三.応えてくれたもの


 その頃リュナは、樹上を伝ってだいぶ離れた場所まで来ていた。狼たちは振り切ることができたらしく、今はもう追ってくる気配はない。

 ほっとした途端、別の不安が一気に湧きあがる。


 偉そうな言い方をしていたセスだけれど、本当はそれほど強くない。確かに、騎士見習いたちが集う訓練所でなら負け知らずかもしれないが、獣相手では勝手が違うのだ。

 狼は群れで狩りをする習性がある。

 一対多数でセスがどこまで戦えるのか……不安しかなかった。


「セス、待ってて。すぐ助けを呼んでくるから!」


 自分が戻ったところでセスにとっては足手まとい。それも十分承知しているリュナは、即座にそう判断して地上へと滑り降りた。

 こんな不気味な森でも住んでいる人はいる。目指していた村までどれだけ距離があるかはわからなかったが、踏み固められた道を辿れば集落か猟師小屋に出るはずなのだ。


 実際、この場所の地面はリュナが走れるほどに道として機能していた。獣道ではなく、人間たちの生活痕としての道がある。だから、鬱蒼うっそうとした木立の向こうに黒いマントが見えた時、リュナはそれが人であることを疑いもせず声を上げていた。


「たす、けてっ」


 全力の逃走で思ったほど声は出なかったが、前方の人物には確かに届いたようで、黒い姿がこちらを振り向く。全力疾走の勢いのままに、リュナは男性らしき背の高い相手にすがりついた。

 ぷに、と足元で奇妙な音がしたような、気がした。

 足裏に感じる柔らかな感触からして、キノコでも踏んだだろうか。それどころではない心境のリュナは、違和感は無視して声を張り上げる。


「お願い、助けて! が森の奥で、狼に襲われてるの! たくさん群れになってたから、あのままじゃ危ない!」


 手に感じる相手の腕は、男性にしては……というより人間にしては妙に細い。見あげると、彼の顔は口元まで布で覆われており、目深にかぶったフードが目元を隠していて、表情どころか顔すら見えなかった。

 セスを失うかもしれない不安と、得体の知れない相手に助けを求めてしまった恐怖心が、リュナの胸に湧き起こって混じり合い、涙にわって瞳からあふれ出す。


「ぷに〜! きゅぴー!?」


 しかも返ってきた声は意味不明な甲高いだけの音声で、いよいよリュナの胸には絶望感が満ちていった。猟師か、せめて村人ならという望みが潰えてゆく。

 がしりとつかんでいた相手の腕を恐る恐る手放し、そろそろと後退りしようとした、その瞬間。リュナの足元から白いかたまりが勢いよく飛び出した。


「ぷー! ぷきゅー!!」

「きゃっ、何!?」


 さっきの甲高い音、――これはどうやらその白い毛玉が発していたものだったようだ。

 わずかに身動いで腕を組んだ謎の男性のほうへその生物はまっすぐ飛んでいくと、肩に飛び乗りそこでぴょこぴょこ跳ねながら怒ったように鳴いている。

 涙も恐怖もどこかへ飛び去ってしまい、リュナは目を丸くしてそれを見つめるしかできなかった。何が起きているのか、さっぱりわからない。


「え、この子……怒ってるの?」


 こんな謎生物に敵意を向けられる理由が思い浮かばず、首を傾げて呟く。ふっと息が抜けるような気配がして、謎の人物がこちらを向いた……気がした。


「おまえがフィーサスの尻尾を踏んだんだ」

「しっぽ?」

「幾らフィーサスでも、それは怒るさ」


 顔を覆う布のせいかくぐもってはいたが、ややハスキーな男声だ。言語も滑らかな共通語コモンで、幾分笑っているような穏やかな口調。得体の知れない人物ではあるが、妖魔や不死者アンデッドなどではないらしい――?

 謎生物フィーサスの怒りはまだ収まらない。けれど、彼が怒っている様子はなかった。それならばと願いを込めて瞳で訴えれば、彼はわかってくれたのだろう、一つ頷き言った。


「案内しろ。助けてやる」




  ☆ ★ ☆




 茂みが揺れて出てきたのは、セスより歳下っぽい年頃の少年。

 癖の強い蜂蜜はちみつ色の髪は不揃いに伸びており、首の後ろでちょんと括ってある。ハシバミ色の目は瞳が大きめで、ひと懐っこい印象を受けるけれど。

 人型の妖魔という疑いを捨てきれず警戒を強めれば、彼は犬たちを呼び寄せ、それからセスを見てにーっと笑った。


「そんな警戒するなよ。助けてやったんだぜ? ま、頑張ったのはコイツらだけどさ。なー? フィル、ファー」


 ワンワン、と嬉しそうに応じる犬たちを交互に撫でる少年は、確かに人間のようだ。鎧は身につけておらず、布地の多い軽装で弓を背負っている。

 セスは慎重な足取りで、彼らのほうへ一歩二歩と近づいてみた。


「ありがとう、助かった」

「助け合いは森での基本だからなー。それより、おまえ、一人? 女の子の叫ぶ声が聞こえた気がしたんだけど」


 どうやらこの少年も犬並みに耳が良いらしい。セスは頷き、説明する。


「実は、が一緒だったんだけど、先に森の奥に逃したんだ。……早く追わないと」

「え、どっち方向に……っと、その前に。俺はシャル。おまえは?」

「俺はセス。セステュ・クリスタル。彼女が、リュナが逃げた方向は――」


 セスがリュナの逃れた方向を指差すと、シャルは背負っていた小型弓を外して手に持ち、犬たちに声を掛けてから、セスに言った。


「俺、この森には詳しいからついてきて。最近、魔物モンスターの様子がおかしいって噂を聞いたんだ。だから、急がないと」


 先立って歩き出すシャルは、振り返らずに小さく言い加える。


「その子が危険だ」





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