五.残された者たち


 森の一角を吹き飛ばすほどの閃光は、当然セスとシャルにも見えていた。二匹の犬、フィルとファーがけたたましく吠え、走りだす。


「あっちだ、セス!」

「わかってる、……けど、犬の足って速いな!」


 歩きにくい森の道でもまったく速度が鈍らないシャルは、さすが猟師というべきか。

 何とか追いつけてはいるものの、セスの身につけている金属製の部分鎧は重く、森探索に向いていない。

 それでも何とか遅れず走ること十数分。

 前方に折り重なる倒木と開けた場所が見えてきた。


 犬たちが吠えるのをやめ、姿勢を低くして茂みの陰に回りこみ、空き地のほうへと近づいていく。

 その様子を見ていたシャルがセスに耳打ちした。


「慎重に行くぜ、セス。あの辺りに何かいるみたいだ」

「……わかった」


 もしやリュナでは、と思ったのも束の間で、フィルとファーが再び甲高く吠えだした。

 ワンワン、という声の合間に、きゅーぷきゅーと謎の音がする。新手の妖魔か、鳥の一種かもしれない。

 シャルにならってセスも、そろっと木立の陰から様子を覗き見る。


 吠えるのをやめた犬たちが興味津々といったふうに匂いを確かめているもの。それは、白くてコロンとした毛玉だった。

 サイズは大人の握り拳くらいだろうか。小さな三角の耳と短い前足らしきもの、そして太く丸い尻尾がついている。

 毛の密集した尻尾には鎖のようなものが引っかかって光っていた。


「……妖魔?」

「うーん、わかんね! でも、危険はなさそうだな」


「そこにいるのは、誰だ?」


 少年二人でヒソヒソ話し合っているところへふいに声が掛けられ、セスとシャルは思わずお互いの手を握りしめる。よくよく目を凝らせば、焦げた樹木と炭化した下草の間に埋もれるように、ボロボロの黒いマントで身を包んだ人の姿がうずくまっていた。

 見るからにひどい状態に驚いたのか、シャルが声を上げて駆け寄って行ったので、セスも慎重に茂みから出て近づいてみる。

 犬たちの注意がシャルに向いた隙に、白毛玉が勢いよく黒フードのほうへと飛んでいった。……羽も持ってないのに?


「おじさん! 俺たち女の子を探してるんだけど、見なかった?」

「シャル、言い方! っていうか、怪我してるじゃないか。ちょっと、まずは治療薬!」


 顔も見えない相手におじさんはないだろう、とか、この焼け跡ってもしかして、とか、この毛玉の飼い主って、とか言いたいこと聞きたいことが一気に脳内に押し寄せ、セスは頭を振って雑念を払う。悪い予感しかないけれど、今は彼の手当てが先決だ。

 だが、シャルはスンスンと鼻を鳴らして眉をしかめる。


「水もないのにここで治療は無理だろ、セス。ここからならすぐ近くに、小さな村があるんだ。そこに行けば――」

「それは、無理だ」


 思わぬ否定に、え、とシャルが視線を落とす。黒マントの人物はうずくまったまま、セスが手渡した治療薬をぐいとあおり、それからゆっくりと頭を振った。

 白毛玉が「ふぃ〜?」と鳴きながら気づかうように彼のそばをふよふよ飛び回り、セスはその尻尾に見慣れたものを見つけてつい声を上げる。


「それ、リュナの」


 もこもことした毛皮の間に引っかかっていた鎖は、リュナがいつも首にかけていたネックレスだった。震える手でそれを外していると、その様子から察したのだろう、黒い男が「そうか」と呟く。


「あの娘、リュナという名だったか。助けを求められたんだが、守りきれなかった」

「……いったい、誰から」


 身にまとっているマントも衣服もボロボロ、破れた布から覗く肌は生気のない土気つちけ色。ひどく消耗した様子の彼は、リュナを守ろうとしてひどい怪我を負ったのだろうか。

 焼け焦げた周囲の様子といい、これが魔法によるものなら、ただの妖魔や魔物ではありえない。


 どこから聞くべきかと途方に暮れるセスと同様、彼もまたどこから話したものかと考えあぐねているようだった。

 黙りこくってしまった二人を覗き込み、シャルが「じゃーさ」と声をかける。


「俺、薪を集めてくるよ。一晩くらいなら野宿の準備もあるし、話も聞きたいしさ」

「……ああ、そうだな。助かる」

「セスも手伝ってよ。適当な何か狩って、腹ごしらえしながら情報共有といこうぜ!」

「うん、わかった」


 気持ちとしては、今すぐにでもリュナを捜したい。けれど、恐らくそれは不可能なのだと、ぼんやり悟ってもいた。

 考えても何も浮かばないときは、体を動かすのが最善だろう。どのみち、この先の村に行けず宿場町へも戻れないのでは、野宿をするより他に仕方ないのだから。





 シャルと近辺を探索し、山鳥一羽と食べられる果実をたくさん、傷に効きそうな薬草、岩肌から湧きだしていた真水を採取する。

 山菜とキノコはやめておいた。万が一のことがあったら大変だからだ。

 薪を組んでいると、黒マントの男性が近づいてきて魔法で火をつけてくれた。そういえば、互いに自己紹介もまだだったと気がつく。

 それを告げれば、彼は自分の名がデューク、白毛玉はフィーサスだと教えてくれた。


 シャルが山鳥の解体をしている間に、セスが薬草を使ってデュークの怪我を手当てするつもりだったのだが、よくよく見れば、むき出しになっている腕は生者の色をしていない。

 張りの失せた土気色、まるでミイラのように干からびている。


「驚かないのか?」

「……驚きましたよ。まさか、人じゃないなんて」


 揶揄からかうように問われて、つい言い返す。

 セスが知る一般的な不死者は、魔力を込められた死体が無理やり動かされているものだ。高位種の不死者なら自我を持ち魔法を操る者もいるが、知識で知っていても実際目の前にして結びつくものではない。


