十.黒豹の聖騎士
宿場町からキッダーという都市までは、歩いて三日の道程だ。馬や馬車を使えば時間を短縮できるが、今の手持ちで全員分を調達するのは難しい。
食料は主に狩りで、細々とかかる費用はアルテーシアの歌で賄いつつ、特に大きなトラブルに見舞われることもなく、四人と四匹は三日目の朝に目的地へ到着した。
セスがリュナと家を出発してから、もう二週間が経過している。宿場町から送った手紙が父の元へ届くまでは、もう少しかかるだろう。
旅歩く身では手紙を受け取ることができないので、父や兄がどんな判断をくだすのかを知る手段も、今のところはない。
今セスにできるのは、目撃者であるデュークを頼りに、リュナをさらった魔将軍について情報を探ることくらいだ。
それが正解かはわからないけれど。
「わぁ、すごいですね! 都会ですね!」
「キッダーは商業都市なんだ。物流と情報の集まる、ハスティー王国にとって要となる街だよ」
竪琴を抱きしめて目を輝かせ、辺りを見回すアルテーシアに、セスは簡単な解説をしてあげた。
キッダーは賑やかで活発な都市だが、都会というほど洗練された街ではない。それでも彼女の目にはそう映ったんだろうと、微笑ましく思う。
露店やキャラバンが立ち並ぶマーケットに、広くて通行人の多い中央街道。郊外にはファッチ川という大きな運河が流れていて、そこを基盤に発展した都市だ。
明るい物から暗い物まで、ここでは大抵の物が手に入る。
地元の商人たちにより組織された自警団が巡回しているので治安は良いほうだが、油断していると危険に巻き込まれるので注意は必要だ。
「……セス、まずは
先頭を歩いていたデュークが振り返り、言った。黒マントとフードは身につけたままだが、顔を覆っていた布は取り
確信めいた笑みが口元に浮かんでいて、やっぱり表情がわかるのは良いな、とセスは思った。彼の微笑みには、人を安心させる力がある。
のんびりとした様子で街並みを眺めていたらしいシャルが、驚きの声を上げた。
「まずって、デューク! 先に宿取るんじゃないのかー?」
おじさん呼びをすっかり改めたシャルだが、距離の近さと遠慮のなさは変わりない。デュークは面倒臭そうに、マントの
「……この街の宿は、高い。それより、先に仕事を受けて方針を決めたほうが効率的だ。もしかしたら、十分な額の前金が入るかもしれないぞ」
「前金?」
「依頼の成功失敗に関わらず、引き受けたってことで貰える手付金だ。仕事によっては、いろいろ買いそろえる場合もあるからな」
「なるほどー。でも、それ貰ってトンズラする奴も出てきそうだな!」
「そういうのを防ぐために傭兵ギルドがあるんだ」
シャルはまだ聞き足りないようだが、デュークはもういいだろとでも言うように手をひらひらさせて、黙ってしまった。
ちぇーと不満そうにしながら、彼はセスに近寄って耳打ちする。
「俺、ちょっと買い物してくるから! 終わったら傭兵ギルドに行くから待っててくれな」
「えぇ、シャル! 場所わかるのかよ!?」
「場所は知ってるー!」
大丈夫ー、と余韻を残して、犬二匹と一緒にシャルはあっという間に通りの雑踏へ消えてゆく。相変わらずの俊足だ。
ちら、とデュークをうかがえば、彼は
「……仕方ない、それでいいさ」
キッダーの傭兵ギルドはハスティー王国の中では最大規模なのだと、デュークは歩きながら説明してくれた。
あまり自分のことを語りたがらない彼だが、ギルドに所属し依頼を受けて生計を立てているのだろう、とセスは推測する。
「俺たちはギルドメンバーじゃないけど、入ってもいいのかな」
「構わない。……何なら、傭兵として登録するか?」
「それは、……一応これでも、騎士団に所属している身なので」
「ふぅん、残念だな」
どこまでが冗談で、本気なのかわからない。ギルドの扉を開けて建物に入っていくデュークのあとを急いで追う。
隣のアルテーシアが、すっと身を寄せてきてセスにささやいた。
「セスさんって、騎士団所属の騎士様なんですね。お国はハスティーですか?」
「まだ、見習いだけどね。国は、
「すごいです! 帝国ってことは白銀の騎士――
実は兄二人がそうです、とは言えず、セスは適当に相槌を打ってごまかす。
アルテーシアは世間知らずのように見えて、意外に知識が多く観察眼が鋭い。彼女に他意がないのはわかっているが、セスは心臓を絞られるように息苦しかった。
本音を言えば、彼女ともう少し近づきたい。
セスさん、ではなくセスと呼んで欲しいし、好奇心の強そうな彼女ともっと色々な話がしてみたい。
けれど、自分の中にいる何かがささやくのだ。
――きみのすべてを知れば、彼女はきみから離れていくぞ。――と。
その言葉を否定しきれず、セスはアルテーシアの事情に深入りできないままだ。そんな自分が歯がゆくて、なんだか悔しくもある。
セスが
