十四.天よりきたりて


 彼女の父は、天空神殿をべるおさだった。

 だれも追随ついずいできないほどの魔法力と知識を持ち、信仰が厚く厳格な父を、彼女は心から慕い尊敬していた。

 だから、父が謎の病で倒れたという報告を聞いてもすぐには信じられなかった。


 診察にあたった治療師は眉をひそめ首を振って、原因がわからぬと言う。

 たとえて言うならこれは、呪いに似たものではなかろうかと。


 日を追うごとに衰弱してゆく父に付き添いながら、彼女はその意味を考える。

 天空の地に呪術は存在できないはずだ。この地は聖なる天龍によって地上より聖別されまもりを与えられた、なのだから。


 しかし、天空の民の間にその病は静かに、確実に広まっていった。

 原因がわからぬまま、民は怯え、天龍をまつる神殿へ日々詰めかけては、悲痛な声で祈りを捧げている。


 おさの娘として何かしなくては、という想いが胸にわき起こった。

 彼女の婚約者は、倒れた父の代わりに神事を取りまとめなくてはいけない。母は、父のため献身的な看病をしている。――では、自分は?


 祭司長の娘という矜恃きょうじと、家族や民を想う心、そしてほんの少しの怒りと。

 父に寄り添いたいという願いを胸の奥に押し込め、彼女は地上へ降りようと決意した。こんな呪いが天空で生じるはずがない、原因は地上にあるはずだから。

 たとえば……数百年ほど前に魔王が地上をおびやかし、それによって天空にも災いの余波がもたらされたという。

 それに類する何かが起きているのではないかと。


 原因を突き止め、家族と民を救う。

 その強い使命感を胸に彼女が天空の地をあとにした、同じ日に。


 これは運命の皮肉だろうか――、魔王軍によるエルデ・ラオ陥落のしらせが大陸中を駆け抜けたのだった。




  ☆ ★ ☆




 商業都市キッダーから首都リンクまでは歩いて一週間、休まず馬車を乗り継げば丸二日ほどの道のりだ。

 夜行馬車の最終便に間に合ったのは良かったが、乗り心地は最悪で、もう二度と利用するまいとセスはひそかに決意した。

 口には出さないが、シャルもアルテーシアも同じ思いに違いない。


 各方面への中継地になっている宿場で降りた四人と四匹は、そこで少し食べ物を買ってから、経費節約と酔いざましのため歩くことにした。

 すでに日は高く登っていたが、降りてすぐでは食べられる気がしない。

 宿場で見た地図によると、歩いて一時間ほどの所に小さな町があるらしいので、ひとまずそこを目指そうと決めた。


 乗り物酔いと寝不足でのろのろ歩きの三人とは対照的に、デュークの足取りは軽い。シッポを抱いて歩くアルテーシアのバッグを代わりに持って、先頭をずんずんと歩いている。

 フィーサスが時折り「ふぃ〜?」と気遣うように飛んできては、三人の様子を確かめてまたデュークの肩に戻っていった。


 街道には、徒歩で旅する者のため所々に簡易的な休憩所がしつらえられている。

 山小屋ほどしっかりした作りではないが、雨風をしのいだり食事を取ったりできる、屋根がついた東屋あずまやだ。


「……あそこでいったん休憩するか」

「やったー! 飯にしようぜ!」


 いち早くそれを見つけたデュークが声をかけると、シャルが歓声をあげて走りだす。その後を犬二匹が追っていったので、護衛という意味では大丈夫だろう。

 よいしょ、と掛け声をかけてシッポを抱え直し、アルテーシアが嬉しそうに言った。


「ちょうどお腹もすいてきましたし、ご飯を食べるには良さそうな場所ですね」

「そうだね。……いいかな、デューク」

「ああ、そうしよう」


 シャルはもう早速、休憩所の簡素なテーブルに朝食を広げている。アルテーシアがそれを見てくすりと笑う。


「なんだか、ピクニックみたいです」

「確かにね」

「ふふ、わたしたちもいきましょうか」


 キッダーではずっと張り詰めた表情をしていた彼女が、ここにきてようやく楽しそうな表情を見せたので、セスは内心ほっとする。

 考えれば気が滅入ることばかりだけれど、今は不思議と気分もスッキリしていた。


「うん、行こうか!」


 向こうでシャルが手を振っている。フィーサスも、デュークの肩から移動して休憩所のテーブルに乗っかっている。

 それを見てると楽しくなってきて、セスはアルテーシアと一緒に休憩所へと走りだした。





「ところでさ。俺、考えたんだけど……デュークが言ってた『闇の魔将軍』って奴、セスにあの変な薬をくれた魔導士だったりしないかな?」


 人心地ついたところで、シャルがいきなり核心的な話題を突っ込んできた。驚いたセスはお茶にむせ、それにびっくりしたアルテーシアが目を丸くしてセスを見る。

 シャルの発想にはいつも驚かされるが、実際どうなのだろうか。

 うかがうようにデュークを見れば、彼も手を口元に当てて考え込んでしまった。


「……でも、そんなすごい相手が、ただの見習い騎士に接触してどうするんだよ」

「俺もわかんないけど、でも、そいつセスに『銀の風を探せ』って言ったんだろ?」

「わたしはその状況を見ていないので断定できませんが、セスさんには特別な役割もしくは縁があるのではないでしょうか。……妹さんとのつながり、とか」

「リュナは……血のつながった妹じゃないんだ」


 口ではそう言ったものの、セスにはまだ皆に話していない情報がある。

