九.幻惑の妖花毒


「駄目だ」

「なッ……おじさん空気読もうよ!」


 実のところセスは、そして恐らくシャルも、デュークがアルテーシアを迎えてくれるとまったく疑っていなかった。

 夕食の席で彼女の事情を聞かされた彼はほぼ即答で同行を拒否し、それに反応したシャルが大声を上げる。アルテーシア本人はしゅんとうつむいているが、布とフードに隠されたデュークの表情は相変わらず読めない。


「詩人じゃあるまいし、空気なんて読めるか。おまえたちこそ、自分がどんな奴を相手にしようとしているのか、わかっていないだろう」

「だからぁ、その話をしようって言ってんじゃんー! 魔将軍って何なんだよ?」

「シャル、声が大きいって」


 興奮するシャルをなだめつつ、セスは念のため周囲に視線を走らせる。

 夕食どきとは言え、寂れた宿に泊まる客は少ない。犬たちと仔狼は、店主が出してくれた肉とチーズを混ぜた餌に夢中になっている。

 フィーサスはデュークが頼んだかゆを食べていたが、口の周りがベタベタになってしまったので、セスが布巾で拭いてやった。


 経費節約のため頼んだ食事はお任せオードブルだったが、焼きたてのパンは甘く、スープには野菜とキノコがたっぷり入っていて、大皿の肉料理は食べ盛りの少年たちでも十分満足できる逸品だ。他にも揚げ物や串に刺して焼いた野菜など、品数も申し分ない。

 まばらに席につく客は、生粋の旅人か猟師といったところか。

 グループになっている席はここくらいで、一人か二人連れがほとんどだった。


 デュークは相変わらず食べることには興味ないようで、フードで口元を隠し、ちびちびと酒だけ飲んでいる。

 セスとしては彼の言いたいこともわからなくはない。アルテーシアの兄が魔将軍とどんな関係であるにせよ、危険なのは間違いないからだ。

 連れて行って万が一の時に守り切れるのかと問われれば、デュークは可と言い切れないのだろうし、自分はなおさらだろう。


「……あの」


 うつむいていたアルテーシアが、おずおずとデュークに声をかける。ちらりと彼女を一瞥いちべつしたデュークは黙ったままあごを軽くしゃくった。話してみろ、ということらしい。

 少女はうなずき、自分の荷物から手帳のようなものを取りだした。数ページめくって目を落とし、口を開く。


「一ヶ月ほど前、兄はこの町を訪れて、ちょうど町を襲っていた魔獣の群れを撃退したのだそうです。銀の長髪に星形のイヤリング、精霊魔法を使う魔法使いで、ディヴァスと名乗った……町の人もよく覚えているとのことですから、間違いありません」


 黙って聞くデュークをそっとうかがいながら、アルテーシアは話を続けていく。


「その直後、兄が神官風の男性と言い争っているのを、町の人たちは見たそうです。魔将軍という名称はその時に耳にしたらしいのですが、警備兵を呼んで駆けつけたときにはもう、誰もいなくなっていたとか」

「神官風の……? ふぅん、あの男ではないのか」


 デュークが少しばかり驚いたようにつぶやく。隣のシャルがいち早く聞き留め、デュークを肘でつついた。


「おじさんが戦った魔将軍って、どんな奴? そいつがセスの妹をさらったんだろ?」

「エルフの飛竜騎士だったな。魔法を打ち消す道具か何かを操っていたようだが、恐らく本人の能力は地魔法だろう」

「地? エルフだからですか?」


 アルテーシアが尋ねる。表情の見えないデュークだが、彼女が怖がったりしていないことにセスは少しほっとした。

 エルフは森の民とも呼ばれる。本来は森の奥に住む閉鎖的な種族で、動植物に詳しく医療と精霊魔法が得意な、穏やかな亜人たちだ。

 デュークは頷き、言葉を選ぶように説明を加えた。


「本来、狼は日中に狩りをすることはまれだし、妖魔や魔獣は自分より強い相手に挑んだりしない。昨日は森全体が何か異様な力に覆われていて、様子がおかしかった。恐らくあの男が、森の獣や魔物たちを動かして人を襲わせていたのだろう」

