十七.わきおこる疑念


 実をいうと、魔王についての公式的な文献というものはほとんど残されていない。

 魔王がこのフレイラ大陸に現れたのは、ほんの数百年前だとも、それより昔だとも言われている。帝国が約三百年の歴史を持つため、魔王の出現および討伐は三百から五百年前というのが一般的な見解だ。


 大陸には、人間よりはるかに長い寿命を持つ亜人あじんたちもいる。それらの年長者たちなら正確な年月を知っていそうなものなのに、彼らの記憶も胡乱うろんで、裏付けになるような物品も出てこない。

 学者の中には、魔王など実在しなかった、後世に向けた寓話ぐうわ的な作り話だ、ととなえる者までいるほどだ。


 そんな御伽噺おとぎばなしがある日突然に牙をむき、強大国を攻め落としてしまったのだ。国家上層部や軍部だけでなく、歴史学者や魔導士協会ギルドも混乱しているに違いないのだけれど。


「そういえば、デュークは五百年生きてるんだっけ? もしかして、魔王のことも知ってるの?」

「ほぁ!? 五百年って!」


 いきなりシャルが大声をあげて話の腰を折り、セスはびっくりして飛びあがる。シャルはまだデュークが不死者だと気づいていなかったらしい。

 というか、興味ない振りしておきながら会話ちゃんと聞いてるんじゃないか。と突っ込みたくなったが、後回しだ。


「この人は、死すべき寿命さだめから逸脱いつだつした不死者なのです。……ご存知ないまま、一緒に行動されていたのですか?」

「えー、そうなのか!? でも、別に悪いやつじゃないんだろ? ならいいじゃん、びっくりしたけど」

「ちょっと二人とも、話は後にしてデュークの話を聞こうよ」


 レーチェルは一々いちいちデュークに対してとげがあるが、敬虔な神官の心情としては仕方ないのかもしれない。セスが割って入れば、二人とも素直に口をつぐんでくれた。

 そんなやり取りを見て気分を害するでもなく、楽しげに口角を上げてデュークは続ける。


「それが、……魔王が討たれたという知識はあるのに、魔王本人についての記憶はなぜか曖昧あいまいでな。魔王討伐が五百年前で、そののちにウィルダウが魔導士協会を創立したのは覚えているんだが」

「魔導士協会って、輝帝国の?」

「そうだ。……おまえの祖父が現役時代に主宰しゅさいをしていた、輝帝国の魔導士協会。あれの創立者で、死霊術や呪詛じゅそ術のいしずえを築いた人物が、ウィルダウだ」


 ふいに、散らばっていた点が一本の線で結ばれた気がした。

 床に座って仔狼シッポを膝に乗せ、首をひねっているシャル。心配そうに見つめてくるアルテーシア。目を輝かせて微笑んでいるレーチェル。

 三人それぞれを反応をそっと確かめ、セスはため息と一緒に声を押しだす。


「……て、ことは、俺の中にあるのは本当に、なんだね」

「黒豹が調べたところによれば、リートル導師……おまえの祖父は、宮廷魔導士と協会主宰の立場を利用して、ウィルダウの聖遺物を集めていたらしい。……裏付けが取れたのはそこまでで、おまえに憑依ひょういさせた目的も方法も探れてはいないのだが」


 デュークが済まなそうに言うので逆に申し訳なく思い、セスは慌てて首を振る。


「それでも凄いよ。俺、自分のことなのに何もわかってなくて……ギリディシア卿にも悪いことしちゃった」

「え、あの黒いおっさんって味方だったの!?」


 シャルもどうやら同じことを思ったようだ、やば、というような顔をしている。が、デュークはふふんと笑って言った。


「黒豹は別に敵ではないが、味方ともいえないのさ。あのとき逃げようとした判断……直感は間違いではない。素直に戻っていれば、帝都の魔導士協会に引き渡され、覚醒かくせいの儀式とやらを施されていたかもな。……そうだろう? レーチェル」

