八.魔導の呼び声【挿絵あり】
子供のころ、高熱を
セスには、両親と二人の兄、そして祖父がいる。父と兄は
家族仲が悪いわけではないが、いつも陰気な書斎にこもり得体の知れない研究に没頭している祖父を、セスはあまり好きになれなかった。
とはいえ、何日も熱が下がらず医者も万策尽きたとあきらめたセスの命をつなぎとめてくれたのは、その祖父だった。
かなりの労力と魔力を費やしたようで、セスが回復し祖父と顔を合わせた時には、まるで十年以上も歳をとったかのようなやつれようだったと覚えている。
熱病の原因は不明なまま、それでもしばらくの休養ののち、セスはすっかり元気を取り戻した。後遺症などはなかったが、ひとつだけ、その時から変わってしまったことがある。
もともと感じやすい子供だったセスは、怖いことや嫌なことがあると、怖い夢を見てしまうことが多かった。
しかし、高熱から回復した後は悪夢をほとんど見なくなったように思う。そのかわり、自分の中に何かの存在を感じるようになったのだ。
自分という意識を覗き込むように眺めている何か、あるいはだれかを。
気になって、祖父に尋ねてみたことがある。
その時は明確な答えをもらうことはできなかった。祖父はシワの刻まれた頬を歪め不気味に微笑んで、ひとこと呟いただけだった。
――いずれその時がくれば、はっきりするだろう――……と。
夕刻に差しかかろうとしている町はそれなりに人通りも多く、活気にあふれている。
宿に戻る途中で、シャルが用事を思いだしたと言って別行動になったため、セスはアルテーシアと一緒に宿への道を歩いていた。
互いに近い境遇、同じ目的だとはいえ、人目のある
その場にいないシャルと、彼の二匹の犬について当たり障りのない話をしているうちに、宿の看板が見えてきた。
迷子にならずたどり着けたことにひとまずほっとしつつ、セスは今後についてアルテーシアと話し合う。
「とりあえず、俺も君も着替えないといけないから……夕食の席で落ち合おうか。食べながら話すか、食べてから話すかは、そのときの状況で決めればいいかな?」
「はい、ではそれで。……それと、これ、よかったら受けとってください」
「うん? 何これ、ってこんなの受けとれないよ!」
アルテーシアが手に握らせてきた皮袋の中に硬貨の重みと感触を感じ、セスは慌ててそれを押し返す。
世間話のついでに森で財布を落としたことをうっかり喋ってしまっただろうか、と一瞬思ったが、よく考えなくてもそんな恥ずかしい話するわけがない。
彼女は細い眉をきゅっとつりあげ、大きな瞳でセスを見つめて首を振った。
「いいえ、受けとってください。あのままでしたら、わたし、あの人たちに荷物だけでなく
「……あれは、俺でなくとも放って置かなかったよ。それに騎士として、ああいう
「でも……」
困ったように下がる細い眉と、真剣さを映しきらめくブルーグレイの瞳を見て、いい子だなとセスは思う。
そもそも彼女は被害者なのだから、こんなふうに心を痛める理由なんてないのに。
とはいえ、何かの形で感謝を表したいという想いが尊くないはずがない。
「わかった、それじゃ、いつでもいいからルシアの歌を聞かせてよ。あの時、俺もシャルも本当は歌を聞きに行くつもりだったんだ。あの騒ぎで聞きそびれちゃったからさ、お礼ならそれがいい。どう?」
「……はい!」
花が咲きこぼれるように、彼女の表情が満開の笑顔になる。それを至近距離で見るのは刺激が強くって、セスは思わず口元を手で覆って微妙に目をそらした。
邪気のない笑顔というのはこういうものを言うのだろうか。
「そ、それじゃ、冷えて風邪ひかないうちに着替えてきなよ! 俺も、そうするから! また夜に会おう」
「そうですね。では、また夜に来ます! シッポ、いこっか」