「うっわ何だよそれ! 腹立つなー」


 予想通りシャルは一気に不機嫌度をまし、表情の見えないデュークでも苦笑したのがわかった。アルテーシアは手帳を閉じ、沈んだ表情でつぶやく。


「魔将軍は、一人ではないんですね」

「……今はどうだか知らないが、そもそも魔将軍は魔王が従えていた五人の腹心だ。地、炎、風、水、そして光。それぞれが強力な魔法を操り、さまざまな異能によって英雄たちを苦しめたという。人の英雄によって魔王が討たれたとき、ある者は共に討たれ、ある者は眠りについたというが……果たしてどこまでが真実だろうな」


 この一連の出来事の背景に、伝説の魔王がいるのだろうか。わからないことだらけで、頭が痛くなりそうだ。

 ――と、そこでセスは、さっき会った奇妙な魔導士と彼に手渡された魔薬のことを思いだした。物知りのデュークなら、これにどんな効果があるのか知っているかもしれない。


「デューク、これ、見てもらいたいんだけど」


 慎重に、魔薬の小瓶をテーブルの上に置く。手袋に覆われたデュークの手がそれを摘みあげ、店内の照明にかざして観察しはじめた。

 光に透かしても黒々とした液体は、濃密な闇を閉じ込めたような不気味さがある。しばらくそうやって見ていたデュークが、小瓶をテーブルの上に戻して頬杖をついた。


幻惑の妖花毒ベラドンナズ・チャームか。こんな劇薬、どこで手に入れたんだ」

「げき、劇薬!?」


 思いがけない答えに裏返った声をあげたセスが面白かったのか、デュークはからかうような声音で続ける。


「死をいとわず美を探求する狂気が作りあげた、劇薬だ。使用すれば、瞳孔が開き、肌が雪のように白くなり、唇は赤みを増して……誰をも魅了する美貌を手に入れられる。そのかわり、その効果が終わればたちどころに死亡してしまう」

「ひぇっ、怖すぎなんだけど!?」


 シャルが怯えたように椅子を引き、アルテーシアのほうは恐る恐るといったふうに顔を近づけて、ラベルも貼られていない宝石瓶をじいっと見つめた。


古代叙事詩レジェンドサーガにも出てきますよね。生前の美貌を取り戻したいと願った不死者の王が、この魔薬を求めて世界中をさまよい歩いた物語……でしたっけ」

「よく知っているな。確かに、貴種吸血鬼ノーブルヴァンパイアが好んで使う魔薬だとも言われている。不死者に毒は効かないからな」

「兄が、そういうお話が好きで」


 意外なほど動じないアルテーシアに、セスのほうがやや動揺しつつも、二人の会話から何かを思いだしそうな自分に気づく。ざわざわした胸騒ぎは、時々覚える異質の感覚。


 ――そうだ、飲ませてみるといい。面白いことになるぞ。――


 ハッ、と目を見開き、揺れる視界を睨むように見つめた。影のように輪郭りんかくもはっきりしない誰かがニヤリと口角を上げるのだけ、眼裏まなうらにはっきり見えたような。

 心臓が、バクバクと早鐘をうっている。


「大丈夫か、セス。顔色悪いぜー?」

「どこか具合が悪いんですか? セスさん」

「デューク、これ、


 大丈夫だ、と言うつもりだった口が、セスの心とは別の言葉を発した。シャルが目をみはりダンとテーブルを叩いて立ちあがると、セスの側まで来てぐいぐい襟をつかむ。


「何言ってんだよ! 劇薬なんだろー!?」

「痛、苦しいってシャル! これは、そうじゃなくてっ」

「笑えない冗談言うなー!」


 エキサイトするシャルとは対照的に、デュークは黙って小瓶を取りあげ、自前のナイフを出して蓋をこじ開けた。そして、騒いでいる少年たちと見つめている少女に背を向け、中身をひと息に飲み干してしまった。


