十一.運命の別れ道


 デュークが選んだのは、機能性を重視したシンプルで防犯性セキュリティの高い宿泊施設だった。傭兵ギルドに所属していて、ある程度の実績を残した信頼できる者だけに、利用資格が与えられるらしい。

 同じ価格帯の宿に比べれば格段に良質だが、観光サービスのような付加価値はついていないということだった。


 デュークが代表して四人と四匹分の手続きを済ませる。

 気を遣ってくれたのか、単にそういう決まりなのか、それぞれに個室の鍵が渡された。あとは浴場を使うなり食事をとるなり、好きにどうぞということだ。


「デュークはどうすんの?」

「俺は調べたいことがあるから、図書館に行く。安心しろ、ここの宿泊費は黒豹くろひょう持ちだ。おまえたちも好きにするといい。一階には食堂と浴場があるし、外に出て観光するのもいいだろうな」


 何か言いたげなシャルを目で制し、デュークは足早に自分の部屋へ向かってしまう。


「ちぇ、そういう話してんじゃないのに」

「でも確かに、ここで立ち話は目だちます。いったん部屋に荷物を置いてから、どこかに集合しませんか?」


 不満げなシャルにアルテーシアがそう口添え、セスもそれに同意する。


「せっかくキッダーに来たんだし、運河を見に行こうよ。遊水用に河川敷が広くとってあるはずだから、シッポたちも思いきり駆け回れるんじゃないかな」

「あー、それいいかも! じゃ、途中のマーケットで食べるもの買ってこーぜ。ルシアもそれでいい?」

「はい、じゃあわたしは、竪琴ライア持っていきますね」


 さくさくと話はまとまり、余分の荷物を置くためいったん部屋に行く。

 セスは少し悩んで、鎧は外し剣だけを持っていくことにした。キッダーの街中なら魔物が出ることはないだろうし。


 シャルとアルテーシアと合流し、傭兵ギルドを出る。ここから運河までは、歩いて一時間ほどだろうか。

 行きがけにマーケットに寄って、野菜サンドと焼いた腸詰肉ソーセージとチーズを買った。犬と狼が食べても大丈夫そうな肉を探すのは、少し手間がかかった。


 ハスティー王国は五十年ほど前まで、帝国と親交の深い独立国だった。しかし、独裁国家エルデ・ラオの台頭と、妖魔の森を含めた各地で魔物の動きが活発化したことを受けて、輝帝国の保護下に入ったのだという。

 輝帝国の現帝皇ていおうハスレイシスは、元々ハスティー王国の王族だ。前帝皇ていおうが実子に恵まれなかったため、彼を養子に迎えたらしい。その前皇は六年ほど前に逝去し、ハスレイシスが帝皇ていおうの座を継承した、という流れになる。


 政治をよく知らないセスでも、これが異例のことだというのはわかる。

 血筋より実力を重んじる輝帝国だが、よその国出身の継承者が帝皇ていおうとして君臨するという状況を、面白くないと思っている者は多いのだ。それは輝帝国が誇る五聖騎士ファイブパラディンであっても同じことだった。


 デュークが黒豹と呼ぶギリディシア卿は、現皇ハスレイシスがハスティー王国から連れてきた腹心で、五年前に五聖騎士ファイブパラディンに任命された人物だ。前皇時代から帝国に仕える者の中には、彼の存在をうとんじている者も多いと聞く。

 うとまれているという点では、父が宰相さいしょう、兄が二人とも五聖騎士ファイブパラディン、大叔母が前皇后、というクリスタル家も相当なものだが。


 それぞれが胸に想いを巡らせているのだろう、マーケットを出たあとは三人とも無口だった。ときどき、はしゃいで列から離れそうになる仔狼シッポをアルテーシアが呼び戻すくらいで、会話少なに、三人と三匹は目的の運河に到着した。

