぇ!? ちょっと待ってぇ、おねえさん……そのってさ!」


 さっきより格段に身体が軽い。さすがに避けきれなくなったのか、赤髪の少年は腰にげていた剣を引き抜いてセスの一撃を受け、押し返しながら大きく後退した。といっても、今のセスなら一歩で詰められる距離だ。

 相手の立て直しを待ってやる理由はない。慎重に、だが勢いをつけて踏み込み、力を込めて長剣を叩きつける。

 向こうは受け止めたが腕力はないのだろう、よろけて体勢を崩す。

 すかさず斬り払おうとしたところに、巨大な緋色が突っ込んできた。弾き飛ばされそうな勢いに危険を感じ、セスは思わず飛び退すさる。


「悪い、セス。そいつ、ただの幻獣種ではないらしい」


 気づけばデュークが近くまで来ていた。衣服があちこち焦げているところ、何度か火炎を食らったのだろうか。

 ぜいぜいと息を整えながら、セスはうなずく。デューク得意の炎魔法が当てにできない以上、巨大生物相手では決定打に欠けるのだ。

 ならば先に飼い主を……と思ったのだが、上手くいかない。


「……ただの、獣ではない、って?」

「挑発に乗らない。というか、あいつと高度な意思疎通そつうができている。……人並みに知能があるのかもしれない」

「つまり、……分断できない?」


 デュークは首肯しゅこうし、ブンと大刀を振った。剣先からほとばしった風刃を火炎竜が頭を振っていなす。少年は竜を盾にして身を隠し、ほっとしたように言った。


「助かったよー、ヴェディ。まさか、呪歌まで使ってくるなんてさぁ。ねえねぇ、おねえさんもしかして……ルウォーツさまの半身なのぉ?」


 ふいに歌が途切れる。だれのこと、とアルテーシアは問わなかった。

 思ったとおりと言わんばかりに少年が火炎竜の陰から顔を出して、にひひと笑う。


「やったー、大当たり!? ボク今日すごいラッキー? この町焼き払っちゃえば、ウッザイ天龍の巫女も、ルウォーツさまの半身も、ぜぇんぶ綺麗に灰になってぇ、ルウォーツさまの力はぜんぶ覚醒するし、グラディスさまにめられちゃう? だからさぁ……おねえさん、死んでくれる?」




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る