十三.勝算みえぬ戦い【挿絵あり】


 黒き影のひょう、ディスク・ギリディシア。現帝皇ていおうが最も信頼を置いている人物だということ以外に、セスは彼のことを知らない。

 同じ五聖騎士ファイブパラディンである長兄は、彼を食えない人物と評していた。そんな彼を出し抜くことはやはり難しかったようだ。


「フィル、ルシアとシッポを守れ! ファー、吠えろ!」


 シャルの中でギリディシア卿は認定なのだろうか。迷いなく飛ばされた指示に従い、黒いほうの犬が暗がりから踊りでて、ギリディシア卿が乗る黒馬に激しく吠え掛ける。

 馬が鼻息を荒げ前脚を持ちあげようとするのを卿が制御している隙に、シャルはセスの側まできて手をつかんだ。


「軍用馬は厄介だから、逃げるぜ!」

「ちょっ、シャル! 走ってとか無茶だって!」

「だからって戦えないだろ!?」


 彼のいう通りだった。騎士が乗る馬は軍事訓練を受けており、多少の刺激で暴走することはない。戦場で馬を無力化するには飛び道具で狙い転倒させるのだが、平時に聖騎士へ攻撃しようものなら反逆罪確定だ。


「でもファーは!?」

「軍用馬も犬は無視できないからな! ファーは馬に蹴飛ばされるほど馬鹿じゃねーし!」

「街道を走るのは不利ですっ、畑の道に入りましょう!」


 シャルもそうだが、アルテーシアも迷いがない。シッポを抱えて大麦畑を指さしている。

 馬の脚で柔らかな地面は走りにくいだろうという判断は悪くないとしても、二人にとって黒豹聖騎士の第一印象はどれだけ悪かったのか。

 なんかすみません、ギリディシア卿――などと、殊勝な気持ちが湧いたのはわずかの間だった。後方から聞こえてきた禍々まがまがしい詠唱の響きに、セスははっとして叫ぶ。


「シャル! ルシア! 止まれ!」


 直後、前方に巨大な黒い影が湧いた。

 アルテーシアが表情を固くして立ち止まり、シャルもそれの不気味さにたじろいだのか足を止める。フィルが二人を守るように前で出て威嚇いかくの唸り声を上げるが、猟犬でさえも腰が引けているようだった。

 軽い足音がして、駆けてきたもう一匹ファーがフィルの隣に並ぶ。セスは黙って後方を振り向いた。


「おまえの気持ちもわからんではないが、俺様だって職務怠慢だとかドヤされたくないしな。さ、素直にこっちへ来い」

「……いやです。俺は、帰りません」


 思った以上にすんなりと出てきた拒絶に、セスは自分でも驚く。

 馬を降り近づいてくる黒衣の聖騎士は、右手に黒い霧のようなものをまとわせていた。祖父の扱うものと近い性質の――魔導と呼ばれる種類の術だ。


「黒豹のお方は、聖騎士なのに魔導士……死霊魔術師ネクロマンサーなのですね。びっくりです」

「そこに突っ込んでくれるなよ、お嬢さん。俺様は聖騎士なんて柄じゃないって言ってるのに、我らが君主ハスレイシスは強引でさ」


 うめき声ともうなり声ともつかぬ不気味な声を発しながら、ジリジリとこちらに迫ってくる影のかたまりを睨みつつ、アルテーシアが言った。言い返すギリディシア卿の声音は軽い。

 迫る影から距離を取ろうと退がりつつ、シャルが呆れた声で毒づく。


「アンタに恐れをなして、馬まで逃げちゃったじゃん。カッコ悪ッ!」

「ははは、今ごろ傭兵ギルドに逃げ帰ってるだろうな! てことは、帰りは徒歩か……トホホだぜ」

「俺たちがいてはお荷物でしょうし、このまま帰っていただけませんか?」

「それは聞き入れられない話だ」


 駄目で元々と思っていたので、セスとしては了承など期待していない。

 思った通りギリディシア卿はバッサリ断って、闇の霧をまとった右手を一振りした。影が濃度を増し、剣身まで漆黒の長剣らしきものが彼の手に幻出げんしゅつする。

 これ以上は交渉の余地もない。覚悟を決め、セスも自分の愛剣――白銀に磨かれた長剣を抜き放った。


「仕方ねぇ。弱い者虐めは好きじゃないが、死なない程度に魂への一撃ソウルクラッシュをきめてやる。ちょっと痛いが我慢しろ! 地に囚われし荒ぶる御霊よ、俺様に従え――……」