ギルドの一階は酒場を兼ねた待合所になっており、他にもいく人かの傭兵たちが酒を飲んだり歓談したり、グループになって話し合いをしている。
デュークはと言えば、カウンターのバーテンダーと何やら話をしているようだった。
アルテーシアとセスが空いているテーブルにつき、デュークを待っていると、ドヤドヤと音がして階段をいく人かの人々が降りてきた。その格好を見たセスは驚きのあまり声をあげそうになって、思わず口を押さえる。
光沢のある黒生地で織られたサーコートに、白銀の鎧。刻印された
この場から逃れたい衝動に駆られるセスの耳に、無情に響いたのは、朗らかな笑い声。
「デュークと名乗る若い傭兵、そんな知り合いいたかと思ったが……まさかな! しかも、驚いたぞ。おまえ、クリスタル家の末っ子と一緒に行動していたんだって?」
銀糸で縁取られた上品な黒い衣装とマントで身を包み、柄の先端に黒い宝石のついた装飾剣を携えた、片目の男。
大柄だが
「……あまり大声で話すな、誰が聞いているかもわからないんだぞ」
「はは、どうせすぐに発つことになるから、問題ではないさ。しかし、セステュ・クリスタル、おまえにここで会えたのは
はるか高みに位置するそんな人物とデュークが知り合いだったことは衝撃だ。つい、傍らのアルテーシアをうかがい見てしまう。
本物の聖騎士を見て目を輝かせているかと思ったがそうではなく、彼女は唇をひき結んで真面目な顔で彼らを見つめていた。そこから感情を読みとることはできない。
「ギリディシア卿……、何か起きたのですか?」
手紙を書いて送ったのは三日前だ。鳥が運ぶ手紙では、どんなに早くても父の元に届いているはずがない。
だとしたら、自分の留守中に家族に何かがあったのだろうか。
黒豹の聖騎士は周囲に視線を走らせ、セスを手で招く。テーブルから立ちそちらへ行くと、デュークもカウンターを立ってセスの隣にやってきた。
険しい顔のギリディシア卿は、二人が近づくと低めた声で告げる。
「実はな、……エルデ・ラオが陥落した」
「……は? 悪い冗談はよせ」
デュークの声が動揺したのは、今のが冗談などではないと理解しているからだ。言葉の意味をゆっくり飲み込み、セスは言葉を失って唇を噛む。
エルデ・ラオ。妖魔の森を挟んでハスティーと国境を接した、強力な軍を
しかし、陥落とは。
ギリディシア卿は苦いものを噛み潰したような顔をしている。
「冗談でこんなことを言えるか。それだけじゃない、エルデを落としたのは魔王軍だという噂だ。実情は、誰もまだ確認できていないが――」
「……確かに魔将軍は動いていた。伝承通りのあんな力が五つもそろえば、いかな軍事国家といえど、……ということか」
リュナをさらったというエルフの飛竜騎士。アルテーシアの兄を連れ去ったと思われる神官風の人物。セスはどちらもじかに見たわけではないが、少なくとも二人の魔将軍が活動しているのは、間違いない。
連れさられた二人は無事なのだろうか……、不安に思うセスをギリディシア卿が見る。その目に気づいた途端、セスの胸に最大級に悪い予感が
「最悪の知らせはおまえに
どくん、と心臓が跳ねる。
そんな特徴を持つ少女ならどこにだっていると、言いたかった。けれど、頭のどこかで理解している。
ギリディシア卿の読みは、自分の胸を
黒豹の聖騎士はしばらくセスの答えを待っていたが、沈黙の意味を察したのだろう、小さくため息をついて続けた。
「と、まあ、そういうわけだ。俺様は休暇中だったんだが、
「……はい、わかりました」
かろうじて、それだけを返す。デュークがカウンターへ行ってバーテンダーと何ごとかを話し、それから戻ってきて言った。
「今夜は、傭兵ギルドが運営する宿に泊めてもらおう。……おまえが、
「……俺は」
どうすべきなのだろう、と、
デュークはいつの時点で自分の出自を知ったのだろう。シャルやアルテーシアはどう思うだろうか。
目的が一緒だとしても、二人を輝帝国に連れて戻ることはできない。であれば、これ以上迷惑をかけないためにもここで別れるのが正解なのでは……。
「出発が夜明けなら、今夜は一緒でいいじゃん」
思いもよらぬ声がした。振り返れば、犬二匹を両脇に従えたシャルが、少し
黒豹の聖騎士は愉快そうに、ニヤリと笑う。
「もちろん、それはセステュの自由だ。傭兵ギルド直轄の宿だな? それなら夜明けごろに迎えをやるから、用意して外で待っていろ」
その一言で方針が決まった。
なんだか胸が苦しくてシャルの顔をまともに見れないセスだったが、すっと近づいてきたアルテーシアがセスの背に手を添え、傭兵ギルドの外へと連れだしてくれた。
あとを追うように、シャルとデュークも出てくる。
「まずは宿に向かうぞ」
デュークの言葉に、誰も異論を挟まなかった。お互いに無口のままで、四人と四匹は宿へと向かう。
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