六.宿場町にて【挿絵あり】


「ねぇ、ルシア。永遠って、なんだとおもう?」


 双子の兄妹は仲が良く、両親が寝静まった真夜中に、片割れの寝室へ遊びにいくことが多かった。その夜はアルテーシアが兄のディヴァスの部屋へ行き、兄のベッドに潜り込んでお喋りをしていたのだけど。

 今日の兄は、なんだか難しいことを考えているようだ。


「え……? えい、えん?」

「そう、永遠」


 深い翡翠ひすい色の目が優しく細められる。兄は、その意味を知っているんだろうか。

 けれど、柔らかな毛布にくるまって兄の優しい声を聞いていたら、ふわふわとした眠気が襲ってくる。半分寝ぼけながらオウム返しすると、兄はくすりと微笑みかけ、そっと肩まで毛布をかぶせてくれた。


 おやすみ、とささやかれ、少女は安心して目を閉じる。

 この世に産まれでる前から一緒だった、大好きな兄。ずっとふたりでいられると、あのころは信じていたのに。


 それから数年後、彼女は旅立つことになる。

 永遠を求め、みずから行方をくらませてしまった兄を捜すため。




  ☆ ★ ☆




 夜明けを待ってひと狩りし、調達した獲物で食事をとってから、シャルと犬たちの先導で半日ほどかけ妖魔の森を抜けて、ハスティー王国へと向かう。森のきわにある宿場町に着いた頃には、セスはもちろん、さすがのシャルもすっかり疲れ果てていた。