クーンと返事する仔狼を引き連れ、アルテーシアは弾む足取りで階段を登っていった。その姿が陰に消えるまで見送って、セスは細く抜けるようなため息を吐きだす。
昨日からいろいろなことが起きすぎて、心も思考もまだ整理がついていないようだ。
「騎士だから、かぁ」
妹を守りきれず、滅びたという村の様子を確かめもせず、挙句に財布を落として無一文。何が騎士だよ、とつい
ずっと、リュナは滅びた村の生き残りだと思っていた。けれど、事実は違ったのかもしれない。
魔将軍が何の目的で『
本当なら、ひとまず国へ戻って父や兄と相談するのが筋だろう。
しかし、ここハスティー王国から故郷である
ともかく今は考えてもどうしようもない。デュークの帰りを待って、話を聞いて、それから……。
「おまえ、人間ではないな?」
見知らぬ声が、
黒い
「……えぇっと?」
「そうだ、おまえだ」
何を言っているのだろう、この男は。
困惑のあまり上手い返事も思いつかず、セスは眉根を寄せる。
冗談、
が、男は
「はて、違ったか?」
「違いますよ。俺は人間です」
「ふむ……魔物の気配を持つ人間か」
「いい加減にしてください」
思い込むのは勝手だが、度をすぎてしつこいのは迷惑行為だ。胸の奥にどす黒い怒りが湧き立ちそうになるのを堪えつつ、セスはその奇妙な魔導士を怒りを込めて睨みつける。
本気の
これ以上押し問答する気はないので、早足でその場を後にする――つもりが、ぐいと手をつかまれる。
「あのですね、ふざけないでくださ――」
「魔物よ、これをやろう」
押しつけるように手に握らされたのは、硬い感触の小瓶だった。ひやりとした質感に思わず手を開き、まじまじと見つめる。
てのひらに収まってしまうほどの小さな宝石瓶に、黒い液体が詰められていた。見るからに魔法効果を持つ薬、魔薬だ。
「これは?」
「
聞き覚えがあるような、ないような。
彼が自分にこれを渡す意味がわからずに、セスは黙ってそれを押し返そうとした。が、彼は受けとらない。先ほどよりも笑みを深め、ささやくように続ける。
「リートル導師の子よ。おまえはこれから、いくつもの星に出会い、知られざる真実を知るだろう。それは楽な道ではない」
え、と、声が喉から漏れた。
リートル導師、それは祖父のことで間違いない。
「まずは『銀の夢』をさがせ。それがおまえたちを導き、至るべき終結を示す。……また、会おう」
「あ、……待ってください!」
謎かけのような言葉の
セスは引き留めたが、彼は言うべきことは言ったとばかりに振り返ることもなく宿を出、外の夕闇へと消えていってしまった。
ざわざわとした酒場の
「セぇス! まだ着替えてなかったのかよー?」
「うわぁっ、シャル! いつのまに!?」
いきなり肩をバシと叩かれて、セスは飛びあがる。シャルが右手に重そうな皮袋をぶら下げ、ニコニコと上機嫌で目の前に立っていた。
「ほら、さっき強盗たち捕まえたお礼! あとで山分けしようぜ。これで、もう何日かはもつだろー?」
「えぇぇ、用事って……。いや、でも、捕まえたのはシャルと犬たちだし、俺なにもしてないだろ」
「狩った獲物は山分け、これ猟師の心構えだからな?」
にぃと屈託なく笑うシャルに、じわりと胸が温かくなる。
自分が世間知らずな自覚はあったが、ここに来てから彼に助けられてばかり。この距離感を嬉しいと思うと同時に、まだシャルに話していない自分の出自を思うと、
「ありがとう、シャル。この恩は必ず、返すからな?」
「おー、期待してるぜ!」
身の内を
だから、ポケットの中に突っ込んだ謎の魔薬のことなど、そのときはすっかり忘れ去っていたのだった。
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アニメ風イラストあります。
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