 空は晴れていてどこまでもあおく、河岸かわぎし特有の湿った強い風が吹いている。少し歩き回って風が当たらない場所を見つけ、三人はそこに布を敷いて休憩することにした。


「綺麗な川ですね。運河って聞いたので、もっと濁っているものかと思いました」


 アルテーシアが言って、膝の上にシッポを抱きあげた。風に揺れる長い髪が気になるのか、仔狼は毛先にじゃれついて捕まえようとしている。

 彼女はシッポをなでながら、視線を落としたままで口を開いた。


「セスさん、……輝帝国の宰相様の息子さんだったんですね。ちょっと、びっくりしちゃいました」

「……黙ってて、ごめん」


 思わず謝れば、アルテーシアは「そんな!」と勢いよく顔をあげる。


「意外に思っただけで、謝ることではないですよ。ただ……セスさん、これからどうなさるのかなって思ったんです」

「そうそう、俺もそこ聞いておきたいなー。あの黒豹、だっけ? いきなり出てきて勝手に決めやがってさ、腹立つ!」


 シャルの不機嫌な理由が予想と違っていて、セスは少し驚く。彼は手に持っていた野菜サンドを二口で平らげてから、上体ごとセスのほうを向き、ぐっと詰め寄ってきた。


「セス、帰らないよな!?」

「え、っと……でも、騎士にとっておうの命は絶対なんだ」


 シャルも一緒に、と喉元まで出かかったのは飲み込んだ。エルデ・ラオが魔王軍によって陥落したのなら、次に狙われるのは隣国でもあるハスティーだろう。であれば、輝帝国が動くのも必然だ。

 戦争になれば、兄の騎士団に所属しているセスも出撃せざるを得ない。二人を連れて帰ったら、きっと戦いに巻き込んでしまう。


「セスさんは、それでいいんですか?」


 言葉に詰まったシャルの代わりに尋ねたのは、アルテーシア。責める響きなどないシンプルな問いなのに、セスの胸へ深く突き刺さる。

 何が、正解なのだろう。

 同級生の中では腕が立つとはいえ、まだまだ見習いに過ぎないセスが戻ってできることなど、あるだろうか。

 ギリディシア卿にわざわざ回り道をさせてまで連れ戻そうというのだ。おうに、あるいは父や兄には、何か考えがあるのだろうけど……。


「それでいい、というか……。きっと、それが最善なんだと思う。父も兄も、リュナを見捨てたりしないだろうし、戻れば俺にだって何かできるかもしれないから、さ」

「でも、セスさんは信託しるしを受けとっているはずです」


 一瞬、彼女が何のことを言っているのかセスは理解できなかった。アルテーシアは膝に抱いていたシッポを脇へ避けさせ、手帳を取りだして開く。


「世に二つとない古代遺物を渡され、予言と使命を託された。わたしは、それを優先すべきだと思います」

「でも、……あの魔導士が信頼のおける人物だって保証がないよ」


 手帳を閉じ、シッポを膝に抱き直して、アルテーシアは小首を傾げた。ブルーグレイの瞳が真昼の光にきらめき、彼女の自信にいろを添えているようで。


「その人は、セスさんとデュークさんが一緒に行動していること、お二人なら魔薬を正しく扱えるであろうことを知っていたのでしょう? デュークさんがあの魔薬によって全盛期の姿を取り戻す……それは古代叙事詩レジェンドサーガのなぞらえです。それを信託しるしとして、セスさんに使命を託したのだと思います」

古代叙事詩レジェンドサーガに書かれている世界再生が、本当に起きるって?」

「はい、わたしはそう思います」


 あまりにはっきり言いきられて、セスは頭が混乱してくるのを感じた。

 言われてみればそんな気もしてくるし、ただのこじつけのようにも思える。そもそもセス自身が古代叙事詩レジェンドサーガにはあまり通じていないのだ。

 傍観ぼうかんモードに入っていたシャルが、セスの沈黙を見てひょいと姿勢を正した。


「俺、学問的なことはよくわかんないけど、いいんじゃないか? 探そうぜ、その『銀の風』をさ。きっとそのほうが、セスの目的にも近いと思うし」


 シャルの言葉にも一理ある。魔王軍が今エルデ・ラオにいるのなら、リュナだって一緒だろう。

 輝帝国まで戻ってしまえば、距離的にも日数的にもリュナを取り戻すためにできることはなくなってしまいそうだ。


 父や兄は、魔王軍を制圧しリュナを取り戻すつもりなんだろうか。わからない。……考えても、セスにわかるはずがない。

 情報が少なすぎる、と思う。自分の勝手な行動のせいで国や家族に大きな迷惑をかけてしまうことになれば、取り返しがつかないのでは、という思いを振りきれない。


 父も兄も、尊敬すべき人たちだ。

 祖父に対しては苦手意識が強いとはいえ、傑出けっしゅつした魔導士だと思っている。

 帝皇ていおうもギリディシア卿も才能にあふれた素晴しい人物だと思うし、彼らのいうことを従順に聞いていればまず間違いはない、とわかっている。――なのに、この、胸にわだかまる暗いかたまりは何なのだろうか。