「……それのどこが、問題だというのですか?」


 挑発にも見えるデュークの振りに眉をつりあげるレーチェル。また険悪な空気になるのではとセスは冷や冷やしたが、デュークは平然と言葉を続ける。


「仮にもセスの身内、悪いようには言いたくないが……。聖騎士パラディンの癖に死霊魔術師ネクロマンサーな男は、こう言っていたぞ。セステュの身体はウィルダウのとして。だが、まだ未熟な精神が覚醒に耐えられるかはわからない、とな」

「……耐えらんなかったらどうなんの?」


 ギリディシア卿は自分も魔導士であるゆえに分析できたのだろう。

 恐ろしい事実を告げられ息を飲むセスをチラ見して、シャルが尋ねる。デュークは少し考え、手元にいたフィーサスをわしゃっとなでてから言った。


「情報が足りなくて何とも言えないが、魂が身体から弾きだされるか、砕けてウィルダウに取り込まれるか……。どちらにせよ一つの身体に二つの魂は共存できないだろうな」

「ぷきゅ、きゅぷぷー? ふぃ〜?」

「……そうだな、フィーサス。に取り込まれて二度と戻ってこれない可能性も、あるな」


 意味深ながらも恐ろしいことを呟いて、デュークは小さな自嘲じちょうをこぼす。

 デュークとギリディシア卿の間でそこまで情報共有ができていたのなら、卿はどこかで自分を逃がす手筈てはずを整えていたのかもしれないが……考えても意味のないことだ。

 だとしても、彼が自分からそれを明かすことはありえない。口にしてしまえば、それはおうへの裏切り行為になってしまうのだから。

 ずっと沈黙していたアルテーシアが、つと顔を上げて言った。


「輝帝国は、反魂はんごんの魔導によって過去の英雄たちを復活させようとしている……ということですか?」

「どうだろうな? 輝帝国、なのか、一部の魔導士たち、なのか」

「帝国が……依代よりしろに使える子供を求めていたのは事実です。十七年以上前の話ですので、今のおうがどう考えているかは、わかりませんが」

「……十七年前?」


 デュークが怪訝けげんそうに聞き返した。硬い声で言葉を落とすアルテーシアを、セスは思わず見返す。

 月色の少女は細い眉をきゅっと寄せて、いまにも泣きそうな表情で続けた。


「兄は、救世の神託を受けた子供でした。……ですが、両親は帝国のやり方を受け入れることができず、まだ幼かった兄とわたしを連れて逃げ……。けど、わたしも、わかっていました。兄は、不思議な力を持っていましたから」

「ルシアのお兄さんも? 確か、銀の髪と翡翠ひすいの目って――あっ」


 何度も告げられた特徴を確かめるために言葉に乗せ、そこでセスは、彼女の兄が自分と似た容姿であることに気がついた。

 双子なのに、アルテーシアの髪は淡い金色。これはもしかして、見逃してはいけない重大な手がかりなのではないか。

 セスが気づいたとわかったのだろう、彼女はうなずき、静かな声で続ける。


「はい、……兄とセスさんは、どこか似ています。事情を聞いたとき、兄とよく似たあなたがわたしと同じ境遇にあることを、わたしは無視できませんでした。もしかして妹さんと兄は……同じではないかって、思って」

「リュナは、どうなんだろう。あの子は拾われたんだよ、父さんに。祖父が何かをしたとは考えられないんだけど」


 父は子供と接する面では不器用だったが、息子ばかりの家族で唯一の娘となったリュナをとても可愛がっていたし、大切にしていた。

 そこに打算的な何かがあったとは――考えたくないのだけど。


「……これを言うのは、心苦しいが」


 デュークがため息のような声で呟き、ちらりとレーチェルを見てから、セスに視線を戻して言葉を続けた。


「リュナは、拾われたんじゃない。……回収されたんだ、輝帝国によって。いつでも手の届く場所いえに預けられ、養育者という名の監視を付けられた。……おまえたち家族が、そうと知らずだったとしてもな」

