四.襲撃と敗北


 人の手がほとんど入らない原生の森は、踏み進むのを躊躇ためらってしまう不気味さがある。

 伸び放題の枝に生い茂る葉が重なって陽光を遮り、薄暗いからかもしれないし、樹海独特の湿気と臭気のせいかもしれない。

 あるいは、といった名称のせいかもしれなかった。


 黒尽くめの男はデュークと名乗ったが、鼻の上まで覆う黒っぽい布を外してくれるわけではなく、目元まで隠すフードもかぶったままだったので、男性らしいということ以外は年齢も容姿もわからないままだ。

 加えて、リュナの襲われた状況についてさらに尋ねてくるわけでもない。

 無口なのか、無関心なのか、他に理由があるのか……こういうタイプと接したことのないリュナには判断がつかなかった。


 それでも他に頼れる者もおらず、不安を胸に抱えながらもリュナは、彼をセスのいる場所まで案内しようと来た道を戻りはじめた。

 さっきまでは逃げるのに夢中で気づかなかったが、少し冷静になった今、森が奇妙な違和感に包まれていることに気づき、身震いを覚える。


 こういう場所に踏み込んだのは今日がはじめてではない。どちらかといえば森林は得意なフィールドで、狩人と同じスキルもひと通り身につけているのに。


「……気をつけたほうがいい。まだ、狙われている」


 警告は唐突だった。

 今までずっと押し黙っていた男が、ふいにリュナを手で制し言ったのだ。


「え?」

「――そこか!?」


 驚くリュナを意に介さず、というよりはすでに眼中にないのか、彼が腰の大刀を抜き放って振りかぶる。

 フード下の視線がどこに向いているのかわからなくても、彼がと認識したのはリュナにもわかった。ぞわりと肌をなでるように膨れあがるのは、強大な炎の魔力。


「〈破壊の炎龍よ、我が剣にVarsick-FirElle-Latreu〉――――はぁッ!」


 流暢りゅうちょうな詠唱がデュークの口から紡がれ、鮮やかな火炎が刀身を包んで燃えあがる。力を込めた一振りが炎の尾を引いて魔力を広げ、巻きあがる竜の形をとって彼の前方へと襲いかかった。

 きらめく紅蓮ぐれん奔流ほんりゅうが樹々を呑み込んで渦を巻き、焼き尽くそうとしたかに見えた瞬間――、ふいに霧散する。


「残念、今なら奇襲できると思ったのに」

「チッ……」


 聞き覚えのない涼やかな声と、それにかぶせるようなデュークの舌打ち。


 細身で姿勢の良い、柔らかく波うつ金髪を背に流した男性が、焦げた樹木とくすぶる下草の中に立っていた。リュナの目からもデュークの火炎魔法は規格外に強力だったのに、彼は何ひとつ影響を受けていないように見える。

 燃える大刀を構えたまま、デュークがリュナを庇うように前へ踏みだした。くぐもった声が詠唱をはじめたのが聞こえてくるが、前方の人物はそれを気にする様子もない。


「〈炎龍を抱きし暴風よFirElle-Rasherr-Varsylpherd〉……」

「まだわからないのか。私に術は効かない、と」


 二度目の炎が龍の形を成すと同時に、デュークの空いている左手が動き、魔力があふれて風の刃を形成した。同時に魔法、それも別系統を操れるなんて聞いたことがなく、リュナは思わず一歩下がる。

 普通ではない魔法の力を持つこのデュークという人物、いったい何者なのだろう。


 炎によって強められた風刃と、風によって強められた火炎が、それぞれに勢いを増して金髪の男に襲いかかる。しかし彼は余裕の笑みを崩すこともなく、まとっていたマントをひと振りしただけで火炎と風刃を消滅させてしまった。

 煽りを食らった周囲の樹木は炭化しており、デュークの魔法の威力を物語っている。

 それが何ひとつ効かないとは。

 

「それじゃ、次は私から行こうか」

「クソ、……下がっていろ」

「え、ッ、きゃあ!」


 べしいっと、リュナの顔に弾力のある毛玉が飛んできてぶつかった。ポヨンと弾んだフィーサスが、ぷきゅぷきゅ鳴きながらまた額に体当たりしてくる。邪魔になるから下がれ、ということだろうか。

