十五.聖画と極光石
思いもしなかった言葉と聞き覚えのない名前、きっと彼女は勘違いしているんだ。――そう思いたいのに、
セスは動揺でうわずる声を抑えつつ、彼女に確かめる。
「人違い……じゃないかな? 俺は、セステュ・クリスタル。君のいうウィルダウって名前ではないんだけど」
その言葉がショックだったのか、少女は目を見開き、食い入るようにセスを見つめる。
気まずい沈黙に割り込んだのは御者……というか馬車の持ち主の苦しげな声と、手当てを終えたらしいデュークとアルテーシアとの会話だった。
「うう、ひでぇ目に遭った……。お嬢さんが無事でよかったよ、悪かったなぁ」
「……あんたも、被害者だろうが。盗られた荷物は残念だがあきらめろ。それより馬車を動かしたいな。馬を呼び戻せないのか」
「精霊の力で傷をふさいでるだけですから、まだ絶対安静ですよっ。一刻も早く医者に見てもらったほうがいいです。馬、捜しましょう」
手当ての様子を見なかったセスにはわからないが、命に別状なかったとはいえ傷が深いのだろう。デュークが馬車を起こそうとしているのに気づき、セスも立ちあがる。手伝ったほうが良さそうだ。
少女に外傷はなさそうだし、頭を打って妙なことを口走っている、というわけでもないのだろうし。
そうだとしたら、心当たりは一つしかない。
自分の中にいるあの誰かを、この少女は知っているのだ。
「ごめん、その話はあとで。……シャル、デュークを手伝おう」
「おー、いくぜ! ファー、フィル」
彼女がゆっくり立ちあがって、服についた土埃を払っているのを視界の隅で確認しつつ、セスは急いで馬車へと向かう。
道端に座る壮年男性にはアルテーシアが付き添っていた。少し顔色が悪い気もするが、意識はしっかりしているようだ。
男手三人で犬たちの声援を後押しに馬車を起こし、骨組みや車輪を確かめる。見た感じは大きな損傷もなく、近場の町までなら動くだろう――荷馬さえいれば。
襲撃はついさっきだろうから、それほど遠くまで逃げていないはずだ。シャルなら連れ戻せるんじゃないか、と思いながら辺りを見回していたセスは、飛び込んできた光景に驚いて目を瞬かせた。
「……君、どうやって」
馬具を付けたままの荷馬が二頭、先ほどの少女の前に立っている。馬も怪我はしていないようなので、荷馬車につなげば問題なく走るだろう。
しかし、馬を呼び戻したのは彼女なのか。いったいどうやって……?
少女はセスの声に顔を上げ、ふんわり微笑んだ。
「わたくしは、何も。この子たちはあの野蛮人どもに怯えて逃げだしただけのようです」
「そ、っか……良かったよ」
――野蛮人どもって言った。
確かに間違いなく野蛮な盗賊たちだったけれど、何か心臓にひやりとくる声音だった。
もしかして怒らせると怖いタイプかも……と心に刻みつつ、セスは荷馬車のほうを手で示して言う。
「荷馬車は復元できたから、馬をつなげばすぐ動かせるよ。ただ、ご主人の怪我が心配だから、最寄りの町で医者に
「ご親切な方でしたのに、なんてお気の毒な。わたくしの意識が飛んでいなければ、追い払って差しあげられたのですが。……それで、貴方はその町へ向かわれるのですか?」
言葉の端々に見え隠れする彼女の自意識の高さに、やはり神殿関係者だろうかと首を傾げつつも、セスは「そのつもりだけど」と答えた。
彼女は
「では、同行いたします、ウィルダウ様。わたくしは、レーチェル・セイ・イーレオライトと申します」
「だから俺はセステュだって……。はあ、よろしくレーチェル」
まだ、シャルとアルテーシアにもきちんと話をできていないのに。そう思うとつい、ふさいだ気分になってしまう。
レーチェルがどこまで意図的なのかはまだわからないが、ウィルダウ様、と繰り返されるたび、セスの内側にいる誰かが
――そろそろ、目覚めの頃合いか? ――と。
彼女はいったい何を知っているのだろう。興味より不安のほうが強いけれど、間違いなく自分に関係しているのでは無視することもできない。
何にせよ今は、一刻も早く町へ向かうのが先決だけれど。
セスは騎士なので乗馬訓練は受けている。しかし荷馬車となれば話は別で、御者ができるような
物知りなデュークもこれに関しては経験がないらしく、結局シャルとアルテーシアが二人で御者台に座り、犬たちの補助で馬を走らせることになった。
丁寧に舗装された道は凹凸も少なく、ゆっくり走らせる分には振動も滑らかだ。不慣れな御者でも何とかなるだろう。
物が減った荷台の一角に毛布を重ね敷いて主人を横たわらせ、セスとレーチェルも乗り込んだ。デュークは二人から距離をとって座っている。
「……レーチェルは、どうして俺がウィルダウだって思うの?」
主人が眠ったのを確認してから、セスはレーチェルにそっと尋ねてみた。デュークはもういろいろ知っている様子なのでいいとして、シャルとアルテーシアが場にいないうちに確かめておきたい。
レーチェルは顔を上げ、目を細めてとろけるような笑顔を浮かべる。
「輝きの強い銀の髪、
セスが頭にはめているサークレットは祖父から贈られた物で、守りの魔力が込められていると言い聞かされてきた。それが世界に二つとない物だとしたら、祖父は……彼女の言っている話を知っていたということなのだろうか。
考えても混乱が増すばかりなので、セスはレーチェルから目をそらし、後方に座っているデュークに視線を向けた。
「……大丈夫だ、セス。私に任せておけ」
まだ何も口にしていないのに、デュークは低い声でそう言い、形の良い口の端をつりあげた。あのいつもの、安心させられる笑顔だ。
その途端にレーチェルがデュークを振り向き、氷のように険しい瞳で彼を睨む。
「貴方、何者です? 魔物を連れた不死者なんて、魔王の手先にしか思えませんけど」
「ぷきゅ!? きゅきゅ、ぷー!」
「……フィーサスは魔物ではないし、私も魔王とは何の縁もない。それよりその言葉、そのままおまえも当てはまるな」
「なんて
デュークの肩の上で白毛玉がいきり立ち、甲高い声で猛抗議している。それだけ見れば微笑ましい光景だし、デュークの他人の評価を気にしていない姿勢も相変わらずだったが、セスとしては言っておかねばならないと思った。
「レーチェル、デュークは俺にとっては恩人だし、大事な友人なんだ。だから、そういう言い方をしないでほしいな」
「そう……ですか。ウィルダウ様は、お優しいのですね」
だから俺は、と訂正したくなるのを、セスは飲み込む。
レーチェルはセスの言ったことを理解していないのではなく、認めていないのだろう。あるいは……自分ではなく内側の誰かに呼び掛けているのかもしれない。
その想像に少しの空恐ろしさを感じつつ、セスは口をつぐんだ。
まだ納得できていないらしくぷーぷーと鳴いていたフィーサスも、デュークにマントの中へと押し込められてしまい、荷馬車の中は静かになった。
ガタゴトと規則正しく車輪が回る音に時おり混じる、犬たちの声や馬のいななき。御者台の二人は時々悲鳴をあげつつも楽しそうで、今はそれが羨ましい。
いつか絶対に馬車を御するスキルを身につけてやる、と、悔しさからセスはそう決意を固めたのだった。
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