七.月色の少女と仔狼


「……ったく。犯人はコイツです、はい、反省は?」

「がう」


 腰に手を当て呆れたように眉を下げているシャルの隣には、灰色の毛にくるまれた小動物がお座りして、しきりに尻尾を振っている。


 結局あれから、荷物を取り返し戻ってきたシャルと広場に居合わせた人々によって、セスと少女は順番に引っ張りあげられた。幾人かが近くの店から大きめのタオルを借りてきてくれたので、ずぶ濡れの二人はひとまずそれを身体に巻き、今は日当たりの良い場所で置石を椅子がわりに座っている。


「ごめんなさい、シッポが、迷惑をかけてしまって」

「いいって、大丈夫だよ。俺こそ、逆に怖がらせちゃったみたいでごめん」


 助けるつもりが諸共もろともにずぶ濡れとか、情けない自分にがっかりだ。それでも犬たちの活躍で強盗は取り押さえられ、彼女の荷物も戻ってきたから良かったけれど。


「……この子、シッポって名前なんだ?」

「はい」

「あっ、俺はセステュ。……君は?」

「わたしはアルテーシア、です。あの、助けてくださってありがとうございました」


 真摯しんしな瞳にまっすぐ見つめられて感謝されるとか、今の心境としては胸に刺さりすぎて、セスは思わず目をそらしながら曖昧あいまいに返事する。本当は、もっと颯爽さっそうと彼女を引っ張りあげる予定だったのだけど。

 そんなセスの複雑な心理を知ってか知らずか。元凶の灰色毛玉がとてとてと二人の足元に寄ってきた。


「がう」

「自分は悪くないってさー」


 シャルがそう解説して、けらけらと笑う。アルテーシアが眉をしかめ、めっ、と叱った。


「シッポ、ごめんなさいでしょ?」

「クゥン」

「驚いたなぁ、犬かと思ったらこの子、狼じゃん」


 シャルは感心したように言い、さっきの顛末てんまつを説明してくれた。

 アルテーシアの荷物を奪った男たちをファーとフィルが追ったとき、シッポも彼らを追いかけてきたのだという。しかし子供の足では追いつけず、あきらめて彼女のもとへ戻ろうとしたらしい。


 大切なご主人様の安否を気遣いながら駆け戻ったシッポが見たものは、うずくまるアルテーシアに手を伸ばす見知らぬ男の姿だった。

 果敢な仔狼は「わるいやつ、ゆるさない!」の精神で男の背後から全力の体当たりを食らわせ、その衝撃はセスをシッポの予期せぬ方向へと突き飛ばした――、平たくいえばご主人様の上に突き落としてしまったのだった。


「うぅ、小さいくせに大した勢いだったよ、おまえ」

「まーさ、そりゃご主人サマに変な男が近づいてきて触ろうとしたら、当然噛むよな! 俺がシッポでも、絶対に噛むもん」


 ひどい誤解だとセスは思ったが、シャルは「おまえ、えらい!」とか何とか連呼しながら、シッポをぐいぐいとなで回している。アルテーシアはその様子を眺めて嬉しそうに微笑み、それからセスのほうへ視線を傾けた。


「あの……、何か用事があったのではないですか? わたしはもう大丈夫ですから、……シッポもいますし、一人で宿まで帰れます」

「大丈夫だよ。俺たちも、夕食までの暇つぶしに――って出てきただけだし。アルテーシアは、どこの宿? 送っていくよ」


 シャルも駄目とは言わないだろう。そう思って尋ねれば、彼女は迷うように瞳の光を揺らしてうつむいた。

 彼女の仕草にはたおやかさと品があって、セスはつい目を惹きつけられてしまう。

 ややあって、顔をあげたアルテーシアの瞳には、先ほどと違う強い光が宿っていた。


「セステュさんは、旅の方……ですよね? わたし、捜している人がいて。もし何かご存知なら、教えて欲しいのです」

「あ、……っと、セステュって言いにくいだろうから、セスでいいよ。俺たちは確かにここの住人じゃないけど、旅人ってわけでは……。でも、何か知ってることあれば教えるよ」

「はい、ではわたしのことも、ルシアとお呼びください。……本当に、どんな些細ささいな情報でもいいのですが」


 彼女はそこで一度言葉を切り、目を伏せた。そろえた膝の上で重ねられた両手に、ぐ、と一瞬だけ力が込められる。


「わたしは、三年前に行方不明になった兄を捜しています。実は、この町に来たのは……ここで兄を見たという話を聞いたからなんです」


 ズンと胸を突かれて、セスは思わず息を詰めた。自分も今、連れ去られてしまった妹の心配が胸に重くのしかかっている。彼女の心境が理解できるような気がした。


「ルシア、のお兄さんか……。どういう人なんだ?」

「兄といっても、わたしたちは双子なので歳は同じなんです。兄は銀の髪、翡翠ひすいの目、ディヴァス・ウィルレーンという名の精霊使いで、この……イヤリングと色違いの同じものを身につけています。背は高く雰囲気が大人びているので、もしかしたら二十歳を過ぎているように見えるかもしれません」