 ともすれば砕けてしまいそうな膝に力を込め、リュナは要求どおりに数歩下がった。

 デュークは大刀を構え、金髪の男が詠唱もなく繰りだしてくる衝撃波をいなしている。その一方的な様子に、少女の胸はざわついた。

 間違いない、デュークは――自分を庇っている。


 どうしよう、どうしよう。

 心が震え、不安が湧きおこって胸の内を満たしてゆく。


 セスの時もそうだった。戦力にならない自分を守りながらでは、うまく戦えるはずがない。

 自分が、戦えないばかりに。通りすがりの彼に、助けを求めてしまったために。この森に来たいと――言ってしまったために。


「何だ、おまえ、私を奇襲しようとしてやがったくせに。女に気を取られて戦えないなんて……つまらないよ。終わりにしてやるよ」

「……!」


 金髪の男が放った一言は決定的で、刃のようにリュナの心をえぐっていった。全身が震え、涙がつきあげる。

 彼が剣を抜き、リュナには聞き取れない言語で詠唱を紡ぎはじめた。デュークがハッとしたように振り向き、叫ぶ。


「逃げろ!」

「ぷきゅきゅー!? びぎゅ!!」


 デュークの警告、フィーサスの体当たり。けれど、萎縮いしゅくした心は全身をこわばらせ、走るどころか足を動かすことさえ許してくれない。

 男が構えた剣には、七色にきらめく膨大な量の魔力が集結している。リュナが動けないと悟ったのだろう、デュークが剣の火勢を強めて前方へと走りだす。


 金髪の男がデュークに剣を向け、虹の魔力を解放し――、その閃光がリュナの視界を白く塗りつぶした。


「……まだやる気か? さっさと倒れてしまえよ、『生けるしかばね』。これだから、執着心の強い人間は下品で困る。のように高尚で美しくない」


 足音が、声が、近づいてくる。固くつぶっていた目をそろそろと開いたリュナは、眼前の光景に絶句した。


「きゃあぁ! デューク!?」

「……甲高い声で、騒ぐな。私は、大丈夫だ」


 すぐ目の前に、黒いマントが破れた姿のデュークが立っていた。ところどころあらわになった皮膚は、くすんだ土気色をしていて生気を失っている。

 外傷はないのか血は流れていないが、消耗がひどいのはリュナの目にも明らかだ。


 悠然ゆうぜんとこちらに歩いてくる、抜き身の剣を携えた男性。光を集めてり合わせたような長い金の髪と、猫目の碧眼へきがんが印象的だ。

 豊かな髪の間から、先のとがった長い耳が見えている。あれは――エルフの特徴だったような……?


「ぷキィ! キュキィィィ!!」

「フィーサスも下がっていろ、私は大丈夫だから……彼女を守ってやってくれ」

「でも、ひどい状態じゃない……ごめんなさい、あたしのせいで」


 偽善的だと思いつつ、謝らずにはいられない。デュークは何かを言おうとしたかもしれなかったが、なぜかそこでエルフ男性の表情が変わった。


「『秘宝』、見ぃつけたッ!」


 子供が宝物を見つけてはしゃぐときのように、彼が満面の笑みを浮かべた。そして剣を一閃。

 ぐらりとデュークの体が傾ぎ、地面にくずおれる。


「ぐあぁッ」

「大人しくしてな。……ふふふ、『秘宝』をなかなか出してくれないから、村ぜんぶ燃やしちゃったけど、こんな所にいたなんてね」


 地に伏してうめくデュークの身体を踏み越え、彼は不気味な笑いを漏らしながらリュナに近づき腕をつかんだ。恐怖に駆られて振り払おうとするも、細身とはいえ男性の力は強く逃れることができない。


「やだ、痛い、やめてっ」

「……その娘を、離せ!」

「うるさいよ」


 泣いて懇願こんがんするも、容赦なく引っぱられる。彼は大刀を支えに立ちあがろうとするデュークを蹴り飛ばし、満足そうに微笑んだ。と、同時に。


「ぷぎぃぃぃ!!」


 怒りの雄叫びとともに彼の後頭部に、フィーサスが突撃した。ボヨンと鈍い音が響き、エルフ男性の目に怒りが燃えあがる。


「何だっ、この奇妙な生物は! ギディル、一刻も早く城に戻るよ」

「ぶみゅっ」


 平手でフィーサスを地面に叩きつけ、上空に向かって声を投げる。こたえて樹々の枝を押しわけ現れたのは、翡翠ひすいの鱗をきらめかせた美しい飛竜だった。

 逃れようとするリュナの腰をしっかり抱え、彼が手綱の付けられたその飛竜に飛び乗る隙を狙って、デュークの火炎魔法が飛竜を襲う。

 一瞬目をみはったエルフ男性は、それでも手綱をさばいて炎を避けた。

 怒りを映す鋭い目が、地に伏したまま見あげてくるデュークを睨み据え。


「そんなにが欲しいなら、くれてやる!」


 叫ぶと同時に彼が放った衝撃波が、続けざまにデュークの身体を襲って切り裂く。

 呻き声を上げ仰反のけぞる薄い胸を、弾丸のような魔力が貫通し――それを飛竜の上で見てしまったリュナの喉から悲鳴があふれだした。


 あたしのせいで、……あたしが、いたせいで。

 ごめんなさい、ごめんなさい。


 ――わたしを迎えたばかりに、こんな災いを招いてしまうなんて……!


 胸の中を、頭の中を、謝罪と自責が埋め尽くす。これは自分の想いなのか、それとも

 まだ十四年しか生きていない少女の胸は、その激流に耐えることができなかった。重い幕がかぶせられるように、視界がゆっくり閉じてゆく。


 そうして、少女のすべてが闇に閉ざされた。

 リュナは飛竜の上、謎の青年の腕の中で――みずから意識と記憶を手放したのだった。




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