「闇空にたゆたい導きをさずける星々よ、そのかそけき光を護りのために分け与えてください。白銀しろがね依代よりしろに、邪を払う輝きを!」


 死霊を呼びだし従わせる魔導の詠唱と、精霊に助力を請う少女の祈りが、静寂の夜に波紋を呼ぶ。

 黒豹の聖騎士が振り抜いた闇の剣が溶けて伸び、意志を持つ液体のようにセスへ絡みつこうとした。それを打ち払おうと夢中で振るったセスの剣が白銀の輝きに包まれ、光に触れた闇が蒸発霧散する。

 祈りを終えたアルテーシアが後方で叫んだ。


「セスさん、光精霊の加護です!」

「ありがとう、ルシア」

「へえ、お嬢さんいいセンスだ。名前は?」


 加護を得たからといって有利になったわけでもない。

 軽口を叩くギリディシア卿にアルテーシアは言葉を返さず、シャルとともに後方から迫る影の塊を食い止めに向かったようだ。セスは剣の柄をつかむ手に力を込める。

 少女に無視されてしまったギリディシア卿はいくらか傷ついたのかもしれない。ハァ、と深いため息が聞こえた。


「……すみません、ギリディシア卿」

「っつうか、俺様こんなに嫌われるような事したか? まったく……――大地よ、地に染み込んだ流血と無念の記憶よ、おまえを踏みつけるその足をとらえ拘束しろ!」


 展開された魔導に呼応してか、足元の地面が不気味に鳴動している。

 ぼこり、と泥が崩れるような音に思わず飛び退くも、その先の地面から黒い手のような物が突きだしてセスの足首をがっちりとつかんだ。


「う、わぁぁっ!?」


 ヒヤリと冷たく、ドロリとぬめる感触に、背筋を悪寒が這い上ってゆく。

 恐怖から思わず地面に剣を突き立てる。その隙に距離を詰めたギリディシア卿が、闇剣の柄をセスの鳩尾に叩き込んだ。

 身体の芯を撃ち抜かれたような痛みに一瞬息が止まり、膝が崩れる。

 闇が伸びて全身に絡みつき、拘束するようにぎりぎりと締めあげてきた。


「ぐ、ううぅ……離せッ」


 強がって吠えてはみたものの、液状に見えた闇は妙な弾力があって振り払えない。

 後方からシャルとアルテーシアが呼びかけるのが聞こえたが、一緒に聞こえる不気味な呻き声からして、二人も巨大な影の足止めに精一杯なのだろう。

 ひと仕事終えたといった顔で、ギリディシア卿が覗き込んできた。拘束に抵抗しながら睨み返せば、彼は苦笑する。


「往生際が悪いぞ、セステュ。ま、俺様に盾突くその気概きがいはなかなか悪くない、我らが君主ハスレイシスへのいい土産話に――ぐぶッ!?」


 絡みつく闇を剣で何とか斬り離そうと腕を動かしていたら、機嫌よく喋っていたギリディシア卿が急に変な声を上げた。

 思わず見あげたセスの目に飛び込んできたのは、ボヨンと弾んでふよふよ降りてくる、真っ白な毛玉。


「ぷきゅきゅー、ぷー!」

「フィーサス!?」

「オイ! 死角から飛んできて顔面に体当たりとか何だってんだ、フィーサス」


 当然のようにギリディシア卿が怒っているが、フィーサスのほうも何か怒っているらしく、つぶらな黒い目を今はキリリとつりあげ甲高い声で鳴いている。

 何が、起きているのだろう。

 死角――彼の見えない右目側の後方に目を向けたセスは、その光景に絶句した。


「〈破壊の炎龍よ、我が剣にVarsick-FirElle-Latreu……穢れし闇を焼き尽くせBerge-Razra-Fleyroun〉」


 あざやかに燃える片刃の大剣を高く掲げ、デュークが呪文を詠唱している。

 魔導や精霊魔法とは違う不思議な響きの言葉は、まるで原初の魔法。これこそが、森を焦がし樹々を炭化させた炎の正体なのか。

 はぁッ、と掛け声を上げて振り払ったデュークの大刀から真紅の炎龍がほとばしる。


「デューク!? おまえ、何しやがる……」


 ギリディシア卿が全部を言い終わるより早く、炎龍はのたうつように闇空を駆けて、後方で不気味にうごめいていた影の塊に食らいついた。

 間延びした断末魔の声が、重い余韻を残して消えてゆく。

 それを然と見届けた黒豹の聖騎士は、魂まで抜けだすんじゃないかと思えるほどに深く長いため息を吐いた。

 セスを拘束していた闇も力を失い、蠢動しゅんどうしながらズルズルと卿の右手に戻ってゆく。


「……というわけだ、黒豹。あとは私に任せてもらおう」