 シャルが猟師が使う魔物よけの香をきながら進んだため、道中何にも襲われなかったのは幸いだった。

 デュークの魔力も朝にはだいぶ回復したようだが、満身創痍まんしんそういには変わりない。


「よぉーし、着いたぜ! まずは宿、それから飯!」

「どうせ泊まるなら、風呂が使える宿にしよう。もう、ほこりっぽいし臭うし」


 はしゃぐ少年二人の周りをフィルとファーが吠えながら駆け回っている。シャルが楽しそうなのが嬉しいのだろう。

 二匹は猟犬なので、しっかりした物を食べさせてくれる宿を選びたい。

 どの国でも価格設定とサービスの質は比例するものだが、ここは宿場町だ。今の持ち合わせで十分良い宿を選べるだろう。

 そう思ってベルトポーチを漁っていたセスは、大変なことに気がついて全身の血が引く感覚に襲われる。


「嘘だろ、……ない!」

「うん? 何だよセス、大声出して」


 怪訝けげんそうにシャルが振り返る。念入りに何度も荷物を確かめたセスは、いよいよ現実を認めざるを得なくなって、深くため息をついた。


「ごめん、シャル。俺…………妖魔の森で財布を落としたみたい」

「え」

「治療薬出したときかな、それとも、狼に襲われたとき……、それとも」

「えぇー!? セスってば一文なしかよ!」

「……そういうことみたい」


 心当たりを挙げてはみるが、どのみち今から探しに戻るのは無理だ。家に戻ればどうにかなるとしても、セスの国はハスティーここではない。


「最悪、金目になりそうな物を売るしか……」

「まぁまぁ、俺だってそこそこ持ってるからさ! 立て替えてやるよ、な、おじさんだって手持ちあるだろ?」


 がくりと項垂うなだれるセスの肩をバシバシ叩いて、シャルが慰めているところへ、デュークがゆっくりと近づいてくる。

 少年二人に期待のこもった目を向けられた彼は、言いにくそうに答えた。


「……悪いが、おまえたち二人をいい宿に泊まらせるだけの持ち合わせは、ないぞ。そもそも、私は余り金を必要としないんだ」

「うげぇ、こんなことなら森で食用魔獣の一匹二匹狩ってくるんだったー!」


 シャルのあげた悲痛な叫びに、犬たちが何だ何だと寄ってくる。ごめん、とセスが蚊のなくような声で謝ると、シャルは頭をガシガシかいて、吹っ切れたように言った。


「ま、しゃーないよ。もう、最低ランクでいいからさ、今夜は飯食って休もう! 明日のことは明日考える、でいいじゃん?」

「私は野宿でもいいのだが」

「怪我人が何言ってんだよ! 困った時は助け合い、これ森での基本だから。早くしないと日が暮れちゃうだろー」


 その通りだと言わんばかりにフィルとファーも吠えたてる。デュークは軽く肩をすくめ、同意を示した。

 時刻はそろそろ遅い午後に差し掛かる頃。安い宿が埋まってしまわないうちに、泊まる場所を決めなくてはならない。


「……シャル、ごめん。ありがとう」


 背中に向かって掛けた声は少し震えていて、聞き取りにくかっただろうに、犬並みの聴力を持つ友人はすぐにくるりと振り返り、ニコニコと笑ってくれたのだった。





 結局、手持ちと質をはかりにかけてぎりぎりの線を選んだため、だいぶ年季が入った宿の二人部屋を借り、三人で泊まることになった。

 調度品はボロく手狭な感じもあるが、食事サービスや安全性は悪くない。


 借りた部屋に荷物を置き、交代で宿の共用風呂場を使わせてもらう。

 さすがに犬たちを部屋に入れることはできなかったが、猟師が利用することも多いとかで、主人はフィルとファーにも別に休める場所を用意してくれたから上々だ。


 鎧を外し身軽になったセスは、汚れた衣服を洗って干すと、簡素な旅装に着替える。

 デュークは、使い物にならなくなったマントを新調してくると出掛けてしまったので、同じく着替えたシャルとどうしようかと顔を見合わせた。

 食事をするにしても、今の時間は夕食には早い。


「夕飯まで寝る……のもつまんないよ。露店、買い食い! 行こうぜ!」

「いや、だから、俺は一文なしなんだって」

「串焼きくらいおごってやるよ」


 なぜ串焼き、との突っ込みを入れる隙はなかった。何やらテンションが上がっているシャルに引っ張りだされるように、階段を降り、鍵を預けて宿を出る。

 どこに待機していたのか二匹の犬も合流して、いつも通りの賑やかさだ。

 騎士の家柄、騎士育成訓練所、そういう環境で猟師の子に接する機会は今までになかった。だから、パワフルで情の深いシャルの行動には驚かされるし振り回されてばかりだし、それでも嫌な気はしない。


 通りをしばらく進むと、噴水のある小さな広場が見えてきた。

 シャルが狙う串焼きがある屋台はさらに向こうのようだが、セスは思わず足を止める。午後の湿気を帯びた風に乗って、涼しげな音が聞こえてきたからだ。

 立ち止まったセスを不思議に思ったのだろう、先を行っていたシャルが戻ってきて、同じく広場のほうへ視線を向ける。そして何かを見つけたのか、声を上げた。


「お、吟遊詩人じゃん! それも女の子って珍しくない?」

「ええ、どこだよ」

「噴水の向こうだって。ほら、金髪の……」


 シャルは聴力が犬並みなだけでなく、視力もわし並みなのだろうか。

 指差される方向に目をらし、セスもようやく、噴水のそばに立つ少女の姿に気がついた。淡い金色の長い髪をぬるい風になびかせ、小型の竪琴ライアを手に、飾り気のないワンピースとロングブーツで歌う姿は、確かに歌姫というより吟遊詩人に近い。

 シャルが財布の中の硬貨を数え、はぁっとため息をついた。


「もーちょっと手持ちあればなぁ。それとも、串焼きを我慢……いや、でも」

「そんなに悩むなら、俺におごらずあの子にあげたらいいだろ」

「セスの前で一人だけ食うなんてできるかよ! あ、そっか! ひとつ買って二人で分ければいいじゃん」


 自分に突っ込んで一人で結論が出たようだ。実のところセスも、串焼きより吟遊詩人のほうに心惹かれていたので、側まで行ける理由づけが得られるならちょっと嬉しい。

 フィルとファーを呼び寄せ二人が広場に入ろうとした、その時。

 噴水のそばで歌っていた少女がふいに歌をやめた。同時に、複数の男たちが出てきて集まっていた人々を追い散らし、彼女を取り囲む。

 言い争うような会話の内容を聞き取るには少し遠いが、看過かんかできる状況でもなかった。


「アイツら、場所代とか言ってるんだけど!?」

「理由はともかくあれは暴力だろ! 俺、止めてくる」


 シャルが聞き取った内容からしても、言いがかりなのは明らかだ。

 即断したセスはすぐに駆けたが、男たちは容赦なく噴水の中へ少女を突き飛ばし、彼女の荷物と竪琴を奪って逃げだした。


「あぁ!? ファー、フィル、追いかけて捕まえろ!」


 悪いことは許せないとみずから言うだけあって、シャルの判断にも迷いがない。

 吠えたてる犬たちの声が遠ざかってゆくのを背中に聞きながら、セスは、ずぶ濡れで噴水の中にうずくまる少女の元へと駆け寄った。


 自分はうっかり財布を落として無一文だけれど、シャルやデュークがいてくれた。では、彼女は……?

 こんな状況で、放っておくことなどできるはずがない。


「ねえ、君、大丈夫?」


 こういうとき、何と声をかけてあげれば正解なのだろう。腰から下を完全に沈めたままうつむいている彼女に、セスはおずおずと手を差しだす。

 少女の肩がびくりと震え、顔を上げてセスを見た。その濡れた瞳と目があった途端、セスの周りですべての音がやんだ。


「……あなた、は?」

「お、俺は……」


 降り続けるしずくが淡い金の髪を濡らし、その髪が全身にまとわりついて、きらきらと水の中で揺れている。自分とそれほど変わらない年頃のような、もう少し年下のような。

 驚いたように見開かれた目は神秘的なブルーグレイ。旅人のわりに肌は透き通るように白く、濡れてますます透明感を増しているようだった。

 耳に飾られた翡翠ひすい色のイヤリングは星の形をしており、その連想で、まるで月みたいな子だな、と思う。


 背中のほうから聞こえていた犬たちの吠え声が、少しずつ近づいてくる。地を蹴る軽い足音が耳に届き、セスのすぐ背後で「がぅ!」とだれかが吠えた。

 直後、背中に勢いよく何かがぶつかり、その衝撃に驚きの声を上げる間もなく全身がバランスを失う。


「――うぇ? セスー!?」


 シャルの声はまだ、遠い。

 代わりに、彼女の目がますます大きく見開かれ、近づいてくる。


 ばしゃんっ――と間抜けな水飛沫しぶきが上がり、少女の悲鳴が耳に響いた。

 何が起きたのか理解が追いつかぬまま、セスの身体は彼女に覆いかぶさるように、噴水の中へとダイブしていたのだった。



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 広場で歌うアルテーシア、挿絵があります。

 https://kakuyomu.jp/users/Hatori/news/16817330659261484915


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