〈幕間一〉炎竜葬送歌


 崩れかけた城壁の上に、ふたつの人影がある。すらりと背の高い人物と、それよりだいぶ小柄な人物と。

 重い湿気を含んだ風がほこりを巻きあげながら通り抜け、背の高いほうのとんでもなく長い銀髪を乱暴にあおって過ぎてゆく。


「んー、もう生き残ってる奴はいなさそうだな」


 明るい印象を感じさせる、少年の声。発した内容の重さに不似合いな、軽い調子の声音だった。傍らに立つ赤い髪の子供はうつむいて、眼下の光景を眺めている。


「みんな、死んじゃったのかな?」

「ンなわけあるかよ。そりゃ、残ってる死体は多いけど……大半は逃げたか囚われたか、とにかく、この程度で国一つ全滅なんてするわけないだろ」

「そっか」


 激しい戦いのあとを物語る痕跡が、城壁の下に残されている。折り重なる死骸は、人だったものと魔獣や妖魔だったものが入り混じっていた。

 散乱する武器の中は、柄が折れた槍やひしゃげた剣も見える。そして、大地をうがつ穴のような跡が、数えきれないくらいに。


「ほんとは、家族が引き取って埋葬してやるのが一番なんだろうけどさ。魔王軍の奴ら、出国禁止の方針らしいし。このまま放置されて獣に食われるのも、なんか気の毒だし」

「ねえ、オルウィ。ほんとに間違いなく絶対に、生きている人はいないんだよね?」

「おーよ。だから、遠慮はいらねーぜ? 送ってやれ、フィオ」


 銀髪の少年が十代後半くらいだとしたら、赤髪の子供は十代に差しかかったくらいだろうか。互いに顔を見あわせて、うなずきあう。


「……〈炎竜葬送歌FirElle-Shedtherss-Ceru〉。悲しみと苦しみをいだきて朽ちゆく身体に縛られぬよう、浄火の炎を、ここに――……」


 赤髪の子供、フィオの輪郭りんかくがゆるりと溶けて、炎をまとうように輝きながら膨らんでゆく。

 瞬きほどの間に変化したのは、小型ながらも美しい火炎竜の姿だった。揚力ようりょくを得るため何度か翼をはばたかせ、ふわりと宙に浮きあがる。


 隣で見守っていた銀髪の少年、オルウィは、それを見届けて安心したようにゆるく笑い、それから正面に目を向けた。

 右手を挙げ、中空に差し伸べて、うたうようにささやく。


「ここに在り、ここで起こる、いっさいの事象を。人の子らよ、おまえたちは目にしない。影の司竜の権能により命ず――……きたれ〈星闇の聖域Tyistar-Too-Iyass〉」


 まっすぐ伸ばされた指先から銀光が散り、少年の全身を覆ってゆく。そして彼もまた、銀の鱗きらめく竜の姿に変化した。

 彼の求めに応じて、透明な闇がとばりのように周囲一帯を包み込む。


「よし、いいぜ」

「うん、がんばってくる」


 飛びたった火炎竜は城壁の周囲を飛びながら、やわらかく物悲しい旋律の歌を紡ぐ。無念のうち死んだ兵士や、苦しみ痛みを抱えて死んだ人々を、いたむ歌。

 さながら祈りのような、子守唄のような。

 それはいにしえの過去に失われた、はじまりの魔法のようでもあった。


 歌のことばはやがて炎をまとい、きらめく火の雨となって地上へと降り注いだ。人も魔獣もひとしく包み込み、すべてを白い灰へと変えてゆく。


「……まったく、世界が滅びかかってるってのに、戦争かよ。いい気なもんだぜ」


 火炎竜のフィオがうたう葬送歌を聴きながら、銀竜のオルウィは忌々いまいましげに呟いた。ひと巡りを終えて戻ってきたフィオが、あれ、と首を傾げて聞き返す。


「魔王が復活するなら、もう大丈夫なんじゃないの?」

「いや。このままじゃ昔と同じく、魔王が人に討たれてしまうだろ。そうなりゃ、今度こそ世界の滅びは決定的だ」


 ここは数日前まで、軍事国家エルデ・ラオとして知られていた国だった。

 侵攻してきた魔王軍との激しい戦いののちエルデ・ラオは敗北をきっし、国家の中枢は魔将軍と名乗る者らに押さえられてしまったのだという。


 魔王軍にとってエルデ・ラオは足掛かりに過ぎない。

 手始めに軍事国家を乗っ取って基盤とし、周囲を取り込んで力をつけ、最終的には帝国を打ち倒して世界の覇権を握る。わかりやすくも愚かしいシナリオだ。


「どうして、みんな仲良くできないんだろうね」

「さあな。……悲しいかな、人の歴史あるところに争いは付き物だ。これはもう、奴らの本能なんじゃね、って思えるくらいにさ」


 苦いものを吐きだすかのような銀竜の言葉に、小さな火炎竜は視線を落とした。

 彼らの中には、愛するものを残してここへ出てきた者たちもいただろう。戦争に加わらなければ、命を失わずに済んだだろうに。……と。


「かなしいな」

「人はいつだって無知で、自分勝手だ。無駄に争い惑星ほしを傷つけた挙句、その反動で起きる災いを見て、神を呪ったり竜を憎んだりする。……でもさ」


 あざやかな青の目が、いとおしむように細められる。


「おまえはそれでも、そいつらを救いたいと願ったんだよ、フィオ」


 小さな火炎竜は、磨かれたルビーのようにつぶらな瞳を瞬かせ、こくりとうなずいた。

 銀竜が言っているのは、今ではない自分のことだと知っている。彼がその願いを叶えるためにここへ降り立ち、自分を目ざめさせたことも。


 二人の旅はまだ始まったばかりで、フィオの中はいまだに空白だらけだけど、それでも進みたいと思うのだ。

 到るべき終わりにたどり着き、いつかの自分が捨ててしまった願いを、取り戻したいと思うのだ。


 そのために、今はできることをひとつずつ。

 そうすればいつかは、人を愛したという、原初の心を思いだせるのだろうから。


 限りなく純粋な炎の権能ちからで織られた祈りは、未練といきどおりを抱えたさまよえる魂たちを癒し、浄め、そらへと導いてゆく。

 人に知られずおこなわれたその善行しるしは、魔力にけたものの目には、精霊たちが踊っているように見えたことだろう。




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