 あのとき謎の魔導士は、自分を見て『魔物の気配を持つ』と告げたのだ。それに関しては心当たりがない――わけでもなかった。

 三人の話を聞きながら黙々と、皮をむいたオレンジをフィーサスに食べさせていたデュークが、ぽつりと言った。


「それに関しては、私が答えを出せるかもしれないが……いいのか、セス」

「え、デューク、ギリディシア卿から何か聞いたの?」


 彼の無言は肯定の意味だろう。そして、デュークがそう聞くということは、やはりは無関係ではないのか。

 セスが覚悟を決めて、魔導士とのやりとりを話そうと口を開いた――その瞬間。さっきまで大人しかったファーとフィルが突然、激しく吠えて飛びだしていった。


「女の人の悲鳴だ!」


 叫んだのはシャル。彼の聴力は本当にどうなっているのか。

 デュークもすぐ立って、立て掛けていた大刀をつかむ。


「行くぞ、セス!」

「あ、うん!」


 固めたはずの覚悟が腹の奥へと引っこんでゆく。心配そうに見あげるアルテーシアに「行ってくる」と告げ、セスもまた街道へと飛びだした。

 犬たちが吠えながら向かったのは、宿場の方向。今さっき通ってきた道だ。


 さほど離れていない場所、街道の端に、斜めに傾いだ荷馬車が見える。夜行馬車のように大きなものではなく、荷物を載せて運ぶ種類だろうか。

 御者台には男性が倒れていて、馬の姿はなかった。

 馬車の後方で人がわめくような声がする。吠えたてる犬の声からして、フィルかファーに襲われているのだろうか。


「強盗め、覚悟しろー!」

「深追いするな、シャル、人命のほうが優先だ!」


 御者台に飛び乗ったデュークが叫んでいるところ、シャルは逃げた盗賊を追いかけようとしているらしい。

 馬車の荷台は荒らされており、奪われた荷物を取り戻すのは絶望的だろう。まずは馬車を立て直し、怪我をしているらしい御者を手当てするのが先か。そう思ってほろの中を覗き込んだセスは、驚きのあまり息を飲んだ。

 中に人が――それも自分たちとさほど年齢の変わらなさそうな少女が、気を失って倒れていたからだ。


「くそぅ! デュークが止めなけりゃ捕まえてやったのに!」

「シャル大変だ、女の子がいる!」


 不満げな顔で戻ってきたシャルに助けを求めれば、彼は急いで飛んできて、中を覗き込んだ。


「ほんとだ、さっきの悲鳴この子かも」


 二人がかりで後ろの扉を開け、残っていた荷物をどかして少女をそっと運びだす。

 幸い大きな怪我をしている様子はなかったが、馬車が倒れたときに頭を打ったのならまだ安心はできない。

 男性の手当てを終えたらしいデュークと、後から皆の荷物を抱えて追ってきたらしいアルテーシアも、側までやってくる。


「大丈夫ですか? 怪我をしているのなら、治癒魔法をかけますが……」

「ルシア、先にあの男を治癒してやってくれないか。どうやら盗賊に、矢を射掛けられたようだ」

「あ、はい! ではそうします!」


 慌てて移動するアルテーシアにデュークが付き添い、フィーサスは二人を離れてふよふよと飛んでくると、気を失った少女の頭の辺りに着地した。

 つぶらな瞳をパチパチさせて「きゅ〜ぅ?」と鳴いているので、心配しているのだろう。

 脈をみたり、呼吸を確かめていたシャルが、ほっとしたように顔を上げる。


「大丈夫、ほぼ正常っぽい。念のため、この先の町に連れてって医者に見せたほうがいいかもだけどな」

「そっか……とりあえず良かった」


 ひと安心の余裕でもって改めて見れば、とても綺麗な少女だ。

 膝裏にまで届きそうなほど長く、くせのないさらさらの銀髪。着ているものは簡素なチュニックとレギンスパンツとロングブーツだが、生地は見るからに上質だ。

 その上に羽織っているシフォン生地のケープも独特の光沢があり、見るからに魔法効果のあるものだった。


 堅く閉じた目元とほんのり開いた桜色の唇は、精巧な人形のような美しさがある。

 いかにも旅装な格好とは裏腹に、今まで日に当たったことなどないだろうと思えるくらい、肌は白く滑らかだった。


「……この子ってさ、どっかの貴族のご令嬢とかなんじゃ」

「うん、それか……役職にある神殿関係者かも」


 シャルも、似たような感想を持ったのだろう。どちらにしても、田舎の荷馬車に乗り合わせていそうな人物ではない。

 詳しい話は怪我の男性に聞くか、彼女の目覚めを待ってから聞くか……向こうの様子を確かめようとセスが身じろぎしたのと同時、少女のまぶたが震えて持ちあがった。


「セス、起きた!」

「あ、……君、大丈夫?」


 シャルにつつかれ、つい反射的に声をかける。ゆっくり開かれた紺碧こんぺきの目がセスに焦点を結び、驚いたように見開かれた。


「ウィルダウ、さま……?」

「……え」


 聞き覚えのない名前にセスがたじろぐ。自分の名でないばかりか、家族にも親族にもそういう名前の者はいないのだけれど。

 ゆるゆると身を起こし、少女はまっすぐにセスを見て、確信を込めた口調でささやいた。


「こんなに早くえるなんて、これもきっとの導きなのでしょう。ウィルダウ様、どうかお願いです。――魔王を倒し、世界をお救いください」




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