 とはいえ確かに、声を張りあげたり怯えたり剣を向けたりしないだけ、冷静に見えるのかもしれない、とも思う。

 きっと彼は今までに、そういう反応を幾度も経験してきたのだろうから。

 セスの答えを聞いて、デュークは曖昧あいまいに笑った。


「……人だよ。ただ、死ぬことができなかったんだ。本当なら、五百年も前に土になっているさ」


 魔法か、呪いか。五百年前といったら、何があっただろうか。

 気にはなるが、今ここで根掘り葉掘り聞くような話でもない。不死者とはいえ彼の怪我はひどい状態だったし、魔力を回復するにも十分な休息が必要なのだ。

 折りよく解体を終えたシャルが戻ってきたので、この話はそこまでにし、セスはシャルと食事の準備に取り掛かった。


 こういう野宿には慣れているのだろう、それほど時間も掛からず焚き火の周りには焼いた鳥肉が並び、脂の焼ける匂いに食欲を刺激されたセスとシャルは競うように、肉と果物を夢中で胃袋に詰め込んでゆく。

 犬たちもわけてもらった肉に大喜びでかじりついていた。フィーサスはデュークの膝の上で果物を食べていたが、愛らしい外見なのに大きく口を開けて果物を丸かじりする様子が妙にシュールで、セスは見ない振りを決め込むことにした。


「おじさんは、食わないのか?」

「私に食事は必要ないんだ。気にせず食べるといい」


 うん? と首を傾げるシャルの様子に思わず笑いつつ、セスは「それで……」とデュークに話を振る。


「いったい、何があったんですか?」

「……この先にあった小さな村には、伝説の『秘宝』があると言われていた。それを奪おうとした者が村を焼き滅ぼし、リュナだったか……あの娘をさらっていった」

「じゃ、ここの焼け跡とあなたの怪我も?」

「すまん。ここは私が焼いた」


 一瞬の沈黙が通り過ぎ、シャルがパンと地面を叩いて突っ込んだ。


「おじさん! 自然は大事に!」

「だから、すまん。相手は『魔将軍』で、生半可な魔法では対抗できなかったんだ。まあ、結局通じなかったのだから、言い訳にもならないか」

「シャル、だから言い方……! デューク、村を滅ぼしリュナをさらったのが魔将軍だってことですか?」

「……そういうことだ」


 想像を絶する魔法の攻防戦が繰り広げられたのだろう。猟師のシャルが森を愛護するのは当然だろうが、セスはデュークを責める気になれなかった。

 それに焼き滅ぼされた村といえば、リュナが拾われたときも同じような状況だったはず。


「魔将軍、かぁ。あったま来るよなー! あの村は一昨日の晩、世話になったのに。セス、妹取り戻しに行くんだろ!?」

「あ、ああ、もちろんだよ」


 考え込み掛けたところでシャルに背中を叩かれ、セスは意識を現実に引き戻す。

 リュナは、父に守ってやれと言い含められた、血のつながらない妹だ。取り戻したい気持ちはもちろんだが、さらわれた理由もさらった相手も情報がなさすぎて、今は途方に暮れる気持ちのほうが大きい。


「……って、シャルも一緒に来るの?」

「おう! だって、悪いことは許せねーもん」


 焚き火に魔物よけの効果があるというこうのような物を投げ込みつつ、シャルはにっこり笑ってそう言い切る。

 この辺を焼き尽くす威力のあるデュークの魔法が、通じなかった相手だというのに。その脅威きょういを本当にわかっているのかな、と、若干の不安がセスの胸に湧き起こる。

 二人の話を黙って聞いていたデュークが、少し笑っているような声で言った。


「良ければ、私も連れていってくれ。あの魔将軍には借りがある」

「えぇ、おじさんすごい怪我じゃん! 血色も悪いし、少し休んだほうがいいって。ハスティー王国に入ればいい病院もあるらしいよ?」

「大丈夫だ。第一、魔将軍についてよく知らないくせに、二人だけで行くつもりか?」


 的確な突っ込みを受けたシャルが、どうするんだとでも聞きたげに肘でつついてくる。デュークの体質上、病院での治療に意味があるとは思えないが……そこの説明をすると長そうなので、今は後回しだ。

 どのみち、魔将軍についての知識も情報もないセスに、選択肢などあるはずがない。


「よろしくお願いします、デューク」

「え!? もう、仕方ないなー。よろしく、おじさん!」

「……決まったようだな」


 遠慮がちなセスと、遠慮なしなシャル。二人を交互に見比べて、デュークはどこか安堵したように言った。そして続ける。


「今から、ハスティー王国のキッダーという都に向かう。そこについたら、魔将軍について詳しく話してやるよ」


 セスは黙って頷き、決意を込めるように剣の柄を強く握る。

 いつのまにか、空には月が昇っていたようだ。妖魔の森を包む夜闇に白い月光が溶けて、胸をふさぐ重い憂鬱ゆううつを薄めてくれるような気がした。

 



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