十二.真夜中の逃亡


 運河の河川敷かせんじきで犬たちと仔狼を遊ばせ、陽が傾くまで時間をすごしてから、三人は宿への帰路につく。

 セスの気持ちはまだ決まっていないけれど、心にわだかまっていた重い塊はずいぶん小さくなった気がしていた。


 どうせ戻っても個室なので夕食は外でとることにした。動物が一緒に入れる食堂を探し、三人で奥のテーブル席につく。

 ファーとフィルは大人しくシャルの足元にお座りしていたが、シッポが椅子に上ろうとして騒ぐので、アルテーシアの隣の席に乗せてやると大人しくなった。

 魚料理と野菜の炒め物、パンにミルクスープにフルーツの盛り合わせ。犬たちにも専用の餌を頼んで、三人は食事をしながら今後について話し合う。


「……いろいろ考えたんだけど、『銀の風』を探すにしても、手がかりがないんだよな。デュークも心当たりはないみたいだし、ルシアが知ってる伝承も具体的な地名が示されてるわけじゃないし。ルシアは、何かいい案ある?」


 心はまだ揺れている。でも、今はどちらかといえば帰らないほうに傾いている。

 その理由にはアルテーシアのいう信託しるしもあるが、根拠のない勘のような――あるいはセスの内側にいる誰かのささやきのようなものが、帰るべきでないと告げているからでもある。


 正直まだおうの命令に背くのには抵抗があった。だから、みんなの意見を聞いてみたいと思う。

 アルテーシアは、餌を欲しがって椅子から降りようとプルプル震えているシッポを抱え、床に下ろしてやると、そのついでに荷物からいつもの手帳を取りだした。パラパラめくって考え込む。


古代叙事詩レジェンドサーガの解釈には諸説があって、『黄金さす大地』が具体的な地名を示唆しさすると考える学者もいるんですが……、兄はもっとシンプルな解釈ではないかと言ってました」

「ルシアの兄ちゃんって、学者なのか?」


 串に刺して焼いた鳥肉を犬たちに分け与えていたシャルが、興味を覚えたのか口を挟む。


「学者ではなく、伝承者バルドなんです。もともと母はとある国の神殿に仕えていた巫女みこだったんですが、いろいろあって神職を解かれ、当時の宮廷に仕えていた伝承者バルドの父と一緒に……。ですので、父が兄に古代叙事詩レジェンドサーガや伝承を教え、わたしも一緒にそれを聞いてたんです」

「ほえぇ、だからルシアは昔の伝承とか詳しいのか」


 期せずして彼女の出自を知ってしまい、何でもないことなのにセスの心臓が騒ぎだす。

 伝承者バルドは吟遊詩人の一形態だが、気ままに旅する語り部たちとは違い、国家に仕える神職のひとつだ。


 神話や歴史、各地に残る伝承は、基本的に記述されて保管される。そういった記録を現地で聴き取り、正確に記憶し、口述で書記官へ伝えるのが、伝承者バルドの役割だった。

 詩歌の形にするのは記憶しやすくするためだと聞いたことがある。

 仕事そのものの難易度が高く、難しい訓練も必要で、国に何人もいるような役職ではない。それだけに、ルシアの両親がたどった経緯は気になるところだが――。


「あ、それなら、ルシアのお父さんに聞けば、何かわかるかな?」

「ふぇっ? 父、ですか? 確かに、わたしより詳しいと思いますが……」


 何の気なしに思いつきを口にしただけで、下心もやましい気持ちもあるはずがない。なのに、アルテーシアがあまりに動揺するのでセスは焦った。

 その上シャルが、にやけながらセスを肘でつついてくる。


「何だよー、セスってばご両親にご挨拶したいとか!?」

「うぇあぁ!? 何言ってんだよシャル!」

「あの、わたしはいいのですが……本当に来られますか?」

「そんな! 巻き込んだら悪いし!」


 シャルのせいで妙なムードになってしまったのをぶち壊したかったセスは、妙に力をこめて断ってしまい、シャルにけらけらと笑われた。もともと遠慮がない友人だが、この方面では少し遠慮をしてほしいと切実に思う。