「仕方ないな。おまえがそう判断するなら、やはりクリスタル家はか。子供ばかりで不安しかないが……おまえが引率役を引き受けるっていうなら、だな」

「始めからそのつもりだ」


 目の前で繰り広げられるやり取りは意味深で、セスは思わず眉をひそめる。二人は、自分が呼び戻された件について何かを知っているのだろうか。

 が、思考に沈む前に後方から足音が複数、駆け寄ってきた。シャルとアルテーシア、犬たちだ。


「セぇス! それにデュークぅ!?」

「セスさん、大丈夫ですか!? お怪我があるなら治癒魔法を……!」

「シャルとルシアこそ怪我はない? 俺は大丈夫、フィーサスとデュークが助けてくれて」


 見た感じ、二人にも大きな怪我はないようだ。

 シャルの手を借りて立ちあがり、フィーサスを肩に乗せて立っているデュークに向き合う。彼の眉間にはしわが刻まれていて、口角が不機嫌そうに下がっていた。


「さて、説教タイムが始まる前に俺様は退散するぜ。おまえたちに変な罪状が付かないよう、この件についてはうまく処理してやる。ではな、運が巡ればまた会おう」

「頼んだぞ、黒豹」

「……ありがとうございます」


 ひらりと片手を挙げあっさり帰っていくギリディシア卿を、セスは感謝半分、申し訳なさ半分で見送る。

 黒衣の姿が夜闇にまぎれて見えなくなると、デュークは大きく息をつき、大刀を乱暴に地面へ突き立てた。


「……どうして、私に相談しなかったんだ」

「ごめん、なさい」


 こうなってしまった以上何も言い訳できず、セスはうつむく。かわりに言い返したのはシャルだ。


「だってさ、デュークあの黒いおっさんと仲良しじゃんかー!」

「……昔からの縁はあるが、俺はアイツと同じ主君に仕えているわけじゃないぞ。帰りたくないなら、そう言えばよかったんだ」


 まさかデュークが賛成してくれるとは思わなかったし、シャルやアルテーシアもそうだっただろう。

 あれだけの恩を受けてなぜ信じられなかったのか……問われれば答えは一つしかない。


「ごめんなさい。俺にはデュークの目的が今もよくわからなくて、……ギリディシア卿の指示で動いているのかと、思っちゃって」

「……そうか。私も、そういうつもりではなかったが秘密にしすぎたかもしれないな。その点は反省しよう。話すのはあまり得意じゃないんだ……すまなかった」

「いえ。デューク、助けてくれてありがとう」


 改めて感謝を述べれば、デュークは安堵あんどしたように笑った。そして、地に刺していた大刀を抜き、汚れを拭き取ってさやへと収める。


「今さら宿に戻るのも、面倒だ。もうこのまま出発しよう。……行き先は」


 問うように目を向けられたので、セスは先に話し合っていた方針を答える。


「首都リンクへ行って、中央神殿で伝承について調べようかと。デュークは、他に何か案がある?」

「……いや、それで行こう。実は私も、神殿の文献を調べたいと思っていたところだ。図書館ではめぼしい資料が見つけられなくてな」


 そういえば、彼は日中に図書館で調べ物をすると言っていた。

 シッポを抱いたアルテーシアが、興味をかれたのか身を乗りだしてくる。


「デュークさんは、何を調べてたんですか?」

「魔将軍について……だが」


 ひと呼吸おいて、デュークの青い目が三人を順々に見る。口元には楽しげな笑みを浮かべ、クイズでも出すような口調で言った。


「魔王に仕える魔将軍は五人、炎、水、地、風、そして光。……では、闇は?」

「あ、言われてみれば闇が入ってない」


 四大属性だけなら不思議はないが、光を入れるのならば闇がないのはアンバランスだ。セスの驚いた様子に、デュークは我が意を得たりとばかりに笑って頷いた。


「記録によれば、闇の魔将軍は人の英雄にくみし、魔王を打ち倒す手助けをしたという。……私が調べたいのは、その詳細だ」



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 挿絵あります。

 https://kakuyomu.jp/users/Hatori/news/16817330662469074990

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