「……平気ですか?」

「ああ、なかなか悪くない。しかし、おまえも驚かないんだな」

「兄がそういうの、詳しかったんです」

「なるほど」


 尋ねかけるアルテーシアと短く会話を重ねながら、デュークは襟をくつろげ、新調したばかりの黒フードとマントを脱ぎ捨てた。弾みでフィーサスがぽうんと弾み、ふよふよと戻ってくるとデュークのきだしになった肩に乗る。


「ふぃ〜? ぷきぃいぃ!?」

「今度は何だよフィーサス、って、うわぁあぁ!?」


 そこでようやく気づいたシャルがデュークを見、目を見開いて固まった。セスも予想していたとはいえ、デュークの変化に心底驚いて息を飲み込む。

 干からびた土気色の皮膚ではなく、日に焼けていながらもみずみずしい肌は間違いなく人間のもの。程よく筋肉がついた肩の上で、フィーサスが歓喜の舞とばかりに丸い尻尾を振り乱しながら飛び跳ねている。

 癖のない、肩より少し長い程度のブロンドの髪。切れ長の目は深い青で、歳の頃は二十代半ばといったところだろうか。


「えぇ、デュークっておじさんじゃなかったのかよ! 何で今までフード取らなかったわけ!?」

「シャルは少し落ち着けって」


 興奮度の上昇につれだんだん声が大きくなって、ついには叫びだしたシャルを、セスがドウドウ、と押さえる。デュークは空々そらぞらしく言った。


「何、ただの気分だ」

「まあいいんだけどさっ。思ったより怪我も酷くなかったみたいだし?」

「だから、大丈夫だと何度も言っただろうに。……ところで、セス。これを、誰からもらったんだ?」


 気になるのはやはりそこだろう。セスが思いだしながら魔導士の特徴を話しても、デュークは心当たりがないようだった。うぅむ、とうなって考え込んでしまう。


「そういえばあの人、気になることも言ってたんだよ。『銀の夢』を探せ、それが俺たちを導くって」

「銀の夢? ますます心当たりがないな」


 難しい顔で眉を寄せるデューク。シャルはもう完全に傍観ぼうかんモードだ。

 唇に手を当て真剣に何かを考え込んでいたアルテーシアが、あ、っと声をあげる。


「それってもしかして、この伝承ではないでしょうか。古代叙事詩レジェンドサーガにある、『黄金さす大地に銀の夢がくだりしとき、はじまりの火種は叡智えいちをとりもどす。いにしえよりの約束は満ち、星はふたたびその力を大地にしらしめる』。世界再生の物語の一節です」

「ふむ。なるほど……興味深いな」


 デュークのつぶやきを聞き、アルテーシアは得意げに胸を張って、微笑んだ。


「どうですか。わたし、役に立てますよ」

「む。……そうだな、一考の余地はあるか」


 にべもなかったデュークが、アルテーシアに押されて揺れている。それは喜ばしいことなのに、なぜかセスの心は騒ぎたって不安が湧きおこる。

 自分でも理解しがたい感情に突き動かされて、つい口を挟んでいた。


「それに! 俺たち、回復魔法の使い手いなくって困ってたんだ。ルシアはどう? お兄さんは精霊魔法の使い手なんだよね」

「わたし、兄ほどではないですが精霊魔法を使えます。回復魔法も、使えますよ!」


 渡りに船とばかりにアルテーシアが身を乗りだす。もう一押しということで、セスは傍観モードのシャルにも水を向けた。

 

「それなら一緒に来てくれたら助かるよ。な、シャル」

「うんうん、いーじゃん! それに、ルシアなら一人でも魔王の城に乗り込んでいきそうで、放っておけないよなー」

「嬉しい、わたし、頑張りますね」

「おまえたち、な……」


 口を挟む間もなく話をまとめてしまった少年たちに、デュークがこめかみを押さえ呆れたような声で呟く。

 フィーサスがそんな彼を慰めるように、「ふきゅう?」と鳴いて肩の上で跳ねた。




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