 アルテーシアはわかりやすく安堵あんどの息を吐いているが、家に寄りたくない理由でもあるのだろうか。


「基本的に、各国の伝承者バルド神殿しんでんにいると思うので……ハスティーの神殿を当たってみるのもいいかもしれません」

「うーん、ハスティーは首都に中央神殿があるくらいで、この街キッダーにあるのは神祠しんしかも」

「それならまず、ハスティーの首都を目指しましょうか?」


 アルテーシアの提案は理にかなっているように思えた。

 確かに、魔王軍と魔将軍について調べるにも、古代叙事詩レジェンドサーガを紐解くにしても、中央神殿は最適解に思える。

 歴史や伝承に関わる書物が納められているのは図書館ではなく神殿だし、うまくいけば伝承者バルドや書記官に話を聞けるかもしれない。


「そうだね、まずは首都リンクに向かおう。エルデ陥落についての噂も聞けるかもだし」

「おー、ってことはセス! 俺たちと一緒に行くってことだな!?」

「だから、シャルは声がでかいって!」


 幸い近くの席は空いていて、聞きとがめる者もいなかった。セスは人差し指を立てて静かにするようシャルに合図する。


「すごく悩んでるし、これが正解なのか正直俺にもわからない。でも今は、自分の中にあるに従ってみたいんだ。二人には迷惑を掛けてしまうかもだけど……」

「水くさいぜー、セぇス! 俺たち友達じゃん?」

「迷惑だなんて、そんなふうに思わないでください。わたしは大賛成です」


 即座に返ってきた二人の肯定的な言葉に、セスは胸が詰まってまなじりが熱くなる。

 だってきっと、今ここで二人と別れてしまったら、一生後悔するに違いないのだ。それがおうの命令に背く理由にならないことも、よくわかっているけれど――。


「なら早速、作戦練ろうぜ。黒いおっさんが迎えに来るのは夜明けだけど、アイツとデュークは仲いいみたいだし、デュークにも見つかりたくないよな」

「だからシャル、言い方……。やっぱり、デュークにバレたら止められちゃうかな。挨拶もなしで別れるのは心苦しいけど、……仕方ないか」


 この決意にだって、心残りはある。自分の行為はおそらくギリディシア卿の顔に泥を塗るだろうし、恩を受けたデュークに対して失礼極まりない。

 父や兄たちもセスにがっかりするだろうし、母や祖父は悲しむのかもしれない。

 そうまでしてこちらを選びたいという衝動がどこから来ているのかを、セス自身まだうまく説明できない。


 だから、今は目をつむることにした。

 どちらを選んでも未練が残る選択肢なら、今は、自分の心が示す道を。





 決行は、深夜れい時くらいと決めた。

 今のデュークに睡眠が必要かはわからないが、彼はいつも規則正しく生活している。だから深夜は自室にこもるだろうと、意見が一致したのだ。

 荷造りといっても、元々が旅の途上。必要なものは多くない。鎧を身につけ、ブーツを履いて剣を帯びる。


 リュナが残したペンダントは首にかけた。

 自分が進む先の目的を、見失わないようにと。


 荷物を身につけ、マントをまとう。大きな音がしないよう慎重に戸を開き、外に出てそっと閉めた。

 暗い廊下は静まり返っていたが、階下の酒場からかすかに喧騒けんそうが聞こえてくる。これなら今出ていっても見とがめられることはないだろう。


 階下に降り、賑わっている酒場を澄まし顔で通り抜ける。内心では心臓が飛びだしそうに高鳴っていたが、顔色を変えず外へ――自分にしては上手くやれたんじゃないだろうか。

 中で集まると目立ってしまう可能性があるため、待ち合わせは外だ。

 市街へ出れば、先に来ていたらしいシャルと二匹の犬たちが駆け寄ってきた。


「セス! 上手くいった?」

「シャル、ルシアは?」

「デュークには見つかってないよな」

「ん、……たぶん?」


 お互い興奮しているせいか、いまいち噛み合わない会話をしていると、シッポを抱えたアルテーシアが駆け足でやってきた。


「すみません、お待たせしましたっ」

「大丈夫、俺たちも出てきたばかりだから。シッポは寝てるの?」


 キューンと鼻を鳴らしてすがりつくシッポをなでながら、アルテーシアは困り顔で笑う。


「下ろせばちゃんと歩くと思うんですが、お腹が空いたみたいで」

「ルシア重いだろ。俺が持ってやろうか?」


 仔狼に、本日の運動量は多すぎたのだろう。その場に居続けるのも目立つので、シャルがシッポを抱えて歩くことにした。

 騎馬を連れているだろう騎士たちを徒歩で振り払うのは厳しい。まずは街の門に向かい、首都方面へ向かう馬車に乗り込みたいところだが――。


 そう上手くいくはずもなかった。

 数刻も経たないうちに後方からひづめの音がして、セスは悪い予感を胸に振り返る。予想に違わぬ人物の姿に、右手が無意識に愛剣をつかんでいた。


 夜の闇に溶け込む黒衣、黒い宝石の装飾剣。

 漆黒の髪を束ねるリボンの刺繍ししゅうが、月の光を弾いて銀色にきらめく。


「……ギリディシア卿、迎えの時間には、まだ早いかと」

「まあ、そう言うな。おまえたち、旅の準備はすっかり整っているようだし、出発時刻を繰りあげたって問題ないだろう?」


 左だけの目を細め、揶揄からかうように言いきった大柄の聖騎士、黒き影の豹の名に相応しい威風いふうのディスク・ギリディシアは、馬上からセスを見おろしてニヤリと不敵な笑みを浮かべたのだった。





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