第一ノ鍵・人の夢の章

二.妖魔の森


 樹海と呼んでもよさそうな森は、密に立ち並ぶ原生樹と絡まり合う蔓性つるせい植物のせいで、真昼であっても薄暗く感じる。

 ここは『妖魔の森』と呼ばれる地。本当なら、森を熟知している者を案内として雇うべき危険地帯だ。


 いくらの頼みだったとはいえ、もっとしっかり準備をするべきだった……と思っても後の祭り。

 だから、不安そうな声が後ろから言うのも予想の範疇はんちゅうだった。


「セス、やっぱり帰ろう?」

「今から帰っても、日暮れまでに森を抜けるのは無理だよ、リュナ。それより、ここから少し行った場所にある村で一晩泊めて貰うほうがいいだろ」

「でも……」


 きょろきょろと周囲を見回しながら不安げに言い募る少女を無視して、セステュ・クリスタルは森の獣道を進む。

 鬱蒼うっそうと暗い森の中でも輝きを失わない白銀の鎧と長い銀髪が、時おり光を弾いていた。ついてくる少女は、彼と対照的な漆黒の髪と簡易な革鎧。


「それに、リュナが故郷に行きたいって言ったんじゃないか。だから俺も、騎士育成訓練所の休みをとって、こうして付き合ってるんだろ」

「でも故郷に帰ったって何もないもの」


 リュナの今にも泣きだしそうな声に、セスは小さくため息をつく。


 彼女は原因不明の炎に焼き尽くされ滅びた村で、ただ一人生き残っていた子供だ。調査のため村を訪れた父が偶然見つけ、連れ帰り、そのまま引き取ってセスの家で育てられた。

 だから彼女が言うとおり、今現在その村だった場所には何もない。復興する住民もなく、場所もこんな恐ろしい森の奥地だ。

 それでも行きたいと言うから、訓練所を休んで彼女に同行することにしたのだが。


 言い出した本人がこんな調子では、何のために予定を合わせたのかわからないというものだ。ついイライラして言葉がとがる。


「でもでも、って煩いな。リュナだって、こんな場所で野宿なんか嫌だろ?」

「うう、八つ当たりしないでよ」

「八つ当たりなんかじゃ……リュナ、こっちに来い!」


 え、と漏れ出た声が形にならず霧散した。

 振り向いたセスが彼女の腕をつかみ、強く引き寄せて背中にかばう。愛用の長剣を抜いて構えれば、ギラつく無数の金の目が前方の木陰からじりじり迫ってくるのが見えた。

 狼の群れだ。なぜか、異様に殺気だっている。


「くそっ、数が多いぞ!?」

「全部を相手になんて無茶よ、逃げよう?」

「狼相手に徒歩で逃げ切れるわけないだろ……とにかくリュナは樹上に避難してて」


 少女は頷き、手近な樹に駆け寄ると、枝に手足を掛けて器用に登りだす。

 その樹を背にして剣を構えたセスは、真っ先に飛び掛かってきた狼に勢いよく刃を叩きつけた。キャン、と悲鳴を上げて手負いの狼が飛び退すさる。

 続いて襲ってきた二匹目も剣で殴り、三匹目をバックラーで弾く。


 悲鳴を上げて飛び退いた狼たちは、セスを強敵と認識したのだろう――距離を置いてぐるぐると唸りながら少しずつ囲いを狭めだした。

 ふいに頭上から悲鳴が響き、セスの目を盗んで樹上のリュナを狙ったらしい一匹が転がり落ちてきた。すかさず剣で叩き伏せ、大声で呼び掛ける。


「リュナ、大丈夫か!?」

「だ、大丈夫……軽く足を咬まれたくらいだから」

「大丈夫じゃないだろ! とりあえずおまえは先に逃げて、一刻も早く傷を手当てしろ!」

「セスを囮にして逃げるなんて、できないよ!」


 リュナの気持ちはわかるが、言い合っている時間が惜しい。怪我をしていても彼女の身軽さなら、密に生えている樹木を伝って地上に降りず逃げ切れるはずなのだ。

 自分一人なら何とかする自信はある。それに弱いほうを狙う本能でも働いているのか、狼たちがセスを避けてリュナを襲おうとしているのもわかる。


「俺なら大丈夫だ、だから早く行け!」


 強い声で促せば、リュナは一瞬の無言ののちに意を決したようだった。頭上の枝がしなる音がして、彼女の気配が消える。

 幾分かほっとして、セスは狼たちを牽制けんせいしながら同じ樹に手足を掛け、身軽く樹上へ登った。樹に取り付いて爪を立て登ろうとする一匹をブーツの踵で蹴り落とし、さらに上へと移動する。


 群れが自分ではなくリュナを追う心配はあったが、どうやら杞憂きゆうに終わったようだ。おそらくかれらの嗅覚範囲から無事に逃れられたのだろう。

 とはいえセスに彼女のような身軽さはないので、同じことはできない。どうしたものかと思案しているうちに、狼たちの唸り声に変化が生じた。


 異変に気付いて見下ろすと、狼たちが悲鳴を上げながら争い始めていた。

 奇妙な現象に思わず身構え観察していれば、固まっていた群れがバラバラに崩れ、散り散りに逃げ去っていく。後に残ったのは毛色の変わった二匹の狼だけ。


「二匹ならどうにかなるか……?」


 独りちて、警戒は解かずに樹上から滑り降りる。しかし二匹とも襲いかかってくる様子はなく、まるで犬のように座ってセスのほうをじっと見ていた。

 よく見れば先ほどの狼たちより体格が良くて、色も灰色ではなく、黒っぽいのと茶色っぽい。

 もしかして犬なのかとも思ったが、セスは犬を飼ったことがなく間近で見る機会もなかったので、判断できなかった。例え犬だとしても、危険がないとは言い切れないのだ。


 お互い距離を保ったままうかがい合うことしばし。

 唐突にセスの背後から、茂みをかき分けるガサガサという音が聞こえてきた――。

 



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