「え、回収?」

「妖魔の森には魔王軍のがあった。……当時おまえの父は、その回収のために遣わされたのかもしれない。そこで生き残りの娘を拾った、というのは出来過ぎたシナリオとも読める。……憶測に過ぎないがな」


 デュークの口から出たあまりに衝撃的な憶測は、けれど現状を見ると理にかなっているような気もして。絶句するセスを、レーチェルが不思議そうに見る。


「魔王軍の秘宝、とは?」

「……そういえば、レーチェルにはまだ話してなかったよね。俺の妹は、魔将軍にさらわれたんだ。デュークの話では、そいつリュナをって言ったらしく。現場にはリュナが拾われた時つけてたペンダントが落ちてたから、これが秘宝ってわけでもなさそうだし」


 思いだして、首にかけていたペンダントを外しテーブルに置く。レーチェルはそれを手に取ってしげしげと眺めてから、セスに返して言った。


「これは、封印石ですわ。制御できない魔力を持つ者に持たせ、暴走を抑えると言いますか……。これを、妹さんが、持っていたということは」


 そこまで言って彼女は言葉をためらい、視線だけ動かして傍らのアルテーシアを見た。その様子から何かを察したのか、デュークの瞳も険しくなる。

 制御できない魔力、暴走を抑える、――連想のように思いだすのは、エルデ・ラオ陥落についてギリディシア卿が言っていたこと。


 ――城を守る精鋭たちを無力化するほど強力な魔法使いがいた、と。若い人間の娘で、長い黒髪が特徴的だったとさ。

 ――セステュ、リュナは今どこにいる?


「……まさか、リュナは」

「ええ、おそらく。セステュ様の妹様、そして彼女のお兄様、どちらも魔王軍に狙われ連れ去られた。その先で施されたのが、――覚醒かくせいの儀式かと」


 レーチェルの声が、水を張った膜の向こうからでも聞こえてくるように、遠い。

 相次ぐショックを受け止めきれず、視線を迷わせつつもセスはついアルテーシアを見てしまう。同じ境遇を持つ少女は、大きなブルーグレイの両眼を一度瞬かせ、口を開いた。


「はい。兄は魔将軍のとして、選ばれたのでしょう。ですからわたしは何としても兄に会い、決着をつけねばなりません。……こうなってしまったのは、わたしのせいですから」

「え、どういうこと?」


 綺麗な弧を描く眉を怪訝けげんそうにひそめ、レーチェルが聞くが、アルテーシアは首を振って答える。


「わたしの話はいいので、今後について決めましょう。最初の予定通り首都へ行くか、それとも……。デュークさんは何か提案がありますか?」

「……そうだな。魔将軍について調べたいのは変わらないが、ハスティーでこれ以上の情報が得られるかと考えれば、判断が難しいところだ。それより私としては、レーチェルの言う神聖領域とやらが気になるな」


 デュークに含みのありそうな瞳を向けられ、レーチェルは紺碧こんぺきの目を大きく見開く。


「あなたのような不死者が入れる場所ではありませんのよ!? いえ、属性というか相性的にあなたの負担になると言いますかっ。何ですの、その期待のこもった目は!」

「なに、不死者といっても闇落ちはしていない。……まあ、ひとまず宿をとって、そこでゆっくり相談しようか、レーチェル」


 デュークには考えがあるのだろうし、レーチェルは何かを察しているのだろう。本当は当事者であるセスも気にするべきなのだろうけど、今はとてもそんな余裕がなかった。

 宿を、という発言を受けて、シャルが身軽く立ちあがる。


「じゃ、手頃な値段でゆっくり休めて飯がうまそうな動物同伴可の宿探しといこうぜ!」

「……ふふ、それ、条件厳しそうです」


 アルテーシアも微笑んでおうじ、シッポを呼んで立ちあがる。けれど彼女の笑顔が無理をしているように見えて、セスは胸騒ぎを覚えたのだった。




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