「……昔、さ。初等科に通ってたころだったかな、学校ではじめての友達ができたんだ」


 つきあげてきた言葉が、唇からあふれる。言ってしまえば後戻りができないと自覚しつつも、苦しくて、セスは話さずにはいられなかった。

 二人の表情を見るのが怖くて、うつむいたまま、ぽつぽつと言葉をつないでいく。


 名前は、もう覚えていない。思いだすまいとしているうちに、本当に忘れてしまったのかもしれないけれど。

 幼少時から大きな屋敷にこもりきりで、遊んでくれる同年代の友達なんていなかった。

 末っ子だったので両親も兄たちも優しくしてくれたが、歳の離れた兄たちはすでに勤めについていて、一緒に遊ぶ時間はなかったから。


 セスの母は病弱でいつも伏せがちだったので、セスは学校であったことを母に何でも話して聞かせた。新しくできた友達が嬉しくて、彼の話ばかり聞かせていた。

 彼の父が将軍職についていて、セスの兄とりが合わなかったなんて、そのときはまったく知らなかった。


 やがて、彼の父が荒んできたこと、セスの兄をねたむ会話を家でしていることを、彼はセスに相談するようになった。

 力になりたいと思ったから、セスもそのことを母に隠さず話し、自分なりに懸命に相談に乗ってあげていた。


 やがて、彼の父は反逆を計画する。

 母は会話の端々から、薄々察していたのだろう。セスが母に話した相談事は、すべて父に伝わっていたのだろう。

 いま思えば、それはひどく当たり前のことなのだけど。


 叛意はんい露見ろけんし、彼の父は捕らえられて将軍職を剥奪はくだつされ、処刑された。

 息子であった友人がどうなったのかを、セスは知らない。父も兄も、母も、だれひとりその結末を教えてはくれなかった。

 けれど、同級生たちも、その親たちも、先生たちも、その出来事を知っていて。


 以降、セスと仲良くしてくれる人はいなくなり、近づく者もいなくなった。それがきっかけで学校は辞めてしまったため、友達といえる人はこの歳になるまでだれもおらず。

 ……唯一心許せる存在だった妹も、魔将軍に奪われて。


「……今でも、どうすれば正解だったんだろうって、考えてしまう。俺は彼を助けたかったけど、結果的には彼の家庭を壊してしまった。リュナだって……あのとき一人で逃げろなんて言わなければ、もしかしたら」


 思いのかたまりを吐きだしたら、視界がぼうっと歪んで、膝にぱたりと滴が落ちた。自分の涙だ、と遅れて気づき、慌てて服の袖でぬぐう。

 す、と目の前にハンカチが差しだされる。思わず顔を上げたら、アルテーシアがセスの顔を覗き込むようにしていた。


「……人に、未来をみることはできません。過去に、戻ることもできません」


 優しい声が、波だつ心を撫でるように、しずめていく。幼げなところのある彼女が、なんだかとても大人びて見えた。


「運命のわかれ道で、だれもが、どちらの手をつかむか決めなくてはならないんです。どちらかを選んだら、もう片方とは敵対するしかないことだってあります。その選択を自分でするか、誰かにゆだねるかは……セスさん次第です」


 運命の別れ道、そう、口の中で繰り返す。

 アルテーシアの言葉は深く、そして重かった。だれにも肩代わりはしてもらえない、それはわかってはいても苦しい真実だ。

 それでも、彼女の言葉は正しいのだろう……そう思う。


「過去のセスさんに、ご家族かご友人かを選ぶ自由は、なかったのでしょう。でも、今は違うはずです。どちらを選ぶか――いいえ、だれを、何を。セスさん自身の本当の望みを、考えてみてはどうでしょう」

「……うん、そうだね」


 渡されたハンカチで涙をぬぐいながら、セスは頷いた。

 答えが出たわけではなかったが――それでも、今なら何かをつかめる気がした。





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