 彼女が髪を払い見せてくれたのは、翡翠ひすいらしき石でできた星形のイヤリングだった。聞けば、彼女の兄のはアクアマリンでできているらしい。

 名前も特徴もセスには覚えのない人物だったが、これだけの情報をそらで言えることを純粋に凄いと思う。


 もしかしたら、シャルやデュークなら何かを知っているかもしれない。

 シャルはここで聞けばいいだけだが、デュークは今どこだろうか。買い物だけなら、夕食の時刻には帰ってくるだろうけど……そもそも彼は食事を必要としないのだ。


「それで、ここで見たって話は? 足どり追うために来たんだろ?」

「うわっ!? シャル、聞いてたのか!」


 シッポをなで回した挙句、犬たちと一緒に露店のほうへ連れ去ってしまっていたシャルが、いつのまにか戻ってきていた。ハイ、と差し出されたのは肉の串焼きで、思わず受け取れば、シャルはアルテーシアにも同じものを手渡した。

 どうやら買い食いの野望はあきらめていなかったらしい。

 苦笑しつつもかぶりつけば、焦げ目の香ばしさと肉汁の旨味が口いっぱいに広がっていく。濡れて冷えた身体も温まる気がした。


 アルテーシアは手渡された串焼きを素直に受け取ったものの、戸惑った様子で少年二人を交互に観察し、遠慮がちについばみはじめる。

 固かった表情がほころんだところ、彼女もこの味を気に入ったのだろう。


「で、話の続きだけど」


 アルテーシアが食べ終わるのを見計らって、シャルが切りだす。彼女は少し迷うような表情を見せたあと、視線をうつむけてぽつりと呟いた。


「実は、兄が……この町で魔将軍と一緒にいるのを見たという人が、いて」

「魔しょ、ぶッ」

「シャル声でかい!」


 その名称の衝撃より、周囲に聞かれたらまずいという本能が働き、咄嗟とっさにセスはシャルの口をふさぐ。途端に犬たちが立ちあがり、ワンワンと吠えてセスに猛抗議をはじめた。


「おわぁ、びっくりした! ファーもフィルも、静かにッ」

「あの、ごめんなさい、やっぱりまずい話題ですよね」


 解放されたシャルの一声で吠え声はぴたりと止み、アルテーシアは恐縮したように肩を縮こまらせている。

 どう説明したものかと迷った末、セスは正直に伝えることにした。これはもう、彼女をデュークに引き合わせるのは決定だ。


「実は、俺たち、魔将軍についての情報を集めているんだ。今は一緒じゃないけど、連れが詳しい情報を持ってるって、言ってて。夜には宿に戻ってくるはずだから、一緒に聞きにこない?」

「え、いいんですか?」


 悲しげに沈んでいたブルーグレイの瞳に生気が戻り、彼女は目を輝かせてセスに詰め寄った。

 同年代、それもわりと魅力的な女の子が至近まで迫ってくるものだから、セスはどぎまぎして下がりようもないのに後退りしたい心境に駆られる。


「じ、……実は俺も、魔将軍に妹をさらわれたんだ。だから、取り戻したくて」

「そうなんですね。それならセスさんとわたし、目的は一緒ですね!」

「がるるぅ」


 一人ではないという事実が嬉しかったのか、同志を見つけて心強く思ったのか。

 アルテーシアの表情が喜色に彩られ、セスの手を握りしめ――る寸前でシッポに阻まれた。正確に言えば、セスがシッポに軽く足を噛まれた。


「痛ッ」

「あ、シッポ! 駄目だってば!」


 やきもちなのか使命感なのか、狼の気持ちはセスにとって未知の世界だ。よく通じているだろうシャルがお腹を抱えて笑っているところ、深刻に敵認識されているわけではないだろうけど。

 何にしても、そろそろ空も赤みを帯びてきたし、宿に戻ったほうがいいかもしれない。――とそこで、セスはアルテーシアの滞在場所を聞きそびれていたことを思いだす。


「そういえば、ルシアの宿って?」

海鳴かいめい亭です。ご主人が、狼でも泊めてくれるっていうので」


 覚えのある名に、セスよりシャルが先に反応する。


「お、一緒じゃん! 良かったなー、シッポ。ご主人様と離れても、フィルとファーが一緒だぜ!」

「えぇと、実は……シッポはわたしの護衛として、泊まり部屋に入れてもいいって」

「な、にイィ!」


 衝撃の事実に固まるシャルにアルテーシアは申し訳なさそうな視線を送るが、まあ、当然だよなとセスは思う。

 宿場町は妖魔の森に近く、旅人も多い。少女の一人旅が思った以上の危険をともなうことは、先ほどの一件で証明されている。

 対して自分たちは二人部屋に男三人。それに犬二匹は、どう考えてもキャパオーバーだ。


「さ、シャル戻ろう」

「おう。ちぇー、しょうがないかぁ」


 生乾きの服は、宿に帰ってから着替えればいい。湿気が強いとはいえこの時期の暖かさなら、さっき干したぶんはもう乾いているだろう。


 隣を歩く少女を気遣いつつ進む道すがら、セスの中でが囁いた。


 ――この出会いは、きっと素晴らしいものになる。魔法とは違う力で、きみの中にある力を目覚めさせてくれる――、と。


 


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